Josephcunlife107の日記

ロンドン(カナダ)生活、IVEY BUSINESS SCHOOLの日常。

一宿の恩

2005年12月21日 | カナダ
 クリスマス休暇を利用して日本へ帰国する為に、僕はデトロイト空港へ行くこととなっていた。何故デトロイトかというと単純にトロント空港から飛ぶよりも航空チケットが割安だったからだ。北米では、クリスマス前の時期の航空チケットが一年間を通して一番高いとされており、この時期に手頃な航空券を見つけることは至難の業だ。それこそ下手な旅行代理店に依頼すれば、日本往復で2,000ドル近い価格の航空券を売りつけられることもある。僕は今回インターネット経由でチケットを購入したのだが、航空券の高い時期はインターネットが一番安い価格を提供しているような気がする。

 カナダとアメリカの国境に、カジノや自動車産業で栄えるウインザーという小さな街がある。僕のクラスメートのRYANはこの街の出身で、彼にデトロイトから日本に帰ることを話したところ、空港まで送るから彼の家に拠って行かないかと誘われた。そんな経緯で、フライトの前日に彼の家で一晩お世話になることとなった。

 五大湖の一つであるエリー湖のほとりに立つ彼の両親の家は、暖炉を備えた寒冷地のカナダの家という表現がしっくりくるものであった。窓からエリー湖を眺めると、湖は既に凍っており、外は冷たい風が吹き荒れていた。気温自体は、マイナス10度だったが、風が強いので体感気温は更に低いのであろう。本格的な冬を迎える1月から2月にかけては更に気温が下がり、マイナス20-30度になってしまう。

 彼の家族は、両親と2人の姉、そして弟の6人で構成されている。彼の母親は、彼が小さいときに離婚したので、父親は義父にあたる。北米の離婚率は30%を超えているらしいので、単純にカナダ人の3人に1人は両親の離婚を経験をしていると推測される。そもそも北米においては、女性が経済的に自立していることから、彼女達の社会的地位は相対的に高い。このことに加えて、就職市場において人材の流動化が進んでいることから、離婚率も高くなっているのであろう。日本のように女性は家庭を守るものという考えはカナダでは全くあてはまらない。まあ最近は日本でも女性の社会進出が進んだので、北米に近づきつつあるが、未だに男尊女卑の社会的風潮があるような気がする。

 僕自身、女性の社会進出は、女性の社会的地位を向上させるだけでなく、労働力の供給者として、社会の生産性を上げることに寄与すると考えるので、大いに賛成だ。なにより女性にも子供を産むだけでなく、個人として主婦という職業以外に職業選択の自由があると思う。他方、マイナス面として出生率の低下や離婚率の上昇が挙げられるが、後者は止むを得ないとして、前者については、出産費用を無料にするとか育児休暇の拡充という政策を採用することである程度の改善は可能であろう。そもそもDNA的観点から、多くの女性は母親になりたいという願望があるのだから、それを金銭面で妨げる社会というのは問題であろう。昨今日本でみられる少子化問題は、将来の年金問題、市場の縮小等、日本経済の競争力が弱まるという問題を抱えているにもかかわらず、真剣に議論されているようには感じられない。

 時計を見ると18時を少し回っていた。今夜は、ライアンの弟のアイスホッケーの試合を観に行くことになっていた。対岸にデトロイトの町並みが見える川沿いの道路を車で30分程走らせ、隣町の古びた体育館に着いた。NHLのチームをモチーフとしたであろう赤と青のユニフォームを着た小学生達が、氷上の格闘技に真剣に取り組んでいた。

 僕は、アイスホッケーというスポーツは、スポーツにおいて必要とされるあらゆるスキル‐持久力、瞬発力、チームワーク、精神力、集中力、技術‐を全て含んでいるので、最もエキサイティングかつ難しい競技の一つだと思う。アメリカでいう4大スポーツ(野球、アメリカンフットボール、アイスホッケー、バスケットボール)を全て見たことがあるが、1点の大切さ、フィジカルの強さ、瞬間の集中力等の要素がアイスホッケー程複合的に要求されるスポーツも無いであろう。そういうわけで僕は、アイスホッケーの熱烈なファンの一人なのだが、マイナス気温の中でアイスホッケーの試合を見るのはなんとも応える。寒さに耐え切れなかったので、心の中で早く終わらないかなとも思っていたが、こういうローカルなチームから、かの有名なグレツキーも生まれたのかと思うと見応え十分だった。

 試合終了後彼の家に戻り夕食を頂いた後で、彼の両親と話す機会があった。どうやら日本人が家にやってくること自体がとても珍しかったようで、彼の両親は戸惑っていた。僕が彼の父親と話していて感動したことの一つに、12歳の子供に挨拶としての握手を義務付けていた姿勢があった。彼の父親の理論に従うと、大人になって握手をきちんとできない人間は駄目だとのこと。それ故、大人になってから困らないように相手の目をみて握手ができるように今から教えているとのことだった。ということで、彼の弟が寝る時間になった時に、彼の父親は僕に挨拶をしてから寝るように指導していた。その後僕のところにやって来た彼の弟は、“NICE TO MEET YOU”の挨拶をしてベッドへと歩いて行った。国や形は違えど子供にとっての躾の大切さを改めて感じさせられてしまった。

 翌朝RYANが僕をデトロイト空港まで送ってくれた。チェックインを済ませ、いつものように空港内で飛行機の離陸を待った。デトロイトは、不名誉にも今年アメリカで最も治安の悪い地域第二位に選ばれた。かつては自動車産業で隆盛を極めたこの街も今や昔の面影は無い。ダウンタウンは今やゴーストタウンのようである。デトロイトは地球の歩き方にも掲載されているが、ここは基本的に観光客の訪れる街ではないようだ。そんなことを考えていると、飛行機の離陸時間となった。いよいよ明日は日本へ帰国だ。

宗教的価値観の違い②

2005年12月10日 | カナダ
 ブリティッシュ・コロンビア州の州都ビクトリアは、太平洋に面していることから温暖な冬の気候と涼しい夏に恵まれ、カナダで最も過ごしやすい街として知られている。名前にも現れているように、英国文化を色濃く残すこの港街は、30万程度の人口と小さな町だが、一年中を通して多くの観光客を惹きつけている。僕は、当時大学4年生だった。交換留学生として、ビクトリア大学へ留学し、経営学部に籍を置いていた。当時は、今と違い毎日がとても楽しかった。遊びと勉強のバランスが程よく取れていたし、なにより見るもの全てが新鮮だった。

 僕と同じように交換留学生としてビクトリア大学で学んでいた学生は結構いたのだが、彼女はその中の一人だった。関西出身の彼女は、少し気の強いところはあったのだが、明るく素直な笑顔が印象的な女性だった。英語が上手で、スタイルも良く、容姿端麗だったことから、彼女は、国籍を問わず多くの学生を惹きつけていた。しかし、残念なことに、彼女の眼鏡に適う相手は中々現れなかったようだった。海外で独り暮らしをするというと聞こえはいいかも知れないが、現実はそれ程単純では無く、人によっては寂しさに耐えかねてしまう人もいるようだ。無論英語の勉強も大変なのだが、統計的に考えても全ての人がこの生活を楽しむということは難しいだろう。うさぎは淋しいと死んでしまうというように、人間や動物は、本来寂しさを感じなければ普通ではないだろうし、人との交流があるから、人生も楽しいのであろう。勿論独り暮らしをするということは、貴重な経験だと思うし、それ自体は良い事だと思う。

 そんな彼女にとっても独り暮らしは、この時が初めてで、半年を過ぎた頃から寂しさや不安が訪れるようになっていた。彼女は不安を抱える日々の中で、ある日教会へと足を運んだ。そこで、彼女は祈った。そしてその日、彼女は神の声を聞き、敬虔なクリスチャンになった。それ以来、明るさを取り戻した彼女は、常に神を意識するようになり、話の中に神がという言葉が含まれるようになった。実際の彼女の言動は、これまでカナダで出会ってから、僕が聞いたことのないようなことばかりであった。彼女は、多くの友達を教会で得た傍らで、以前から付き合いのある友達は、彼女の変遷を懐疑的に見るようになった。僕は、彼女の悩みを知っていながら、自分が何もしてあげられなかったことに後悔した。彼女がクリスチャンになったことがどうこうという事ではなく、当時の自分の理解力の無さに今更呆れてしまう。しかし、それぐらい彼女の変化は大きかった。あくまで僕の推測だけれど、あの頃、彼女は心に穴が開いていて、それを埋めてくれる何かが欲しかったのではないかと思う。人間はとても弱い生き物だから、自分自身の気持ちが落ちているときには、何かに縋りたくなるのが心情だ。だけど一度そこで、縋ってしまえば、そこから出ることは難しいと思う。人は生きて行く上で、信念や何らかの支えが必要だし、宗教というものは、人間にとって大きな支えとなるのであろう。

 僕は、信仰の自由は各個人が持つ権利で、尊重されるべきだと思う。但し、その信仰を人に押し付けたり、人を恐怖に陥れる行為に使うことはどうかと思う。

 昔を思い出しながら、日本人の宗教的観点からの世界観の欠如を改めて考えると、僕らはきっとある意味で幸せなのだろうと思う。ニューヨークで起きた9.11は、世界中にテロという新たなリスクをもたらした。このテロは、超大国アメリカが進めてきた民主主義と資本主義の拡大が生んだ大きな副産物だ。例えばイラク戦争は、アメリカの石油権益獲得の為の戦争であることは事実だが、ネオコンに代表されるアメリカ政府高官の宗教観に端を発する宗教戦争の色彩も否めないことはない。そもそも、今のイスラエルを中心とした中東問題は、第二次世界大戦前のイギリスの中東問題への干渉に端を発する。パレスチナにおけるユダヤ教徒とイスラム教徒が簡単に相容れるはずなどないのは周知の事実だが、イスラエルに領土の約束をした。アラブの国々の多くは、独自の文化、宗教を維持してきた。しかし、アメリカやヨーロッパ諸国は、自国の利益を守る為に、金と武力を用いて多くの国に資本主義と民主化を導入しようとした。イスラエルは、アメリカの支援の下で中東戦争に勝利した。中東戦争だって結局は宗教対立なのだ。

 津波の支援の為にヨーロッパから訪れたキリスト教徒は、インドネシアにおいて、キリスト教徒を拡大する機会と捉えたというニュースがあった。インドネシアの人は、キリスト教徒を賞賛し、キリスト教徒になるかもしれない。21世紀は、これまで以上に宗教というものが重視されるのかもしれない。これだけ、グローバル化と資本主義が進展していく中で、人が益々何かに拠りどころを求めるようになるというのは、世界の混沌を示しているのかもしれない。

 日本人は宗教観という意味では、中立の立場を取れると思う。日本で仏教にまつわる戦争といえば、織田信長の宗教戦争くらいしか考えられない。日本人の平和主義観というのは、仏教に根付く歴史が作り出したのであろうか。いずれにしても、一番大事なことは、いつでも多様な価値観、宗教観を尊重することだと思う。

宗教的価値観の違い①

2005年12月07日 | カナダ
 僕は、週末を利用してロンドンから車で2時間弱の場所にある、キッチナーという街のファーマーズマーケットへ友人達とやって来た。ここのマーケットの特徴は、マーケットがメノナイトと呼ばれる、キリスト教の一派によって運営されていることだ。彼らの宗派の特徴を挙げると、成人してからの洗礼を認める再洗礼主義にある。メノナイトは、キリスト教を信仰するからには、キリストと同じ生活をするべきだと、贅沢、暴力を否定し、受難に甘んじ、人類は互いに助け合うべきだとしている。彼らの新しい思想は、旧来のキリスト教徒との宗教観の違いから、16世紀にヨーロッパで迫害を受け、自由な信仰を求めて新大陸へとやってきた。メノナイトには、電気やテレビといった現代文明を全く用いないオールド・オーダーから、それらを利用するモダンまで幅広く存在するそうだ。現在は、北米の一部の地域に定住し、自分達の社会や風習を守っている。独特の民族衣装で着飾り、パンや野菜を売る彼らの店は、近郊から多くの人を引き寄せている。街には、馬車も見られたのだが、これも現代テクノロジーを用いない大きな特徴の一つであろう。多くの人が訪れている反面、独自色を保つ彼らは、写真を取られることも余り好きではないそうだ。

 マーケットには、新鮮な野菜や果物が溢れていた。買い物好きの僕は、りんご、トマト、生ソーセージ、ベーグルなどを大量に買い込んでしまった。独り暮らしだというのに、どうやってこの量を処理するのだろう、と考えた頃には後のまつりだった。彼らの作る野菜や果物は、おそらく減農薬栽培による農業を行っているであろうから、食品自体は比較的有機に近いのだろう。価格が安いだけでなく、安全性という面でも、スーパーで買うよりはるかに信頼性が高い。

 数時間をマーケットで費やしてから、帰路に着いた。ロンドンへ戻ると、僕は、友人に誘われ、彼女の家で催されるIVEYクリスチャン倶楽部の会合に急遽参加することになった。僕はクリスチャンではないので、参加してもいいのかどうか訪ねたのだが、特に問題ないとのことだったので、彼女と一緒に行くことにした。そこには、僕のクラスメートや他のセクションの友人が来ており、比較的居心地が良かった。

 今日のテーマは、FAITHについてだった。僕のクラスメートでサスカチュワン出身のTは、牧師ということで、聖書を片手にその場で教えを説いていた。キリスト教の教えでは、FAITHには、BELIEFとTRUSTが背景にあり、これらと相関をなしているとのことだった。例えば、モーゼは、現在のサウジアラビアに多くの人とエジプトを脱出してやってきた。この時、彼らは砂漠の中で、水も尽き途方にくれていた。Tは僕らに彼らはどうするべきかと尋ねた。Tによると、牧師の中には、神に祈りを捧げるだけで、神が全てを解決してくれたり、死ぬことさえ逃れることさえできると説く人もいるらしい。信仰心の厚さがなせる業なのであろうが、この点について、Tは同意していないようで、もう少し物事を現実的に見ていた。Tは、世界中を旅行した経験があり、様々な宗教観を肌で感じた結果、自分なりの価値観を持っているようだ。以前に日本人の宗教観について聞かれたことがあったのだが、僕は、その理由をこの日初めて理解した。

 この日、僕は彼らの話を聞いていて、少しキリスト教に引き込まれそうになった自分がいた。僕は、いわゆる典型的な日本人で、無宗教の部類に入る。故に、宗教に対する認識は非常に浅い。多くの日本人は、神道や仏教に属するのであろうが、神道や仏教は既に日本人の文化の一部でとなっていると考えられる。正月行事、お参り、豊作を神に祈る姿勢は、ある意味で日本人の信仰心のあつさを示しているように思われる。実際に、このような行動を宗教と捉えるかどうかについては、微妙なところだ。キリスト教の聖書は広く普及しているし、教会は世界中至る所でみられる。例えば、日本でもホテルに泊まると比較的聖書を目にする確立は高い。キリスト教徒は、定期的に教会へミサへ行くし、僕の友人のエジプト人は、最近ラマダンを実践していた。彼らのようなタイプを信仰心があついといい、日本人のそれとは異なるのであろう。

 キリスト教の話に引き付けられた理由は、彼らが僕の知っている敬虔なクリスチャンと少し違っていて、比較的現実的な人間に感じられたからだと思う。そもそも、MBAという資本主義的合理性と宗教的価値観の実践においては、価値観の追求において、温度差が生じると思う。古典派経済学の中で、アダムスミスは市場の“見えざる手”について主張した。この解釈は、今でも広く信じられていて、市場の需要と供給は自然とバランスが保たれるのである。一定需要の元で、供給が過剰になれば、価格は下がるし、その逆も然りである。例えば、目の前にあるビジネスの問題は、神に祈ることで解決はしない。故に、合理的解釈では、自分で解決した問題は、神様が導いてくれたと捉えるのだろう。僕自身は、現在の不安定で忙しい生活状況と、日本語を話す機会も無い現実が、僕をバーチャルな世界へと誘惑したのだと考える。人は現実的にものを見るようになればなる程、非現実の世界が観たくなるのだと思う。実際、利益の追求がもたらす株主価値の最大化という資本主義を追求をすればするほど、貧しい人々が生み出され、貧富の格差が広がるという現実が目の前にある。こうした単なる利益の追求は、僕に矛盾をもたらしているのだろう。

 資本主義社会は、努力をすれば報われる社会なので、個人的には素晴らしい社会だと思う。平等と万人の幸福を追求した社会主義は、一見理想的だが、あらゆる面の非効率性から、現在の世界では機能しないことを旧ソ連や中国が証明している。資本主義の問題点は、不公平な富の分配がもたらす貧富の格差も拡大で、一億総中流の日本にとって、かつては無縁なことであった。ところが、昨今の規制緩和に端を発する日本経済の構造改革が進展した結果、多くのIT長者が誕生し、日本にもいよいよアメリカ型資本主義が到来することとなった。ニートやフリーターとなり、就職難に出くわす人が増える一方で、大学を卒業したばかりの学生が、年収1千万円を超える給与を貰っている。これまでは、いい大学を出れば、それなりの収入が保障される一方で、そうでない人もそこそこの収入を稼ぐことができた。しかし、競争社会では、差別化したものがそれなりの報酬を獲得し、その逆も然りなのだ。

 そんなことを考えていたら、いつの間にかうたた眠をしてしまっていた。友人のTに申し訳ないと思い耳を傾けると、突然彼のGODという言葉が、僕に過去の出来事を思い出させた。僕には、ある日を境にキリスト教徒の人と距離を置くようになった経験がある。その出来事は、今から5年前に僕が、カナダのビクトリア大学に留学していた頃に遡る。

フィールドトリップ

2005年12月06日 | Ivey
 今日の夕方、オペレーションの授業の一環でロンドン郊外にあるフォードの組立工場を訪れた。ロンドン郊外は、アメリカとのFTA締結の結果、多くの自動車会社が工場を建設した、ここで生産された自動車は、大半がアメリカへと輸出される。訪れた工場の規模は、日産千台程、2シフトで運営されている。8割はアメリカ向けらしい。僕自身、自動車工場に入るのは初めてだったので、少し期待をしていたのだが、いざ入ってみると新聞が散らかっていたり、なんだか雑然とした雰囲気に少し拍子抜けしてしまった。それでも、歴史あるフォードの工場内を見学できたことは、とても有意義だった。

 工場を案内してくれた人が、ここの工場は“ジャスト・イン・タイム”だとしきりに強調していた。JITは、アメリカのスーパーマーケットの商品補充をヒントに、トヨタ自動車の大野耐一氏が考案したシステムと言われている。JITはカンバン方式と並んで、トヨタ生産方式として多くの製造業のモデルとなった。大野氏は、当時フォードに見られた大量生産型のアメリカ方式に対して、多種少量生産で勝負するという、かなりの難題に取り組んだ。この時注目したのが生産システムだった。JITは、文字通り必要なものを必要なときに必要なだけ作るというシステムで、トヨタにおいて幾多の試行錯誤を繰り返し、見事な成功を収めた。在庫とリードタイムの減少は、効率的な生産システムとキャッシュフローの改善をもたらし、結果としてスループットの向上は、固定費の削減へと繋がった。トヨタ生産システムは、今でも成長を遂げているといわれており、トヨタがもつ企業文化は、永続成長企業のモデルなのかもしれない。多くの製造業がトヨタ式システムを模倣しているが、表面を取り入れるだけに終わり、中々巧くいっていないようである。

 工場見学を通して僕ががっかりしたことは、労働者の動きが遅いことと、必要も無い位余分なワーカーを抱えているように見えたことだ。労働者の仕事に対する考え方は、北米文化の結果であろうが、結局JITを取り入れているといっても、工場自体が余剰労働を抱えているようでは、導入の効果は薄まってしまうであろう。

 そして、今日最大の驚きは、工場見学の途中で起こった。僕にフォード車を二度と買わせないと感じさせた光景が目の前に広がったのだ。僕は何気なく車体の組立作業を見ていた。何と組立工程の途中で部品を閉める役割の人間が、テレビを見ながら仕事をしているではないか。しかも、テレビに夢中で、部品の組立作業に目も向けていない有様だった。僕は、隣にいたDEROIT出身の元コンサルタントのメキシコ人にその様子を伝えると、彼も一緒になって呆れていた。彼は、コンサル業務をしていたことから、ホンダの工場を見学したことがあったようで、自動車工場を見るのは初めてではなかった。そんな彼にしても、これはひどいと驚いていた。僕は、たまらず案内係の人に理由を聞いてみた。

僕: Do you allow employees to watch TV during the working hour.

案内係: It is a good question. Yes. We allowe them to watch TV during the working hour and it is described in the contract.

僕:Are you serious? Do you consider safety isuue?

案内係:As long as operators are happy, which is good.

僕:......

 僕は、開いた口が塞がらなかった。彼は、このやりとりを他のクラスメイトにも説明したのだから驚きだ。僕は、彼らには車が人の命を預かる役割を果たしているという感覚が無いように感じられた。日本では、三菱自動車に見られるリコール隠しにより会社が危機的状況に陥ったように昨今の消費者の目は厳しい。最近のGM、フォードに観られるアメリカ自動車業界の不振は、原油価格の上昇や環境問題の高まりによる、大型車離れが最大の原因とされているが、根本は製造業としての競争力低下と車の信頼性に由来すると思う。北米では、道路の途中で車が平気で止まっている光景を目にすることも珍しくない。そういう車は、大抵がアメリカ車だ。品質問題への意識の低さと、権利と福利厚生の維持を主張する組合を中心とした、従業員の主張がアメリカ自動車産業の競争力を奪っているのは明らかだ。更に、フォードは、キャッシュを産み続ける優良子会社のハーツを売却し、幾つかの工場を閉鎖する予定だ。会社が、財務的な問題を抱えリストラを進めているのに、ここの従業員にはその危機意識が全く見られない。

 日本の自動車企業の北米におけるシェア上昇により、フォードやGMが被害を被っていると異議を唱える人は多いが、物事の本質を見るべきである。消費者利益を優先しないこれらの企業は、アメリカが主張する資本主義社会では淘汰されるべきなのである。ナショナリズムに異議を唱えるのは、彼らが他の国々に押し付けてきた価値観を考慮すると大いなる矛盾を孕んでいるし、慎むべきだ。何より、北米の消費者が日本車を購入しているのは、市場が何を求めているかを証明している。

 今日はいい勉強になったと。そして、僕がフォード車を購入することはこれから先無いだろう。

成長アニュイティ

2005年12月05日 | ファイナンス
有限数のキャッシュフローを計算する際に、成長アニュイティを用いる。

PV=C/r-g*[1-(1+g)/(1+r)]^t


日本企業に就職する際の初任給は、通常ほぼ一律である。しかしながら、入社後数年を経ると給与に大きな格差が生まれる。社員が受け取る給与における現在価値は果たしてどの程度違いが生まれるのであろうか。(以下の計算は、平均勤続年数28年、金利10%、平均給与に基づく給与計算、業種別賞与月数の格差考慮の仮定)


A:T自動車:初任給200,000円、給与成長率 6.5%
B:I勢丹:初任給202,000円、給与成長率 4.7%
C:Nテレビ:初任給224,000円、給与成長率 8.4%
D:M物産:初任給197,000円、給与成長率 7.5%

A:PV=3,600,000/0.1-0.065*(1-[(1+0.065)/(1+0.1)]^28)=61,263,373
B:PV=3,232,000/0.1-0.047*(1-[(1+0.047)/(1+0.1)]^28)=45,680,570
C:PV=4,032,000/0.1-0.084*(1-[(1+0.084)/(1+0.1)]^28)=84,804,241
D:PV=3,349,000/0.1-0.075*(1-[(1+0.075)/(1+0.1)]^28)=63,585,236

初任給と成長率により、現在価値は大きく左右される。例え
初任給が高くても、成長率が低いと現在価値は最終的に逆転してしまう。

こうして、現在価値を比較するとI社とN社の給与現在価値は、2倍にも達する。ここには、福利厚生、出世確立、仕事場の環境等の要因は含まれていないが、単純に投資効率を考えるとテレビ局とは魅力的な職場のようである。

他方、日本の総合商社といえば、かなり稼いでいるようなイメージが先行するが、T自動車と比較してもそれ程、現在価値に差が見られない。超過労働等を考慮すると、製造業の投資効率は魅力的である。

こうして貰える給料の価値を換算すると、就職活動に真剣に取り組むことの必要性を改めて実感してしまう。

アニュイティ

2005年12月04日 | ファイナンス
 アニュイティは、決められた数の期間続く一定額の規則的な支払である。最も一般的な種類の金融商品の一つであるアニュイティは、年金、リース、住宅ローン等で広く用いられる。

 知り合いの知り合いが、年間$50,000が20年間支払われる宝くじに当選した。彼は、今から一年後に最初の支払いを受け取る。金利が8%の時の宝くじの現在価値は幾らになるであろうか?

PV=C/(1+r)+C/(1+r)^2+C/(1+r)^3・・・=C/r-C/r(1/1+r)^t

PV=C[1-1/(1+r)^t]/r

PV=$50,000*(1-1/1+0.08)/0.08=$490,907

金利が8%の仮定では、宝くじの現在価値は半減してしまうのである。年末ジャンボ宝くじについても、金利と支払い期間、タックスを考慮すると実際の価値は1Millionには遠く及ばないのである。

 
 それでは、6年後から4年間、年間500ドルを受け取る。金利が10%の状況下におけるアニュイティの現在価値は幾らになるであろうか。

PV=$500(1-1/(1+0.1)^4)/0.1=$1,584.93

上記は5年後における現在価値であることから、割り引いて計算すると

PV=$1,584.93/(1+0.1)^5=$984.12

これがアニュイティの現在価値となる。