心身社会研究所 自然堂のブログ

からだ・こころ・社会をめぐる日々の雑感・随想

3・11以後に向けて(10-4)

2011-08-17 09:21:00 | 3・11と原発問題
このように20世紀のさまざまの事態は、あたかもナチス・ドイツが尖端的にかなえ始め、あるいはかなえかけて終わった夢の多くを、大戦末期~戦後に現実にかなえていったのがアメリカでありソ連であったかのように展開しました。あるいはまた、今日までアメリカやソ連が必死に追い求めてきた夢の多くは、すでにナチス・ドイツが一部はかなえ、またかなえつつあった夢であったかのように展開しました。いうなれば、ナチス・ドイツのユートピアの実現としての戦後世界。戦後世界のユートピアの原点としてのナチス・ドイツ。
いやしかし、もう少し正確に言えば、それは近代がずっと夢想してきた同じひとつの夢を、ドイツに代表される「ファシズム」、アメリカに代表される「国家資本主義」、ソ連に代表される「共産主義」のいずれもが、同時に、それぞれの仕方で実現しようと鎬を削りあい、そのうちたまたま最もゆとり(ヒマ)と資金(カネ)と人的資源(ヒト)に劣ったドイツ「ファシズム」が、まさにそれゆえに最も尖端的な形でその夢を表現し、またそれゆえに1つの体制としては最も短命のうちに散ったということ、そしてそのあとアメリカ型「国家資本主義」とソ連型「共産主義」が、豊富なゆとり(ヒマ)と資金(カネ)と人的資源(ヒト)にあかせて、ドイツ「ファシズム」の遺産の光と影をも内部に埋め込み、日常化し慢性化しながら、より大規模に、より轟然と現実化していったということではないでしょうか。
それにしても、近代がずっと夢想してきた同じひとつの夢? そう、ほかでもない。近代において<神>を殺した人間たちが、今度はおのれ自身が<神>になろうとし、なろうとしてもなりきれず、なりきれぬままに呻吟し、呻吟しつつ死んでも手放そうとしなかった~~そしてついには、(自)死という形で実現しようとさえした~~永遠の夢、この近代に宿痾のごとくに付きまとう無窮の夢が、20世紀の前半、1930年代前後以降のこの頃に、「ファシズム」、「国家資本主義」、「共産主義」の3つの体制において、<戦争>(いっさいの他者を征服する全能)と<成長>(いっさいの自然を征服する全能)への挙国的な総動員=総参加という形で、ついにかなえうるのではないかと幻視する可能性が現実に熟するに至ったということではないでしょうか。すなわち、<戦争>と<成長>に、上から権威的に<動員>され下から自発的に<参加>する「国民」の資格において、1人1人の大衆がついに<神>になれるのではないかと(そしてその生贄としての安楽死~ホロコーストとその日常化!)。そうした、20世紀の3大体制の追い求めた夢は、何よりそれを支えた大衆たちのあくなき夢でもありました。

ここに「ファシズム」、「国家資本主義」(「ニューディール」~「福祉国家」)、そして「共産主義」という一見互いに背反し、現にしばしば烈しく対立もしてきた20世紀を彩る3大体制が、同時に深く通底しあい依存しあう奇妙な共犯関係にあり、いずれも「総力戦体制」「総動員体制」といわれる(山之内靖ほか『総力戦と現代化』など)大衆動員=参加体制の3類型として存在していたことが浮かび上がってきます。20世紀は(少なくとも1980年代までは)、こうした大衆動員=参加体制の時代、あるいは<広義の全体主義>体制の時代だったと言っていいでしょう。「ファシズム」は自らすすんで<民族>共同体の「全体主義」(Gleichschaultung!)を標榜しましたが、「共産主義」はプロレタリア<階級>の”独裁”をもってむしろ敵からすすんでそう呼ばれ、「国家資本主義」は自ら<個人>主義という反対物を通してそれを実現するという形で、それぞれがそれぞれの「全体主義」、「総力戦体制」・「総動員体制」、大衆動員=参加体制を開花させたのです。
日本の場合も、第1次大戦後からアジア・太平洋戦争の戦時体制をへて、戦後の高度成長に至る半世紀余の時期に、敗戦~民主化という鋭い不連続面にもかかわらず、不思議な連続性を保持しているのは、まさにそこに「総力戦体制」「総動員体制」の論理が貫通していたからではないでしょうか。「満州国」でやろうしてやれなかったことを、戦後の日本国内でやったのが高度経済成長ではなかったかという吉田司(『王道楽土の戦争』)の鋭い洞察に、僕はほぼ全面的に賛成です。ただし、戦後の「国内満州国」は、もはや”五族協和”のユートピア(イデオロギー)すらをも放擲し、かわりに堂々と”単一民族起源説”をもってした相違は見落とせないように思います。戦時下よりいっそう「全体主義」的かもしれない、戦後民主主義のこの”王道楽土”。

要するに、「ファシズム」、「ニューディール」から「福祉国家」、「共産主義」、そして「近代日本システム」のいっさいの根底を貫通する、<戦争>(対他者的な全能)と<成長>(対自然的な全能)という20世紀の2大ユートピア。あるいは<戦争>という名の(経済的・政治的・心理的な)<成長>。<成長>という名の(経済的・政治的・心理的な)<戦争>。
この結果、20世紀は人類史上最も多くの殺人を行なった世紀となり、その最大の大量殺人犯はマフィアでもテロリストでも通り魔殺人者でもなく、実に「国家」なのでした。ある研究によると、1987年までのこの世紀に、国家は2億321万人の人々を殺し、しかもその多くは、驚くべきことに、自国市民1億3475万人と、外国人6840万人の倍近くにも達しています(Rummel,R.J., Death by Government, p.15)。自らが神になるという近代の夢をかなえるために、20世紀の大衆動員=参加体制は、国家という「人類史上最強の大量虐殺者を創造した」(ダグラス・ラミス『憲法と戦争』p.177)のであり、その最大の被害者は何と、神となって守られるべき当の自国民なのでした。
20世紀に各地各国で驀進した経済成長もまた、外部の自然を破壊したのはもちろんですが、でもそれ以上に、僕ら1人1人の内なる自然を破壊する過程だったといえるかもしれません。

そしてその<戦争>=<成長>の、大衆動員=参加体制を特徴づける格好の合言葉こそ、戦時日本でいえば“一億一心””一億火の玉だ””撃ちてし止まむ”だったのであり、あるいは”日本人なら贅沢は出来ない筈だ””バスに乗り遅れるな”等々だったのであり、これぞまさしく現代語に翻訳すれば、”ニッポンは1つ””ニッポンは強い国””がんばろうニッポン”ではないのでしょうか。後に詳しく見るように、高度成長の終焉した1980年代以降、日本をはじめ先進諸国では、大衆動員=参加体制はすでに効力を失いつつあります。にもかかわらず、21世紀の僕らニッポンは、未曾有の大震災を経た今もなお、20世紀のこの遺物への郷愁を捨てられずにいるようです。<災害ファシズム>の傾向が容易に頭をもたげるのも無理もありません。依然として僕らは、<戦争>=<成長>的なイメージが感じられると、たちまち”希望”に踊り、<戦争>=<成長>的なイメージの欠落が感じられると、みるみる”絶望”に沈む習性が染みついていないでしょうか(ショウワを蔑む若い世代たちですらも、この点では依然として限りなくショウワ的ではないでしょうか)。
その証拠に、僕自身のかつての研究によってみても、世界に冠たる自殺大国ニッポンは、遅くとも第1次大戦期以降、<戦争>と<成長>以外の時期にはいつでもほぼ恒常的に自殺率が高く、ただひとつ<戦争>と<成長>によってしか自殺者を減らせない隘路を突破できずにきました。この研究の発表の初出は1997年でしたが、いわゆる”98年ショック”以降の13年連続自殺者3万人超の今日の事態は、この特徴をますます雄弁に物語っています。そのせいか、この間、自殺対策の国民的な運動を巻き起こすという<自殺そのものに対する戦争>(War on Suicide!)、つまり外国(<戦争>)でも自然環境(<成長>)でもなく(自)死そのものを敵とする新たな種類の<戦争>が試みられ、法的にも正式に宣戦布告され(2006年「自殺対策基本法」~2007年「自殺総合対策大綱」)、今まさにその成果が問われている真最中というわけです。

<つづく>


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3・11以後に向けて(10-3)

2011-08-17 09:19:00 | 3・11と原発問題
そこで次に原子力ですが、ラジオやテレビに続いて原子力においても、少なくとも第2次大戦初期までは、世界の原子力開発を一歩リードしていたのはナチス政権下のドイツだった、という事実は意外に知られていません。
世界で最初にウランの核分裂を発見したのは、1938年12月22日、ドイツの科学者オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンです。翌年春までには、早くもドイツ科学者と軍部が原子力の爆弾その他の応用研究のプロジェクトを開始しており(「ウラン・クラブ」)、連鎖反応の理論を世界で最初に発表したのも(1940年2月 フリッツ・ハウターマン)、初歩的な連鎖反応炉を世界で最初に建設したのも(1940年12月 ベルリン・ダーレムのカイザー・ウィルヘルム協会の敷地内 そしてシュヴァルツヴァルトのハイガーロッホの教会の地下)、ナチス・ドイツのもとにおいてでした。イタリア・ファシズムを逃れてアメリカに亡命したエンリコ・フェルミが、1942年12月2日にシカゴ大学で世界最初の原子炉を完成し、連鎖反応実験に成功する2年前のことです。
このため、ドイツが原爆製造に失敗したことが、むしろ今なお第2次大戦の大きな謎の1つとなっているほどです。もし当時のナチス・ドイツに、時間(ヒマ)と予算(カネ)と人的資源(ヒト)が潤沢にあったならば、本当に原爆開発に成功していたかもしれません。しかし、折しもフェルミが連鎖反応実験に成功して、原爆製造の確実な足がかりをつかんだちょ、ど42年末ごろ、先を焦るヒトラーは、これらの膨大な資源を要する原子力プロジェクトよりも、「V2ロケット」開発のプロジェクトに資源を集中するよう政策変更を決定、以後ドイツは原爆開発競争から失速していったのでした。
これに対しアメリカでは、同年6月から、ナチスの原爆開発水準を一刻も早く追い抜き、その危険に先回りして対抗できる原爆製造計画に猛然と取り組みだしていました。中心となったのは、レオ・シラード、アインシュタインらナチス・ドイツから亡命してきたユダヤ人科学者、そしてオッペンハイマーのような在米亡命2世のユダヤ人科学者らで、これがあの「マンハッタン計画」にほかなりません。フェルミの先の実験もこの一環だったのですが、参加人員15万人(最先端の科学者だけで2千人)、経費20億ドルもの莫大なエネルギーを投入して、ナチス・ドイツには達成できなかった原爆製造とその投下を、アメリカはついに達成してしまうのでした。あたかもそれは、ゆとり(ヒマ)に満ち、資金(カネ)にあふれ、有能な人材(ヒト)のひしめくドイツ第三帝国がもしありえたとしたら、どんな姿をあらわすことになっていたかの幻像を示して余りある壮挙であったともいえましょう。

広島原爆投下のその日の夜、抑留先のイギリスで仲間たちと一緒にニュースを聞いたオットー・ハーンは、ひどく動転します。もともと核分裂を発見したとき、その恐るべき可能性に気づいて真剣に自殺を考えたほどでしたから、この可能性が現実のものとなった今、ヒロシマ数十万の死の責任は自分にあると言い募り、大量のアルコールの助けを借りてようやく落ち着きを取り戻す状態でした(バーンスタイン「ドイツ人科学者と原爆」『みすず』1992年12月号、p.29)。そして皮肉にもその3ヵ月後、ハーンは原爆の起点となったこの発見により、ノーベル物理学賞の授与が伝えられます。
もしこの未曾有の大量殺戮兵器が、ドイツ第三帝国のもとで完成し使用されていたなら、果たしてハーンの発見に授賞はあったのかどうか。しかしアメリカが原爆投下に成功したことによって、一挙にそれは人類の進歩への功績としてカウントされることになったのでした。

さてここで重要なのは、ラジオ放送やテレビ放送と同じく、原子力においてもまた、ナチス・ドイツが最も早くないし最も強烈に発芽させ始めていたプロジェクトを、みごとに開花させ結実させ現実化したのはアメリカ(そしてソ連)だったということです。同様の現象は実は他にもたくさんあります。またここで少し脇道にそれるようですが、以下にその大ざっぱな目録をちょっと紹介しておきましょう。それでもかなりの分量になっていますので、あまり興味のない人、すでによく知っている人は読み飛ばして、次回の(11-4)まで進んで下さって結構です。

ただ一言弁解させていただくと、あえて饒舌の愚を犯してここにそれを掲げるのは、このことが近代の夢の極致の1つである原発のことを考える上でも大切だからですが、同時にそこに今日の僕らの幸福(と不幸の表裏一体)の構造の原型が喜劇的・悲劇的なまでによく示されているからです。
ナチズムといえば、凶悪な独裁者ヒトラーとユダヤ人虐殺! というわけで、その蛮行と残虐性にばかり焦点が集まりがちです。でもナチズムが、実はどんなに近代の夢の尖端的な集大成であり、また戦後の豊かで民主的な世界の夢の隠れた出発点であったかということ、そしてそれほどに切実に魅惑的な夢や幸福であったからこそ、その追求と引換えに、その追求そのものの裏面として、まさしくあの蛮行と残虐性も生じてきたのだということに注意が向けられることは、いまだ決して多くないようです。しかしその作業なしに、ナチズムを21世紀の僕らは本当に乗り越えることができるのでしょうか。
実際、ナチが圧倒的な大衆的支持のもとに政権を掌握してから少なくとも最初の数年間は、以後にみるような恐怖政治はさほど特徴的ではなかったことが、今日ではよく知られています。それほどナチは、夢と希望を広く大衆一般に与える政治運動として登場したのです。そしてその後に、そのほとんど必然的な帰結として、あの恐怖政治が育まれていったのです。
そのことを知っておくことは、そのまま今日の僕らの文明の構造を知ることにほかなりません。

・まずは、原子力から比重を移して開発されたあの元祖ミサイル「V2ロケット」。こちらはナチスによって第2次大戦中に実戦に用いられ、ロンドンを中心に計3000発が発射されて、計1万人近くの死傷者を出す実績を残しています。それが戦後は、原爆と同じく技術者ともども米ソに継承(連行)され、人工衛星に進化して宇宙開発の口火を切るとともに、それと表裏一体、というかより直接の目的として、大陸間弾道弾ミサイルへと進化し、冷戦の軍事体制を高度化しました。だからこそ、1957年にソ連が世界初の人工衛星「スプートニク」の打上げに成功した時は、宇宙のロマンに陶酔してばかりいる場合ではなく、米国民に水爆実験成功に勝るとも劣らぬ大きな脅威を与えたのです。
現代人の夢の水先人ともいうべきNASAもアポロ計画もスペースシャトルも、その落し子にほかなりません。「スプートニク」打上げのすぐ翌年に設立されたNASA(航空宇宙局)のマーシャル宇宙飛行センター長には、ナチス・ドイツで「V2ロケット」を開発した中心人物ヴェルナー・フォン・ブラウンが抜擢されています。あるいは、いざ核戦争になっても耐えられるような通信システムの構築ARPANET(1969年)も、この流れから出てきた落し子で、これがやがてインターネットの原型となります(だから今回の震災でも、ケータイに比べてネットはよくつながりましたねえ)。

・その前にコンピュータ自体が、これまたナチス・ドイツ下において最初に形をなしたものでした。1938年、機械式計算機を自宅で自費作成しはじめたコンラート・ツーゼは、1941年、世界初の完全動作するプログラム制御式コンピュータ「Z3」を完成(チューリング完全であったことも1998年に証明されました)、1944年にはさらに汎用性を高めて「Z4」に発展するのですが、その可能性をナチス政権は充分に見抜いて活用することができぬまま、やがて「マンハッタン計画」の中から、核兵器の弾道計算用にチューリング~フォン・ノイマンの路線で開発されたENIAC(ヒロシマには間に合わず、後に水爆の設計に活用)~EDSACに抜き去られてゆきます。
もっとも、ENIACの登場したのとちょうど同じ1946年、ツーゼから特許使用の許可を得たIBMは、やがて1960年代の第3世代コンピュータの開発競争に勝利すると、世界最大のコンピュータ企業へと一気に登りつめることになります。もともとIBMは、大戦中、アメリカ陸海空軍に各種の兵器弾薬類を製造販売するだけでなく、その一方でナチス政権にも深く取り入るという、一種の”死の商人”的な動きをして暗躍していた企業です。ドイツには通称”デホマク”と呼ばれる子会社を擁し、国勢調査局との契約により、ドイツとその占領地域で、コンピュータの原型というべきパンチカードとその読み取り選別機を大量生産し(ドイツ国内だけでパンチカード15億枚、選別機2千台)、莫大な利益を上げていたのです。そのパンチカードと読み取り選別機はナチの強制収容所にももちろん配備され、ユダヤ人の選別にも存分に威力を発揮しました。

・そのほかジェット戦闘機(メッサーシュミット)、ヘリコプター、飛行船(ツェッペリン号!)とアルミ合金(ジュラルミン)の合成技術、公衆テレビ電話、磁気録音技術(テープレコーダー)、今も”夢の鉄道”として実用寸前の電磁鉄道(リニアモーターカー)などの軍事・民事両用の科学技術開発もナチス・ドイツではじめて着手されたものです。

・そして高速道路(「アウトバーン」)。イタリア・ファシスト政権の事業にヒントを得て、ナチス政権獲得直後の1933年秋から大々的に進められ、敗戦までの12年間に全長4000kmを建設、世界恐慌下の失業者700万人をわずか数年でほとんどゼロにしたこの画期的プロジェクトは、全国道路の大型規格化としての高速道路網の先がけとなると同時に、短期間に大量の雇用を創出する効果的な失業対策・公共事業の先がけとして、いわば「ニューディール」のナチス・ドイツ版、いやむしろ「ニューディール」そのものの先駆ですらあったといえましょう。
その「アウトバーン」の記念碑には、3人の筋骨隆々たる大男が巨大な石を持ち上げる図があります。そしてあのアウシュビッツの正門の“労働は人を自由にする”(Arbeit macht frei)という碑文にやがて極致をみるように、近代最大の神話たる「労働」の美化・神格化は、(ソ連共産主義のスタハノフ運動とともに)ナチス・ドイツにおいて最高頂に達しました。労働者は”労働の兵士”として神聖化され、ブルジョアや資本家も労働者でなければなりませんでした。労働者も経営者も職場では「経営共同体」を形成し、全体としては「民族共同体」の一員としてどんな階級の差をもこえて平等とされました(逆にいえば他の民族、とくにユダヤ人金融資本家は人間以下の“ブタ野郎”とされました)。

・それは「労働」の神聖、「労働者」大衆の生活と生命を守り、その福祉を増進する、ナチス・ドイツの「先進的な」労働政策を生みました。労働者・低所得者への大減税と大企業への大増税、所得税の扶養控除制度や源泉徴収制度、財形貯蓄制度などの所得制度。そして、世界に先がけた8時間労働制の法制化、通勤時間30分以内への制限、時差出勤、有給でのレク時間の保障、長期休暇などの労働条件改善。アスベスト対策などの労働者の安全衛生対策。一定規模以上の会社での「社員食堂」や「社宅」の義務づけ等の福利厚生制度の充実……etc.etc.
そのかわり、過去数十年間に積みあげられてきた労働組合は解体され、ナチス党に服属する「労働戦線」に再編されました。神聖な「労働(者)」は<階級>でなく<民族>の共同体にこそ帰属されるべきだからです。こうして労働者たちは、自らを組織する権利、団体交渉権、職業選択の自由や移動の自由の権利などをすっかり剥奪されたのですが、ナチスの施策によって失業が大幅に払拭され、皆が等しく再び職にありつけ、しかも民族共同体の一員として承認され尊重される栄誉は、それを補って余りある利得と感じさせたのでした。
この「労働戦線」のもとに設立された半官半民団体「歓喜力行団」(Kraft durch Freude:略称「KdF」~直訳すると「歓びを通じての力」)は、ナチス下で最大の団体となり、巨額の補助金のもとに大々的に敢行した労働者の余暇生活向上運動は、ナチス・ドイツの「先進的な」労働政策の自慢の売り物として最も喧伝されました。「余暇局」による国内すべての劇場の労働者への開放、労働現場近くでの図書館の設置、成人教育講座、「スポーツ局」によるスポーツやハイキングの奨励、フォークダンスのグループ、そして最大の目玉商品だった「旅行・観光局」による大衆観光旅行の奨励(とくに北欧や地中海への格安海外パック旅行)、観光地の休暇ハウスなどが次々に「歓喜をもって」華やかに実行されました。超安価な大衆的国民車「フォルクスワーゲン」も、実は「歓喜力行団」が1937年に製造したものでした(だからはじめは”KdF車”と呼ばれた)。
「歓喜力行団」のこれらの成果はどれも、ラジオ放送がそうであったように、労働者の生活条件の向上、そしてブルジョアとの格差縮小感をもたらすめざましく「革新的な」社会的役割を果たしつつ、同時にそれらの活動そのものをとおして集団的一体感と生活リズムの規律化を植えつけ、私的生活の隅々にまでわたる全体主義的管理(全生活の「労働」化!)を完遂する役割をも果たしました。
つまるところ、以上のナチス・ドイツの「先進的な」労働政策の数々は、いずれも、実際には労働者大衆を(神聖な)「労働」へと駆り立て(余暇も神聖な「労働」たらしめ)、総動員し支配し管理するための巧妙な手段であったといえるでしょう。
しかしさらに忘れてならないことに、まさにこれらの「先進的な」労働政策と引換えに、労働できない障害者・病人、労働なしに金を儲けているとされたユダヤ人は、「価値のない生命」として排除され抹殺されました。その際、従来の「不具者」という呼称が「身体障害者」に改められており、これもナチス・ドイツ下の医師たちがはじめて行なったことです(プロクター『健康帝国ナチス』p.59)。そういう「革新的な」改革と引換えに、排除・抹殺は確実に進められていきました。

・ナチス・ドイツでは女性もまた、男性労働者と同格に神聖でありえました。ただし「自然の定める」領域(家庭)で、「自然の定める」任務(母親)を遂行する限りにおいてのことですが。そのとき女は、”出産の兵士””家庭の兵士””母親という戦士“として、民族共同体に等しく貢献する「神聖」で「純粋」な存在とされました。その限りで、出産や家事も一人前の「労働」として神聖化されました。このため、結婚資金貸付制度(1000マルクの無利子貸与)、児童手当(子ども1人生まれるごとに250マルクの返済免除=ナチの家族計画どおりに4人の子どもを作れば、結婚資金貸与はすっかり帳消しになる!)、母子援護事業(貧困母子世帯への生活必需品の供与)、母子援護センターの設立と各種相談事業、農村の農繁期の託児所設置、出産した母親のための特別保養制度(ただし反ナチスの家庭や精神障害者のいる家庭は除外)など、現代日本の少子化対策など足元にも及ばぬ「先進的な」母性保護・出産奨励政策が手厚く実施されました。また同様の観点から「未婚の母」や「私生児」も、(血統がよく遺伝的欠陥がないかぎり)ナチス党の母子援助事業部から差別なく丁重に扱われることになっていました。「母の日」というものを神聖な祝祭日にまで高めたのも、ナチス・ドイツ(と大日本帝国)でした。
しかしこの究極の性別役割分業による戦士共同体も、他の先進諸国一般と同じく、やがて戦争の進行とともに変容を余儀なくされ、女性“兵士”たちが「自然の定める」ところでないはずの男性の職場に進出することになりますが、これも民族共同体への真の「対等な」貢献ということで曖昧に正当化されます。しかも女性の産む機能は依然として重視されたわけですから、これはこれで女性の労働安全対策を前進させる結果ともなりました。戦後の先駆けとなった戦時の女性の社会進出は、女性の解放だったのでしょうか。それとも、あくまで国家へのより深い統合と引換えになされた、女性のさらなる支配の深化だったのでしょうか。
そしてさらに、ここでも忘れてならないことには、まさにこれらの「先進的な」母性保護政策と引換えに、出産できない女性、そしてとりわけ同性愛者が、障害者・病人等に加えて、「価値のない生命」として排除され抹殺されたのでした。

・また、これらの「労働」(出産や家事も含む)の神聖化と義務化は、さらに同じようにして<健康>の神聖化と義務化をもたらし(健康という「労働」!)、障害者・病人・同性愛者等の排除と裏腹に結びつきながら、医療化、ヘルシズム、エコロジスムを先端的に進行させ、今日にまで直接つながる確かな基礎を築きあげました。すなわち、ガン撲滅運動とその早期発見運動・国民「啓発」(これもナチスの好んだ言葉)運動(戦後のアメリカ風にいうなら、“ガンとの戦争”(War on Cancer)!)、集団検診と医師による「健康指導」、禁酒運動、嫌煙とタバコ撲滅運動(肺ガンとタバコの因果関係の発見はナチス医学に発しています)、X線・放射線による遺伝障害への警戒(ひょっとしてこれが、ナチス・ドイツに原爆開発の歩みを鈍らせた!?)、麻薬撲滅運動とその反対に「労働」能率向上のための薬品・サプリメントの開発、合成着色料の禁止、自然保護とワンダーフォーゲル運動、有機農業・自然農法の奨励……etc.etc.( cf.プロクター『健康帝国ナチス』)。
つまるところ病気の排除、死の排除、あるいは病的な文明の排除。<健康>の神聖化と義務化の意味するところは、当然そこへ行き着くのでしょう。その結果、これらの「先進的な」医療化・ヘルシズム・エコロジスムと引換えに、障害者・病人・同性愛者等が「病的な生命」「価値のない生命」として排除され抹殺されました。

・そして「労働」の神聖化、「家庭」の神聖化、「健康」の神聖化の高度化とともに、その反対物たる障害者・病人・同性愛者等の排除・抹殺は極限に達し、断種法から「安楽死」政策(「T4作戦」)にまで至ることになります。断種法に関しては、これは実はアメリカの方が明らかに先駆者で、早くも1923年までに主に精神病患者を対象に全米32州で法制化しており、ここではナチスがそれを引き継ぐ形になっていますが、「安楽死」政策の方はナチス・ドイツのもとで「T4作戦」として明確に国家プロジェクトとして組織的に推進されました。とりわけヒトラーがポーランド侵攻で対外戦争に踏みきって以降は、断種法だけでは間に合わなくなって、大量「安楽死」計画としての「ガス室送り」が断行され、「回復不可能な患者に特別な慈悲で死を与える」対象となったのは、終戦までにその子どもたちも含めて27万人に達したといわれています。その中には精神病患者(同性愛者を含む)、身体障害者、知的障害者、視覚障害者、聴覚障害者、結核患者、福祉施設入所者、老人ホーム入居者、労働不能者、爆撃で精神に異状をきたした一般市民、重症の傷病兵、病弱な避難民たちが含まれていました。
しかもこのナチス・ドイツによる「安楽死」政策は、告発者たちの期待に反して、そしてむしろ今日の安楽死論者たちによく似て、当人の<自己決定>を何よりの大前提としていたことも忘れてはなりません。障害や病やさまざまの不遇を負ったおのれを抹殺したいという自己決定こそがまず、障害や病や不遇を理由とした殺害を正当化します。「生きるに価しない生命だったんだ」と。そしてまた、自己決定を最も尊重するからこそ、その自己決定が不可能な障害者・病者らは“人間以下”ということになり、「特別な慈悲で死を与える」ことも正当化されることになります。
こうしてまず障害者の大量「安楽死」計画として出発したものが、やがて同じく「価値のない生命」とされていたユダヤ人にもそっくりそのまま拡張されて、700万人のユダヤ人虐殺に帰結するのです(その証拠に初期のガス室は精神病院内の一室でした)。そのために当てられた「最終解決」(Endlosung)の語は、今日多くの人々が訳も知らず好んでしばしば使っているとおりです。
たとえば原発は、戦後エネルギー政策の「最終解決」とされてこなかったでしょうか。一方それを支える最底辺には、慢性的に被曝せねば仕事にならない原発労働者に、「価値のない生命」と烙印を押された者たちが、人知れず次々と送り込まれていないでしょうか。第三帝国の国民たちの夢や幸福の神格化と表裏一体に断行されたあのホロコーストの慢性化、アウシュビッツの日常化としてこそ、僕らのこの“終わりなき(?)日常”はあるということをそれは突きつけてはいないでしょうか。ことは原発労働者だけではありません。平凡な日常を送る一般庶民だって、医療技術も格段に高度化した現在、出生前診断等によってずっとソフトにクリーンにインスタントに、ナチズムの美学と同じ目的をとげることができます。

<つづく>


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