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『ハートは心臓にある』 (グリオーマ・脳腫瘍・てんかん発作・へたれ日記)

脳腫瘍(グリオーマ)と共に生き、人生を哲学します。2015年2月に再発・手術、膠芽腫と診断→抗がん剤治療中です。

19:脳血管撮影

2007年03月13日 07時05分12秒 | これまでのこと

 「脳血管撮影(鼠径部穿刺)」いよいよ始まりました!

 まず、足の付け根の部分はカテーテルを刺すので、部分麻酔でした。あと……よく覚えていないのですが、酸素マスク(?)みたいなヤツを顔に付けたと思います。

 『だんだん気持ちがリラックスしてくると思います。寝ちゃっていいですよ。』と言われた記憶があります。

 “だんだん気持ちがリラックスしない性格”の僕は、これから何が起こるんだろうと、興味津々でした。

 まず、足の付け根からカテーテル挿入。もちろん、痛くありません。主治医のb先生が、手を動かす音が聞こえます。しゅるしゅるしゅるしゅるー……って、どこまで入れてんの?
 
 まさか、脳にまでその管が来てるってこと、無いよね? そう思ったらもう、動けません。だって、うっかり首とか動かして、カテーテルが中で、変なふうになっちゃったら嫌じゃん!(もちろんからだは動かないように固定されています)

 ん?先生が検査技師さんに何か合図を送って……どしゃ~。一瞬で状況を理解しました。今の“どしゃ~”が造影剤投入、で、右の顔に押し付けられてる何か黒くてペカペカしている物体がその瞬間を写真に撮る! 

 どしゃ~。世界初(?)その感覚を言葉で表現してみます。

 熱い、ほろ苦い、花火、まぶたの裏に光、放射線状の広がり……慣れるとだんだん気持ち良くなってくる。

 先生が技師さんに指示しています。『ん?あれ、もう1回…もうちょっと右に動かしてみて』

 よい写真がなかなか撮れなかったらしく、検査は予定より長引きました。(造影剤どしゃ~に慣れた頃検査終了)

 病室へ戻って、看護師さんが『お疲れ様ー』と声をかけてくださいました。

 「あ、ありがとうございました。でも、あれ、造影剤入るときって、頭の中、すげー、どしゃーってきますねー」
 
 『え??jiveさん、寝ちゃってるのかと思ってた……』

 えぇ~っ!?

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18:初めてのストレッチャー

2007年03月12日 06時56分38秒 | これまでのこと

 脳血管撮影の前に、看護師さんがいろいろ説明してくださいました。

 『カテーテルは動脈に刺すので、検査後、翌日の朝まで、からだを動かすことができません。』

 へぇー。手渡された説明書には、「2時間後:食事可」「6時間後:からだの向きを変えてもよいが、起こしてはいけない」と経過時間ごとに、注意事項が書いてありました。看護師さんの説明が続きます。
 
 『あのー、ずっと同じ姿勢でいると、「血栓」が出来ちゃう可能性があるんですよ。……エコノミークラス症候群ってご存知ですか?あの、長く飛行機で同じ姿勢を取っていると……っていう』

 「あ、はい、知ってます。」ガサゴソ、看護師さん、ストッキングを取り出す。

 『このストッキング、ちょっとキツメなんですけどね。これを穿いてると、血栓が出来にくいんですよ。……このストッキング、検査後に捨てちゃうのも、もったいないですし、海外旅行で飛行機に乗るときにも使えますよ。』

 「へぇー、なるほど、うんうん、いいですねー、そうしようかなー」って見栄張っちゃったけど、俺、海外旅行なんて行ったことねぇし!新幹線だってほとんど乗ったことないですよ。俺すなわち、エコノミークラス、ビバ最高!みたいな。

 と思っていたら、いよいよ検査当日。ストレッチャー(動くベッド?)に乗せられて、ステキな看護師さんに押してもらって、撮影所?へ。ベルトもしっかり締めました。いざ出発。あてんしょんぷり~ず!

 ガラガラガラガラ、ストレッチャーの上で仰向けになっています。廊下の天井が視界を流れて行きます。

 何度も体験なさっているかたには、ほんとうに申し訳ないのですが、そういう体験は初めてだったので、『へぇー、ドラマみたい』と思いました。お気楽お気楽。手術するわけじゃないし。

 ……と思ったら、見送る(?)病棟の看護師さんが、『がんばってくださーい』って声をかけてくださって……。

 え、これ、頑張りが必要な行為なの?俺、頑張るとか努力とか、極力避けて生きてきたんですけどーーー。

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17:“ソケイブセンシ”

2007年03月11日 00時07分40秒 | これまでのこと

 b先生から、検査についてご説明を頂きました。

 『MRIの画像だけでは、右脳に写っている“白い部分”が何であるか分かりません。ひとつには、頭を開けて、細胞を取って調べてみるという方法があります。』

 んー、なるほどね。写真じゃ分かんないから、細胞を取って、プレパラートと顕微鏡みたいなので調べたりする(?)わけだ。フラスコのイメージが浮かんできます。それは確実だよねぇ。

 でも……え? “頭を開けて細胞を取る”っていうのは、どういうこと?? もう、頭の中は、わかさぎ釣りのイメージでいっぱいです。氷に丸い穴を開けて、魚を釣るヤツです。だって、調べるだけだから、細胞、ちょっとしか取らない……わけでしょ??

 『……しかし、今回の場合は、まずは、脳血管撮影を行いたいと思います。おそらく、それで“白い部分”何であるのか、分かると思います。』

 「脳血管撮影(鼠径部穿刺)」“ソケイブセンシ”……手元に病院からもらったプリントあったから、字は分かったけど、読み方分かりませんでした。余裕で“チューケイブセンサク”だと思ってました。足の付け根に何か刺すわけですか……。

 “右足の付け根の動脈から、細い管(カテーテル)を入れて、その中に造影剤を投入! 腕に静脈注射するより、ダイレクト(?)に造影剤が血液の中にまわるので、はっきりバッチリ脳の写真が取れます!!”わたしは、そう理解しました。

 ……腕に注射して造影剤!は、そのとき既に経験済みでした。僕は、造影剤を注射されると、からだが火照って、ぼーっとなります。しばらくふらふら。もう慣れたので平気です。

 あと、マニアック質問ですが、頭部MRI撮影の間、顔動かせないときに、腕に注射打たれるのって怖くないですか?僕はこわいです。でも慣れました。何にでも慣れる性格です。へへへ。

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16:ナースコール

2007年03月08日 07時47分43秒 | これまでのこと

 ベッドの上にはシールが張ってありました。わたしの場合は、「介助歩行可」だったかな。それが『行動制限』なのだと分かりました。

 わたしは、忙しい看護師さんを困らせたくなかった(?)ので、とにかく、「入院の手引き」のようなものを熟読して、最大限ルールに従おうと決めました。

 失敗したくない……っていうことはつまり、プライドが高いってことですよね。はぁー、自分が情けない。。

 でもさー、トイレに行きたくなったときに、ナースコール押して、一緒にキレイな看護師さん(女性)に連れられてトイレ行くのって恥ずかしくない???

 んー、そりゃ、しょうがないんだけどさ、どこでどう、ぶっ倒れるか未知数だもんね。

 便座に座って「終わったら横のボタン押してくださいねー」「迎えにきますー」かぁ……。別のシチュエーションだったら大歓迎なんだけどね!(???)

 ちなみに、その後、体調が低迷してくると、なりふりかまわず(?)ナースコールを押せるようになりました。

 ボタンが押すのがもどかしかったのか、目が覚めた瞬間、点滴中の左腕でベッドの柵をバシバシ叩いていたこともありました。 

 ちなみに……後で知ったことですが……。

 病棟の看護師長さんが、見舞いにきた母におっしゃったそうです。

 『……jiveさんは、真面目できちんとされたかたですね。ウチは若い看護師も多いですから、もう少しリラックスしていただけると、楽しめるんじゃないかなーと思います、なーんて……。』

 え? もっとエンジョイしちゃって良かったの?? そうだよねー、どうせ入院するんだもんね。もったいなかったなー。

 じゃなくて、なんつーか、それ嬉しいんですけど、俺、早くおうちに帰りたいです。涙。(その節はたいへんお世話になりました)

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15:看護師さんってすごい!

2007年03月07日 10時16分25秒 | これまでのこと

 えー、そんなわけで、無事(?)わたくしは、脳内メモリー史上初の入院生活をすることになりました。

 えー、いろいろびっくりしたこと(たとえば、ベッドがボタンで動いて高性能だとか)はあるのですが、まず、なにより感動したのは看護師さん!

 いやー、すごいよ。この場を借りて??(退院したあとちゃんとお礼状書いたよぅ)、感謝申し上げます。

 とにかく働く働く。ぱっぱっ、機敏、冷静、判断力、決断力。自分で判断できないときは、即座に応援を呼ぶ。でも、患者さんに接するときは、ゆったり優しく丁寧に。
 
 はぁー、すげぇよ。

 病棟の看護師さんって……若い方が多いですよね。29歳のわたしが“若い”っていうのも変だけど。

 でもさー、たとえば23歳だとしたら……そのころ俺、バイトもしねぇでパチンコ打ってたよ!(しかも大学5年生)

 病室は6人部屋だったと思います。周りの患者さんは、食事や排泄の介助が必要なかたがほとんど……だったように感じます。

 その間を看護師さんが、縫うように動いて、ぱっぱっと必要な処置や、介助をしていきます。

 わたしも……職種は違いますが、その前日まで、食事や排泄の介助をする仕事をしていました……でも、比べ物になりませんでした。足元にも及びません。看護師さんひとりあたりの患者さんの数がハンパじゃない。

 心から尊敬いたしております。無理するなというほうが無理だと思いますが、おからだにお気をつけてお過ごしください。

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14:川崎病(2)

2007年03月06日 10時57分36秒 | これまでのこと

(つづき)

 お酒を飲みすぎたとか、車で事故を起こしたとか、何か、わたし自身の責任によって生じる病気なら、わたしは、両親に、あやまることができました。でも、グリオーマはそういうタイプの病気ではありません。

 あやまることができないなら、感謝の言葉を述べればいい、そう、思われるかもしれません。もちろん、わたしは、家族や、支えてくれる方々に対して、いつも、お礼の言葉や気持ちを伝えています。

 しかし……言い過ぎかもしれません。でも、書きます。

 誰に原因があるわけではないことでも、子どもに病気やしょうがいが生じてしまった場合、親は、とりわけ母親は責任を感じてしまうことがある……とわたしは思います。少なくとも、わたしの母親はそうです。

 “責任”という表現は適切でないかもしれません。今は、他に良い表現が見つかりません。

 友人に、ボールペンの替え芯を買ってきてもらったことがあります。よく使うタイプのものが近所では売っていなかったのです。

 もし、ですが、空から隕石の破片が落ちてきて、買い物に行く友人に、あたってしまったら? 

 わたしは、隕石を責めるかもしれません。もし“運命”が存在するなら、それを責めるかもしれません。でも、やっぱり、心のどこかで、「わたしが買い物を頼んだからだ」と自分を責めると思います。

 でも、それがもし交通事故だったら? 運転手を責めるかもしれない。それでも、やっぱり、その場所へ行かせた自分を責めるかもしれない。

 答えは出ません。当たり前です。でも、わたしは考え続けたいと思います。そこに“何か”があると思うからです。

 ……18歳になるころまで、わたしは、心臓の検査を受けていました。心電図と、エコー検査です。半年に1回だったかな。学校を休んで、かつて入院していた病院に行っていました。
 
 ふたりの弟が学校に行くようになってからは、母とふたりで行きました。

 そのときだけは、母を“ひとり占め”できるような気がして、検査の日は楽しみでした。だから、『もう、大丈夫でしょう』と定期検査が終わってしまったとき、寂しい気持ちがしました。

 両親にしてみればもちろん、ほっと一安心、だったと思います。でも、10年経って、また、心配をかけています。経済的負担もばっちりかけています。とほほ。

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13:川崎病(1)

2007年03月05日 15時23分28秒 | これまでのこと

 今日のブログのタイトルは「初めての入院生活」にするつもりでした。しかし、実のところ、過去に川崎病の治療のため入院したことがあるので、タイトルを変えました。

 入院は1歳か、2歳の頃のことですので、わたしは何も覚えていません。

 ネットで検索して、いくつか川崎病関係のページを見つけました。「親の会」という言葉が印象に残ったので、URLを引用させていただきます。

『川崎病の子供をもつ親の会』
http://www.kawasaki-disease.gr.jp/

 *このブログはあくまでも、わたしの体験を書き連ねただけのものです。わたしは、3人の医師から、いわばサードオピニオンをいただいていますが、「川崎病」と「脳腫瘍・グリオーマ」との連関については、話題になったこともありません。

 両親は、高熱が出て、手や舌が腫れ上がったわたしを見て、『もう助からないかもしれない』と思ったそうです。

 また、詳細は分からないのですが、『保険の利かない1本1万円の注射があったんだけど、これで助かるなら、と思って何本も打ってもらった』という話も聴いています。

 当時の高卒初任給を考えると…今から、25年以上前の“1万円”の重さを感じます。

 わたしはこうして生きています。子どもの頃、『もう助からないかと思って、それで今、こうしてるんだから、ただ生きていてくれればいい、そういうふうに思っているよ』と母からよく言われました。

 だから……両親を横に、医師から「現代医学では治せない病気です」と言われたとき、わたしは、『しまった』と思いました。何か、とんでもない失敗を自分がやらかしてしまったような気になりました。

(つづく)

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12:検査入院決定

2007年03月04日 08時09分49秒 | これまでのこと

 ……『ご両親を呼んでください』と言われ、父と母が病院に来たところから話を続けます。

 あらためて診察室で、b先生のお話を聴きました。今度は、わたしひとりではなく、父、母も一緒です。
 
 b先生は、脳の写真を見ながらおっしゃいました。

 『ご覧ください、ここに白いぼんやりとしたものが見えますよね? 今、この段階で、それが何かを言うことはできないのですが、たとえば、“水”が溜まったとか、何か腫瘍のようなものがあるとか、そういう感じだと思います。それが、他の部分を圧迫して、けいれん発作が起こっています。大きさは、写真で見る限り、3センチかける4センチ程度のものだと……思います』

 “水”…? わたしの中を「水頭症」とか「シャント(脳内に溜まった髄液をからだの中に流す管のこと…らしいです)」というイメージが去来します。そういう子、いたよな……。

 中途半端に知識がある、というのが良くないのは分かっているのですが、実際に、つい昨日まで、そういう子どもたちと接していたので、なかなか考えをコントロールできません。

 っていうか、そういうややこしいことはともかく……3センチかける4センチって、証明写真かよ!!

 『その“おでき”が……』(“おでき”かよ!←もちろん心の中でツっ込む。)

 『いつ、次の発作が起こるか分かりません。まずは入院していただいて、検査をします。それから、発作が起こらないように、てんかん発作止めの薬を出します、飲んでください』

 え? 抗てんかん剤? 働いていた施設で子どもたちに飲ませていた薬を思い出します。まず浮かんだのが、デパケン、ダイアップ(これは坐薬です)、あと、何だっけ、フェノバル……?

 『ヒダントールFという薬を出します。この中には主にフェニトイン、フェノバルビタールという成分が含まれています。』

 あ、そうそう、フェノバルビタール! っていうか、これ、仕事じゃなくて、自分のことなんだから、もっと真剣になれよ→俺! っていうかさー、ホント中途半端に何かを知ってるっていうのは、ロクなことないよね。

 でも、……今になって思えば、そうやって、聞きかじった用語を思い出すことで、なんとか自分を保とうとしてたんだろうなぁ。よしよし、かわいそうなjiveくん。今日は、チョコレート食べてから寝ようっと(チョコ好き)。

 かくして、検査入院が決まったのでありました~。次回へ、つづく!

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11:対決!MRI!!

2007年03月03日 09時58分39秒 | これまでのこと

  『MRI』って、ご存知ですか?……というか、わたし自身が、一番分かっていないような気がしますが…。とにかく、わたしは、これで脳の写真を撮ってもらっています。
 
 万が一、詳しく知りたい方は、以下のページがjiveのオススメです。

 『ザ! MRI』(島田尊正 様のページ) 
  http://www.ic.sie.dendai.ac.jp/~shimada/mri.htm  
 
 えー、まー、とにかく、横たわって、筒の中に入ってですね(筒じゃないタイプもある)、撮るわけですよ、体内の写真を。“磁力で”撮影しますから、うっかり金属類とか身に着けて入っちゃだめ。くっついちゃうから(??)。
 
 『jiveさん、頭動かさないでくださいねー』って、動かせねぇよ!スポンジみたいなの詰め込んで、バッチリ固定してるじゃんよ!
 
 何回も同じ病院で撮影していると、『jiveさんは、もう大丈夫ですよねー』って、スポンジの数がだんだん減ってきて、嬉しいんだけど、頭動かさないのは、自己責任であります!最近。

 わたしの場合、発作が下あごのけいれんから始まるので、最初の頃は、緊張しました。あごも固定されてしまうからです。

 あと、デカイ音がします(音が小さい機種もあるらしい)。最近の若者風の表現を借りれば“ありえない”タイプの音ですので、注意が必要です。リラックス、リラックス!慣れれば平気です。最高にパンク(音楽のジャンル)です。
 
 今日は、世界初(?)あの音を活字で表現します。わたしが通う病院にあるMRI君の音です。[ ]内は音が重なっていることを示しています。

 ビーーーーーー、ビーーーーーーー、

 コ、コ、コ、ビーーーーー、ビーーーーーー、

 カランカランカランカラン(何かが移動している?)

 ブーーーー、ブーーーー、
 [コッコッコッコッコッコプツプツプツプツプツプツ]

 シュワンシュワンシュワンシュワンシュワン
 
 ビーーーーーー、シュワンシュワンシュワンシュワン

(技師さんがマイクで)『あと3回撮りますよー』って、どこからどこまでが、“1回”なんだよ!! 

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10:仕事のこと(2)

2007年03月02日 07時38分39秒 | これまでのこと

 (つづき)

 ……だから、わたしは、自分の病気に対して、何の異議も異論もありません。そういうことって、誰にだってあることだし、たまたま、それが、わたしに起こったというだけのことです。それは、病名の告知を受けたときからそう思っていました。

 3人の自分がいます。過去、そして今もブログの中で、おちゃらけて、跳ね回っている“俺”。

 再発や、発作を怖れ、また、家族や周りの人に心配をかけていることを、悲しんでいる“僕”。

 そして、努めて客観的に、(発作の最中でも)自己を見つめようとする“わたし”。

 ……つい先日、親しい友人に言われました。『jiveくんは、もっと悲しんで、つらいって声をあげられたらいいのにね。自分の病気のこととか、発作のこととか、ふつうは何も分からないんだから、お父さんやお母さんと一緒に悩んだり、学んだりできたら良かったのにね』 

 その通りだと思います。そうすればいいんだ。

 でも、
「脳にしょうがいを持つ子どもたちと接していた“わたし”」から、

「脳にしょうがいを持つ“わたし”」
への移行が、きわめてゆるやかに、そして自覚的に進行しているので、わたしは、どこで、“仕事をしているわたし”から降りれば良いのか分かりませんでした。今も、分かりません。

 声をあげて泣いたことがあります。電話で話していてイライラしたことがあります。親戚のかたと楽しくお話をして、気持ちが高揚したことがあります。いずれの場合も、発作が起きました。感情の起伏は、わたしにとってタブーなのだと知りました。“怖れ”も状況を悪化させます。

 わたしがこうして冷静に文章を書いたりお茶を飲んだりしていることが、誰かをイライラさせているかもしれません。ごめんなさい。それは、そういう理由です。

 “わたし”は……あくまでも“わたし”です。

 漠然としています。でも、夢があります。100年残る仕事は出来ないと思います。だから、せめて30年、40年、自分の身近な範囲で良いから、力弱い人や、立場の苦しい人の悲しみを、少しでも減らせるような、そんな“仕事”がしたい。

 ……“みんな”ありがとう。元気にやってるかい??みんなからたくさん勇気をもらったかんね、俺もそろそろブッ飛ばそうと思ってっからよ、そこんとこ、よろしく頼むよ!!

 サンキューOKベイベー jiveくんでした~~ 

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09:仕事のこと(1)

2007年03月01日 06時39分35秒 | これまでのこと

 毎日、好き放題書いていますが、ここで、わたしがその当時していた仕事について、書きたいと思います。というのも、そのときしていた仕事の内容が、当時から、そして今までのわたしにとても影響を与えているからです。

 わたしは、学校を卒業し、あてもなくぷらぷらしたり、バイトをしたり、短期契約で働いたりしていました。あるとき、ある縁で、“重度心身障害”を持つ子どもたちの施設でのお仕事をいただくようになりました。

 (*便宜的に『重度心身障害』という表現を使いました。お赦しください。『障害』は、「障がい」もしくは「しょうがい」と表記することが望ましいとわたしは考えます。また、何をもって、『重度』『軽度』とするのかについても、安直に定義されることがあってはならないと考えます。)

 半年契約の仕事でしたが、契約の更新をしていただき、4年間、働かせていただくことができました。

 わたしは、医療や介護の専門家ではありません。福祉に詳しいわけでもありません。もちろん、勉強はしましたが、そのことについて何かを言える立場ではありません。

 ただ、“体当たり”というか、もう少し、直截的な表現を使えば、「しょうがいを持っている子どもたち」と、わたしは多く出会いました。そして、そのお父様やお母様にも、です。
 
 食事をフードプロセッサーでペースト状にしなければ食べられない子もいました。ひとくちずつ、平たいスプーンですくって、口に持っていき、顎を支えて、飲み込みを補助しました。

 言葉が話せない子が大勢いました。生まれてから、一度も、「ママ」「パパ」と言ったことが無い、という意味です。

 ある日を境に話せなくなった子もいました。徐々に話せなくなった子もいました。

 食事を日常的に、鼻に入れたチューブから摂取している子にも接しました。栄養価の高い液体を鼻から胃にむけて流していました。 

 車椅子はもちろん、寝たきりの子もいました。もちろん、“てんかん発作”も何度も見ました。車椅子のベルトや衣服をゆるめ、呼吸に留意し、時間とその様子を記録します。そういう訓練を受けましたし、自分でも練習していました。

 悲しい別れがありました。お子さんを亡くした、お父様やお母様にお会いしました。
 
 明るくて、楽しい職場でした。施設の廊下にはいつも歌が満ちていました。ブランコや、浅いプールや、子どもたちが楽しめる遊具がたくさんありました。

 わたしは、職場を、そして何より子どもたちを愛していました。

 (つづく

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08:受話器は緑色

2007年02月28日 07時23分02秒 | これまでのこと

 とにかく、ひととおりわたしの話を聴いたあと、先生がまずおっしゃったこと。『奥さんと…お子さんは…いる?』「え、いや、いないっすよ」一瞬の間が空く。え、何、この空気? 普段は鈍なくせに、ときどき“ビビっと”来てしまう、このわたし。

 ビビっと来ちゃいましたよ!「ひょっとして、奥さんと子どもがいたら、ちょこっと困っちゃうかなー系の何か?考えすぎ???」

 ……わたしが神経質になりすぎているのかもしれません。でも、後に出会う、現在の主治医の先生にも、初めてお会いしたとき、まず、「奥さんと子どもは?」って聞かれました。そして、やっぱり、微妙な“間”が……。あ、安堵っていうの? やっぱねぇ、いるよりいないほうが、問題はややこしくならないよねぇ……って、先生&俺安堵。ひー。

 えー、話を戻します。……続いてb先生がおっしゃいました。『すぐに入院です。ご両親を呼んでください』え~、これドラマみたいだよ!すげぇ!っていうか、入院? 先生、俺、スーツにネクタイ姿でしょ? これから仕事行きたいんですけど…。っていうか、明日も行っちゃダメ??? ずっと? その後は何をどうしてどうなって……記憶無し。

 覚えているのは病院の公衆電話。「お母さん。今病院にいるんだけど…来てくださいって言われちゃったよ……」モゴモゴしながら実家に電話しました。さすがの(?)オイラもペシャンコだよ。

 左手に持った受話器は緑色でした。細かいところ覚えすぎ!

 次の記憶は、父と母が病院に来てくれたところから始まります。入院だから…とりあえず、母が寝巻きとかタオルとか持ってきてくれたのかな。それから、スーツに茶色のコート姿の父。職場からダッシュで来ました、という感じ。母親はともかく(?)父親まで、あっという間に来てくれのが、嬉しかった。

 ……いろいろな家庭環境があると思います。だから、手放しでその喜びをここに書くわけにはいきません。でも……わたし個人としては、父と母がいて、そして、病院に駆けつけて来てくれたことが、ほんとうに嬉しかったです。

 お父さん、お母さん、ありがとう。

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07:“紹介状パワー”??

2007年02月27日 09時07分29秒 | これまでのこと

 ぶうぅぅん、ぶうぅぅん、駐車場のゲートをくぐって、B病院に到着。えー、事実上、これがシルビア君(写真)との“ラスト・ラン”になりました。いつ、けいれん発作が起こるか分からないので、もう車の運転はお控えください……っていうか、実際、しちゃダメ!ということになったからです。

 ……翼の生えた車に乗って、ゲートをくぐって、そのまま出られなくなっちゃったってことが「象徴的」だよねー、とか、その当時は考えて落ち込んだりしていました。

 でも、今では、そういうことはどうでもよくなって、毎週金曜日に『花より団子(TBS)』をHDDで予約録画して、あとでそれをこっそり“うふふ”って楽しんで観ることに興味関心が移行しています。

 つまんないこと考えるのは時間のムダ!!やっぱ人生は、楽しくなくちゃ。わたしがグリオーマ君から教わったことのひとつです。

 B病院、名前は知ってたけど、総合病院って感じだねー。診察とか、薬とか、会計とか、待ってる人がたくさんいるよ。こりゃ、けっこう待たされちゃうかもな……って、受付に紹介状見せたら、並居るみなさま押し分けて、あっという間に診察室へ。

 ひゃ~、VIP待遇(?)だよ、こりゃ。……なんだか、お待ちのみなさま、スイマセン。後に、もう2回体験することになる、この“紹介状パワー”。すごいねー。お得だねー。こんなところはお得じゃなくてもいいから!ひかえおろう~この紹介状が目に入らぬか~~。っていうか、一体、中に何が書いてあるの??

 わたしの診察を担当してくださったのは、b先生でした。

 まず、b先生にお会いして…それからMRI撮影したんだっけかな。そのあと、詳しいお話があったんだっけかな、ちょっと覚えてないのでそのへんはてきとーです。

……長くなりそうなので、次回!つづく!たぶん!

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06:初めてのCTスキャン

2007年02月26日 09時29分16秒 | これまでのこと

 自分の名前が呼ばれて診察室に入りました。a先生は、口がモゴモゴしているわたしの様子を見て、“発作で言葉が上手く話せなくなったのではないか?”と思われたようでした。
  
 ……いや、先生、そうじゃなくて、舌が痛くてモゴモゴなんですよ…っていう話がまたモゴモゴ……。なんとか事情を伝えました。

 先生はわたしの話を聴くやいなや、すぐに“脳のCTを撮ります”とおっしゃいました。

 え?CTって、あのテレビとかで、人間が輪切りで写ってるあのCTスキャン?? すげー、どんなかなー。……ごめんなさい。正直、そのときは、わくわくしていました。わたしは「メカ好き(機械類大好き)」なのです。

 実際には、CTスキャン撮影の記憶はほとんどありません。というか、似たような『人間が筒の中に入って撮影系』の医療機器では、後に体験することになるMRIの“衝撃”があまりにも大きすぎた…のだと思います。

 とにかく撮影が終わりました。写真(?)を見ました。

『分かりますか?この右脳の部分が白くなっていますよね?何であるかは今の段階では分かりません。とにかく今すぐ大きな病院にいってください。かかりつけの病院ってありますか?』

「え??いや、無いです」『じゃあ、ここから近いB病院に紹介状を書きます。行ってください』

「え?今すぐですか?」『今すぐです。』

 写真に写っていた“白い部分”はわたしが見てもはっきり分かるものでした。ぼわーっと白い楕円状の球みたいな。他の部分との境界は、視認することができました。

 a先生にお礼を言って、受付で紹介状をもらって……よっしゃ、行くぞ~!! 病院の自動ドアを飛び出したのはいいけど、B病院ってどこにあるの? あわてて戻って、受付のかたに聞いて……って、口がモゴモゴで話が伝わらねぇよ!!

 メモ帳を取り出して、ペンで「B病院ってどこにあるんですか?」……最近、部屋を片付けていたら、そのときのメモ用紙を発見。やっぱ焦っていたんだろうなー。だって、俺の車、カーナビ付いてたじゃん!

 ……今になって思えば、そのA病院に、「CTスキャン」があった、っていうのが、ラッキーだったのです。すぐに頭の中を撮ってもらえたからです。ふつう、小さな内科とかだと、なかなか無い……ですよね? 

 ダッシュで紹介状を書いてくださったa先生、それから道を教えてくれた受付のキレイなお姉さま、ほんとうにありがとうございました。先生の素早いご決断のおかげで、俺は、いや、わたしは余裕でピンピンしています。

 A病院、もう行くことないと思うけど、最初で最後の診察券、いつも、財布の中に入れてます。わたしのお守りです。

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05:最初のお医者様

2007年02月25日 00時11分11秒 | これまでのこと

 とりあえず、内科に行くことにしました。前に行ったことがある病院です。(後に知ったのですが、ふつうの内科だけではなく、「神経内科」という診療科目もある病院でした)

 行ったことがある、といっても、わたしが通院していたのではなく、わたしの知り合いのかたが通っていた病院でした。

 そのかたは、仕事に行くときにからだが重くなってしまったり、出かけるのがつらくなってしまったり……そういう悩みをお持ちのかたでした。

 「え、俺、車で送ってったげるよ」そんなわけで、おせっかいなわたしは、何回もその病院に行ったことがあったのです。

 内科っていっても、そういう“心”の病気系にも対応してるってことだよなぁ。待合室の雰囲気も良かったし……よし、決定~!! この時点で、まだわたしは、舌を噛んだ原因が、何か、心理的なものにある、と考えていました。

 病院は電車やバスで行くには、ちょっと不便なところにありました。ぶぅぅん、車で行きました。……あのー、今から思うと、危なかった……ですよね?? わたしひとりが事故るんならともかく、だれかを巻き込んでたら……サンキュー神様! ナイスジャッヂだったぜ!

 A病院に到着。初診だから、なんか変なアンケートみたいな紙、書きますよね? それはともかく、その……受付の人に話が通じないのです。舌が超絶痛いし、腫れちゃってるし、モゴモゴモゴ。

 ……ひょっとしたら、このブログを“言語しょうがい”をお持ちのかたがご覧になっているかもしれません。ごめんなさい。別にふざけて書いているわけではありません。当時の自分の気持ちを思い出して、正直に書いています。
 
 でも、わたしは、そのとき初めて知りました。ほんとにほんとに知りました。「言ってることが相手に伝わらないってこんなに大変なのか!」と、です。

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