奥州糠部 九戸四門~西門の歴史~

岩手県二戸郡の歴史と風景をご紹介します。浄法寺町を支配していた浄法寺氏とその先祖畠山重忠も扱っています。

重慶と小久保家

2006年10月17日 | 重慶と浄法寺氏
埼玉県小川町上古寺(かみふるでら)

浄法寺氏の祖と伝わる畠山重忠の三男重慶は所々を流浪し、いつの頃か、上古寺の高山重遠(小久保晏関入道)を頼り、養嗣子となったと伝わる。
後、慈光寺第二十九世別当となり、引退後小久保家を継いだという。
慈光寺二十七世別当、厳耀は重忠の大叔父と伝わるが、これは同じ大叔父である重遠のことだと思われる。
小久保家裏手の山、高福寺のある土峯山には重慶が重忠を祭ったという塚が残される。



明治の時代に小久保家が墓を建立した。
小久保家には重慶の位牌が残されている。位牌には三部都法大阿闍梨重慶法印、文永元年(1264)二月寂と書かれている。
小久保家の方は、松岡氏が訪れた事があると仰っていた。
松岡氏とは浄法寺氏の子孫で、本家に近い一流である。

今話題の巨人、小久保氏は末裔になるのだろうか。