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貞観法 和らぎ通信

和らぎ体操研究会のニュースなどを中心にして記して行きます。

辰年に寄せて 11 見沼の笛

2012-02-12 23:55:23 | 辰年に寄せて
浦和くらしの博物館民家園に立てられてあった説明板(浦和東ロータリークラブ40周年記念事業)には、その半分に「四本竹の竜神伝説」が、もう半分には「さいたま市のおもな竜神伝説」が記されてあり、後者の方の説明文は女体神社前の見沼氷川公園内に立てられたものにも全く同じものが在った。



19項と随分数多くの伝説が在るものだと感心させられるが、私が承知しているのはこの中でも幾つかしか無い。

その内の一つ「見沼の笛」は、四本竹の龍神伝説と一対になるような話ではないか???



そう思って、ここに「大宮市史第五巻 民俗・文化財編」に収められている以下の記述を転載する。

大和田の鷲神社縁起には「見沼の笛」「螢の宮」と同巧異曲の次の伝説が伝えられている。
 「今を去ること七百余年の昔(現在からだと八百余年前にあたる)人皇第七十七代後白河天皇の御宇、仲秋の夜毎に当社附近に非常なる美女あらわれて玉をころがすが如き美音の笛を吹きけるによって、附近の人々その美しき笛を聞かんとて船を仕立て見沼を渡りけるに、不思議やその内の一人の若者必ず行方不明となりて帰らざりき。そのこと十数回に及びし故、人々妖怪変化のしわざなるべしと怪しみ、それへと伝へられ、このことを聞き伝へて力強き者、武術すぐれし者共、吾こそはその化身の本体を見現わさんとて来れども、何れも行方不明となり、或は死体となりて附近の山林中、或は沼の中より現われ、不思議のこと益々はげしかりしによって、その事武蔵国府の知る所となり、足立左馬之介なる弓の名人国の命を受けて、この妖怪を退治なさんと一夜名月を利して、かの笛の音に近づき、手練の強弓引きしぼって放てば、矢は正に手ごたへありたる如く、折からの名月は、にわかに吹き起りし黒雲にかくれて、あまつさへ豪雨降りしきりて実におそろしき程なりきと、左馬之介あくる朝この地に至りて見るに、ただ何事も無きが如くに静まりて、一管の笛のみ波間に漂ひてありき。それより後は彼の美女再びあらわるることなく、不思議の事もあとを絶ちたり。よってかの笛を鷲神社の宝物として永く伝へしと云へり」と。
ちなみに鷲神社の社名は、の融和を計るため天穂日命を祀り「和し宮」と称したが、いつか鷲神社に変わったのだとも伝えられている。


さいたま市大和田 鷲神社



併せて、『埼玉の伝説』韮塚一三郎著 所収の「見沼の笛」も転記してみた。

 大宮市の東の方一帯にひろがっている田んぼは、俗に見沼田んぼといい、みのりの秋には見渡す限りの稲田にこがねの波がうちよせる。しかし今から二百三十年ほど前までは、この田んぼも大きな溜(ため)井(い)であって、この地方二百二十一の村々の田に水をそそぐ潅漑用の貯水池となっていた。
 この見沼がまだ溜井ともつかぬ一つの大きな湖沼であったころ、――もちろん今の見沼田んぼの広さよりももっと大きかった当時、室町時代と伝えられる――大宮市の大砂土から与野町にかけて、夕暮時に、きまって、笛を吹いてさまよいあるく、美しい女があった。しかも月の美しい晩など、その音色の優しさといったら、なんともいわれないほど妙なものであったという。
 見沼のほとりで、ふとかすかなこの笛の音を聞きつけた村の若者は、必ずみせられろようにこの笛の音に引きつけられて、音のする方へ、音のする方へと進んでいってしまうのであった。しかも笛の音に誘われて、その笛の音の方へ引きつけられて行く若者たちは、一人として決して帰って来なかった。こうして来る夜も来る夜も若者たちの姿は村から消えうせていった。そしてその数もすでに幾十人という数にのぼっていった。
 そこで、このままにしておくならば、見沼一帯の村々から若者の姿は消え果ててしまうことにもなりかねないので、村人たちは心配のあまり、額をあつめて相談を開くのであった。その結論はこうであった。これは見沼の主が、何か怨みにおもうことがあって、笛を吹いてはこのあたりの若者を人身供御(くご)にとるのであろう。だから沼の主のために供養をして、この難をさけるよりほかに仕方があるまいというのであった。そこで人々は集まって見沼のほとりに塔をたてて供養会をした。
 今、魔除けの神といって、大和田の辺にたっている塔というのが、そのときの供養塔であるとかいわれている。
 ところがこの伝説は輪に輪を生じて、さらに興味ある伝説となっている。というのは、この笛の怪異が、都まできこえると、屈強の一人の武士が、その正体をたしかめようとして見沼のほとりまで下ってくることになる。武士は仲秋名月の宵を期して、見沼のほとりに立って美女があらわれてくるのを待った。するとやがて美しい笛の音とともに美女が近づいてくるのであった。このとき武士は、すかさず美女にきりつけたのであるが、ふしぎにもこのときてごたえがあったと思う瞬間、一陣の暴風はたけり、豪雨は天地もくらむ雷鳴とともに降りそそいだ。
 その翌朝のことである。武士が昨夜のところにいってみると、何事もなかったように静まりかえっていたが、ただそこには、一本の竹の笛が落ちているだけであったという。そこで武士はその笛をもち帰って、社に納めた。この社が、大宮市大和田の鷲神社であるとも、片柳村中川の氷川神社であるともいわれている。
 このことがあってから数年を経たある日のことである。一人のけだかい老女がその社をたずねて笛をみせてもらいたいと頼んできた。神官は再三断ったが、ぜひにという懇願もだし難くこれをみせると、さらに老女は一吹き吹かせてもらいたいという。そこで神官もやむなく許すと、老女は非常に喜んで、吹きはじめた。その音のやさしさといったら、実に天女の奏する楽かと思われるくらいであった。
 ところが、一方神官は、この美音に酔うたものか、ついねむけを催し、そして眼がさめてみると、すでに老女の姿も笛も見えなかった。神官は驚いてこのことを付近で働いていた農家の人々に告げると、人々は口々に、「いまから少し前、社の中から美しい雲がふわりふわりと天上に流れていったが、その雲の中から、妙な優しい笛の音がきこえてきた。」とつげたという。
 その後人々はその笛の音の主は、おそらく見沼の竜神の化身(けしん)ではないかとうわさしあったという。
 


さいたま市中川 中山神社
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