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エジプトの人権侵害を問わない日本のメディア

2016-05-05 04:59:48 | 中東・アラブ諸国

エジプトの人権侵害を問わない日本のメディア

2016年04月08日(金)15時42分 Newsweek

強権的なエジプトのシーシ大統領は国内で人権を侵害し、アムネスティなど国際人権組織も批判しているが、

2月の来日時、日本メディアがその点を指摘することはなかった(2015年11月の訪英時のシーシ) REUTERS

人権組織から日本の外相への公開書簡

 アムネスティ・インターナショナル日本とヒューマン・ライツ・ウォッチが4月に入って岸田文雄外務大臣宛てに、エジプトの人権侵害に

対する懸念を憂慮し、日本政府にも懸念を表明するよう要請する公開書簡を出した。

 公開書簡によると、「エジプトではここ数か月の間に、人権NGOの財源に関する調査名目で

当局が複数のNGO関係者を召喚、尋問し、旅行を禁じ、個人や家族の財産を凍結しています」という。

 国際的な人権組織である両組織は、エジプトでの2013年7月の軍のクーデターや、その時に排除されたイスラム政治組織「ムスリム

同胞団」出身の民選大統領ムルシ氏ら数百人が裁判所で死刑判決を受けたことなどについて、たびたび人権違反として非難してきた。

【参考記事】強権の崩壊は大卒失業者の反乱で始まった【アラブの春5周年(上)】

 今回、両組織の日本の事務所は公開書簡の中で、「2月下旬、エジプトのエルシーシ大統領が訪日して安倍総理との首脳会談が実

現し、外務省は『我が 国とエジプト・アラブ共和国との親善関係を一段と深めるもの』と発表しています」と日本がエジプトのシーシ政権

との関係強化を図っていることを挙げ、「現 在起きているエジプト当局によるNGOへの弾圧を公に非難するよう日本政府に要請しま

す」としている。

 このような国際人権組織の動きは、軍主導のエジプト政府が、2011年のエジプト革命の後、民主的に実施された議会選挙と大統領

選挙で勝利したムスリム同胞団を排除しただけでなく、市民社会の要ともいえる人権組織への圧力を強めていることを示している。

チュニジアとは真逆に動くエジプトの情勢

 エジプトの状況は、昨年ノーベル平和賞を受けたチュニジアとは、真逆に動いている。

チュニジアでは、革命後に選挙で政権を主導したイスラム勢力 と、西洋的な富裕層の声や利益を代弁する世俗派勢力の深刻な政治

的対立を、「国民対話カルテット(4団体)」と呼ばれた市民組織が仲裁する形で、政治的な 融和を実現した。

その4団体とは、「チュニジア労働総連盟(UGTT)」と「産業商業手工業連合」という労使の代表と、法律家の集まりである「全国弁護士

会」、さらに人権組織の連合体の「人権擁護連盟」だった。

【参考記事】ノーベル平和賞のチュニジアだけが民主化に「成功」した理由

 エジプトで軍が富裕層の支持を得て、ムスリム同胞団を排除しようとするのは、政治闘争の問題である。

しかし、民衆に基盤を持つ同胞団を政治から排 除していては、エジプトの政治的な安定は現実的には困難に思える。

同胞団は2011年末の議会選挙では40%以上を得票して議会第一党となり、ムルシ氏も 2012年の大統領選挙決選投票で52%の

得票で当選しており、同胞団を排除するということは、国民のかなりの部分を政治から排除することになりかねな い。

昨年11月に行われた議会選挙で、投票率が革命後最低の28%台になったのは、その現れである。

「テロとの戦い」を口実とした政治弾圧

 エジプト政府は、同胞団の排除も、若者による民主化を求めるデモの排除も、「テロとの戦い」という口実の下に行っている。

シーシ大統領は2015 年8月に「反テロ法」を施行した。テロ行為については「力や暴力、威嚇、脅しを使って、公共の秩序を乱すこと、

社会の安全や利益を危うくすること、個人の 自由や権利を侵したり、国の統一や平穏や治安や環境や建造物や財産を損なったりする

こと、公共の権威や司法機関や政府機関などがその職務や活動の全部また は一部を実施することを妨害すること」と実に幅広く規定

している。

【参考記事】アラブ「独裁の冬」の復活

【参考記事】残虐非道のエジプト大統領がイギリスで大歓迎

 法案が公表されて以来、国際的な批判が噴出していた。特にテロの定義が曖昧だとして問題視された。

アムネスティ・インターナショナルやヒューマ ン・ライツ・ウォッチなどの国際的人権団体は、デモやストなど「市民的な不服従の行為」が

「テロ」と分類されかねない危険性を批判した。

実際に、デモやス トなどで政府の業務を妨げることは「テロ」と認識され、政府に抗議してデモやストを呼びかける声をメディアが報道す

れば、それも「公共の利益を害し、テロ への参加を呼びかける行為」とみなされることになりかねない。

 軍を背景とした政府の権力乱用を監視する役割を担う人権組織を排除すれば、ますます権力の歯止めが利かなくなる。

それによって市民社会はますます 力を失い、チュニジアで実現したような世俗派とイスラム派の融和の道も遠くなる。

それは決して、エジプトの利益にも安定にもつながらないだろう。
 
 エジプトの混乱は、エジプトだけの問題ではない。

政治的にはアラブ世界を主導する国であり、宗教的には世界のイスラム教徒の9割を占めるスンニ派の宗教 者を養成する権威機関

のアズハル機関(モスク、大学)があり、世界中から留学生を集めている。

もし、エジプトの国内が混乱していなければ、現在進む中東の 混乱やイスラム世界の分裂を克服するために重要な役割を担うことが

できる国である。

独シュピーゲル誌は大統領に厳しい質問

 シーシ大統領は2015年6月にドイツ、11月に英国を訪問し、欧州への外交攻勢に出た。2月末の訪日はその流れにある。

ドイツと英国への訪問に ついては、エジプトの人権状況に対する強い反発が、両国の市民団体から上がった。両国のメディアに批判

的な報道が出た。

それに比べて、日本ではシーシ大統 領の訪問について、エジプトの人権状況が問題になることもなく、

それを批判する報道もなかった。


ドイツでは、訪問前にカイロで単独インタビューをしたシュピーゲル誌が次々と厳しい質問をシーシ大統領に突き付けた。

「あなたはクーデターによって大統領職につきました。民主的に選ばれた大統領が、例えひどい大統領であっても力づくで倒されれば、

私たちはそれをクーデターと呼びます」

「(クーデター後の2013年8月、)ラバア広場で少なくとも650人のムルシ支持者が治安部隊によって殺されたのは虐殺です。

それは権力の乱用です」

「あなたの時代になって、抑圧はムバラクの時よりも一層ひどくなったと人権組織は言っています」

「あなたがムルシ大統領を排除した後、いまではシナイ半島に『イスラム国』系組織がいて、あなたの国の統一を脅かしていますよ。イ

スラム国とムスリム同胞団とはどちらが大きな脅威ですか」

 シュピーゲル誌に「クーデター」や「人権侵害」と言われて、シーシ大統領は「あなたは状況を明確にとらえておらず、だから、あなたの

理解は正しくない。あなたは私たちの経験をあなた自身の文化と文明から判断している」と反論した。

 さらに、カイロのラバア広場で座り込みのデモを続けていたムルシ支持者を治安部隊が武力排除したことを「虐殺」と言われたことに

ついて、シーシ大 統領は「座り込みデモは45日間続き、首都の主要な道路の一つが完全に麻痺しました。

私たちはデモ隊に繰り返し平和的に解散するように求めました。

私たち がしたことは、あなたの国でも認められるでしょう」と切り返した。

それに対して、シュピーゲル誌の記者は「ドイツの警察は実弾は撃ちません。催涙ガスや放 水をするかもしれません。ドイツであのよう

な虐殺があれば、内相は辞任しなければならないでしょう」と即座に応答した。


「圧制」はアラブ世界の古典でも批判されている

 余談になるが、シーシ大統領が人権抑圧の指摘に「西洋の文化と文明から判断している」と反論しているのを読んで、14世紀のアラ

ブの歴史家イブ ン・ハルドゥーン(1332~1406)による政治哲学の古典『歴史序説』の一説を思い出した。

「圧制は、権力を持った人々や政府によってのみ犯しうるも のであり、したがってきわめて非難すべきものである。しかしながら、いか

に非難を繰り返したところで、それは圧制を行いうる人々がみずからのうちに自制力 を見出すであろうという願いを込めうるにすぎな

い」(岩波文庫、森本公誠訳)と記している。

 アラブ世界では人権抑圧が認められているかのような印象を持つか人がいるかしれないが、イスラム・アラブ世界にも、「圧制」を禁じ

る考え方はある ということである。

人権には、激すれば殺し合いにまで発展しかねない政治闘争に人間社会としてのルールを与えるという意義がある。

ただし、一国の政治について、外から非難してもそれには限界がある、ということはイブン・ハルドゥーンから700年たった現代でも同様

である。人権 組織の活動は市民から権力者に権力の乱用に自制を求める動きであるが、エジプト政府が、それを排除すれば、権力

者はますます自制力を失い、国内の政治的な 分裂を修復する契機を失うことになりかねない。

「テロとの戦い」で人権が犠牲になれば、政治は圧制となり、国民から乖離し、さらに混乱が進みかねない。

 民主主義がない国では、秘密警察による政治犯の弾圧と、拘束者に対するひどい拷問によって、過激派組織が生まれてくることも知

られている。

人権が守られていることは、政治の健全性とともに、有効性を保つ上でも不可欠である。

 シュピーゲル誌がエジプトの人権問題についてシーシ大統領を執拗に追及しているのを見ると、エジプトに対する関心を超えているよ

うに思える。それ はシーシ大統領を招待しているドイツ連邦政府の立場と異なることは明らかだ。

考えられるとすれば、シュピーゲル誌が背負っているのは、第二次世界大戦でナ チズムを経験したドイツの市民社会の人権意識であ

ろう。ドイツにとって人権はきれいごとではなく、自分たちの社会と生活の死活問題にかかわっているという 切実感がにじんでいる。

 メルケル首相はシーシ大統領との会談後の記者会見で、ドイツとエジプトには「平和と治安」など共通の利害があることを強調しなが

らも、「私たちの 間には異なる意見もある」として死刑の問題を例として挙げ、そして、「パートナーとして複雑な問題を解決するとして

も、(異なる意見についても)話し合う ことができるようにしなければならい」と語った。


英ガーディアン紙はシーシ訪問に苦悩がにじむ社説

 11月にシーシ大統領が訪問した英国でも、BBC(英国放送協会)は「シーシの英国訪問で人権問題が脚光を浴びる」という見出しで、

クーデター 後、2011年の民主化運動で有名になった4月6日運動のリーダーやブロガーがデモ規制法に反対して有罪判決を受けて

いることや、ムルシ元大統領の支持者 1000人が治安部隊に殺害されたことなど、人権問題を挙げる記事をカイロ発で報じた。

 英国の有力紙ガーディアンはシーシ大統領の英国訪問について「長いスプーンを使って食事をせよ」と題する社説を掲載した。

これは「悪魔と食事する時は長いスプーンを使え」ということわざに基づく表現で、「危険な人物に対する時は用心せよ」という意味にな

る。

社説では「シーシ氏が2013年夏のクーデターの後、政権についてから、数百人の政治的な反対者が死刑や終身刑の判決を受けた。

2年前にカイロのデ モで1000人以上が死んだことについて誰も責任をとっていない。

軍事法廷が拡大されており、ジャーナリストが捕らえられ、裁判にかけられる。

NGOの活 動は厳しく制限されている」と、エジプトの人権侵害を挙げた。

 そのうえで、「中東が急速に混沌としていく中、英国やほかの欧米諸国がシーシ大統領と連絡のチャンネルを持つことには意味があ

る。欧州諸国が暴力 的なイスラム過激派のネットワークや難民問題の解決策を見いだすためにも、エジプトはトルコと同様に必要不可

欠な対話の相手である」と書く。

 社説でシーシ大統領との対話に対して「用心せよ」と書くのは、「問題はシーシ氏と話をするかどうかではなく、どのように話がなされ、

何が話される かである。シーシ氏が(西側に)受け入れられたことが、その権力乱用の行動も認められたととられかねない危険があ

る。そうなれば、シーシ氏が普遍的な価値 を踏みにじっているだけでなく、西側が恐れる不安定化を作り出しかねない危険がある」とい

う緊張感をはらんだ問題意識があるためだ。

 社説の結論はこうだ。「会談している部屋の外で抗議している人々と、中でシーシ氏と対話している指導者たちのどちらも、独裁的な

行動を前にして(抗議者の)一面的な憤慨に陥ってはなってはならないし、かといって(政治指導者の)ひとりよがりの満足であってもな

らない」

 ドイツのメディアも、英国のメディアも、シーシ大統領の自国への訪問を前に、言論機関としてどのように対応するのかを苦悩した跡が

明確に感じられ る。

それに比べて残念なのは、シーシ大統領の来日に際して、日本のメディアにそのような問題意識が感じられなかったことである。

エジプトで起こっているこ とは日本から遠いからだろうか。しかし、シュピーゲル誌が必死で人権問題でシーシ氏に食らいついたのが、

エジプトの人権問題が他人事ではないという思いか らだとすれば、日本もドイツと同様に戦前には人権が蹂躙された経験を持つ。

市民社会に対するメディアの問題意識の希薄さ

 言論の自由の問題は日本でも、いま問題となっている。

シーシ大統領の来日前に、日本では高市早苗総務相が、放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り 返した場合に電波停止を命じる可

能性に言及した問題が出ていた。

高市氏が自身のコラムで、放送法に抵触する具体例として、「テロリスト集団が発信する思想 に賛同してしまって、テロへの参加を呼

び掛ける番組を流し続けた場合には、放送法第4条の『公安及び善良な風俗を害しないこと』に抵触する可能性がある」 を挙げたこと

も報じられた。


日本人は、放送局が「テロへの参加を呼びかける」ことなどありえない、と思うだろう。

しかし、エジプトの状況を見れば、「テロ」の概念はいくらでも 拡大できることが分かる。

2013年にはクーデターに反対する座り込みデモが「テロ」として武力排除の対象となった。

昨年制定された「反テロ法」のように テロの定義はあいまいなうえに広範で、デモやストなどの「市民的不服従」の行為さえ、「テロ」とみ

なされかねない危険が指摘されている。

エジプトの現実を 見ているならば、強権体制に対する抗議のデモを報じて、参加者の言い分を報道すれば、「テロへの参加を呼びかけ

る」とみなされかねない「テロとの戦い」の 危うさを指摘できたはずである。  

エジプトが重要な国であり、日本の首相がシーシ大統領と対話する必要性があることは疑いない。

しかし、シーシ大統領を迎えた安倍首相には、ドイツ や英国の首相のような緊張感は感じられなかった。

ガーディアン紙の社説にならえば、政治指導者の「自己満足」だけがあった。

日本のメディアが人権問題につ いて触れないのだからやむを得ないことである。

エジプトがどうかという前に、日本の市民社会に対するメディアとしての問題意識の希薄さと考えざるを得な い。