
熊本市新町の電停付近を歩いていると「歯科医院九州第一号 井野春樹先生開業地跡」の看板を見つけました。
ちょっと調べたところでは、井野春樹先生は現在の合志市のご出身で、明治19年にこの地に九州で初めての歯科医院を開業されたのですが、3ヶ月くらいで病院を閉じて、その後ロシア、東京、牛深(天草)、種子島などを転々とされ、上海で亡くなられたそうです。養豚や炭鉱も手がけられたとか。
昔の人はスケールが"でかい"です。
ちょっと調べたところでは、井野春樹先生は現在の合志市のご出身で、明治19年にこの地に九州で初めての歯科医院を開業されたのですが、3ヶ月くらいで病院を閉じて、その後ロシア、東京、牛深(天草)、種子島などを転々とされ、上海で亡くなられたそうです。養豚や炭鉱も手がけられたとか。
昔の人はスケールが"でかい"です。
映画になりそうなお話(人生)ですね。
明治時代は良く魚が釣れたでしょうね~
九州初の歯医者も開業3ヵ月間だけだったのですかぁ
当時の物が残っているのが凄いですね
その後の人生も波瀾万丈ですね。
当時を考えると、本当にすごい。来年の大河に押しましょう!
しかも養豚に炭鉱、、ロシアに上海。
すごいバイタリティです。
それにしても、幅が広い、広すぎる。
確かに!映画にすると面白そうですね。
釣り三昧さん>
牛深や種子島に反応・・・ですね。
さすが”海の男”です。
上通的太平燕娘さん>
おおっ!大河ですか!
その発想も素敵です!
東部人さん>
熊本人は進取の気性に富んでいるんでしょうね。
バイタリティもすごいですよね。
阿蘇好人さん>
天は二物を与えられたのでしょうね。
少しは見習いたいと思います。