心身社会研究所 自然堂のブログ

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PTSDと(m)TBI((軽度)外傷性脳損傷)、MI(道徳的負傷:モラルインジャリー)(8) ~道徳的トラウマとしての「モラルインジャリー」~

2023-06-18 17:27:16 | 健康・病と医療

すなわち「モラルインジャリー」は、良心に大きく反する状況や、自身の中核となる道徳的な価値観を脅かす非倫理的な状況に直面したときに生じる

特別なトラウマ[Svodoba 2022=2023,p.58]、いわば「道徳的トラウマ」[Ibid.,p.59]なのです。

トラウマといっても道徳的なトラウマなので、PTSDのような恐怖に対する反応というよりは、

罪悪感や恥、怒り、無力感、無意味感、裏切り/裏切られ感、自分自身や他者を人として許せないという痛切な感覚、

そして宗教的信仰の喪失といった反応であり[Koenig et als.2018;Koenig&Al Zaben 2021;Svodoba 2022=2023]、

自傷や自殺念慮、自殺企図も少なくありません[Bryan et als.2014;Ames et als.2019]。

これが恐怖を核とするPTSDモデルだけでは捉えられない「モラルインジャリー」の問題であり、

恐怖だけでなく裏切りと密接に結びついたものとしてトラウマを理解する立場です。

いわばフレイドの言う「裏切りのトラウマ」(Betrayal Trauma)[Freyd 1996]。

 

しかし、すでに1984年に倫理学者のアンドリュー・ジェイムトンも指摘していたとおり、

こうした道徳的な損傷は軍事分野に限ったことではありません[Jameton 1984;Svodoba 2022=2023,p.59]。

重度のトラウマにさらされるヘルスケアの専門家や初期対応者(警官、消防夫、救急医療隊員など)、

重度の情動的・身体的トラウマ(レイプ、中絶、自動車事故、他の事故など)にさらされる人々はその典型例です[Koenig & Al Zaben 2021,p.2996]。

 

各種の職場や医療・福祉・教育等の現場、身近な事故で生じることも多く、

今回のコロナ禍では、パンデミックの救急医療の現場でこの問題が顕在化したことで、

「モラルインジャリー」の概念に注目が集まるきっかけともなりました[大谷 2020;Svodoba 2022=2023]。

ちなみに、パンデミック状況で「モラルインジャリー」が起こりやすい条件としては,

[1]弱い立場にある人間(子ども、女性、高齢者など)の感染や死亡、

[2]リーダーシップの欠如とスタッフへのサポート不足、

[3]意思決定がもたらしうる情動的・心理的な結果に対しての準備不足、

[4]他のトラウマ的出来事(愛する者の死など)の同時生起、

[5]周囲の社会的サポートの不足、の5項目が指摘されています[Williamson et als.2020]。

 

このうち[2]と[5]は重要と思いますが、とくにパンデミック状況以外でも、リーダーシップの欠如どころか、

あろうことかリーダーによる非倫理的な行動の指示命令に及ぶケースが随所にあふれかえっているのは極めて遺憾なことです。

例の森友問題で公文書改竄を強いられて自死した、近畿財務局職員の赤木俊夫さんのケースも記憶に新しいところではないでしょうか。

また、いま私の臨床現場でも、看護や福祉、大手外食チェーン店などの現場から、リーダーによる非倫理的な行動の指示命令で、

「モラルインジャリー」のダメージを受けた方々の来室が相次いでいます。

 

急速に集団の倫理が劣化し、「モラルハラスメント」が当然のように蔓延している今日の日本社会では、至る所で生じている苦悩ではないでしょうか。

しかも、道徳というものを、専ら集団への服従ばかりにみてきた日本社会では、そもそも集団を超える道徳という視点が生まれにくく、

こうした苦悩を倫理の問題として意識化することすら難しくなっています。

それどころか、損傷を受けた側が集団にいっそう服従し直すことで、“解決”が図られているのではないでしょうか。

 

もっとも、「モラルインジャリー」までいかずとも、その前段階として、倫理的にすべきことがわかっていながら、

さまざまの現実的な要因から実行不能な状況にいることで生じるつらい気持ちを指すものとして、

道徳的苦悩」(moral distress)という概念もあります[大西ほか 2016;Koenig&Al Zaben 2021]。

「モラルインジャリー」は、この「道徳的苦悩」がくり返し経験され、その効果が長期間に及ぶときに発生するとみられますが

[Koenig&Al Zaben 2021,p.2990]、

その結果、もはや「道徳的苦悩」のストレス・レベルとは質的に異なる、トラウマ・レベルのダメージに達するようになったものです。

 

<文 献>

Ames, D., Erickson, Z., Youssef, N. A., Arnold, I., Adamson, C. S., Sones, A. C., Yin, J., Haynes, K., Volk, F., Teng, E. J. & Oliver, J. P., 2019  Moral injury, religiosity, and suicide risk in US

    veterans and active duty military with PTSD symptoms, in Military Medicine, vol.184, no.3-4, pp.e271-8.

Bryan, A. O., Bryan, C. J., Morrow, C. E., Etienne, N. & Ray-Sannerud, B., 2014  Moral injury, suicidal  ideation, and suicide attempts in a military sample, in Traumatology, vol.20,

 no.3, pp.154-60.

Freyd,J. J., 1996 Betrayal Trauma. Cambridge:Harvard University Press.

Jameton, A., 1984  Nursing practice : the ethical issues.  Englewood Cliffs : Prentice-Hall.

Koenig, H.G.·& Al Zaben, F., 2021  Moral Injury : An Increasingly Recognized and Widespread  Syndrome, in Journal of Religion and Health, vol.60, pp.2989–3011.

Koenig, H. G., Ames, D., Youssef, N. A., Oliver, J. P., Volk, F., Teng, E. J., Haynes, K., Erickson, Z. D., Arnold, I., O’Garo, K. & Pearce, M., 2018  The moral injury symptom scale-military

 version, in Journal of Religion and Health, vol.57, no.1, pp.249–65.

大西香代子・ 北岡和代・ 中原 純、2016 「精神科看護者の倫理的感受性と看護実践における倫理的悩みの関連」『日本精神保健看護学会誌』第25巻1号、pp.12-8。

大谷 彰、2020 「パンデミックとトラウマ――新型コロナウイルスから考える-―」『人間福祉学研究』第13巻1号、pp.25-40。

Svoboda, E., 2022  Moral Injury is an Invisible Epidemic that affects Millions : A specific kind of trauma results when a person’s core principles are violated during wartime or a

 pandemic, in Scientific American, vol.327, no.6, pp.52-59. =古川奈々子訳、2023「コロナ禍で増えた心の病 モラルインジャリー」『日経サイエンス』第53巻4号, pp.56-64。

Williamson, V., Murphy, D. & Greenberg, N., 2020  COVID-19 and experiences of moral injury in front-line key workers, in Occupational Medicine, vol.70,no.5,pp.317–9.

 

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