写真提供/AFP=時事
ベトナム・ハノイの露店で、カレンダーを売る女性。ベトナムでは、太陽暦と太陰暦の両方の暦が使われており、カレンダーも2種類が販売されている
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livedoor ニュースというのがありまして、その中のコラムに興味あるものを発見したので載せる事にしました。以下はその全文です。
「今年は2007年だよね?」と尋ねたら、きっとみんながうなずいてくれるはず。でも厳密に言えば、今年は「“西暦”2007年」で、さらに言うとイエス・キリストの誕生年を起点とした「“キリスト紀元”2007年」なのだ。このように年数を数える際に起点となる年を「紀元」、そして紀元を基に年を数える方法を「紀年法」と呼び、西暦以外にもいくつかの紀元が世界各地で使用されている。
そこで紀元について調べてみると、日本にも「神武天皇即位紀元(皇紀)」なる紀元が見つかった。しかも、この紀年法によれば今年はナンと2667年!…でも、この聞き慣れない「神武天皇即位紀元」ってそもそも何?
「初代天皇・神武天皇の即位年を紀元とし、『日本書紀』に基づいて算出するとB.C.660年が皇紀元年になります。古くは平安時代から認知されていましたが、公的に施行されたのは明治6年から。出版物の奥付や貨幣などの年次は元号でしたが、兵器の制式採用年次には皇紀が用いられたこともあります」(皇學館大学准教授・松本丘氏)
また、「皇紀2600年」にあたる昭和15年には、政府が中心となって「紀元二千六百年式典」を開催するなど、皇紀の大衆化を図る動きが強まっていた。しかし、昭和20年の終戦を機に皇紀は歴史の表舞台から姿を消したのだという。…とは言え、未だに皇紀が廃止されたわけではないらしい。では一体、現在はどこで使用されているのだろう。
「市販されている『暦』の書籍には必ずと言っていいほど記されていますし、神社発行のカレンダーに載っていることもあります」(同)
それにしても、日本には西暦より古いとされる紀元があったとは、うかつでした…。逆に、比較的紀元の新しい紀年法は北朝鮮の「主体暦」。金日成の誕生年である西暦1912年を紀元としていて、制定・施行されたのは西暦1997年…つまり、現在は「主体96年」だが、「主体暦」自体の歴史は10年ということになる。
ちなみに、記者が生まれた年は「西暦1980年」。今後、誕生年を聞かれる機会があったら、「(皇紀)2640年!」とでも答えてみようかな…!?
(R25編集部)
>兵器の制式採用年次には皇紀が用いられたこともあります。
これは今一般に「ゼロ戦」と呼ばれていますが、制式採用された年が皇紀2600年だった為、末尾の0を日本語に直し、「零戦(れいせん)」と呼ぶのが正式な呼び方です。他に「97艦攻」「99艦爆」「一式陸攻」などがありますがそれぞれ皇紀2597年、2599年、2601年に制式採用されたからその年をとって呼んでいます。
私は日本史に興味がありましたので当然皇紀の存在はわかっていましたが、こういったコラムで取り上げることは知らない人が多くなってきた証拠だと思います。
困った事にこういった話題を取り上げるとサヨクの連中は直ぐ戦前の悪しき教育を礼賛するのかと目くじらを立てるから情けないです。どうしようもない石頭連中ですね。
確かに当時皇紀を採用したのは軍部の思惑もありました。でも日本文化を語る上での暦と捉えればそんなに騒ぐ必要もないと思います。