じんべえ時悠帖Ⅱ

うりうり(瓜売り)の声

 うりうりがうりうりにきてうりうりのこしうりうりかえる

うりうりのこえ。

 金魚、竹竿などの売り声、豆腐はラッパだった。中華そばの

チャルメラも懐かしい。冒頭の瓜売りは実際に見た記憶はなく、

早口言葉として覚えただけである。

 一昨日の朝日土曜版「サザエさんをさがして」によれば街中

の「物売り」が目に見えて減り始めたのは昭和30年代の始めと

いう。電気冷蔵庫が急激に普及した時季である。

 既に昭和10年の「文学」に寺田寅彦が「昔は『トーフイ』

呼び歩いた、あの呼び声がいったいいつごろから聞かれなく

なったかどうも思い出せない」と書いている。

 安藤鶴雄は昭和42年のラジオ放送で昔の売り声を紹介して、

「戦争に負ける前までの東京には、町町を売って歩く、こんな

小商人(コアキンド)の売り声ひとつにも、まるで、音楽でも聞く

ような、うつくしい音があった」と回想した。

 東京都「食品衛生関係事業報告」の令和3年版によれば、

「豆腐とその加工品」の行商は「15件」という。

(引用終わり)

 そう言えば、買ったことはなかったが、あのラッパの音を

流しながら来ていた軽トラの豆腐屋はコロナ以降来なくなって

しまった。今日からの5類移行で復活するだろうか。

 

散歩の花たち


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
確かに軽トラは最近ですね、昔はリヤカーや自転車、やがて三輪のミゼットに
なりました。
背負子一杯の野菜を売りに来たお百姓さん(小柄なお婆さん)を思い出します。
jinbei1947
ワイコマ様
酢などは量り売り、豆腐には鍋、刺身には皿持参のお使いを思い出します。
アイスキャンディー売り、佐久鯉を捌く自転車もありました、懐かしいです。
eme
私の記憶にあるラッパの豆腐屋は、軽トラではなく自転車に乗って居ました。
ykoma1949
残念ながら信州では物売りはあまり流行らなかった・・
豆腐屋さん 魚屋さん こんにゃくやさん 八百屋さん
小さいながらもお店で商売していて、よく片道30分くらい
歩いて、お買い物に行かされました。中でも豆腐とかお刺身
とか、当時のナップサック、背負子に入れられない物は手で
持ってくるのが・・辛かった~今では郊外の林間部などへ
JAスーパーが、車で移動販売車がいってますが・・需要の
減少から、廃止が・・噂されています。益々過疎化に拍車が
かかります。時代の変化で仕方ないのでしょうか・・・・
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