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<ウクライナ>日本とウクライナ・・・「積極的平和主義」を掲げる安倍政権のウクライナ支援

2019-12-11 09:49:03 | 外交・海外支援

 日本とウクライナ・・・「積極的平和主義」を掲げる安倍政権のウクライナ支援

https://synodos.jp/international/21013

 

2018年は、日本とウクライナが1992年に国交を樹立してから、26周年を迎える。昨年2017年は、

「ウクライナにおける日本年」とされ、両国の関係は徐々に深まってきている。

また、主要外交戦略として「積極的平和主義」を掲げた日本は、ロシアによるクリミア半島の併合と

ウクライナ東部での軍事活動を受け、ウクライナに対して積極的に政治的かつ経済的な支援を行う

ようになった。

 

日本がウクライナという遠い国を支援している理由は何なのか、日本とウクライナとの関係の

緊密化はグローバルな文脈でどのような意味があるのかと思う人もいるだろう。日本とウクライナとの

関係の歴史に触れ、国際政治の文脈において、その二つの質問に答えてみたいと思う。

 

 

100年以上続く日本とウクライナの関係

 ウクライナは日本人には「穀倉の地帯」や「チェルノブイリ事故があったところ」などとして

知られているが、日本人とウクライナ人は20世紀の初めから交流があったことはご存知だろうか。

当時のウクライナはロシア帝国の一部であったが、1902年から1934年まで現在のウクライナの

オデッサ市には日本領事館があった。

 

また、20世紀の初めにロシア極東に移民したウクライナ人は、満州にも移動し「緑のくさび

(緑ウクライナ)」と言う名の植民地を成立させた。そこで日本人との交流が開始され、政治的な

理由などから、ウクライナ人の文化的な活動は日本人にとても歓迎された。

それに限らず、日本とウクライナには多くの文化交流があった。1910年代から1920年代にかけて、

ヴァスィリー・エロシェンコというウクライナ詩人が日本に住んで活躍していた。また、後に日本の

第47代総理大臣となる芦田均は、1917年にウクライナを訪れ、「革命前夜のロシア」という

回想録を残している。

 

第二次世界大戦後、日本とウクライナとの人的交流はさらに緊密になり、1965年にはオデッサと横浜、

1971年にはキエフと京都が姉妹都市となった。

1986年にチェルノブイリ事故が起きた後、ウクライナ人は日本の民間基金から援助を受け始め、

現在まで続くとても重要な二国間協力が始まった。

 

 ウクライナ独立後の日本とウクライナとの関係

ウクライナは1991年に独立し、1992年に日本と公式に外交関係が成立した。

1993年には、在ウクライナ日本大使館が、1994年には在東京ウクライナ大使館が開設された。

その当時、日本のウクライナに対する政策は、旧ソ地域における戦略の一環となっており、核兵器の

廃棄をめぐる支援と経済援助を主な協力分野としていた。

 

1995年には、クチマウクライナ大統領が訪日し、首脳レベルでの政治的対話が開始された。

オレンジ革命を経たユーシチェンコ大統領も2005年に日本を訪れ、ウクライナの民主的な

イメージを広めた。

1996年には池田行彦外相、2004には川口順子外相がウクライナを公式訪問した。このような

交流の結果、二国間関係の基盤が整備され、ウクライナに日本の政府開発援助が提供されるようになった。

 

2006年、日本は「自由と繁栄の弧」という外交の新機軸を発表し、「GUAM(注1)+ 日本」が

設立された。その結果、日本とウクライナはともに民主国家として協力する体制がさらに強化された。

2006年麻生太郎外相がウクライナを訪れ、2011年にヤヌコビチ大統領が日本を公式訪問し、

「グローバルなパートナーシップ」に関する共同声明が署名された。

また、東日本大震災と福島第一原発事故が起きると、ウクライナ政府は日本に放射線測定器や

防護マスクなどを送り、ウクライナの放射能学者から日本に対して知識の共有が始まった。

 (注1)ジョージア、 ウクライナ、アゼルバイジャンとモルドバの4カ国による国際機関。

 

 

転機となったクリミア危機

 このように徐々に深化してきた日本・ウクライナ関係だが、二国間関係が一番緊密になったのは、

2014年に勃発したクリミア危機の後である。日本政府はウクライナにおけるロシアの行為を批判し、

ウクライナの主権および領土の一体性をサポートした。また、ロシア連邦によるクリミア半島の

一時的占領を認めず、ロシアに対する制裁を導入した。

 

さらに、G7でウクライナについての議論をリードし、ロシアを侵略国とする国連総会決議を支援した。

具体的には、日本は「ウクライナの領土一体性」に関する2014年3月27日付の国連総会決議、

「クリミア自治共和国とセヴァストポリ市(ウクライナ)における人権状況」に関する2016年

12月19日付の決議、および2017年12月19日付の改正バージョンを共同提案国として支持した。

 

ウクライナへの侵攻が始まって以来、日本はウクライナに対し、民主主義の強化、国内改革の推進、

クリミア半島、ドネツク州、ルハーンシク州 からの国内難民への支援、インフラの改善、

産業施設の近代化などを目的として、金融、技術、人道的支援を積極的に行ってきた。

2014年以降、日本政府はウクライナに対してクレジットを含めて約18億ドルの支援を提供した。

 

首脳会談に関しては、2015年に安倍首相は初めて日本の総理大臣としてウクライナを訪問し、

2016年にウクライナのポロシェンコ大統領は日本訪問を行った。

 

両国に大きな意味を持つ日本のウクライナ支援

こういった日本のウクライナへの包括的な支援は、とても大切なものだ。まずウクライナにとって、

現代の大国の一つである日本の支援を受けるのは、クリミア半島の返還、経済的な回復および

ウクライナ東部での人道危機の予防にきわめて大きな意味がある。

 

一方、日本にとっては、ウクライナを支援することに、どうような意義があるのだろう。

第一に、それは日本の新しい政策の成果であると言えよう。

 

第二次世界大戦後、日米同盟が成立し、日本は安全保障の対米依存、経済通商の重視および軽軍備の

要素からなる吉田ドクトリンを導入した。それは日本の国際社会への復帰と経済発展に大きく

貢献したが、国際舞台における日本の存在感の薄さに繋がった。

1957年、日本は「国際連合中心」「自由主義諸国との協調」および「アジアの一員としての立場の堅持」

という外交の三原則を打ち出した。だが、実際には冷戦が終わるまで、「自由主義諸国との協調」

とは対米協調であり、対米関係は日本外交のもっとも大事な課題となっていた。

 

ソ連の解体によって二極システムが崩壊した結果、日本外交の地平が拡大し、日本の首脳は新たな

外交の戦略を立てるようになった。

そこで、安倍首相がはたした重要な役割を強調したい。

2006年に「自由と繁栄の弧」、2013年に「積極的平和主義」というコンセプトが発表され、

日本が国際平和に積極的に関与する政策の実現を図るようになった。そうした考え方を背景にして、

新たな戦略が実現した結果としてウクライナ支援につながり、日本がグローバル・パワーとしての

地位を再確認する機会となったといえよう。

 

第二に、日本はウクライナとの関係の強化によって、ポスト・ソヴィエト地域における政治的な

プロセスの理解をより一層深めることになるだろう。関係強化を通じて、ウクライナのヨーロッパとの

長い歴史的関係性が明らかになり、日本はウクライナを旧ソ連ではなく、東欧国として扱うことに

なるに違いない。最近の「深化した包括的自由貿易協定を含むウクライナとEUとの連合協定」や

「ウクライナ人のヨーロッパへ行く際の短期滞在ビザの撤廃」は、それに大きく貢献している。

 

また、ウクライナを含めたポスト・ソヴィエト地域における民主化を支援することで、日本は

地域全体を安定させる大事な役割を果たしている。途上国における民主主義の定着で中心的な

役割を担っているのは、政府開発援助である。

 

2017年に日本の政府開発援助の実施機関である日本国際協力機構(JICA)の北岡伸一理事長は、

初めてジョージア、アルメニアとウクライナを訪問し、ジョージアおよびウクライナにJICAの

支所が開設されることになった。ポスト・ソヴィエト地域における日本の国家機関のインフラ

の拡大および民主化の支援、またウクライナとの関係のさらなる強化は、日本の国益にかない、

国際社会においてバランスの取れた外交政策を行う能力を確保するだろう。

 

第三に、ロシアによるクリミア半島の併合を受けて、日本は対ロシア制裁を導入し、ウクライナの

領土一体性および主権を支援することで、現在の国際秩序を維持した。領土問題を抱えている

日本にとっては、武力行使による国境変更を認めないという国際的な立場を成立させることは

とても重要だと言えよう。

 

 

グローバルな文脈における二国間関係

 ウクライナと日本との関係をグローバルな文脈の立場から見ると、以下の意味合いがある。

第一に、両国は法の支配、言論の自由、市場経済といった民主主義的な価値観を共有している。

とくに、ロシアによるクリミア半島の一時的占領を、法の支配に基づく国際秩序への挑戦とし、

その平和的解決に積極的に努力している。

 

第二に、原発事故を経験したウクライナと日本は(また、日本の場合、原爆の経験もあり)、緊密に

協力しながら「核なき世界」を達成しようとしている。そして、原発事故を処理するという経験を

持っているこの二つの国は、原発事故へのその後の対応を推進するための協力を促進している。

 

第三に、ウクライナと日本はさまざまな国際問題に取り組んでいる。たとえば、ウクライナ外務省は

北朝鮮による核実験およびミサイル発射につき、北朝鮮に対する強い非難をいち早く表明し、

両国が緊密に連携していくことで一致している。また、ウクライナと日本は、国連安保理改革の

実現のため全力を尽くしている。

 

このような理由から、ともに普遍的価値観を重視している日本とウクライナは、両国の国益に

もとづく二国間関係の安定的な発展およびさらなる強化に関心がある。

政治的な場面での協力を維持しながら、投資、インフラ、農業、省エネ、文化、国際協力など

分野での交流がいっそう積極的になり、ウクライナと日本は戦略的なパートナーシップに

向かうことになると期待される。

それは世界平和の強化にポジティブな影響があり、ヨーロッパとアジア太平洋地域との接近および

民族間の国際理解の深化に繋がるだろう。

 


 
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