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奥州糠部 九戸四門~西門の歴史~

岩手県二戸郡の歴史と風景をご紹介します。浄法寺町を支配していた浄法寺氏とその先祖畠山重忠も扱っています。

高千穂神社、畠山重忠手植えの秩父杉と鉄製狛犬

2008年12月20日 | 平姓畠山氏
宮崎県の高千穂に訪れた際、高千穂神社寄ってきました。
この高千穂神社には重忠が源頼朝の命で代参として参拝した際、秩父杉を手植えしたと伝わり、800年を経過した今も現存しています。
また、源頼朝名で鉄製鋳造の狛犬一対を奉納しています。
鉄製鋳造の狛犬は蘇民祭で有名な黒石寺にもありますが、高千穂神社の狛犬は鎌倉時代の制作で国重要文化財に指定されています。
現在は本殿の右端・左端に一対となって保存されています。神社の方に許可取り拝観させて頂きました。忙しくなければ拝観させて頂けると思います。







畠山重忠戦死の地 鶴ヶ峰を歩く その2

2007年06月13日 | 平姓畠山氏
薬師寺の次はすずり石水跡に向かう。
今は案内柱がぽつんと一本立っているだけだ。

すずり石水跡 地図


撮影場所を左に向くと電柱が見える。


次は矢畑と越し巻きに向かうが案内柱が見つからない。家に帰ってから確認すると、横を通ったが気づかなかっただけであった。
駅側から清来寺に向かう道路沿いの左を歩いていると、鶴ヶ峰コミニティハウスの黄色い看板が見える、看板の前に立ち左後ろを振り返れば案内柱がある。
地図

次は清来寺に向かい、お寺の方に観音塚(鐘楼塚)の場所を伺い場所を探す。
探してる内に聞いた道順を忘れたが、戻って再度伺うのもどうかと思い、戻らずそのまま探すことにした。

浄土真宗本願寺派 鶴遊山清来寺 地図

「いのち」がモノに思えたとき 人はいつしか悪魔になる


怪しい場所があったので写真を撮る。(というのも(場所は全然違うが)観音塚もフェンスの奥にあると聞いたからだ)裏山にあるはずの
観音塚が住宅地であるここにある訳もないのだが、昔を考えるとここも裏山に含まれないとも言い切れないので一応ここまで探しにきていた。

付近をうろついてる途中地元の方がいたのでこの辺の史跡について話を聞く。
するとその写真を撮った場所に案内される、ここは昔洞穴があり、穴からは剣等が出てきたという。
そう、ここは畠山重忠を弓で射た愛甲三郎季隆が篭ったという隠れ穴跡であった。
重忠はこの地で射られたまま捕らわれ、今の区役所裏の首塚まで移送され斬られたのであろう。
愛甲三郎隠れ穴 地図 写真下が隠れ穴があった場所


昔というのは今から五、六年前までのことで、その隠れ穴はマンション建設の為埋め立てられてしまった。
埋め立てられる前は一般の人も入ることができ(危険なので本当は駄目なんだろうが)、上の方からは入れ、下の方からは入れなかったいう。
マンション建設の為埋め立てられた隠れ穴であったが、結局マンション建設は中止となり、崖下には家が建てられ崖上にある隠れ穴は埋め立て損になった。

埋め立てられる前の写真がないか、いつか旭区の図書館で探してみたいものだ。

愛甲三郎の隠れ穴跡を見つけたことは見つけたが、観音塚(鐘楼塚)とは別である。
とはいえ、時間も時間なので今日はここで引き返すことにした。


畠山重忠戦死の地 鶴ヶ峰を歩く その1

2007年06月08日 | 平姓畠山氏
先日、浄法寺氏の先祖である畠山重忠戦死の地と伝わる横浜市旭区の鶴ヶ峰を訪れてきました。
鶴ヶ峰の駅を降り立つと、思ったいたより駅前が賑やかな町で多少驚きつつ、まずは区役所の裏にある首塚を目指す。

首塚



区役所駐車場裏




案内文を良く読まなかったので、地図上では近くにあるはずのさかさ矢竹が見つからない。
諦めて畠山重忠公碑を目指すと公碑の横に移されていた。

さかさ矢竹の由来


畠山重忠公碑(さかさ矢竹は写真の左横にある)


肝心のさかさ矢竹の写真は撮り忘れてしまったことに後で気づく、戦死の地というせいなのか、少し頭が重くなっている気がした。

道を進み、八王子街道とぶつかる交差点を右に行き、紳士服販売店のAOKI横にあるわき道を進み階段を登る。(団地横の道は通り抜け禁止)地図

駕籠塚



駕籠塚の付近にある鶴ヶ峰神社入り口横の道を通り下に降る。
通りに出たらそれを右に進むと地蔵が見える。

薬王寺 入り口


薬王寺




霊堂建立の由来


薬王寺の境内に私の好きな紫陽花が咲いていた。
岩手県二戸市浄法寺町の天台寺にも瀬戸内寂聴氏が京都から運んで植えた紫陽花がある。
その天台寺では7月にあじさい祭が開催される。天台寺も重忠ゆかりの寺である。

重忠公の命日である今月の22日にはこの薬王寺で「重忠公慰霊祭」が開催されます。
一般の方も周り廊下からの見学と一階でのお焼香は可能とのことです。13時半開始。 (年によって時間は違うようです)

追記
去年(2008)は10時頃開始だったと思います。
金沢区の禅林寺である重保公の法要祭も同日だったと思います(開始時間不明)

詳しくは横浜市旭区観光協会にお問い合わせください。
TEL 045(954)6091



葛西氏

2006年10月04日 | 平姓畠山氏
秩父氏の出で畠山氏と近しい一族に葛西氏がいる。

葛西氏は豊嶋清元の三男、清重が葛西氏を名乗ったことに始まるという。
しかし、一説によれば葛西庄の下司職である葛西重隆の養子となり、葛西氏を名乗ったという。
また葛西重隆は千葉常胤の弟とされるという。この葛西重隆は誰なのか、それを明らかする。

葛西清重の母は畠山重弘の娘、妻は重弘の嫡男畠山重能の娘であり、限りなく畠山氏に近い。
千葉常胤にも重弘の娘が嫁いでいる。千葉常胤に嫁いだ娘は慈勝寺を開基したと伝わる円寿院であり、重忠の伯母という。
千葉系図によれば千葉胤政の母である。

重隆の重の字は秩父氏の通字であり、千葉氏の通字である胤の字がないことから
秩父氏の出と考えてよい。豊嶋氏の通字には重の字は使われていない。
ならば、この人物は清重の母である重弘娘の兄弟で、常胤に嫁いだ円寿院と重能の弟であろう。

即ち、葛西清重は畠山重能の弟である重隆の養子となり、葛西氏を名乗ったのである。