歯科医物語

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イギリス人ジャーナリストが フェミニズムの観点からジブリ作品を紐解く by ELLA ALEXANDER

2020-02-16 05:17:00 | ☆BD・MANGA・ILLUST.ANIME
ハリウッドがまだ、女性たちに対して大きな問題を抱えていることは重い事実だ。ここ数年間で、#MeToo運動の誕生によって進展してきたが、2019年に女性にセリフのある役が与えられたのはわずか34%(1%の減少)。さらに苛立たしいのは、2018年から2019年で最高の興行収入を挙げた女性の主演映画のパーセンテージは9%も上昇しているのだ。それは歴史的に見れば40%という高さに達する。



女性のキャラクターたちは存在する――声を上げられないだけだ。スクリーン、カメラの裏側、映画界に多くいる女性たちは見られることがあっても、聞かれることはなかったのだ。

それはアワードシーズンでも見てとることができる。グレタ・ガーウィグの『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』や、マリエル・ヘラーの『ア・ビューティフル・デイ・イン・ザ・ネイバーフッド』、そしてローリーン・スカファリアの『ハスラーズ』など、高い評価であるにも関わらず、女性の監督はオスカーや英国アカデミー賞、両方に無視される。これらの女性は貴重な像を持ち帰ることがないばかりか、ノミネーションさえされていなかった。

そのような露骨な性差別は、ネットフリックスにスタジオジブリの映画が到着したこと(日本・アメリカ・カナダを除く世界約190カ国で)がなぜそれほど重要なのかということに結びつく。美しく作られた、複雑な栄光をもつ女性たちにスポットライトをあてた心温まるオリジナルのアニメーション映画は、多くの映画製作者に全く及びもしない基準を作り上げる。

映画へのアピールはもちろん子供たちに限られていない。しかし、子供向け映画で少女の描写が限られているなか、スタジオジブリのヒロインは少女たちを代表する選択肢となりうる。

ディズニーは、伝統的にフェミニストの尊厳に関して無知――重きを置いているのは言葉少ない従順なプリンセスたちだ。そして彼女たちを救う全く個性のないプリンスたち。キーラ・ナイトレイが彼女の娘が見ているのを止めさせたというほどだ。

しかし、特に近年では『アナと雪の女王』や『メリダとおそろしの森』など、批評より多くの賞賛を与えられるヒロインをつくる映画が現れた。そして、両者とも女性が共同監督として参加している。

『メリダとおそろしの森』の女性監督ブレンダ・チャップマンが対立によりプロジェクトから外された相手で、ピクサーの最高経営責任者であるジョン・ラセターが、ハラスメントの申し立てを認め2018年に退いたことを忘れないようにしよう。ピクサーでの性差別主義者は文書で十分に裏付けられている。

そして、複数の女性の従業員の報告によると、ラセターの不正行為は、男性スタッフにスタジオで働く女性の声を妨げ、話をしようとする女性アニメーターのクリエイティブな環境にサポートすることはなかった、と主張した。

ピクサーは『トイ・ストーリー』で私たちにカウガールのジェシーも与えてくれた。映画はベクデルテストにパスしたが、熱意ある女性冒険家は『トイ・ストーリー3』にほとんど出演せず、彼女が登場するのは、バズとのロマンチックな脇役の時だけ。

『トイ・ストーリー4』では、ジェシーはボー・ピープの立派なフェミニスト改革に賛成するだけでほとんど登場しない。それは、少なくともピクサーにとって、2人の女性を鍵となる役割で主演させるのは、無理をし過ぎということだ。

そしてスタジオはやがて女性の心を突き刺す、感情的に報われる映画、2015年の『インサイド・ヘッド』に接近していく。それは性別を感じさせない少女の頭の中が物語の中心で、結果的にロマンチックな結末にもならない。

『インサイド・ヘッド』のような映画に道を開いたのは、何十年も子供たちのために興味深い女性キャラクターを多く作り続けてきたスタジオジブリの映画であった。スタジオジブリのマジカルな幻影は、若い女性が演じるそのリアリズムにある。スタジオジブリは、実際に人の心に訴える小さな女の子のようなキャラクターを作る。

彼らはプリンセスのドレスを着ていないし、三つ編みで髪を結んでもいない。その上、女の子たちがいつも先導している。タイトルが男の子(例えば『ハウルの動く城』)に言及するときでも、それは実際には、最終的にハウルを助けるソフィに関する話だ。ロマンスと素敵なボーイフレンドを見つけることには焦点を当てず、そして、もし何かあるとすれば、それは女の子が男の子を救い出すことだ。

「私はただ少年と少女が同じ場所に現れるからロマンスが起こらなければいけないという暗黙のルールに懐疑的になっただけです」と、宮崎駿(セミリタイアしたジブリのチーフ映画監督)は言う。

「むしろ、私は少し違う形で関係を描写したかった。それは2人がお互いそれぞれにインスパイアする--もしそれができるのであれば、それはおそらく、私は本当の愛の表現を描写できるのではないかと思ったのです」

このシリーズの女の子たちは繊細な2次元の魅力を持つ。彼らは冒険好きで、強く、そして知的だ。しかし彼らはまた怖がりで弱さを持っている。彼らはボスタイプで、他の人は自信喪失に駆られる。言い換えると、彼らは現実にいる人たちでもある。

スタジオの最もよく知られる、そして最も収益のあった作品『千と千尋の神隠し』。主演の千尋は、彼女の両親と疎遠になって、スピリチュアルな世界に閉じ込められる女の子で、私たちは彼女が両親を失い泣いているところを見ることができる。しかし、何とか持ちこたえて、勇敢に家に帰る道を見つける。

ジブリはプリンセスを登場させるが、それはピクサーやディズニーに出てくるようなものではない。私たちが最初に『もののけ姫』を見た時、彼女はオオカミの足から弾丸を吸い出していた。彼女は狼に育てられ(見てわかるように)、そして短剣型のウォーペイントを顔に塗っている。彼女はまたかなりの槍の使い手でもある。

おそらくディズニーには、強い女性のロールモデルの未来がまったくアニメーションに存在しない。同社は最近最も愛されているストーリーの実写版を作り始めた――『マレフィセント』、『シンデレラ』、そして国連のアンバサダーのエマ・ワトソンがベルを演じる『美女と野獣』などだ。少なくともキャスティングの選択は正しい方向への一歩(そして、おそらく儲かったもの)だった。

最新の実写版であるリリー・ジェームズ主演の『シンデレラ』のエラのモットーは、監督のケネス・ブラナーが非暴力抵抗者マーティン・ルーサー=キング、ネルソン・マンデラや聖者ガンジーと比較した“勇気を持って親切に”だ。そして結局彼女もプリンスと駆け落ちして終わる。

ブラナーは、エラの女性的で穏やかな性質が賛美されるものであることをはっきりと示した。彼女はスーパーパワーは必要としないばかりか、幸せになるために男性的になる必要もない。性に関係なくただ自分自身でいること。これもまた重要なメッセージだ。ガーリーな女の子たちを軽視したり伝統的に女性を些細なものにしない。私たちはただ、若い女性たちの多様性を打ち出す女性の役がアニメーションに必要なだけ。そして女の子たちにいつも恋に落ちて、結婚して、いつまでも幸せに暮らした、という終わり方にするストーリーが必要ないことを知らせること。

私たちが必要とするものは、より多様な多くの女性たちの物語。そしてハリウッドの重要人物たちにそれを認めさせること。少なくともネットフリックスは、スタジオジブリの映画を放映することによって、勝利に近づいている。宮崎駿と彼の優秀なチームは素晴らしい基礎を築いてくれた。しかし、私たちが期待するしかない、ベストな作品はまだ登場していない。


 





 
 



 

 

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1 コメント

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マルテンサイト千年グローバル (サムライ鉄の道)
2024-09-07 23:23:12
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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