歯科医物語

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中日・吉見一起投手 引退

2020-11-05 20:17:46 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
今季限りで現役を引退する中日・吉見一起投手(36)が5日、ナゴヤドームで引退会見を行った。  「精密機械」と評されるコントロールを武器に3年目の09年から台頭。リーグ2連覇の11年は2度目の最多勝と最優秀防御率の2冠に輝き、落合政権の黄金期を支えた。13年に右肘にメスを入れ、近年は常にけがと戦いながら投げ続けた。  プロ15年目の今季は開幕ローテを勝ち取り6月27日の広島戦(ナゴヤD)では5回1失点で白星もマーク。しかしその後はふるわず、今季は4試合1勝2敗、防御率5・71と苦しみ、今月1日に現役引退を表明した。  印象に残っている試合は複数挙がったが、昨年6月のナゴヤドームで日本ハム・金子との投げ合いを振り返り「昨年日本ハムと対戦して僕がずっと尊敬している、追いかけている、困ったらいつも相談する金子さんと投げ合えたのは、一つのご褒美かなと思っている」と明かした。  6日のヤクルト戦(ナゴヤD)が引退試合になるが「間違いなく最後なので。最後ぐらい楽しみたいなと思っている」と意気込んだ。  以下、一問一答  吉見投手あいさつ  「お疲れさまです。本日はお集まりいただきありがとうございます。今年をもちましてプロ野球生活を引退したいと思います。色々な思いはありましたが、引退ということに決めました。15年でしたがいい思いもでき、苦しい思いもしましたが幸せな15年間でした」 ―引退決断の理由 「最近なんですけど、自分の立ち位置。1軍に上がれない葛藤。そういうものを客観的に見つめ直して、まだ現役をやりたい気持ちはあったんですけど来年、仮に続けたとしても同じ事を繰り返すかなと。それなら違う道に早く進もうと、(10月)30日に決めた」 ―相談は 「妻1人ですね。子どもがいない前で1か月ぐらい相談して決めた。何度も『今年ダメだったら終わり』と言ってきた。大きなけがもした。いつやめてもいいように、後悔ないようにやったほうがいいと言ってくれていて。伝えたときは『わかった』の一言でした」 ―子どもにも伝えたが、どんな反応 「長男が小学5年なんですけど、野球のこと理解してますし『そうなんだ』と。さみしそうな顔していた」 ―悔いは? 「悔いはないです。後悔はある。(後悔は?)振り返ればたくさんある。もっと練習しておけばよかったとか、何であのボールを選択したとか。言えばきりがない。振り返ればああしておけばよかったというのはある」 ―後悔はどんな場面 「けがしたときですね。そこでストップしておけばよかったかなと。多少無理して、2桁勝ちたいという思いがあった。それを継続したいというのがあった分、無理した。そこでストップしていれば違う人生だった。ただ、これも人生。それも自分で受け入れている、吹っ切れている」 ―引退報告する中で印象に残った言葉は 「お世話になった方には報道が出る前に連絡入れた。和田(一浩)さんから『自分で選べるんだから幸せだよ』と言われた。和田さんは『やめろ』と言われた。自分で選べたので、野球人としては幸せ。その通りだなと」 ―落合博満さんに報告は 「『早いよ』と言われた。自分が引退する理由を述べて、『自分で決めたならいいんじゃない』と。自分は野球を続けたかったが、違う目的があるので、早くシフトチェンジしたつもりと答えた」 ―恩師や指針になった言葉は 「まず(1軍で)投げ始められたとき全て先輩だったんですけど、一人一人かけていただける言葉がありがたくて。入団してすぐ森(繁和)さん、谷繁さんに『お前が生きていく道はこれだよ』と教えて頂いた。それを実行しなかったんですけど、プロ生活が進むにつれて、これでは生きていけないと思って今がある。他チームの強打者と勝負するなかで痛感した」 ―それとは? 「僕はコントロールにしかこだわってない。ストライクゾーンの低めで勝負しないといけないんだよ、と。ゴロヒット、ゴロアウトはOK。フライヒット、フライアウトはお前の責任と言っていただいていた。それを2人から教えていただいた」 ―吉見にとってコントロールとは? 「自分でコントロールいいとは思ってない。120球投げても数球しかいってない。コントロールで生きていこうという中で、駆け引きだったり、打者を見たりその時の空気読んだり、目に見えない対戦というのがある。それが上達というか、自分のものになった。それはコントロール意識してから」 ―貫いたもの、信条としたものは 「こだわってきたのはゲームの空気を読む。ホームまでの18・44(メートル)の空気を読むというのは、決して速いボール投げられるわけでも、すごい変化球あるわけでもない。見比べても見劣りするのは事実なので、そこはこだわってきた」 ―見劣りするなか、5年連続勝てた理由は 「当時最高の仲間がいたからかなと。助けてくれる仲間、打ってくれる仲間。使ってくれた指導者。大きいのは谷繁さんの存在。(どんな存在?)野球を一から教えていただいた。質問してもちゃんと教えてもらった。谷繁さんがいなければ僕の白星はこんなになかった」 ―今年、金子と自主トレもした 「正直、今年を迎える前に今年が最後になるかなと思っていた。後悔したくなかったのでトレーニングをお願いした。超一流は、うちの大島もそうだけど準備がすごい。センスだけで野球やってると思ったが、うちの球団にいたとしても一番準備するのを感じた2週間だった」 ―今後のドラゴンズに期待すること 「ドラゴンズは強いです。本当に強くなってる段階。勝ち方を知れば、もっと勝てるし、もっと簡単に勝てる。ただ勝つだけじゃなく、もっともっと自分を知ってもらいたいなと。自分を知って、何をするべきなのか分かればもっと成長できる。いいところは続けてもらって、余裕があれば自分を知ることを興味持ってもらいたい」 ―15年のプロ野球人生だった 「てっぺんも底辺も見れて、貴重な、ずっーと活躍できることがいいんですけど。でも両方見れたということは野球以外でも生きるし、今後の人生に生きる。15年が長いか短いか分からないんですけど、入団したとき、エース川上さんがいて、みんな150キロ投げて『えらいところにきたな』と。よく15年できて90勝つことができて、本当にいい野球人生だった」 ―引退したら何する 「とりあえず自分の中で準備を大事にしてきたので、それしなくていいと思うと、気が楽なのでゆっくりしたい」 ―ファンに 「いいときも悪いときも温かい声援を送っていただいた。ファンがいるといないでは全然違います。ファンの声援があって僕たちは100パーセント以上の力が出せる。本当に温かい声援ばかりだった。送っていただいて、ありがとうございました」 ―見たくない打者 「走者のいる場面でのDeNA・ラミレス監督。(理由)トップレベルだと思うし、駆け引きがすごく楽しかったんですけど、それが読まれているかのように、たくさん打たれた。走者いるときは受けにまわっていたかなと」 ―吉見が苦しい中で貫き通せたもの 「年を重ねるにつれて、自分を客観的に見ることができた。俯瞰して見れたというか。自分を見つめると、辞めどきはたくさんあった。働けたのは5年だけだった。やっぱり野球が好きなのかなというのもある、勝ちたい、チームで一番になりたい、金子さんに負けたくない、内海さん、マエケンに負けたくないという思いがあったので、ここまで続けてこられた」
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