奥州糠部 九戸四門~西門の歴史~

岩手県二戸郡の歴史と風景をご紹介します。浄法寺町を支配していた浄法寺氏とその先祖畠山重忠も扱っています。

盛岡の風景 浄土宗大泉寺「おかんの墓」

2009年05月11日 | 岩手県
盛岡市本町に浄土宗のお寺、大泉寺があります。
元々は三戸にあったお寺で、盛岡城築城と同時にこの地に移転してきました。
三戸大泉寺の跡地には末寺の長栄寺が建立され、南部氏26代当主南部信直の次女「檜山御前」の五輪塔が残されています。
檜山御前の檜山は檜山城主秋田実季の弟英季に嫁いでいたことが由来です。






おかんの墓

おかんの顕彰碑


おかんの父であるこの畠山重勝、恐らくは浄法寺氏の一族であると思われますが、詳しいことは何もわかっておりません。
浄法寺氏は政実と信直が争った際、当初日和見をしておりました。
後に修理重安は信直に付くことになりますが、浄法寺氏の家中は一枚岩ではなかったらしく、修理重安弟やその臣「主膳」、浄法寺氏庶流の一部が九戸氏の味方に付きました。

以前、検索サイトで「浄法寺城」を検索した際、大谷吉継が天正十九年(1591) の六月に浄法寺城を攻め落とすとの記載を発見しました。
九戸一揆蜂起に対処するための出陣でありますので、この浄法寺城は現在の岩手県二戸市浄法寺町の浄法寺城の事だと思われます。
この浄法寺城を攻め落とされた当時、修理重安は既に信直に付いておりますので、一戸城が上方の軍勢に落とされた際、修理の弟や主膳等の九戸氏に味方する浄法寺氏の一族はこの浄法寺城に逃げ、篭っていたのでしょう。

浄法寺城が落ちた際、残った浄法寺一族は九戸城に入場したと思われます。
九戸城に入場した者の記録に浄法寺氏の一族であろうと思われる人物が他にもおります。
私は畠山重勝はその一人だろうと考えています。

尚、浄法寺氏の記録に浄法寺城が攻め落とされたとする記載はありません。
修理重安にすれば、一戸城を弟やその臣の主膳に欺かれて追い出されただけではなく、本拠地である浄法寺城を奪われ、上方の軍勢に落とされたという事は恥辱であり、修理の弟が系図上から消された事と同様に記録に残されておりません。











盛岡の風景 盛岡八幡宮

2009年05月10日 | 岩手県
「どんと晴れ」の舞台地になった盛岡市の八幡町に盛岡総鎮守、盛岡八幡宮があります。
この盛岡八幡宮は康平5年(1062)の前九年の役の際、源頼義・義家父子が戦勝を祈願し、京都の石清水八幡を勧請したのが始まりとされています。
当初は鳩森八幡宮と称していましたが、後に盛岡八幡宮と呼ばれるようになったようです。
鎌倉の八幡さまで知られる鶴岡八幡宮は翌年の康平6年に、同じく源頼義が前九年の役の戦勝を祈願したのが始まりですから、それより古い古社ということになります。

鶴岡八幡宮の授与品に鶴岡八幡宮限定の「キティ健康守」がありますが、こちらにもキティお守りがありました。盛岡八幡宮限定の授与品ではないでしょうが。
盛岡市内ですと他に盛岡城址の桜山神社にもありました。東京の神田明神にもありますし、どこにでもあるんですね(鶴岡八幡宮のはオリジナルですが)

初穂料 800円也




盛岡八幡宮の公式サイトはしゃれてますね。ショッピングセンターのサイトみたいです。
盛岡八幡宮の総面積は2万坪とのことで広いです。
境内に護国神社(青森県ですと弘前城にあります)や岩手県神社庁があります。

撮影当時、デジカメのメモリカードの調子が悪く、何度も撮り直ししているうちにバッテリーが尽きそうになり、騙し々々で何とか撮ってきました。

本殿

大黒・恵比寿の由来

巨大な狛犬(この写真お気に入りです)




一代守護神社


盛岡天神社


坂上田村麻呂公が由来の神明社(サムネイルで表示される写真は問題ないんですが・・・)


笠森稲荷神社



木槌


護国神社



八幡町で見かけた狸さん(私は狸を見ると平成狸合戦ぽんぽこを観たくなる)
この狸について詳しく知りたい方は「盛岡 八幡狸」で検索してみてください。

義経ゆかりの久慈 諏訪神社

2009年05月09日 | 平姓畠山氏
久慈琥珀で有名な岩手県久慈市に秩父畠山氏所縁の諏訪神社があります。


この諏訪神社は文治五年に重忠が創建したと伝わっています。



諏訪神社案内板
 悲劇の名将と世にうたわれた
源九郎判官義経は、兄の頼朝に
追われ、文治五年(一一八九年)
四月、平泉の高館において三十
一歳を一期として自刃したが、
短くも華麗だったその生涯を想
い後世の人々は〝義経は、その
一年前にひそかに平泉を脱し、
北をめざして旅に出た〟という
伝説を作りあげたのである。
 世にいう「判官びいき」であ
ろう。

 その伝説の一つに〝平泉を脱
出した義経主従の追捕を命じら
れたのが畠山重忠であったが、
落ちゆく義経に同情した同人は
わざと矢をはずし義経を助けた
〟と伝えられている。
 その時、松の木にあたった矢
を神体として祠を建てたのがこ
の諏訪神社のはじまりであると
いう。



諏訪公園









久慈にある佐幸本店の「山のきぶどう」が好きな浄法寺でした。

平将門公を祀りし神田明神といわてフレンドリーレストラン

2009年05月09日 | Weblog
東京都千代田区外神田二丁目にある神田明神(正式名称は神田神社)を訪れてきました。
この神田明神では、江戸三大祭りの一つ「神田祭」が今日から明日にかけて行われています。


神田明神は平将門公が祀られています。畠山重忠公の7代前の先祖平忠頼は、従兄弟の平将門の次女を妻にし、平将恒をもうけたと云われております。
その平将恒の子孫が畠山重忠公です。

同社の代表的なお守りは勝守です。購入しようかと思いましたが、ご朱印帳を持ってきておらず、ご朱印を押しに次回訪れた際に購入することにして、今回は見送りました。

神田明神オリジナルのご朱印帳も良いのですが、関東の社寺用は鶴岡八幡宮のご朱印帳にしようと決めていました。
ちなみに、東北の社寺用に天台寺でご朱印帳を購入しましたが、天台寺のご朱印帳はオリジナルの物ではないので残念でした。
瀬戸内寂聴さんが名誉住職の間は寂聴マークでも入れたら良いのに・・・と思いましたが。





神田祭の期間はライブ配信が行われています。
ライブ配信は下のリンクからどうぞ!
http://kanda-ch.blog.ocn.ne.jp/live/

鳥居


狛犬


神田祭で使用する神輿


銭形平次の碑(作者の野村胡堂は岩手県紫波町の出身、金田一京助とは同級生)




神田明神の帰り銀座に寄り、いわてフレンドリーレストランの「ナイルレストラン」でムルギーランチ(骨付きチキンカレー)を食して帰りました。
お店に入り席に着くと同時にお店の方がやってきて、「ムルギーランチね?」と聞いてきます。
ここで「はい」と言えばムルギーランチだけが出てきます。メニューは言わないと出てきません。

ムルギーランチ 1500円(これを混ぜて食べます)

ムルギーランチは意外とボリュームがあり、お冷を何杯も飲んでた私は最後きつかったです。 お味はおいしゅうございました。
ナイルレストランで寛ぎ過ぎた為、いわて銀河プラザ行くも閉館していたということは、ないと思います・・・。

老朽化による建て替えのため一時閉館される歌舞伎座