
9月28日、ようやく単行本の下巻が発売された。
これでコミックス派も含めて完全な完結となった、
漫画「20世紀少年~21世紀少年」
この未曾有のミステリーの終焉を迎えて、
そして最後に与えられた解答も含めて、
もう一度1巻から読み直す必要がある。
それは、ナニが解決しナニが残されたのか…
そしてこの作品がぼくらにナニを残したのか…
今回発売された最終巻である
「21世紀少年 下巻」で最後に本当のともだちの正体を
〝カツマタ君〟としてしまった。
では、この〝カツマタ君〟なる存在がこの作品の解答として
納得できるものであるのか…非常に気になるところである。
---------------
2007.07.23
「20世紀少年」考察で有名なaleisiaさんへ
最終話直後にmixiでコメントした文章を引用
今回の最終話が本当に最終話であると仮定するなら、
浦沢氏の中でのこれまでの伏線のようなエピソードも含め、
VAや子供の記憶という曖昧な、信憑性に欠くエピソードで
構成していることが前提にあるのかもしれません。
事実、マルオとケロヨンの中で子供時代の記憶の相違を
指摘しあうエピソードがあるように、
この物語の正解は誰も記憶してないのではないでしょうか・・・
たぶん浦沢氏の中で、今回の最終話は最初からできていたと思います。
つまりは、この最終話にいかにもっていくか、T-REXが流れる校舎で
終わらせるエンディングにどうもっていくか・・・
本意ではなかったにしろ、一部の人には納得のエンディングだったようです。
このときの「よお、おまえさ・・・」
「カツマタ君だろ」は、
たぶん誰でもよかったのだと思ういます。
ストーリーの流れで
「おまえ、ドンキーだろ」でも
「モンちゃんだろ」でも
どうにでもできたのではないしょうか。。。
そういう意味では、伏線にこだわることが本意かというと、
そうではないのかもしれないけど、
でもこだわりたいのも本意です。
だから、来年公開の映画が伏線の回収になっていた方が、
ぼく的には納得がいくのかなと思います。
ぼくの中での最終話はそんな印象です。
---------------
これが最終話読後の率直な感想だった。
最終巻をまとめて読破しての感想は、
まとめ方は確かにうまく、エンディングとしての体裁は
整っていると思った。
しかし、でもやはり納得いかないのは
風呂敷を広げるだけ広げたあの謎の数々。
あれらはいったいなんだったのか…
ぼくは再度1巻から、今度はカツマタ君が
本当の〝ともだち〟であるという前提で読み返してみようと思う。
カツマタ君のことが最初に登場するのは、
1巻107ページからのドンキーのお通夜での会話。
ドンキーの理科室での事件の話題で出た、
「大好きなフナの解剖の前日に死んだカツマタ君」として登場する。
「なにしろ、カツマタ君がバケて出て、フナの解剖してるんだから。」
これはモンちゃんのセリフ。
あのとき、夜の理科室に行ったのは、
モンちゃん、ケロヨン、ドンキー、コンチ、とあともうひとり。
このもうひとりが結局回収されていない。
そして、理科室でドンキーが見たものの真相も結局きちんと回収されていない。
この後、カツマタ君のエピソードは
11巻220ページの大福堂製薬の戸倉によって語られるまで出てこない。
戸倉はヤマネとの回想の中で、ヤマネが語ったセリフとして以下のように語る。
「小学校の時、仲の良かったコが死んだんだって…」
「そのコは理科が大好きな子でね。」
「解剖実験を楽しみにしてたのに、その前日に死んじゃったんだって。」
「でも、彼は寂しくなかったんだ…」
「夜ごと学校に忍びこんでは…」
「その仲の良かったコの幽霊と、実験を繰り返していたんだって。」
「理科室で…」
ここに出てくるコは、1巻を前提にすればカツマタ君だと推測できる。
そして、カツマタ君が生きていたのだとすれば、ヤマネは夜な夜なカツマタ君とおそらくフクベエも一緒に、夜の理科室で怪しい実験や計画を立てていたということだろうか…
次に、12巻107ページ、
ヨシツネの秘密基地内でのヨシツネとユキジの会話。
〝ともだち〟が1971年の理科室での出来事を隠そうとしたと考えた二人は、そのとき何があったかを思い出す。
ユキジ「フナの解剖…」
「男子が騒いでたのよね…」
「実験大好きな子の幽霊が出るって…」
ヨシツネ「あ…」「理科の実験大好きなカツマタ君が…」
ユキジ「フナの解剖の前日に死んじゃって…」
「夜な夜な理科室にバケて出て、解剖してるって…」
この会話では1巻のモンちゃんの会話を復唱しているに過ぎない。
14巻110ページでのVA内で
モンちゃん、ケロヨン、ドンキー、コンチの4人が
夜の理科室へと向かう途中、理科室のあの怪談話となり、
ケロヨンが話し出す。
給食のかっぽう着を理科室に忘れた西尾の友達が、
放課後ひとりで理科室に取りに行ったとき、
忘れたかっぽう着を手に取るとかっぽう着が濡れていた。
しかたなく持ち上げると、その下に解剖したフナがあった。
怖くなってあわてて理科室を出たのだが、出るとき一瞬振り返ると
「そこに立ってんたんだって…」
「カツマタ君が………」
これは怪談話の類でしかない。
しかし、その後の会話でカツマタ君についての
はじめての具体的な話題が語られる。
ケロヨン「カツマタってどんな奴だっけ…」
コンチ「俺、よく知らない…」
ケロヨン「2組だっけ?」
モンちゃん「5組だろ。」
ケロヨン「なんで死んだんだ?」
モンちゃん「それがよくわからないんだ…」
「葬式とかやんなかったのかな?」
「先生は行ったんじゃないのか?」
ケロヨン「とにかく、フナの解剖やりたかったのに、その前の日に死んじゃって…」
ここではじめてカツマタ君が彼らの同学年だろうこと、5組だったらしいこと、どうやって死んだのかはあまり知られていないことが分かる。
そして、16巻45ページの、本当の〝ともだち〟がVA内に記憶のインストールを行っているらしいシーンで、フクベエによって唐突にその名が出る。
フクベエは鏡に写る自分の顔を見ながら、
「顔…」「あるよな…」「君は…」「誰?」「サダキヨ…?」「くく…」
「違うよ、くく…」「君は…」「カツマタ君?」「くくく、違うよ。」
「じゃあ君は、誰?」
このシーンは結局真実を語っていたことになる。
結局その後、20巻第11話189ページからなるキリコの回想まで出てこない。
しかし、これもカツマタ君というよりはもうひとりの〝ともだち〟のエピソードでしかない。
そして、「21世紀少年」上巻162ページのチョーさんの残したメモに、
「ハットリ以外にもう一人 その先の人物」
「?年時代?供たちの間で?んだとされている→団体に在籍」
とある。
ここで、カツマタ君のことを知ってれば、もうカツマタ君しかないと思うだろう。
でも、それでいいの?ってのが率直な感想である。
すべての巻を読み終えて、ぼくが想起できたカツマタ君のエピソードは以上である。
後半は、「もうカツマタ君にしてしまえ…」
っていうような乱暴なまとめ方に感じたりもした。
そして、最後のケンヂの一言で終焉する、
それまでの謎のほとんどを回収しないまま。
それが、浦沢が求めた結末だったのか…
いまだにしっくりこない、喉に物が詰まったような感覚を、まだ誰もが感じているに違いない…というか、そうでありたいものだ。
これでコミックス派も含めて完全な完結となった、
漫画「20世紀少年~21世紀少年」
この未曾有のミステリーの終焉を迎えて、
そして最後に与えられた解答も含めて、
もう一度1巻から読み直す必要がある。
それは、ナニが解決しナニが残されたのか…
そしてこの作品がぼくらにナニを残したのか…
今回発売された最終巻である
「21世紀少年 下巻」で最後に本当のともだちの正体を
〝カツマタ君〟としてしまった。
では、この〝カツマタ君〟なる存在がこの作品の解答として
納得できるものであるのか…非常に気になるところである。
---------------
2007.07.23
「20世紀少年」考察で有名なaleisiaさんへ
最終話直後にmixiでコメントした文章を引用
今回の最終話が本当に最終話であると仮定するなら、
浦沢氏の中でのこれまでの伏線のようなエピソードも含め、
VAや子供の記憶という曖昧な、信憑性に欠くエピソードで
構成していることが前提にあるのかもしれません。
事実、マルオとケロヨンの中で子供時代の記憶の相違を
指摘しあうエピソードがあるように、
この物語の正解は誰も記憶してないのではないでしょうか・・・
たぶん浦沢氏の中で、今回の最終話は最初からできていたと思います。
つまりは、この最終話にいかにもっていくか、T-REXが流れる校舎で
終わらせるエンディングにどうもっていくか・・・
本意ではなかったにしろ、一部の人には納得のエンディングだったようです。
このときの「よお、おまえさ・・・」
「カツマタ君だろ」は、
たぶん誰でもよかったのだと思ういます。
ストーリーの流れで
「おまえ、ドンキーだろ」でも
「モンちゃんだろ」でも
どうにでもできたのではないしょうか。。。
そういう意味では、伏線にこだわることが本意かというと、
そうではないのかもしれないけど、
でもこだわりたいのも本意です。
だから、来年公開の映画が伏線の回収になっていた方が、
ぼく的には納得がいくのかなと思います。
ぼくの中での最終話はそんな印象です。
---------------
これが最終話読後の率直な感想だった。
最終巻をまとめて読破しての感想は、
まとめ方は確かにうまく、エンディングとしての体裁は
整っていると思った。
しかし、でもやはり納得いかないのは
風呂敷を広げるだけ広げたあの謎の数々。
あれらはいったいなんだったのか…
ぼくは再度1巻から、今度はカツマタ君が
本当の〝ともだち〟であるという前提で読み返してみようと思う。
カツマタ君のことが最初に登場するのは、
1巻107ページからのドンキーのお通夜での会話。
ドンキーの理科室での事件の話題で出た、
「大好きなフナの解剖の前日に死んだカツマタ君」として登場する。
「なにしろ、カツマタ君がバケて出て、フナの解剖してるんだから。」
これはモンちゃんのセリフ。
あのとき、夜の理科室に行ったのは、
モンちゃん、ケロヨン、ドンキー、コンチ、とあともうひとり。
このもうひとりが結局回収されていない。
そして、理科室でドンキーが見たものの真相も結局きちんと回収されていない。
この後、カツマタ君のエピソードは
11巻220ページの大福堂製薬の戸倉によって語られるまで出てこない。
戸倉はヤマネとの回想の中で、ヤマネが語ったセリフとして以下のように語る。
「小学校の時、仲の良かったコが死んだんだって…」
「そのコは理科が大好きな子でね。」
「解剖実験を楽しみにしてたのに、その前日に死んじゃったんだって。」
「でも、彼は寂しくなかったんだ…」
「夜ごと学校に忍びこんでは…」
「その仲の良かったコの幽霊と、実験を繰り返していたんだって。」
「理科室で…」
ここに出てくるコは、1巻を前提にすればカツマタ君だと推測できる。
そして、カツマタ君が生きていたのだとすれば、ヤマネは夜な夜なカツマタ君とおそらくフクベエも一緒に、夜の理科室で怪しい実験や計画を立てていたということだろうか…
次に、12巻107ページ、
ヨシツネの秘密基地内でのヨシツネとユキジの会話。
〝ともだち〟が1971年の理科室での出来事を隠そうとしたと考えた二人は、そのとき何があったかを思い出す。
ユキジ「フナの解剖…」
「男子が騒いでたのよね…」
「実験大好きな子の幽霊が出るって…」
ヨシツネ「あ…」「理科の実験大好きなカツマタ君が…」
ユキジ「フナの解剖の前日に死んじゃって…」
「夜な夜な理科室にバケて出て、解剖してるって…」
この会話では1巻のモンちゃんの会話を復唱しているに過ぎない。
14巻110ページでのVA内で
モンちゃん、ケロヨン、ドンキー、コンチの4人が
夜の理科室へと向かう途中、理科室のあの怪談話となり、
ケロヨンが話し出す。
給食のかっぽう着を理科室に忘れた西尾の友達が、
放課後ひとりで理科室に取りに行ったとき、
忘れたかっぽう着を手に取るとかっぽう着が濡れていた。
しかたなく持ち上げると、その下に解剖したフナがあった。
怖くなってあわてて理科室を出たのだが、出るとき一瞬振り返ると
「そこに立ってんたんだって…」
「カツマタ君が………」
これは怪談話の類でしかない。
しかし、その後の会話でカツマタ君についての
はじめての具体的な話題が語られる。
ケロヨン「カツマタってどんな奴だっけ…」
コンチ「俺、よく知らない…」
ケロヨン「2組だっけ?」
モンちゃん「5組だろ。」
ケロヨン「なんで死んだんだ?」
モンちゃん「それがよくわからないんだ…」
「葬式とかやんなかったのかな?」
「先生は行ったんじゃないのか?」
ケロヨン「とにかく、フナの解剖やりたかったのに、その前の日に死んじゃって…」
ここではじめてカツマタ君が彼らの同学年だろうこと、5組だったらしいこと、どうやって死んだのかはあまり知られていないことが分かる。
そして、16巻45ページの、本当の〝ともだち〟がVA内に記憶のインストールを行っているらしいシーンで、フクベエによって唐突にその名が出る。
フクベエは鏡に写る自分の顔を見ながら、
「顔…」「あるよな…」「君は…」「誰?」「サダキヨ…?」「くく…」
「違うよ、くく…」「君は…」「カツマタ君?」「くくく、違うよ。」
「じゃあ君は、誰?」
このシーンは結局真実を語っていたことになる。
結局その後、20巻第11話189ページからなるキリコの回想まで出てこない。
しかし、これもカツマタ君というよりはもうひとりの〝ともだち〟のエピソードでしかない。
そして、「21世紀少年」上巻162ページのチョーさんの残したメモに、
「ハットリ以外にもう一人 その先の人物」
「?年時代?供たちの間で?んだとされている→団体に在籍」
とある。
ここで、カツマタ君のことを知ってれば、もうカツマタ君しかないと思うだろう。
でも、それでいいの?ってのが率直な感想である。
すべての巻を読み終えて、ぼくが想起できたカツマタ君のエピソードは以上である。
後半は、「もうカツマタ君にしてしまえ…」
っていうような乱暴なまとめ方に感じたりもした。
そして、最後のケンヂの一言で終焉する、
それまでの謎のほとんどを回収しないまま。
それが、浦沢が求めた結末だったのか…
いまだにしっくりこない、喉に物が詰まったような感覚を、まだ誰もが感じているに違いない…というか、そうでありたいものだ。
忍と申します。
非常に遅いですが、先日初めて20世紀少年(上下巻も含めて)を読み終わりました。
面白い漫画だというのを聞いていたのですが、いっき読みしたかったので、全巻が終わるまでジ~っとまっていました。^^
色々な考察がなされていますが、自分はすごくマルッと納まったような気がしています。
上記にドンキーが理科室で何におびえたのかはっきりと分からないといっていましたが、アレはサダキヨとヤマネの異様な雰囲気(絶交が 友民党 ないでいうポア というのが分からないにせよ、その殺意ある雰囲気に)身の危険を感じたのではないでしょうか?
ともだち の正体に関しても、あれはカツマタ君でよかったと思います。元々題材が少年の頃の記憶なのですから、噂やあいまいな記憶の中で忘れられたカツマタ君のアイデンティティーが生んだのではないかと思います。
最終的に何も変わらないと思われたケンジの放送テロがカツマタ君の心を動かした。最初から最後まで計算尽くされた構成はすばらしかったと思います。
自分は文章が下手なので上手く正当性を述べることが出来ませんが、皆さんが愛した通りの名作だったと思います。
しかし、管理主さんが上記でおっしゃっている【しっくりこなかった】という表現はちょっと理解できる気がします。だから自分はココに流れてきたのですから。
多くの読者がエンディングと伏線の回収について問題を提起してますね。私はある作品に触れてそこから何を感じるか、何を思うかが大事なのであって、物語の整合性は二の次だと思ってます。全ての謎の解や伏線の回収などを求めるのは(気持ちはわかりますが)少し欲しがり過ぎのような気がします。作品はあくまで作者の創造物ですから外野がとやかく言うのは筋違い。与えられた物の中から謎や問いかけを考えるのが作品を楽しむということなのではないでしょうか。
映画ではその辺を上手く描ききってほしいものです。
しかし浦沢氏の描くヒロインはみな同じに見えてしまい(ハッピーは未読)、どうも魅力的でない。
20世紀少年の終盤もう少し小泉の出番があれば、もっと物語に抑揚がついたかもしれない…と小泉好きとしてはついそう思っちゃいます。(笑)
面白かったけど、
最後
「おまえさ……カツマタ君だろ。」
の言葉で、
カツマタくんって誰
って思いました。
それも気になります。
なんか謎が多い終わりで、
スッキリしませんでした
ともだちは、”大人になること”に付帯する、”諦める”ということができずに、諦めずに大人になるという矛盾を体現した存在でした。しかし、ともだち=フクベエは、この矛盾にどこか気づきながらも、見て見ぬふりをしており、この点から、大人としての目線に立って、子ども時代にしがみついている存在といえます。これに対し、ともだち=カツマタ君は、小学校5年生という、思春期の入り口を手前にして死んだ存在として、より純粋な子ども性を象徴しています。カツマタ君という象徴にとっては、子ども時代の終わり=死を意味します。フクベエが”ともだち”として権力の掌握(これは子どもじみた欲求をあらわしていますが、組織として高度にシステマライズされていることからも、大人性と子ども性が同居しています)を果たしたのに対して、カツマタ君が、この世を終わらせることを目指したのは、カツマタ君が、「終わっちゃうこと」を、永遠の子ども性を失うことを恐れ、拒否したからです。 このように考えると、ともだち=カツマタ君という最後の謎は、論理の整合性などという議論とは、別の次元での表現のように感じられます。つまり、フクベエ、カツマタ君ともに、子ども性を巡る表現の一形態にすぎないのです。(そして忘れてはならないのは、ケンヂ達も同じベクトルの中に位置づけられるという点では、同様の存在であるということです)
最後に、カツマタ君がなぜ大人への一歩を踏み出せなかったのか。それは、子ども性を充分に生きられなかったからだと思います。ケンヂが最後にしたことは、カツマタ君の生きられなかった子ども性の回復であり、それは同時に、ケンヂ自身、そして我々大人の、生きられなかった子ども性、内なるカツマタ君の回復をも意味しています。忘れてはいけないものを取り戻して、21世紀に、進んでいったのです。
でも、誰よりも一番印象に残らなかった彼、そんな彼だから”ともだち”にならざるを得なかったのではないでしょうか。自分が一番”ともだち”・・世界の支配者になる考えを持ってたのに誰にもわかってもらえず、挙句の果てに死んだと言われ。子供じみた復讐だたのかも。
うまく言えないですが・・・
謎で終わったけど、これからは自分自身で考えていこうかなって。
子供のころの記憶って確かに曖昧で、殆ど残ってないけど、ケンヂにように悪い事をしたらごめんなさいっ言いたかった。これだけは覚えている。そうしてなければ今頃…もしも…なんて考えてしまいました。今読み終えて。
今を生きることは大切だけど。過去の大切だったこともずっとずっと忘れないで心に持っておきたいですね。
フナの解剖の前日に死亡したカツマタ君についてですが、万引きの濡れ衣を着せられて、フクベイに「今日でお前は死にました」と宣告されたことを指してるようですね。ケンジが黙っていたことから、カツマタ君は恐らくずっと「死んだものとして」徹底的に無視(イジメ)されたのではないでしょうか。遠い昔の記憶なため、キャラクター達は大人になって過去を振り返るときに、カツマタ君が本当に死亡したものとして記憶の混濁をしているようですが。
それにしても、カツマタ君とサダキヨのキャラがかぶりすぎですよねぇ。。
まぎれななく少年時代のトレースです
子供の頃はあんな空き地がごろごろしてたんですよ
万博は関西だけでなく日本の子供らが初めて
世界を感じた一大イベント
子供のときの記憶は覚えてる人は覚えてるし
覚えてない人はぜんぜん
5年で引っ越した子や6年で転校してきた子
覚えてるけど覚えてない
でも僅かな記憶はある
カツマタくんが誰であろうと
これは中途半端な59年生まれの俺たちに
贈られた素晴らしいメッセージと受け取っています
ヴァーチャルアトラクションの中では思念体はそこの住人には見えなく外の人間には見えるということ
そしてその中の人間の時も進んでいくこと
考えすぎでしょうかな?