真贋論争

ここは、オカ板の「JJ」の真贋論争からはじまる、EINHERJAR氏のにちゃんねるへの考察をまとめたブログです。

第22夜 #1

2007年05月13日 | 第22夜

【第22夜】


人は日々の生活に疲れた時、ふとこう思う事がある。

「自分はこの先、どのような運命を辿るのだろうか」

誰だって、将来が気になるものだ。
だが、それも程度の差があろう。
生活費を稼いだり、余暇を楽しむのに忙しいからだ。
そんな事をいちいち考えている時間がない。
あくまでも時々、だ。
しかし考える余裕があったとしたら、どうなるか。
仕事をする必要もなく、思考する時間が有り余っており、そして自分の未来に
不安を覚えているような人間。
つまりニートだ。

考える。
毎日、考える。
自分の将来を。
この先いったい、どうなってしまうのか、と。
その人物が、何かを表現する立場にいたら、こういった心理がモロに現れる。
たとえば未来に関する話題。
予知能力に対する興味。
オレ達は、これらをよく知っている。
JJや64みらい、リョウといった予言者を騙る釣りの数々を。
「彼」の芸の正体とは、「彼」やその仲間達の不安感がそのまま具象化したもの
なのである。

ここはオカ板であるし、真贋論争のついでに予知能力に関して語ってみよう。

「人は、未来を予知する事ができるのか」

これは昔からある、人類に課せられたテーマのひとつだ。
神や預言者、巫女に予知能力者といった存在は、自然界の法則を超越した現象を
垣間見せる芸であり、人々の願望を映し出した鏡なのだろう。
つまり「インチキ」である。
オレ達の時代のテクノロジーは、過去の人から見たら、まるで魔法のようだ。
宇宙技術・原子力発電・DNA操作・ナノテク・コンピューター・ロボット産業。
その中に、未来予測も含まれる。
天気や自然災害、経済動向等々。
だが、これらは予測であって予知ではない。
残念ながら現段階では、人間は神の域を超えるところまで辿り着いてはいない。
なぜ人には予知ができないのか。
それは、因果律に縛られているからだ。

フランスの数学者ピエール=シモン・ラプラスは、かつてこのように述べた。
(ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%82%AA%E9%AD%94)

>もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしも
>それらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、
>不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。
>(『確率の解析的理論』1812年)


分かりやすく説明しよう。
17世紀に誕生した「ニュートン力学」というものがある。
ある物体が力を受ける事によって、どのような運動となって現れるのかを説明した物理学
であり、「慣性の法則」を始めとする三法則から成る。(この他に「絶対時間」「絶対空間」
という概念もあるが、ひとまず置いておく)


「ニュートン力学」で考えれば、ラプラスの言っている事は正しい。
サイコロを投げる時、その速さや角度、高さといった条件を、観測する者が正確に把握
していれば、流れを計算できるのでサイコロの出る目が分かる。
つまり投げた瞬間、その観測者は何が出るのかを「知っている」となるわけだ。
人間は「頭が悪い」ので、瞬時にその情報を読み取る事はできない。
しかし「頭の良い」生物ならば、それらの情報を素早く知る事ができ、その結果、未来を
「知る(=予知)」事も可能だ。
人間の能力には限界があるため、未来予知ができない。
未来は決定しているので、その流れを解読できる高等知的生物ならば予知できる。
こういう理屈だ。
後にデュ・ボワ=レーモンが、このような高等知的生物を「ラプラスの魔(ラプラスの魔物)」
と呼び、やがて世間に広まる事となった。

しかし、だ。
万物を説明する要であった、イギリスの錬金術師アイザック・ニュートンによる「ニュートン
力学」をして、古典力学へと転落させた「量子論」の登場により、ある恐るべき仮説が
導き出されたのである。
それは「未来は決まっていない」だ。
ラプラスの魔物がどれだけ優秀であろうと、未来を予知する事などできないのだ。
(予測ならできる)
これがどれだけスゴイ話なのか、順に説明していこう。

19世紀末、原子の研究をしていた科学者が、超ミクロの世界で起こる奇妙な現象を
幾度も目撃してしまう。
なにしろニュートン力学では説明がつかないのだ。
みんなそれに頭を抱えてしまう。
科学とオカルトの違いは、現象を説明する努力をするかしないかの差だ。
オレのような妄想ではなく、実験による反証の有無、客観的な実験や数式の裏づけ、
そしてこれらに基づく論理的な説明を積み重ねて生まれたのが「量子論」だ。
同時期に誕生した「相対性理論」と共に、自然界の二大理論と呼ばれている。
(もっともこの量子論は決して完成されてはおらず、今もなお進化しており、それだけ
奥が深い学問だといえる)


量子論とは、ドイツの物理学者マックス・プランクによって創始された、量子現象を
扱う自然科学理論の総称である。(1900年~)
この分野が大きく前進したのは、光の正体を突き止めた天才物理学者アルベルト
(アルバート)・アインシュタインのおかげであった。
17世紀後半以降、光の正体を巡って長い間、激しい論争が行われてきた。
当時、完全と思われていたニュートン力学は、唯一光の定義だけができなかった。
光は粒子(ニュートンの「粒子説」)か波(ホイヘンスの「波動説」)かで意見が別れ、
粒子説がやや優勢だった。
1807年、トーマス・ヤングはある実験(「ヤングの実験」)をする。
これにより光の干渉が確認され、光は粒子ではなく波であるという常識を作った。
波は物質の振動が周囲に伝わる現象なので、振動を伝える役目を行う媒質の存在が
必要不可欠であった。
これを「エーテル」(オカルト好きには馴染み深い言葉)と仮称し、多くの学者が血眼に
なって探したのだが、どうしても見つからない。

そんな折の19世紀末、「光電効果」という現象が発見され、光が波だとすると説明が
つかない大きな謎ができてしまう。
アインシュタインは「光は粒子の性質も持っている(波と粒子の二面性)」と考え、
「光子(光量子)」という概念を提唱した。(1905年「特殊相対性理論/光量子説」)
分かり辛いかもしれないが、ようは固体でありながら、同時に液体だったりもする、
といったイメージであろうか。(あやふや、という意味だ)
全く正反対の性質を「同時」に有しているなど、ちょっとあり得ない、まさにオカルト的
な理論ではあるが、いずれにせよ光子は量子論に大きな影響を与える事となった。
そう、本当に大きな影響だったのだ。

1924年、フランスの物理学者ルイ=ヴィクトル・ピエール・レイモン・ド・ブロイは、
「ラザフォードの原子模型」にまつわる奇怪な現象を、アインシュタイン的な説明で
乗り切ってしまう。
「電子を始めとする物質粒子は、波の性質も持っている」(ド・ブロイ波)
このフレーズは、オレらの感覚で言うとVIPPERの戯言みたいなもんだ。

「コーラに見えるが、実はテニスボールだお( ^ω^)」

「あるあr…ねーよwwwwwwww」

「いわゆるツンデレ系wwwwwwww」

「ちょwwwwおまwwwwwwwwイミフwwwwwwwwwww」

「うはwwwそれが量子論クオリティwwwwww」

「おkwww把握したwwwwwwwwww」

「量子論始まったなwwww」


ド・ブロイは「電子の波動性の発見」によってノーベル物理学賞を受賞する。(1929年)
さて詳しい話はすっ飛ばし、どうやら超ミクロの世界では、オレ達の想像も及ばない
奇妙奇天烈摩訶不思議な現象があるようなのだ。
一般的常識を捨てなければ、これらの説明ができない。
その際たるものこそ、「状態の共存」(「状態の重ね合わせ」)である。
頭がおかしくなるかもしれないので、まずは常識を捨てて欲しい。

超ミクロな世界をマクロに置き換え、例え話をしてみよう。
ここに、サングラスをかけた男がいたとする。(チャッチャッチャッチャチャ♪)
そのMr.何とかが、箱に入ったボールを左右に揺らし、真ん中に板を入れる。
「さあ、ボールは右側にあるでしょうか、それとも左側でしょうか」
どちらに入っていると思う?

普通に考えれば、片方にだけボールがあると考える。
ではここで、「神の視点」を使って中を覗いてみよう。
すると驚くべき事に、両方にボールが入っているではないか。

       (  _,, -''"      ',             __.__       ____
   ハ   ( l         ',____,、      (:::} l l l ,}      /      \
   ハ   ( .',         ト───‐'      l::l ̄ ̄l     l        │
   ハ   (  .',         |              l::|二二l     |  ハ こ  .|
       ( /ィ         h         , '´ ̄ ̄ ̄`ヽ   |  ハ や │
⌒⌒⌒ヽ(⌒ヽ/ ',         l.l         ,'  r──―‐tl.   |  ハ つ │
        ̄   ',       fllJ.        { r' ー-、ノ ,r‐l    |  ! め │
            ヾ     ル'ノ |ll       ,-l l ´~~ ‐ l~`ト,   l        |
             〉vw'レハノ   llll         ヽl l ',   ,_ ! ,'ノ   ヽ  ____/
             l_,,, =====、_ !lll        ハ. l  r'"__゛,,`l|     )ノ
          _,,ノ※※※※※`ー,,,       / lヽノ ´'ー'´ハ
       -‐'"´ ヽ※※※※※_,, -''"`''ー-、 _,へ,_', ヽ,,二,,/ .l
              ̄ ̄ ̄ ̄ ̄       `''ー-、 l      ト、へ

トリックでも使ったのであろうか。
だが、この事実を知ったMr.何とかは、とても驚くかもしれない。
なぜならこの人はマジシャンではなく、サングラスをかけた、ただの風変わりな暇人
だったからだ。

トリックなど最初から使っていなかった。
その証拠に、代わりの人がやっても結果は同じになる。
これはどういう事だろうか。
ひとつの物体が同じ時刻に、複数の場所に存在できない。
これが常識だ。
しかし超ミクロの世界では、ひとつの物体が同じ時刻に、同時に存在しているのだ。
量子論によるところの「状態の共存」である。
つまり先ほどの現象を量子論で考えると、ボールは左右どちらにも存在していた事に
なってしまう。

あり得ないと思う人が多いかもしれないが、しかし本当なのだ。
ひとつしかないボールは、左右のどちらの空間にも入っている。
この不思議な現象は、「電子の二重スリット実験」で実際に確認された。
「電子の二重スリット実験」とは、「ヤングの実験」の電子バージョンである。
壁に作った「Aというスリット(切れ目)」と「Bというスリット」に向かって電子(波)を
ひとつ発射。(実際には連射だが)
すると壁の向こう側に、干渉縞が発生してしまう。
干渉縞は、ふたつの波動がぶつかり合う事から生まれる。
しかし発射したのはひとつ。
壁の向こうで干渉縞が作られたという事は、壁にある「ふたつ」のスリットを「一個」の
電子が「同時」に通り抜けたからだ、と解釈できる。
これを部屋にあるふたつのドアと見方を変えると、ひとりの人間が向こう側に行こうと
すると、その瞬間分裂し、それぞれふたつのドアをくぐって移動した、となってしまう。
こうした現象は、常識を捨てた量子論の思考実験(前スレで、この言葉を巡ってケンカ
していたみたいだけどw)で何度も語られ、技術の進歩から1961年より検証実験が行わ
れるようになり、実際に「状態の共存」が確認された。

まったく不思議な現象だ。
話はさらに続く。
人間がこの「状態の共存」を見る事が可能なのかというと、できないというのが今の
量子論である。
「観測」を行うと、「状態の共存」が崩れてしまうからだ。
では「コペンハーゲン解釈」へと話を移そう。
難しい論理なのだが、ようは「観測すると観測値に対応する状態に変化する」
(波束の収束)という内容だ。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E8%A7%A3%E9%87%88

「電子は波」と語ったが、これは言い換えると「複数の状態が共存する」となる。
そのたくさんある可能性の中から、オレ達は「ひとつの状態」を無作為に発見している
に過ぎないのだ。(未来はひとつではない=決定していない)

板で区切られた箱に入ったボールが、左右いずれかに入っているのかを観測するまで、
全ては「偶然」によって支配され、確率的にしか予測ができない。
これらは「電子の二重スリット実験」で、電子の運動の未来は偶然が支配し、完全な
予測が難しい事から考え出された。

ドイツの物理学者ヴェルナー・カール・ハイゼンベルクによれば、電子の位置と運動量
の位置を正確に測定するには、電子に波長の短い電磁波(ガンマ線等)を照射しなくて
はならない。
電子に当たって跳ね返る方向で、位置と運動量が明らかにされるわけだ。
しかしこの際、電子にガンマ線クラスの電磁波がぶつかると、電子そのものが押し出され
てしまうので、運動量が変化してしまう。
押し出されないような弱い電磁波だと、今度は位置の方が測定できなくなる。
測定行為によって対象物が何らかの影響を受けてしまうため、対象物の状態を決定する
事は原理的に不可能とされる。(「ハイゼンベルクの不確定性原理」)
よって粒子の状態を測定するには、不完全な確率に頼らざるを得ない。

「絶対にココにある!」(予知)ではなく、「たぶんココら辺にあるんじゃないかなぁ~」
(予測)といった、何とも頼りない方法である。

これを「確率解釈」と呼び、「不確定性原理」とともに「量子論」の根幹を形成する基礎原理
となった。
なお余談だが、この予測に関する発見の確率には、「虚数」を用いないと説明できない
事柄なのであり、こうした事から超ミクロな世界とは、自然界の法則から逸脱した現象で
作られていると考えられるのだ。
なかなか難しい話ではあるが、コペンハーゲン解釈では「箱の中身を見ると他の可能性が
消えてしまう」となる、とオレは適当に受け取っている。(この仮説のように、実際に消える
というのはあり得ないのだが、まずはこう考えてもらいたい)

で、だ。
これに異論を唱えたのが、あの偉大なるアインシュタインだ。
量子論の創始者のひとりでありながら、「コペンハーゲン解釈」(コペンハーゲンに
あるボーア研究所が中心となって生み出したひとつの解答)の「確率解釈」と「波の
収束」云々に対し、彼は「神はサイコロ遊びをしない」(1926年)と批判した。
「全知全能なる神が、電子の位置を分からないのはあり得ない」
今でも論争になっているのだが、この過程で「シュレーディンガーの猫」という有名な
思考実験が誕生する。

話を整理してみよう。
ここでアインシュタイン達が疑問を呈しているのは、何をもって「波の収束の観測」と
するのか、だ。(観測とは、単純に「見る」という意味ではなく、あくまで便宜上の言葉
である事に注意)
電子の位置を確認する(=観測)と、空間に幅を持って広がっていた電子の波は、
針状の幅のない波へと急激に収縮していく。
電子を発見したとたん、別の場所にあった可能性が消えていくのである。
消えるというのは量子論的にやや違うのだそうだが、ともかくたくさんある可能性の
中のひとつをオレ達が選び取った瞬間、波の収束という形で他の可能性がなくなって
しまうらしい。
繰り返すが、あらかじめ電子と運動量の位置を正確に把握する事(予知)はできない。
位置を決めると運動量が、運動量を決めると位置が、それぞれ不確かなものに変化
するためだ。
つまり頭の良い生物「ラプラスの魔物」ならば予知できるが、人間はバカだから無理、
という問題ではない。
能力の良し悪しに関係なく、状態は多くの状態と共存関係(可能性の塊)にあり、観測
する事によってそれらのひとつを平等に「偶然」選んでいるに過ぎない、という解釈だ。
そこでこういった仮説を唱える学者が出てくる。

観測装置も原子から生み出されているのだから、量子論に従うはずだ。
だから観測装置の観測によって、波の収縮が起きるわけではない。
測定結果を人間が、「脳」の中で認識した瞬間に「それ」が起きるのだ!

後にアインシュタインは、こう語っている。

「月は見ている時にしか、存在しないのかい?」

彼は死ぬまで、量子論(の主流の学説)を認めようとはしなかった。
あまりにもオカルト的過ぎるからだ。

超ミクロの世界では、物理法則が通用しない。
しかしマクロの世界(オレ達の世界)では、物理法則こそが絶対なのだ。
マクロとは、ミクロを積み上げて生み出された存在だ。
核となるものが「いいかげん」ならば、それらが集合した存在も「いいかげん」になって
しまうはずで、神(物理法則)が支配する現実世界との辻褄が合わなくなる。
ましてや人間の意識が超ミクロの世界に反映されるなど、正気の沙汰ではない。
世界の成り立ちの常識を覆す「コペンハーゲン解釈」に抵抗を覚える常識人が、量子論
の重鎮達に大勢いたのは事実だ。
そもそも世界の秘密を解き明かした連中が、次に興味を持ったのが「目に見えない世界」
であったわけで、それが宇宙や原子の探求へと繋がっていった。
こうして「ニュートン力学」を補足する形(これ自体、全部が間違っているわけではないから)
で、「相対性理論」と「量子論」が誕生した。
ところが「量子論」を突き詰めていくと、小さな世界の方は物理法則が通用しない怪しげな
場所らしい、という事が次第に明るみになってきた。
ちょっと強引だが、表にまとめてみよう。


超マクロ(宇宙)→「相対性理論」→ルール有

マクロ(現実世界)→「ニュートン力学」→ルール有

超ミクロ(原子)→「量子論」→ルール無?

 「世界は純然たる法則(神)によって運行されているはずだ」
彼らはそう考え、仕組みを解き明かそうと躍起になっていたわけだが、皮肉な事に
「物事が始まる世界」には、オカルトがいっぱいだった。
さあ、こうなると生真面目な学者達は不安になってくる。

「自分達とは、いったい何者なのか」
「世界とは、いったい何なのか」
「神様は、いったいどこにいるのだろうか」

かつて白人達は、自分達の価値観の正当性を確認するべく、西欧科学体系を築いた。
キリスト教を根底にし、世界の成り立ちを説明しようと考えていたのだ。
中世までのヨーロッパ文明は、貧しかったから宗教に依存する心が非常に強く(当時の
アラブ世界は、ギリシャ文明や最盛期ローマの知識を継承し、医療や科学の分野で欧州
よりずっと進んでおり、今の状況とは逆であった)、この負の精神が科学の発展と共に世界
中の文明を破壊し、各民族を大量に虐殺→奴隷→愚民化させ、資源を徹底的に略奪した
植民地政策の布石へと繋がっていく。
この過程で、彼らの科学は神の存在を明らかにする事はできなかったが、代わりに「法則」
というものを手にする。