【アメリカ合衆国での劇場封切り = 2006年12月20日 (限定公開)】※『Letters from Iwo Jima (硫黄島からの手紙)』を北米版DVDで見た。
『硫黄島からの手紙』の年齢指定は「R」となっている。その理由は「graphic war violence」。全体的には「PG-13」指定のホラー映画よりも大人しいぐらいだが、一部に確かに「R」になっても仕方がない映像があるので、血生臭い映像が苦手な方はご注意を。
※『Flags of Our Fathers (父親たちの星条旗)』の感想はこちらです。
実は『硫黄島からの手紙』を見る前に『栗林忠道 硫黄島の死闘を指揮した名将』(柘植久慶著、PHP研究所刊)と『World War II Magazine』の特別増刊号『IWO JIMA: The Battle We Can't Forget』(2006年発売)を読んでおいたので、予備知識はバッチリ。いや、本来なら、映画を見るための予習など必要ないはずなのだが、硫黄島に関する事なんて、日本の学校ではほとんど習わなかったのだから仕方がない。
硫黄島占領時の写真を元に作られた海兵隊の記念碑(アーリントン墓地のすぐ傍にある)は訪れた事があったが、恥ずかしながら、私はこれまで、硫黄島がどこにあるのかさえ把握していなかったのである。だから、硫黄島の戦略的な意味など、考えた事もなかった。もしかしたら、この映画が作られるまで、アメリカ人の方が日本人よりも硫黄島をよく知っていたのではないだろうか?
これらの資料を読んでから『硫黄島からの手紙』を見ると、劇中では詳しく描かれていない部分が背景情報としてわかり、より深く味わえると思う。もっとも、当事者たちのほとんどが現場で死んでしまったという事実を考慮すると、『栗林忠道 硫黄島の死闘を指揮した名将』にも多少の推測や脚色(特に心理描写の部分)が含まれているだろうから、映画のディテールが本と異なるからといって、「間違い」だと決め付けたくない。
ただ、映画『硫黄島からの手紙』を見ただけでは戦闘日数や地下トンネル網の規模等が把握できないので、『IWO JIMA: The Battle We Can't Forget』の表紙に書かれた数字を参考までに挙げておく:
880 ships
74 days of bombing
36 days of hand-to-hand combat
11 miles of fortified tunnels
10,000 soldiers per square mile
12,600 pins of plasma
27 Medals of Honor
26,747 dead
映画『硫黄島からの手紙』には栗林忠道、バロン西(西竹一)ら実在の人物だけでなく、西郷、清水といった架空の兵士たちも登場する。西郷のキャラクターはストーリーの節目となる部分に必ずおり、いわゆる「狂言回し」の役割を果たしている。言い換えれば、観客は西郷の視点を通して硫黄島の戦い、ひいては第二次世界大戦そのものを「その時代に生きた1人の日本人」として体験するのである。これは上手い構成だ。
あと、「現在」の硫黄島協会の面々が最初と最後に出て来るサンドイッチ的な構成も(ありきたりではあるが)効果的だと思う。特に最後の場面は泣かせる。(この出来事もフィクションかもしれないが。)
DVDの特典映像で、ストーリー&脚本担当のIris Yamashitaが「本やインターネットを使い、かなりのリサーチをしたけれど、ほとんどの当事者が亡くなっていたので、又聞きの資料ばかり。そこで、第二次大戦中の他の戦闘の体験報告も参考にさせてもらった」と話している。おそらく、擂鉢山の自決シーン等がそうなのだろう。私自身、戦争を知らない世代だが、「召集令状」、「非国民」、「憲兵」、「鬼畜米英」といった用語/コンセプトも的確に描かれていると思う。
ちなみに、Iris Yamashitaは日系二世で、彼女の日本語のレベルは「小学3年生程度」だという。だから、脚本も全て英語で書いた。それを他の人が日本語に訳し、さらに主演の渡辺謙らが、「当時の言葉遣いとして的確になるように」直したのである。(なぜか、脚本担当としてクレジットされてるのは彼女1人だけだが...。)
また、Iris Yamashitaの両親は東京大空襲の体験者で、母親の実家もその時に焼かれたらしい。彼女はこの映画の脚本を書くにあたり、「硫黄島の日本兵たちはあの空襲を防ぐ(あるいは遅らせる)ために戦ってくれたのだな」とあらためて悟ったという。
実は私の父も子どもの時に東京大空襲を体験している。「爆撃機(B-29?)に追いかけられて必死で逃げた」と話していたっけ...。もちろん、B-29が1人の子どもだけを追いかけたはずはないが、恐慌状態の中で上空の爆撃機がすぐ後ろに迫っているように見えたのだろう。私自身、米軍基地の近くで育ったのだが、特に大きな機体だと実際以上に近くに見えたりするものなのである。
それはともかく、まだ子どもだった私の父が空襲によって命を落とす可能性もあったのだ。もし、そうなったら、私も生まれて来なかった事になる。そして、もしかしたら、父を「追いかけた」爆撃機も硫黄島から飛び立ったのではないだろうか?...と今さらながら気付く。
本土への攻撃を1日でも遅らせようとしてくれた日本兵の皆さん、ありがとう。さらに、当時は敵国だったアメリカのスタッフによってこういう映画が作られる時代になった事と、そういう時代の実現に貢献してくれた皆さんに感謝したい。
黙祷。
『硫黄島からの手紙』の年齢指定は「R」となっている。その理由は「graphic war violence」。全体的には「PG-13」指定のホラー映画よりも大人しいぐらいだが、一部に確かに「R」になっても仕方がない映像があるので、血生臭い映像が苦手な方はご注意を。
※『Flags of Our Fathers (父親たちの星条旗)』の感想はこちらです。
実は『硫黄島からの手紙』を見る前に『栗林忠道 硫黄島の死闘を指揮した名将』(柘植久慶著、PHP研究所刊)と『World War II Magazine』の特別増刊号『IWO JIMA: The Battle We Can't Forget』(2006年発売)を読んでおいたので、予備知識はバッチリ。いや、本来なら、映画を見るための予習など必要ないはずなのだが、硫黄島に関する事なんて、日本の学校ではほとんど習わなかったのだから仕方がない。
硫黄島占領時の写真を元に作られた海兵隊の記念碑(アーリントン墓地のすぐ傍にある)は訪れた事があったが、恥ずかしながら、私はこれまで、硫黄島がどこにあるのかさえ把握していなかったのである。だから、硫黄島の戦略的な意味など、考えた事もなかった。もしかしたら、この映画が作られるまで、アメリカ人の方が日本人よりも硫黄島をよく知っていたのではないだろうか?
これらの資料を読んでから『硫黄島からの手紙』を見ると、劇中では詳しく描かれていない部分が背景情報としてわかり、より深く味わえると思う。もっとも、当事者たちのほとんどが現場で死んでしまったという事実を考慮すると、『栗林忠道 硫黄島の死闘を指揮した名将』にも多少の推測や脚色(特に心理描写の部分)が含まれているだろうから、映画のディテールが本と異なるからといって、「間違い」だと決め付けたくない。
ただ、映画『硫黄島からの手紙』を見ただけでは戦闘日数や地下トンネル網の規模等が把握できないので、『IWO JIMA: The Battle We Can't Forget』の表紙に書かれた数字を参考までに挙げておく:
880 ships
74 days of bombing
36 days of hand-to-hand combat
11 miles of fortified tunnels
10,000 soldiers per square mile
12,600 pins of plasma
27 Medals of Honor
26,747 dead
映画『硫黄島からの手紙』には栗林忠道、バロン西(西竹一)ら実在の人物だけでなく、西郷、清水といった架空の兵士たちも登場する。西郷のキャラクターはストーリーの節目となる部分に必ずおり、いわゆる「狂言回し」の役割を果たしている。言い換えれば、観客は西郷の視点を通して硫黄島の戦い、ひいては第二次世界大戦そのものを「その時代に生きた1人の日本人」として体験するのである。これは上手い構成だ。
あと、「現在」の硫黄島協会の面々が最初と最後に出て来るサンドイッチ的な構成も(ありきたりではあるが)効果的だと思う。特に最後の場面は泣かせる。(この出来事もフィクションかもしれないが。)
DVDの特典映像で、ストーリー&脚本担当のIris Yamashitaが「本やインターネットを使い、かなりのリサーチをしたけれど、ほとんどの当事者が亡くなっていたので、又聞きの資料ばかり。そこで、第二次大戦中の他の戦闘の体験報告も参考にさせてもらった」と話している。おそらく、擂鉢山の自決シーン等がそうなのだろう。私自身、戦争を知らない世代だが、「召集令状」、「非国民」、「憲兵」、「鬼畜米英」といった用語/コンセプトも的確に描かれていると思う。
ちなみに、Iris Yamashitaは日系二世で、彼女の日本語のレベルは「小学3年生程度」だという。だから、脚本も全て英語で書いた。それを他の人が日本語に訳し、さらに主演の渡辺謙らが、「当時の言葉遣いとして的確になるように」直したのである。(なぜか、脚本担当としてクレジットされてるのは彼女1人だけだが...。)
また、Iris Yamashitaの両親は東京大空襲の体験者で、母親の実家もその時に焼かれたらしい。彼女はこの映画の脚本を書くにあたり、「硫黄島の日本兵たちはあの空襲を防ぐ(あるいは遅らせる)ために戦ってくれたのだな」とあらためて悟ったという。
実は私の父も子どもの時に東京大空襲を体験している。「爆撃機(B-29?)に追いかけられて必死で逃げた」と話していたっけ...。もちろん、B-29が1人の子どもだけを追いかけたはずはないが、恐慌状態の中で上空の爆撃機がすぐ後ろに迫っているように見えたのだろう。私自身、米軍基地の近くで育ったのだが、特に大きな機体だと実際以上に近くに見えたりするものなのである。
それはともかく、まだ子どもだった私の父が空襲によって命を落とす可能性もあったのだ。もし、そうなったら、私も生まれて来なかった事になる。そして、もしかしたら、父を「追いかけた」爆撃機も硫黄島から飛び立ったのではないだろうか?...と今さらながら気付く。
本土への攻撃を1日でも遅らせようとしてくれた日本兵の皆さん、ありがとう。さらに、当時は敵国だったアメリカのスタッフによってこういう映画が作られる時代になった事と、そういう時代の実現に貢献してくれた皆さんに感謝したい。
黙祷。
こうした話題を提供していただいた事に
まず感謝します。
読んでいて涙がこぼれたブログは今回が初めてです。
ワタシはこの作品はまだ見ていません。
日本でこの映画が公開される直前に、
日本のTVで「もうひとつの硫黄島からの手紙」は見ました。
(タイトルの記憶も定かではありません)
日本でも8月頃に成ると以前は終戦記念ドラマやドキュメントなど
戦争関連の作品がTVで放映されていたのですが、
近年そういうことすら減ってきています。
私達戦争を知らない世代が、過去の戦争から
学ぶべき事、考えるべき事が多々あると思うのです。
8月 6日 広島原爆投下
8月 9日 長崎原爆投下
8月15日 終戦記念日
日本人はどこにいても、何をしていても、この3日間だけでも手を合わせて欲しいです。
『硫黄島からの手紙』は多少のフィクションが入ってますが、「戦争」というものについてあらためて考えさせてくれるのは確かです。
なお、このDVDに『American Pastime (アメリカンパスタイム 俺たちの星条旗)』という作品のプロモ映像が収録されてますので、そちらも見てみることにします。こちらは第2次大戦中の日系人強制収容所の話です。その感想も後日、アップしますので、よろしくお願いします。
自決も退却も禁ず、という栗林中将の命令は補給のない状況ではやむを得ない戦術判断だったのでしょうが、それが多くの悲劇を生んだことも否めません。彼の決断は日本の大本営によって愛国的玉砕と称揚され、対する米軍には、頑強な抵抗への恐怖から日本本土へのさらなる都市爆撃や、硫黄島での徹底した掃討作戦を決意させた、という皮肉。
なにより当の栗林中将の死以降、島での悲惨さといったら…。もはや死んだ方がマシと考える部隊の突撃、それは体のいい口減らしであったこと、死体の山に埋もれて敵をやり過ごした日々、降伏も許されず、最後は米軍に塹壕へ水とガソリンを注入されたくさんの兵士が死んだことなどなど。まだまだこの島であったことについて、我々が知っておくべきものは多いと思います。
『Heroes of Iwo Jima』というDVD(Historyチャンネルでやった特番、ジーン・ハックマンがナレーターをつとめた)を見たんですが、アメリカ側の生存者のインタビューや1985年の日米合同慰霊祭の映像も入っていて、涙が出て来ました。
ところで、アメリカ側が撮影した「硫黄島の戦い」の映像や写真は沢山残ってるんですが、日本側にはそういう記録は全くないんでしょうか?
ところで硫黄島の戦いに想を得たと言われる映画があります。それは「スターシップトゥルーパー」です。もっともずいぶん戯画化されて、バーホーベン監督らしい、えげつない映画になっていますけどね。
栗林中将の「各自、10人ずつ倒せ」という命令には及ばなかったものの、すごい死傷者数ですよね。