真贋論争

ここは、オカ板の「JJ」の真贋論争からはじまる、EINHERJAR氏のにちゃんねるへの考察をまとめたブログです。

第22夜 #8

2007年06月24日 | 第2夜

人間の最小単位が、これら脳内で処理されている思考や記憶であるとしたのは、
極超ミクロな現象(量子の世界より小さい)だと思うからだ。
いや、そもそも質量など存在しないのかもしれない。
であるならば、各細胞の中にこうした情報が納まっていてもいいではないか。
容量は関係ないし、自分の肉体のはっきりとした区分などないのだから、自分を構成
する細胞の全てが「自分」であり、これら小宇宙のひとつひとつに「自我」がきちんと
詰まっている、と考えるのも面白い。


情報として処理されるのは、脳細胞による働きのおかげであって、それらがなければ
ただの0次元エネルギーとして、マクロな世界では「経年劣化」という「記号の変化」
以外、特に意味を持たない存在だ。
脳を持たない無機質な物体も、基本的にはこういう思考や記憶に該当するエネルギー
が何度も通過しているのだろう。
実在するという事は、運動をするのと同義であり、運動は変化と定義できる。
物質が経年劣化を繰り返すのは、時間によって変化を促されているためではないのか。
こういった背景から、オレは時間を「質量のないエネルギー」だと推理している。
この観測できない(質量がないから)エネルギーは、偶発的に生まれたのではなく、
「無の世界」(0次元=霊界?)から意図的にやって来る、とも睨んでいるのだ。

未知の力が3次元を「通過」する事で、「4次元」(時間)を生み出す。
このエネルギーを「霊子」とか「幽子」などと呼びたいのだが、すでにファンタジー
小説やカルトでよく使われるポピュラーな単語なので、さすがに躊躇ってしまう。
ファンタジーの設定では、こういう未知の力を利用して魔法を具象化させる手段に
用いられるのだが、現実には素粒子が集まった段階で物理法則に縛られるがゆえに、
何もない空間からいきなり炎や氷を作り出す事は不可能だ。(別にあってもいいけど)
またカルト教団が主張するように、高級神霊がどうだとか、幽体離脱がああだとか、
天上界での転生やら修行やらがへーだとか、そういった与太話をするさいに、霊子・
幽子という造語がやたらと飛び出てくるのだが、これらも眉唾なので信用してはダメだ。
オカ板的にはおkだろうが、現実世界でのカルト教団は例外なく「全部」詐欺である。

そもそも現世利益や派閥関係を巧みに混ぜ、金を巻き上げようと思考操作を企む連中
なのであり、その手の輩から世界の真理を学ぼうとしても全くの無駄だ。
クズにはクズ以外の価値はなく、ゴミはいくら集まってもゴミでしかない。
これが真理だ。
もう一度繰り返すが、カルト教団(宗教団体)は例外なく、大なり小なり全部が詐欺師の
集団なのだから、くれぐれも気を付けて欲しい。
ついでにオレの話も、ただの暇つぶしのウソ、という感じで、酒でも飲みながら軽く読んで
貰いたい。
万が一、オレの話をパクッた何かの勧誘を見かけたら、上の文章を読ませて、そいつを
正気に戻させて頂きたい。

 

とあらかじめ断っておいて、オレの妄想は続くのだが、このエネルギーを便宜上「憶子」
と名付けよう。
検索しても、中国語サイトぐらいしか引っ掛からないようだし、まあいいだろう。
この憶子の間接的な成分は、「重さ」(1次元)「熱」(2次元)「思考」(3次元)
「時間」(4次元)だ。


「力学の法則は、時間の反転に関して対象である」

物理現象には過去と未来の区別がないので、時間の流れが逆向きになっても特に
支障が生じない。
たとえば自動車が事故を起こしても、フィルムを逆さまにすれば元に戻る。
物を壊しても、恋人と別れても、酔っ払っても、流れを逆回転すれば復元が可能だ。
このようにあらゆる「保存の法則」は、時間の経過に左右されず常に普遍なのだ。
ところが過去と未来に影響を受ける物理法則がある。
それが「熱力学の法則」だ。

ボールを地面に転がすと、空気や地面によって摩擦熱が発生する。
この熱は、ボールの持つ運動エネルギーが熱へと変化したものだ。
しかしこれを逆さまにしても、熱エネルギーは出てこない。
時間の反転をすると辻褄が合わなくなる事を「非可逆現象」と呼ぶ。
つまり熱は「保存されない」(一定ではない)と言える。
熱力学を語る上で、「エントロピー」という専門用語が出てくる。
エントロピーとは「エネルギーの質(利用価値)」の事であり、「事象の乱雑さ」と言い
換えれるのだが、難しいので省略する。
結論から言うと、オレ達は「エントロピーの増大」を感じる事によって、「時間の矢」と
いう「過去→現在→未来」の一方的な流れを理解できるのだ。

余談だが、オカルト業界では、よくこの「エントロピーの法則」(熱力学第2法則)を持ち
出し、生命の進化は「エントロピーの減少」ではないかと指摘する。
秩序だった構図が時間の経過と共に無秩序になるはずが、進化という形で秩序を作り
上げており、よって法則に従わない生命は特別なのである、という理屈だ。
だが実際には、生命システムは閉鎖系ではなく開放系なので、「エントロピーの法則」
には当てはまらない。(関係ない)
つまり生命は単体でエネルギーの循環を行っているのではなく、地球や太陽、宇宙全体
からもたらされる秩序の上に成り立っているため、エントロピーは常に増大傾向(無秩序)
にあると説明できる。
ゆえに矛盾は出て来ないので、ちょっと注意が必要だ。

さて、オレが何を言いたいのかというと、熱力学とは非可逆現象である事と、もうひとつ
は秩序から無秩序という流れは、生物へ「時間」の概念を教え込んでいる点だ。
熱力学には、過去と未来の区別がある。
はっきり書くと、流れが存在しているのだ。
実は素粒子の世界でも、一部でこうした非可逆現象(K中間子の粒子崩壊=粒子と反粒子
が衝突しても、なぜか相殺されない)があるのだが、小さな世界は物理法則が通用しないと
何度も書いているので、ここでは「あの世に近いから」とでも無理やり納得して頂くとして、
ともかく熱力学は他の法則とは仲間外れなのである。
普段は何気なく仲間のフリをしているが、時間を逆回転するや否や、途端に馬脚を露わす。
「時間の矢」という概念があるとするのならば、熱は過去から未来へ流れ込んでいるエネ
ルギーの一種と言えるのではないだろうか。
哲学的に表現すると「現在を流れ去るから、逆回転すると現在では保存できない」とでも
言うべきか。

熱に関する話はひとまず置いておいて、次は「重さ」だ。
重さは、G壁(1次元)からもたらされたエネルギーと妄想した。
宇宙空間は無であると思われがちだが、実は常に運動を行っている。
そもそもエネルギーがゼロという事は、あらゆる物質の分子や原子の運動が完全に止まって
しまうわけで、それは「絶対零度」(絶対温度0℃)を指し示している。
ところがこの絶対零度であっても、「ゼロ点振動」と呼ばれる運動が存在するのだ。
たとえ何も存在しないような真空中であっても、何らかのエネルギーがある、と定義できる。
また量子論では、不確定性原理によりエネルギーの「完全な無」は100%確定と同義であり、
よって「瞬間」ならば、真空のあちこちで素粒子が生成と消滅を繰り返し、有と無の間を揺らぎ
続ける、と考えられている。(時間が長いと不確定性原理が適応されない)
つまり無から有が誕生するのだ。
オレ達の世界では考えられない常識も、小さな世界ではあり得る話になってしまう。

量子世界のルールである不確定性原理は、時間の長さをも物理法則に飲み込まれる要因と
している。
という事は、時間が短ければ短いほど、無から有を生み出す可能性が高くなる。

物質の「連続」を4次元としたが、「瞬間」という位置付けは3次元に当たる。
つまり高位から低位への流れは、範囲を縮小しているのであり、すなわちこれは小さな
世界に焦点を当てている事になる。
小さな世界へ移動すると、無からエネルギーを得る事ができるのならば、2次元のこう
した作用は、さらに小さな1次元からもたらされた力によって、素粒子の生成・消滅の
運動へと繋がっているのかもしれない。
ならば微弱な「重さ」が影響して素粒子の「運動」を促し、そこで何らかの揺らぎを作って
いると考えてもいいはずだ。

ひとつ次元を隔てる事により、小さな世界から大きな世界へ不可解な影響力が漏れて
いると想定すると、当然1次元は0次元の影響下に入っているものと思われる。
小→中→大の流れは、幾重にも積み重なっている世界の形を表現しているのだろう。
3次元と4次元の融合「時空間」の概念のように、全ての次元が重なり合ってひとつの
世界を作り上げているのならば、0~4次元の間に何かの共通項が存在している可能性
があるとは言えないだろうか。
これら共通項は、Dブレーン同様、次元によって形態を変化させる。
その正体こそ「憶子」だ、と愚考する。

オレの考えはこうだ。
まず0次元が、憶子を放出する。
しかし憶子には質量がないので、物理的な影響力を生まない。(あくまでも間接的な作用)
憶子が1次元を通過する際、「重さ」(運動)が2次元に漏れ出てしまう。
そして次に2次元を通り過ぎると、「熱の記号」(生物進化)が3次元へもたらされる。
3次元から4次元への流れは、生物に「思考」「記憶」「時間」(可能性の拡大)を与える。
よって時間の矢を構成すこれらの成分には、保存の法則が通用しない。(重力が高位次元
に漏れているため、3次元だけに限定すると、統一場理論が完成されない)
ここで問題になるのは、なぜ憶子が未来の方向へ流れるのか、だ。

Dブレーンを語る中で、ブレーンとは可能性の範囲と仮定した。
可能性が生まれる過程で発生するエネルギー、いわゆるパラレルワールドの分岐点は、
物質と反物質の世界が繰り返し相互作用する事で誕生しているのではないだろうか。


このぶつかり合いで、憶子が両世界へ拡散していると思われる。(やがて世界の果て
で互いが出会う)
憶子は反宇宙にもあるが、流れが逆方向なので、この宇宙と正反対の世界を作っている。
ブラックホールに捕まった物質のうち、憶子だけがいち早く向こう側に吸収されるのは、
反宇宙を構成している成分が憶子と同質なので、小さくなる儀式が必要ないせいだ。

3次元に絞って考えてみよう。
時間(連続=4次元)の成分を抜き取った3D写真(静止状態にある立方体)である。
この世界は物質と反物質が重なり合い、干渉したいが正負のG壁によって、常に拒絶し
ながら成立している。
白と黒のコンニャクをくっ付けた世界、と想像して欲しい。
互いがプルプルと蠢く事(反発力)で、衝撃(宇宙と反宇宙の膨張速度)が発生する。
しかしこの場合、時間の方向を設定していないので、縦(奥)方向へは進めない。
その結果、互いの力が横へと拡散していく。
これが分裂する可能性、パラレルワールドの分岐点である。
(時間を計算に入れると、両方向へ円錐形のように宇宙が広がっていく)

一枚の写真がある。
その写真にはテーブルの上に載ったリンゴがひとつ、そして一匹の虫がいる。
いわゆる静止した世界だ。
この場合、次の可能性は(A)虫がリンゴを食べる(B)虫はリンゴを食べない、の
ふたつであると仮定しよう。
するとここで、分岐がふたつ誕生した事になる。
リンゴがバナナになる(C)の世界へは、けっして分岐しない。
リンゴはリンゴでしかないからだ。
虫が魚になる(D)の世界にも分岐はしない。
虫は魚ではないからだ。
ようは分裂する可能性には一定のルールがあり、容量は常に限られている。
つまり未来は有限だ。
よって世界も、この宇宙も、全ては有限となってしまう。
という事は、宇宙や可能性には「外側」が存在しているわけだ。

その外側は内側と一体となっているのではないか、という妄想から物質に重なり合う
反物質、といった二重構造世界(表裏)を思い浮かべたのだ。
数学が、虚数と実数を混ぜた複素数で成り立っている理由だ。(宇宙は二面体)

ところでこの一枚の写真から、世界の全てが始まったのだろうか。
いや、テーブルがあるという事は、それを作った職人がいるはずだ。
リンゴがあるという事は、リンゴを実らせた樹があるはずだ。
虫がいるという事は、どこかに仲間がいるはずだ。
そこで視野を広げると、その写真の周辺には、このテーブルを作った職人やリンゴが
あった果実園、また他の虫がいる世界が構築されていなければおかしい。
テーブル職人には当然家庭があるだろうし、道具も仕事場も住居も存在するはずだ。
果実園で働いている人も大勢いるだろうし、ならば他の食べ物だってあるのが普通だ。
きっと町や村があって、住人達を養う畑や田んぼがあるに違いない。
そして虫を食べる鳥や魚、昆虫だって、そこでたくさん生きているのだろう。

こう考えれば、一枚の写真の中には実に多くのものが存在し、そしてここ(現在)に
連なる因果律(原因と結果)が脈々と続いていると理解できるはずだ。
これらの始まりを分析すると、宇宙の誕生にまで遡らなければならず、そして世界の
可能性とは結局、世界に存在するものが変化を繰り返して組み合わさった確率である
事が分かるであろう。
元が一定量なのだから、「保存の法則」が適応されるのは当たり前である。(熱力学は
違う=2次元から4次元へと突き抜けるので、流れを逆にすると3次元には留まれない)
オタク的に言うと、「鋼の錬金術師」における「等価交換」のようなものだ。

とするならば、だ。
世界には変化を促すプログラムが組み込まれている、もしくは変化しなければ宇宙では
ないという設定が最初から存在している、と妄想ができる。

「変化」の重要なキーワードとは何だろうか。
それは時間である。

「アキレウスと亀」というパラドックスがある。
人間のアキレウスが、100メートル先の亀を追い越そうとするが、その半分の50メートル
まで走ると、亀もチョコチョコと前に進む。
さらにアキレウスが、またその半分だけ走ると、亀もチョコチョコと進む。
これをずっと繰り返すならば、結局アキレウスはいつまで経っても亀の半分だけの距離
しか進めず、よって差を詰められない彼が亀を追い越す事など不可能となってしまう。
このお話では「時間」という要素が抜けているので、当然それを無視すれば、アキレウスは
永久に亀を追い抜けなくなる。
このようにもし世界に時間がなかったら、変化という現象は存在しなくなり、永久不変の静止
した状態のままであろう。
一枚の写真だけならば、世界は始まらない。
それがフィルムのようにカタカタと繋がってこそ、初めて映像として認識される。
物語の始まりだ。

では時間に該当する物理現象を、オレ達は実際に観測しているのか。
実はないのだ。
プランク時間といった単位はある。
だが、それでもビッグバンによってできたばかりの宇宙と、それから1プランク時間以内の宇宙
との間の違いを、測定する事も識別する事もできないのが現状だ。
1秒は「セシウム133原子(133Cs)の基底状態にある二つの超微細準位間の遷移に対応する
放射の周期の 9,192,631,770回にかかる時間」だとか何だとか定義されているが、果たして
相対的な規約なのか、それとも本当に実在する現象なのか、専門家の間でもいまだ議論が
分かれるテーマである。

「時間粒子」でもあれば話は簡単だが、そういったものは現在観測されていない。
もっともオレは、この時間粒子に相当する作用が必ずあるはずだ、と睨んでいる。
そして物理法則として観測できないのであれば、「ソレには質量がない」という魅力的な妄想
に駆られてしまうのだ・・・・

時間という流れがなければ、この世界は死んでしまう。
時間があるからこそ、万物は変転流転を繰り返す事ができる。
この概念は、可能性にも通じるような気がする。
多世界解釈によるパラレルワールドは、時間によって生み出される「可能性の自由度」と
考えられないだろうか。

たとえば萌えフィギュアを買ったとしよう。
それが10年経てば、経年劣化でボロボロになるかもしれない。
きっと嫌な出来事だろう。
しかしもっと巨視的な見方をすると、物質が変化するからこそ喜びがあるのだ。
大事にしていた萌えフィギュアが腐れ果てようと、それが新たな萌えフィギュアを買う衝動
へ繋がり、ユーザーの新たな喜びの糧となり、また同時にオタク市場の活気を呼ぶ原動力
になるのならば本望ではないか。
もしお気に入りの萌えフィギュアがそのままならば、一度買えばそれっきりで、そうなると
非常に狭い業界のまま、そのジャンルは衰退していく。
また外部からの要因(うっかり壊す)を除き、萌えフィギュアが経年劣化しないと、分岐点
が一切発生しなくなる。
それは萌えフィギュアの変化が否定された事になり、可能性の自由度が存在しない死んだ
現象(閉じた輪っか)になってしまうではないか。
これを人間に当てはめると、あらかじめ決まった行動や思考、発言しかできないプログラム
のようなものである。
いや、マネキン人形と形容した方がいいかもしれない。
北朝鮮の人民でもあるまいし、それはあり得ないだろう。
オレ達が好き勝手に行動しているのは、可能性の自由度が高いからだ。
結論を言うと、生物はそのために進化したのだと思っている。

無生物と生物の差は、可能性の自由度の高さだ。
萌えフィギュアは経年劣化するが、その変化は緩やかで、未来の選択肢も少ない。
しかし人間の場合、今から数時間後にどう行動するのか、非常に多くの選択肢が用意
されている。

仕事をしているのか、酒を飲みに行ってるのか、お姉さんのお店に行っているのか、
車に乗っているのか、銃で撃たれるのか、2ちゃんねるをやっているのか等々。
なぜ選択肢が豊富なのかというと、思考力が備わっているからだ。
どう行動するのか、いろんな事を考えて、その結果様々な未来を生み出していく。
個人が作るパラレルワールドが多いという事は、それだけ世界の可能性(容量)が拡大
していると解釈できないか。
Dブレーンの稼動範囲も、思考力が高い人間ならば、さぞかし大きいだろう。
宇宙が反宇宙の領域を侵食していく行為を生業としているのならば、それに貢献している
のは思考力を持つ知的生命体である。
という事は人類が進化したのは、パラレルワールド部門で宇宙の拡大を手助けするため
だった、と妄想ができる。(4次元以上の高位次元も、宇宙を大きくする使命がある)

逆に考えれば、宇宙が収縮を始めるのは、知的生命体が消滅していく時期なのだ。
◇の両端を合わせた桜餅宇宙の、ちょうど中間地点で幅が小さくなっていく。
これは、物質と反物質が拮抗する最初のポイントだと思うのだが、おそらくここから生物の
衰退が始まるのだろう。(生存環境が全宇宙的に厳しくなる)
オレ達の時間にもまた、限りがあるのだ。(タイムリミットの存在)
膨張する宇宙同様、時間は永遠ではなく有限であるならば、時間にも外側の世界があると
想定できるような気がする。

この世には、何らかのリズムがある。
規則正しく電波を放出するパルサーや、クオーツ(水晶)振動子の電圧現象、振り子の
等時性、また天体の周期運動もそうだ。
こういったリズムを基準にして、人間は時間という概念を生み出した。
そして生まれたのが「体内時計」(生物時計)だ。


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