Josephcunlife107の日記

ロンドン(カナダ)生活、IVEY BUSINESS SCHOOLの日常。

紛争ダイヤモンド

2007年02月23日 | 映画
タイトル: Bloods Diamonds
監督: Edward Zwick
主演: Leonardo DiCaprio


 レオナルド・ディカプリオ主演のBlood Diamonds。アフリカ中部に位置するシエラレオネを舞台に、ダイヤモンドを巡る内戦の現状が描かれている。シエラレオネ産ダイヤモンドは、通称"紛争ダイヤモンド”と呼ばれていて、内戦の温床となっているそうだ。

 シエラレオネでは、政府と反政府勢力が対立しているのだが、こうした構図の背景にはダイヤモンドがある。反政府勢力は、ダイヤモンドを探す人手を集める為、近隣の村を襲う。ここで捕らえた人々をダイヤモンド採掘場へと連れて行き、ダイヤモンドを探す労働をさせるのだ。見つかったダイヤモンドは、輸出され外貨へと姿を変える。そして、この外貨を用いて武装化を進めるという形である。

 ダイヤモンドの流通経路は、シエラレオネ → 近隣のアフリカ諸国 → ヨーロッパ → 先進国となっている。もしかすると、僕達日本人が購入しているダイヤモンドの代金の一部は、武器へと姿を変えているのかもしれない。

 武装に合わせて、反政府勢力は、体制維持の為の兵力増強を目的として、子供を誘拐する。10歳程度の子供に武器を渡し、人殺しを経験させ、訓練するのだ。更に、彼らを麻薬付けにすることで、子供の理性を失わせていく。子供にこんなことをさせるとは常軌を逸している、と感じるけれども、地球の反対側ではダイヤモンドを巡り、こうした悲劇が起きているといっても過言ではない。

 ダイヤモンドの利権争いによる内戦の結果、シエラレオネでは、大量の殺人だけでなく、多くの難民が生まれた。こうした問題の根本は、ヨーロッパにある。かつて、アフリカはヨーロッパの植民地として、アフリカの意志とは裏腹に領土が分割された。不自然に引かれた国境線は、望まざる民族分断を生んだ。国は違えど、同じ民族という形だ。帝国主義が生んだ負の遺産である。

 例えば、農業においても同様で、アフリカでは、資本の論理を優先して、付加価値の高い輸出品が作付けされるようになった結果、コーンや小麦といった主食の作付けがおろそかとなった。アフリカで作られた付加価値の高い商品は、アフリカ人の食卓に昇ることは無く、輸出されている。他方、コーンや小麦については、先進国からの援助に頼っている。そして、現在アフリカでは多くの人が飢えているのだ。先進国の言っていることと、していることは矛盾だらけである。日本からも食糧援助という名の下に、大量の米がアフリカに輸出されている。こうした米の大半は外米である。

 ダイヤモンドはあくまでも一つの例に過ぎないけれども、こうしたアフリカの現状は、余り日本では報道されていない。僕らはこうした状況をもっと把握すべきだと思うのだが。実際に何か出来るかといえば、中々難しいとは思うのだけれども。(シエラレオネ産ダイヤモンドを購入しないことくらいかもしれないが。)

 少々不謹慎ではあるが個人的な意見として、この映画は、結婚前の彼女と観るのには凄く良い作品だと思う。何故なら、女性のダイヤモンド信仰を再考させる上では、少なからず効果的な作品だと思ったからである。

モノポリー

2007年02月21日 | Ivey
 最近、モノポリーに嵌っている。きっかけは、行きつけのバブルティーの店でクラスメートと遊んだことから。昨日、ついにWalMartでモノポリーを購入してしまった。

 僕は、モノポリーを考案した人は天才ではないかと思う。このゲームには、ビジネスの要素がしっかりと詰まっているのだ。そういうことから、ビジネススクールのクラスメートと一緒にモノポリーをやると、異様な盛り上がりをみせる。そのうちの1人、モノポリー世界大会、カナダ代表決定戦の決勝戦に敗れた人に言わせると、モノポリーは運ではなく、戦略や交渉といったあらゆるスキル結果が勝者を決めるとのこと。

 モノポリーがビジネスやMBAの縮図という理由としては、

・情報の対称性: 全てのプレーヤーがあらゆる情報を共有

・交渉力: 他プレーヤーとのプロバティーの交渉

・ゼロサムゲーム: お金の総額は一定

・統計的思考: サイコロの出る目をランダムと考え、効率的な投資を行うこと

・キャッシュフロー : 投資、収入、費用の最適化

・投資と期待リターン: プロパティーへの投資と期待リターン

・戦略: 上記全てを網羅した経営戦略


 僕のモノポリーブームは暫く続きそうな気配。

賑わう洗車場?

2007年02月09日 | Ivey
 今日の午後、TOYOTATOWNでエンジンオイルを交換した際に、洗車のチケットを貰った。目の前にあるガソリンスタンドで使えるとのことなので、久しぶりに洗車をすることにした。前にも書いたが、ロンドンでは冬になると、融雪剤として町中に塩が撒かれているので、車が直ぐに真っ白になってしまう。道路を走る車は大抵白く覆われていて、とにかく汚いの一言に尽きる。周りの車も同じように汚れているので、車が汚いと認識しつつもそれ程気にかけていなかった。多分、カナダに住んでいるせいだと思うのだが、車に対して無頓着になっているのだと思う。ここでは、車は完全に足となっている。

 日本の大学時代には、皆で何処かへ出掛けるたり、女性と遊びに行く機会があると結構こまめに洗車をしていたことを覚えている。当時、僕の車が汚れていた訳ではないのだが、洗車をすることが何らかの効力を発揮すると単純に考えたのだと思う。そして何よりも、車に対して単純な足という概念以上に、愛着を感じていたからなのではないかと思う。だから、洗車に行くことも苦ではなかった。

 木曜日の午後にも関わらず、洗車場には長い列が出来ていた。僕が思うに、原因は非効率なオペレーション。3分足らずの自動洗車に10人近い従業員が携わっていた。僕達ドライバーは、入り口手前で降車を指示される。従業員がチケットを切り、車を運転する。機械洗車の後は、従業員が車の雑巾かけまでしてくれるではないか。これで、占めて9ドル(900円)。コストの安い労働力を使ったとしても、儲けがでるのか少々疑問だった。洗車場の隣には、セルフサービスのガソリンスタンドが静かに並んでいる。日本では、洗車は全て機械任せで、一方で従業員がガソリンを入れてくれる。文化や常識が異なると、ここまで違うものかと感じてしまう。

 洗車を済ませた後の車は、格段に綺麗だった。定期的に洗車をしたくなってしまった。今日は、日本の洗車とは車を綺麗に見せることというものに感じられてしまった。カナダでは、本質的に車が汚い。それ故、潜在的にビジネスとして成り立つ要素はあるのだと思う。その為には、顧客が車を綺麗にしたいと思えるような感覚を持たせる必要があると思う。そしてそれは洗車人口の裾野を増やすことであり、結果として車への愛着が増すことへと繋がる。こうした環境を整えることで、ビジネスとして成り立つようになるのだと思う。

Five Forces + 1

2007年02月06日 | Ivey
 マーケティングにおいて、Complimentorsとは協力企業のことを指す。戦略論のFive Forces(5つの競争要因)に、新しい要素としてComplementorsを加えると、6つの競争要因により構成されることとなる。協力企業は、競合と関連していくわけだが、顧客がValueを認識する存在感の高さからこうしたフレームワークが作られたのだと思う。

 この枠組みは、CompetitorとComplemetorの関係に拠るところが大きいので、全ての業界に当てはまるわけではない。代表格としては、IT業界のハードウエアとソフトウエアの関係が挙げられる。

 例えば、プレイステーションとソフト制作会社。プレイステーションというハードが売れる為には、顧客を惹きつけるソフトは不可欠な存在である。ソニーは低価格でプレイステーションを販売して顧客の裾野を広げる。そして、収益は、ソフト会社からのロイヤリティーから生み出される。このビジネスモデルでは、相互依存が著しく、協力会社の存在が不可欠となる。

 個々の業界の魅力的な機会を評価する物差しとして、Five Forceの有効性を再認識。それにしても、ビジネスの理論とは統計学の延長線上にあるような気がしてならない。成功したビジネスを体系化して、あたかも理論として正当であるかのように教えているような気がするのは僕だけだろうか。

国境を越える

2007年02月05日 | カナダ
 カナダとアメリカの間には、国境越えのポイントが多数あり、簡単に行き来することができる。カナダ人がアメリカに行くには、パスポートは不要で逆も然りだ。それ故、グリーンカードの取得が困難と考えるメキシコ人や中国人は、カナダに移民することを選択する。カナダ国籍が有ると、アメリカで仕事を見つけることも比較的容易なのだ。

 9.11以来、入国に厳しい目を光らせてきたアメリカは、現在のパスポート不要の相互入国制度を見直すそうだ。カナダでは、システム変更による数十億ドルの負担と数百万人に昇る人的交流の減少を見込んでいるとのこと。

 単一民族である我々日本人にとって、国境を越えるという概念は中々ピンとこない。しかし、実際カナダからアメリカに行くと雰囲気はがらりと変わる。国境線を跨いだだけで、治安の悪さを瞬時に感じ取ることが出来る地域も多数ある。それ故、僕は、アメリカからカナダに入るとなんとなくほっとしてしまう。
 
 カナダ国民の25%が今夜スーパーボウルを見るといわれている。言語、スポーツ、経済、政治的にもこれだけ結びつきの深い両国だが、国民性等ファンダメンタルズにおいては、大きな違いが存在する。僕は、カナダ人とアメリカ人は似て非なるものだと思う。

 国境という人為的に作られた境界がこうした違いを育むのだとしたら、"ナショナリズム”とはある意味で僕らにとって本質的なアイデンティフィケーションの形なのかもしれない。

ロンドンは寒い

2007年02月04日 | カナダ
 昨年の暖冬の反動でしょうか、今年のロンドンはいつも通り寒い冬を迎えています。気温がマイナス20度まで下がる日もあり、グローバルワーミングも関係ない様相です。風の強い日には体感温度がマイナス25度にもなるので、顔は痛いし、コンタクトレンズが凍ってしまうのではと思います。故に、殆ど外を出歩くことはありません。

 さて、明日はいよいよスーパーボウルです。ここ一週間はテレビもラジオもスーパーボウル一色です。北米4大スポーツの中でも最も人気のある競技ですから、当然といえば当然ですが。

 スポーツにおいて、カナダがアメリカ化しているといっても過言ではありません。寒さが拍車をかけるように、明日は皆自宅やスポーツバーに篭ってビールを飲みながらスーパーボウルを観戦することになるのでしょう。