「アラブの春」教訓に中東で民衆の抗議拡大
デモ隊は「泥棒政治」と汚職を終わらせるという要求の下に結集
2019 年 10 月 31 日 13:09 JST WSJ By Dion Nissenbaum
【ベイルート】アルジェリアからイラクに至るアラブ諸国では、継続的な抗議行動が次々に広がり、
確固たる地位にあった各国の指導者を動揺させている。変革要求に屈して退場する指導者が増え、
この地域の活動家は新たな高揚感の中にある。
国家を食いものにする「泥棒政治」と汚職を終わらせるという要求の下に結集したデモ参加者は、
これまでのところ、暴力的な制圧や政治家の自粛要請にもかかわらず、新たな混乱の時代をあおり
立てようとしている。彼らは「アラブの春」の教訓を生かして、活動の焦点を改革に絞り、これまで
シリア、リビア、イエメンなどで見られたような、期待に満ちた民衆の蜂起が内戦に発展するという
落とし穴を避けようとしている。
ロンドンの独立系シンクタンク「チャタム・ハウス」で、中東・北アフリカ・プログラムのトップを
務めるリナ・カティブ氏は「今われわれがアラブ世界で目にしているのは、2011年のアラブの春の
続編だ。この地域全体に広がっている民衆の抗議行動で求心力になっているのは、人々が既に恐怖の
壁を打ち破ったという事実だ」と語る。
最も新しい犠牲者は、レバノンのサード・ハリリ首相だ。支配階層の息子で苦境にあえいでいた
ハリリ氏は29日、政治腐敗に抗議する過去2週間の全国規模の抗議行動を受けて辞意を表明した。
ハリリ氏の辞任は、今年に入ってアルジェリア、スーダンで長期政権を維持していた指導者が退陣を
強いられたのに続く動きとなる。
現在厳しい状況にあるのは、イラクのアデル・アブドルマハディ首相だ。首相が指揮する治安部隊は、
全国規模の抗議行動鎮圧のために実弾、催涙ガス、ゴム弾を使用。これまでに200人以上の死者を
出しており、政治的な支持を急速に失いつつある。
この地域のデモ参加者は、経済を中心とした各国特有の要求を掲げる中で、それぞれに異なる障害に
直面している。特にレバノンでは新たな抗議行動が、通常は宗教、人種、貧富の差などで分断されて
いる人々を結び付けている。
ベイルート市街のムードは、2011年のアラブの春に吹き抜けた歓喜と似通っている。
アラブの春では、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンの独裁的な指導者が権力の座を追われた。
しかしアラブの春の歓喜はその後すぐに、「アラブの冬」と呼ばれる不安定な季節に取って代わられた。
前出のカティブ氏は「2011年の抗議行動が、この地域の政治システムの迅速な変化につながる
ことを多くの人々が期待した」と指摘。「しかし、民主主義は一夜にして誕生するものではない。
固定化された政治システムを短期間で根本的に変えることはできない。この地域全体は、依然として
目覚めの時期にある。政治の変革は直線的には進まないからだ」と述べている。
それが最も明確に示されたのがエジプトだ。同国ではアラブの春の際の大規模な抗議行動によって、
ホスニ・ムバラク大統領の30年間にわたった統治が終わった。エジプト国民はその後、ムスリム
同胞団の指導者のムハンマド・モルシ氏を大統領に選出した。国内の二極化をもたらしたモルシ
大統領は、2013年の軍事クーデターで失脚。アブデルファタハ・シシ将軍がこれに取って代わった。
その後、シシ大統領は、権力の掌握を強め、相次ぐ反政府の抗議活動を弾圧、何千人もの人々を拘束
している。一部の拘束者は、拷問を受けたことを明かしている。
アラブの春はおおむね、恐怖と威嚇で権力を維持する独裁的な支配者を倒す取り組みと定義されていた。
現在、レバノンおよびイラクで続いている抗議行動は、政界にまん延する汚職の撲滅を求める声に
焦点を合わせたものだ。政界の汚職により、選ばれた指導者に対する信頼感は低下している。
レバノンでの一連の抗議行動は、スマートフォンアプリのワッツアップによる通話への課税案が
きっかけになったが、経済的な失態の象徴だとみられている。市民の間には、政府が何十年で最大の
山火事の拡大を阻止できなかったことへの不満もあった。
イラクでは、歴代の政府が石油からの膨大な富を分配して、力強い経済を生み出せないことへの不満が
挙げられていた。
レバノンでは30日夜、何万人もの活動家が街頭に再度繰り出し、経済・政治・社会および環境面の
改革を迅速に実行できるテクノクラート主導の政府を樹立するよう要求した。
レバノンのある活動家はハリリ首相の辞任について、腐敗したシステムの一角を排除する動きだと
表現し、「われわれは徐々に制度を壊していく必要がある」と話した。
ミシェル・アウン大統領は30日、ハリリ首相の辞任を正式に受け入れ、大統領が新たな連立政府の
樹立を試みる間は、ハリリ氏が限られた権限の下で暫定政府を監督すると述べた。
それは気が遠くなる作業だ。レバノンは何十年にもわたり、主要ポストをキリスト教、イスラム教
スンニ派とイスラム教シーア派の間で分け合う、脆弱な権力分散システムに特徴付けられてきた。
これらの地域的な抗議行動は、トランプ米大統領に難題を突き付ける。トランプ氏は中東への
関与縮小を試みているが、成果は限定的だ。トランプ氏は米軍のシリアからの全面撤退を何度も
試みているが、同盟国や国内の政治家から中東地域における米国の影響力が薄れるとの批判を受けて、
後戻りしている。トランプ氏は中東での「終わりなき戦争」を激しく批判しているが、イランの影響力に
対抗するため、サウジアラビアに派遣する米兵の数を増やしている。
アラブの春の間、オバマ政権はデモに対する一貫したアプローチを取ることできず、さまざまな
ツールを使ってエジプト、シリアおよびリビアの独裁者に退陣圧力をかけた。
米国の超党派シンクタンク大西洋協議会のノンレジデント・シニアフェロー、ジャスミン・
エルガマル氏は、今回は米国が政治的にどちらの側につくかを選ぶのではなく、政治構造を強化する
ことに焦点を当てるべきだと指摘する。同氏はオバマ政権時代に国防総省の中東アドバイザーとして
働いていた。
同氏は「中東で今起きていることを、大きな警鐘として捉えるべきだ。これら一連の抗議行動から
われわれが学ぶべきことは、自分を選んでくれた人々を意のままに操ったり、起訴したり、
恥をかかせたりして、何のとがめも受けずに済ますのは不可能だ」と話した。
トランプ政権は抗議行動の参加者を支援するためさまざまな度合いの支援を行ってきた。
ハリリ首相が29日に辞任した後、ポンペオ米国務長官は「安定と繁栄と安心をもたらし、市民の
要望に応えるレバノンを実現する新政権の樹立」を求めた。
ポンペオ氏は「過去13日間にわたる平和的なデモ活動と国民の団結姿勢の表明は明確なメッセージを
伝えた」と指摘。「レバノンの人々は効率的で有効に機能する政府、経済改革、そして地域にはびこる
汚職の廃絶を求めている」と述べた。
イラクでは、アブドルマハディ首相が、自身の辞任は同国の根深い構造上の問題解決には何ら
役立たないとして辞任圧力に抵抗を示している。しかし、同氏に対する政治的な支持は低下しており、
暴力的なデモ弾圧は逆効果をもたらしているようにみえた。一部政府当局者は、同氏の辞任は不可避と
みている。
あるイラク当局者は「辞任するかどうかではなく、むしろ、いつ、そしてどのような形で辞任
するのか、という問題だ」と語った。
首都バグダッドにあるタハリール広場には30日、国旗を振る何万人もの市民が政府の外出禁止令を
無視して押し寄せた。タハリール広場から政府施設や各国大使館などが多くある旧米軍管轄区域
「グリーンゾーン」につながる橋では、治安部隊がフェンスを破壊しようとするデモ隊に対し、
催涙ガスを発射した。
イラクでのデモは16年前に米国をはじめとする有志連合が同国に侵攻して以来、反対勢力による
最大の抗議行動となった。暴力的な措置に直面したにもかかわらず、抗議行動への参加者はダンスや
歌により、レバノンで見られたようなお祭り騒ぎのような雰囲気を再現しようとしていた。
抗議行動では、その場に似つかわしくないような幼児向けの歌「ベビーシャーク」(ユーチューブを
通じ世界的にヒット)も応援歌に使われていた。
これら地域での抗議行動は、中東のもう1つのパワーブローカーであるイランに対してもまた、
難題を突きつけるものだった。
米国とイスラエルはサウジアラビアや同地域のその他同盟勢力とともにイランの影響を封じ込めようと
努めている。しかし、イラクやレバノンでの住民たちによる抗議活動は、市民の怒りの方がイランの
力を弱体化させる上で、より効果的なものになる可能性を示唆している。
両国でのデモ参加者はイラン政府からの圧力を寄せ付けず、抗議活動の際、イランへの反対姿勢を
表明した。レバノンでは(イランが支援する)シーア派組織ヒズボラの指導者ハッサン・ナスララ師が
市民に対し、現政権を支持するよう呼び掛けた。現政権の閣僚にはヒズボラ・メンバーも参加している。
ベイルートの中心街でデモ隊のメンバーがナスララ師の発言を明確に無視すると、ヒズボラ支持者たちは
棒を持ってデモ隊を攻撃した。
30日にはイランの最高指導者アヤトラ・アリ・ハメネイ師がイラク、レバノンでの抗議行動について、
米国、イスラエルを含むイランと敵対する勢力がツールとして利用しているとの陰謀説を主張した。
ハメネイ師はツイッターで、「これらの人々の要求は正当化できる」と表明。「しかし、それらの
要求は自国内の法体系、および制度の範囲内においてのみ実現されるものだ。国家の法制度が破壊
されれば、いかなる行動も実行されることはあり得ない」と強調した。