入社して朝霞市の工場に通っていたので東武東上線には縁が深い。
開通して110年になるという。国鉄の高崎線、川越鉄道(現・西武新
宿線)は開通していたが上越線は通っていなかった明治の終わり。
川越の豪商や投資家などが東京と川越、ゆくゆくは上州、越後長岡
までを予定して、大正3年(1914)の5月に開業した東上鉄道が元で
ある。その後、東武鉄道と合併して東武東上線となった。
池袋から北西に向かうのに何故「東上線」? 諸説あるが、東京と
上州を結ぶつもりだったからという説が有力である。これは群馬の
上信電鉄(高崎ー下仁田)がやはり将来的に信州まで延伸予定だった
のと同じである。
ネットから開業当時の写真を借りる(いずれも1914年)。
水谷村(現・富士見市)付近の敷設工事
柳瀬川を渡る東上線(富士見市と志木市の境界)