goo blog サービス終了のお知らせ 

奥州糠部 九戸四門~西門の歴史~

岩手県二戸郡の歴史と風景をご紹介します。浄法寺町を支配していた浄法寺氏とその先祖畠山重忠も扱っています。

義経ゆかりの久慈 諏訪神社

2009年05月09日 | 平姓畠山氏
久慈琥珀で有名な岩手県久慈市に秩父畠山氏所縁の諏訪神社があります。


この諏訪神社は文治五年に重忠が創建したと伝わっています。



諏訪神社案内板
 悲劇の名将と世にうたわれた
源九郎判官義経は、兄の頼朝に
追われ、文治五年(一一八九年)
四月、平泉の高館において三十
一歳を一期として自刃したが、
短くも華麗だったその生涯を想
い後世の人々は〝義経は、その
一年前にひそかに平泉を脱し、
北をめざして旅に出た〟という
伝説を作りあげたのである。
 世にいう「判官びいき」であ
ろう。

 その伝説の一つに〝平泉を脱
出した義経主従の追捕を命じら
れたのが畠山重忠であったが、
落ちゆく義経に同情した同人は
わざと矢をはずし義経を助けた
〟と伝えられている。
 その時、松の木にあたった矢
を神体として祠を建てたのがこ
の諏訪神社のはじまりであると
いう。



諏訪公園









久慈にある佐幸本店の「山のきぶどう」が好きな浄法寺でした。

碑文谷八幡宮

2009年05月09日 | 平姓畠山氏


実は神田明神に行く前に目黒区の碑文谷八幡宮を訪れてきました。碑文谷は"ひもんや"と読みます。
公共交通機関を使ったアクセスは目黒駅からバスで碑文谷八幡宮前に行く方法と、都立大学の駅から歩いて行く方法があります。
都立大学駅から歩いた場合、所要時間は15分から20分程度です。
境内は結構広く、お手洗いも設けられています。



碑文谷八幡宮は重忠が北条氏の軍勢に鶴ヶ峰で討たれた後、重忠の重臣であり、養育係でもあった榛澤六郎
成清が重忠の守護神を宮野佐近に交付し、その守護神を宮野左近が祀ったのが始まりと伝わっております。
稲荷神社に榛澤六郎成清が祀られています。






田野畑村 畠山神社

2009年05月02日 | 平姓畠山氏
岩手県下閉伊郡田野畑村に秩父畠山氏所縁の畠山神社があります。

建久年間、秩父庄の畠山一族が現在の田野畑村に移住したと伝わり、畠山神社はその重忠ゆかりの一族を祭った神社と云われています。
畠山神社の祭神は鍬形八幡大明神、銀像嵌の鉄鎧(てつよろい)が秘蔵されているそうです。
また、同社に奉納されていた重忠の鐙(あぶみ)は現在、田野畑資料館に保存されているとのことです。
時間がなく資料館に行っておりませんので、関係者以外の方が見ることができるかはわかりません。








埼玉県立嵐山史跡の博物館 催物案内

2009年04月03日 | 平姓畠山氏


菅谷の館がある武蔵嵐山の「嵐山史跡の博物館」で、今年度の催物案内が発表されました。
畠山重忠や所縁の人物についての歴史講座・特別講演が行われますのでご紹介します。
歴史講座の受講は全6回の通し受講が前提で、申し込み期限は10日まで(必着)となっておりますのでご注意ください。

4月
24日(金) 歴史講座1「畠山重忠とその遺跡」講師 若松良一氏
5月
15日(金) 歴史講座2「源 範頼と大串次郎」講師 太田賢一氏
6月
19日(金) 埼玉の史跡探訪1「川越城周辺を歩く」(川越市)
7月
17日(金) 歴史講座3「岡部六弥太・榛澤六郎成清とその遺跡」講師 鳥羽政之氏
10月
12日(月) 特別講演「畠山重忠一代記-芸能と講演」岡田清一氏ほか
16日(金) 歴史講座4「源 頼朝」講師 八幡義信氏
11月
1日 (日) 嵐山時代祭り(重忠を偲ぶ古式流流鏑馬などを公開)
20日(金) 歴史講座5「秩父平氏高坂氏とその遺跡」 岡田 潔氏
12月
5日(土)-2月21日(日) 葛飾区郷土と天文の博物館との共同企画展
「坂東平氏 畠山重忠とその時代」(仮称)
同期間 企画展関連展示「写真で訪ねる武蔵武士」

18日(金) 埼玉の史跡探訪4「菅谷の館・菅谷八幡・平沢寺を歩く」(嵐山町)
1月
24日(日) 連携シンポジウム「坂東平氏 畠山重忠とその時代」(仮称)
2月
19日(金) 歴史講座6「川越重頼とその遺跡」平野寛之氏

埼玉県立嵐山史跡の博物館
http://www.ksky.ne.jp/~ranzansi/

群馬 下仁田のお寺

2009年03月15日 | 平姓畠山氏
下仁田ネギで有名な群馬県下仁田町に秩父畠山氏所縁の寺が二つあります。

一つは天台宗の安養山清泉寺。
開基は畠山重忠の弟重俊と云われており、兄重忠の菩提を弔うため建立したと伝えられています。

清泉寺 赤い門の前は踏み切りとなっており電車が通る


清泉寺 本堂


重忠の供養を兼ねた重俊大僧都の開山塔(宝篋印塔)、専門家の鑑定により室町時代初期の作とされる。






清泉寺の梵鐘




二つ目は同じく天台宗の五大山常住寺。
畠山重忠の孫が開基したと云われています。
系図によっては重俊を重忠公の息子とする場合もありますので、重俊の子が開基した可能性もあると思います。
(弟の重俊、子の重俊の二人がいるかもしれません)

常住寺 本堂(写っているバックは参詣中に行われていた法要に参加されてた方の物だと思います)


孫の名らしきものが書かれているが文字が滲んで読めず、法要が終わった後お寺の
の方と話したが聞きそびれてしまった。後で調べたら重快という。


清泉寺の方は縁起を書いた紙がありお寺の方から頂きましたが、常住寺の方はありませんでした。
どちらの寺院も最寄駅は上信電鉄の終点下仁田駅で、駅から徒歩10分もあれば着くと思いますが、無料のレンタサイクルがありますので借りて行くのもいいかもしれません。
(但し、常住寺への道は急な坂あり)