暫くの間、この記事を一番上にしておきます。
投稿日2006-10-08
NHK大河「炎立つ」、「時宗」の原作者であり、そして歴史小説「天を衝く」の作者、高橋克彦先生が書かれ、
はやての車内雑誌にも掲載された「二戸のこころ」を紹介します。
岩手県の二戸市に堅牢な城を築いていた九戸政実という武将の名をご存知だろうか。
簡単に説明するなら、その当時青森県から岩手県にかけて支配していた当主南部氏から離反し、小田原攻めを
果たして天下統一を成し遂げつつあった豊臣秀吉に対して一人敢然と反旗を掲げて散った男である。
豊臣に流れていた時代の風を読めなかった愚将としか後世の歴史は評価しないが、断じて違う。
最後の籠城戦で投降するまで政実はまさに百戦百勝の男だ。戦乱にあって一度も負けたことのない将は恐らく政実ただ一人。投降にしても豊臣側からの和議を受けてのことだ。政実率いる九戸党五千の籠もる城を豊臣側は七万前後の兵を用いて包囲していた。やがて先細りになると政実も和議に応じただろうが、その包囲戦にさえ政実は一歩も引けを取らずにいたのだから凄まじい智将と言える。南部家からの直前の離反とて、主家の迷惑とならぬような配慮とも取れる。政実は力だけで強引に自らの策を押し進める秀吉に我慢がならなかったのだ。
だれかが命を賭して歯止めをかけなければ日本は腐っていく。民を導く立場であればこそ武者は道標でなければならない。そういう政実の生涯こそ私の願っているものだ。己の欲ばかりで領地を拡大する武者に過ぎなかったら、政実は若くして南部を統一し、天下取りに名乗りを挙げていただろう。が、政実はそれをしなかった。南部のために手駒となって働き、欲を封じて生きたのだ。
この生き方は東北の人々のそれにも通じる。東北は昔と変わらずなにかの手駒とされている。それになんとか耐えている。政実の気骨を内面に隠しながら。
今、政実の築いた九戸城の本丸跡に立つ。
政実亡きあと、ここには何十人もの城主が暮らしたというのに、残されているのは政実とその一党を祠る神社ただ一つだ。道標となるのを望んだ政実の願いは果たされた。歴史を政実を葬り去ろうとしても。人々は政実を決して忘れなかったのだ。
静かに生きられるなら何も望まない。だが、理不尽と思ったときは命を賭す。その心意気こそ政実が教えてくれたものだ。
私も政実に多くを学んだ。
心は政実、そして九戸党。
投稿日2006-10-08
NHK大河「炎立つ」、「時宗」の原作者であり、そして歴史小説「天を衝く」の作者、高橋克彦先生が書かれ、
はやての車内雑誌にも掲載された「二戸のこころ」を紹介します。
岩手県の二戸市に堅牢な城を築いていた九戸政実という武将の名をご存知だろうか。
簡単に説明するなら、その当時青森県から岩手県にかけて支配していた当主南部氏から離反し、小田原攻めを
果たして天下統一を成し遂げつつあった豊臣秀吉に対して一人敢然と反旗を掲げて散った男である。
豊臣に流れていた時代の風を読めなかった愚将としか後世の歴史は評価しないが、断じて違う。
最後の籠城戦で投降するまで政実はまさに百戦百勝の男だ。戦乱にあって一度も負けたことのない将は恐らく政実ただ一人。投降にしても豊臣側からの和議を受けてのことだ。政実率いる九戸党五千の籠もる城を豊臣側は七万前後の兵を用いて包囲していた。やがて先細りになると政実も和議に応じただろうが、その包囲戦にさえ政実は一歩も引けを取らずにいたのだから凄まじい智将と言える。南部家からの直前の離反とて、主家の迷惑とならぬような配慮とも取れる。政実は力だけで強引に自らの策を押し進める秀吉に我慢がならなかったのだ。
だれかが命を賭して歯止めをかけなければ日本は腐っていく。民を導く立場であればこそ武者は道標でなければならない。そういう政実の生涯こそ私の願っているものだ。己の欲ばかりで領地を拡大する武者に過ぎなかったら、政実は若くして南部を統一し、天下取りに名乗りを挙げていただろう。が、政実はそれをしなかった。南部のために手駒となって働き、欲を封じて生きたのだ。
この生き方は東北の人々のそれにも通じる。東北は昔と変わらずなにかの手駒とされている。それになんとか耐えている。政実の気骨を内面に隠しながら。
今、政実の築いた九戸城の本丸跡に立つ。
政実亡きあと、ここには何十人もの城主が暮らしたというのに、残されているのは政実とその一党を祠る神社ただ一つだ。道標となるのを望んだ政実の願いは果たされた。歴史を政実を葬り去ろうとしても。人々は政実を決して忘れなかったのだ。
静かに生きられるなら何も望まない。だが、理不尽と思ったときは命を賭す。その心意気こそ政実が教えてくれたものだ。
私も政実に多くを学んだ。
心は政実、そして九戸党。