須藤甚一郎ウィークリーニュース!

目黒区議会議員・ジャーナリスト須藤甚一郎のウィークリーニュースです。

730号 東京スポーツが紹介!8月4日憲法違反の「集団的自衛権の行使容認」を提訴、訴状全文紹介!

2014-08-04 | 記 事

「東京スポーツ」が記事で紹介した!記事全文紹介する!8月4日、私は東京地方裁判所に、安倍内閣が去る7月1日に閣議決定した「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」は憲法違反であるため、無効の確認を求める訴訟を提起した。

現在の日本国憲法が施行されたのが、昭和22年5月であった。憲法第9条に戦争の放棄を定めており、憲法施行から67年余、日本は戦争をせず、戦争の巻き込まれず、平和そのものであった。世界の歴史でも珍しいといえる。

安倍晋三総理大臣が主導して決めた「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」とは、日本が他国に攻撃されなくても、例えば同盟国のアメリカが攻撃されたら、日本は助っ人として、戦争に参加するというもの。自国を衛るのではなく、他国を衛るのだから、“集団的他衛権”というべきだ。

★戦争を知らない総理・安倍は、殺し合う集団的自衛権を嬉々として説明する!

戦争をしない国であった日本は、戦争をする国の日本へ大きく変わろうとしている。大変なことだ。
戦争を知らない、戦後生まれの総理・安倍は、集団的自衛権の説明をするとき、嬉々とした表情でやっている。いったい何を考えているのか。戦争とは、兵器でお互いに殺し合う戦いである。

集団的自衛権は、憲法第9条の規定によって、これまで憲法違反とされてきたのである。ところが、総理・安倍は難しい手続である憲法改正を避けて、簡単に内閣の閣議決定でできる憲法9条の「解釈改憲」を選択した。しかし、このやり方は、憲法の三権分立の原則、つまり、立法府・国会、司法府・裁判所、行政府・内閣のそれぞれの独立の原則に違反し、憲法違反である。

訴状にも書いたが、わたしは先の戦争の負けたとき、6歳であった。戦争の悲惨さを生で体験した一番の年少世代である。朝日新聞の「天声人語」で取り上げていたが、SKB48のメンバーの慶応大学1年生も憲法に関心があり、憲法学者を対談本を出版したほどだ。

ぼくの訴状は、誰が読んでもわかりやすくまとめたので、ぜひ目を通してください。集団的自衛権の問題点がわかります。絶対に許すな!人殺し、人に殺される集団的自衛権の行使を!

*8月12日、東京スポーツが、つぎの記事を掲載した。

どうぞ、ご覧ください。


訴状の全文を紹介する。
*******************
訴   状
平成26年8月4日
東京地方裁判所民事部 御中
                   原告  須 藤 甚 一 郎

〒100-8914 東京都千代田区永田町1丁目6番地1号
          総理府内閣府付
被 告   内閣総理大臣    安 倍 晋 三
      副総理 財務大臣  麻 生 太 郎
      総務大臣      新 藤 義 孝
      法務大臣      谷 垣 禎 一
      外務大臣      岸 田 文 雄
      文部科学大臣    下 村 博 文
      厚生労働大臣    田 村 憲 久
      農林水産大臣    林   芳 正
      経済産業大臣    茂 木 敏 充
      国土交通大臣    太 田 昭 宏
      環境大臣      石 原 伸 晃
      防衛大臣      小野寺 五 典

      内閣官房長官     菅   義 偉
      復興大臣       根 本   匠
      国家公安委員会委員長 古 谷 圭 司
      内閣府特命担当大臣  山 本 一 太
      女性活力・子育て支援担当 内閣府特命担当大臣
                 森 まさこ
      経済再生担当 内閣府特命担当大臣
                 甘 利   明
      行政改革担当 内閣府特命担当大臣
                 稲 田 朋 美

憲法違反及び閣議決定無効確認請求事件
訴訟物の価額 1,600,000円
貼用印紙代     13,000円


第1 請求の趣旨
平成26年7月1日、安倍内閣は臨時閣議で「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」を行った。しかし、本件閣議決定は、まず日本国憲法 第2章(戦争の放棄) 第9条 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」に違反する。
なお且つ、本件閣議決定を主導した安倍晋三総理大臣及び本件閣議決定に同意した閣議の構成員であるすべての国務大臣は、憲法第99条(憲法尊重擁護の義務)「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」にも違反する。
さらに、本件閣議決定は、憲法で定める三権分立(立法権、司法権、行政権)の原則にも違反する。
よって本件閣議決定は、憲法違反であるため、無効であるとの確認を求める。

第2 請求の原因
1 原告適格及び訴えの利益について
(1)原告は、本籍及び現住所が東京都目黒区○○である日本国国民である。
(2)原告は、先の戦争中、昭和20年3月10日のいわゆる東京大空襲の直後、戦火を逃れて東京都板橋区から母が薩摩芋の買い出しにいっていた埼玉県東松山の農家の物置を借り縁故疎開。同年4月に小学校入学の学齢であったが入学できず、6歳7か月で疎開先で敗戦を迎えた。まだ幼かったが戦中・敗戦後の惨状は、後期高齢者になった現在でも鮮明に記憶に残る。
多くの親戚縁者の出征・戦死。東京で夜間、米軍の空襲による爆弾・焼夷弾投下の中を逃げ逃げ回った恐怖。敗戦後の食糧難により食うや食わずで栄養失調に。わたしたちは食う物がないのに、ノミやシラミに体中食われ放題であった。子どもたちは痩せ細り、さながら骸骨標本みたいな体型だった。飢餓に耐えられず、苦い雑草までむしゃぶり食った惨めさは忘れられない。
戦後生まれで戦争を知らぬ安倍総理が、集団的自衛権を行使容認する閣議決定について、嬉々としてしゃべる姿をテレビで見た。戦争の悲惨さ、惨めさを体験し、鮮明に覚えている最後の世代であるわたしたちが、安倍内閣が憲法違反でやろうとする集団的自衛権の行使を容認することに歯止めをかけねばならないと決意し、本件訴訟を提起するものである。
日本が攻撃されているわけではないのに、俗にいう戦争の片棒を担ぐ集団的自衛権の閣議決定を見過ごすわけにはいかない。“集団的自衛権”とは名ばかりで、日本が攻撃されるのではなく、他国は攻撃されるのだから、自衛権ではなく、“他衛権”というべきであろう。
日本は憲法第9条の戦争の放棄の規定を遵守し、憲法施行から現在まで67年間余も平和な国として存続してきた。しかるに安倍内閣による「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」により、憲法9条の戦争放棄の規定の条文は残るものの、空文化したといえる。その結果、日本はいつなん時、戦争に巻き込まれるか知れぬ危険性が現実のものとなり、わたしたち国民はこれまでのように、安心して日常生活を送ることができなくなったのである。
憲法第13条(個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉)は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定めている。しかし、安倍内閣は憲法施行以来、違憲とされてきた集団的自衛権の行使を容認し、第9条で定める戦争の放棄が踏みにじられた。そして他国の戦争に巻き込まれることもあり得ることになった現在、生命、自由及び幸福追求に対する、わたしたち国民の権利が大いに制限されたといえる。
上記の諸事情を勘案すると、原告は本件訴訟提起において、訴えの利益の要件は十分に具備しているというべきである。

2 憲法改正を回避し、閣議決定で集団的自衛権の行使を容認したのは違憲である。
(1)憲法第9条の「解釈改憲」は違憲。集団的自衛権の法整備はできない。
日本国憲法施行以来、憲法第9条の規定はあるが、仮に他国から日本が攻撃されたとき、正当防衛として必要最低限の実力行使として応戦する、いわゆる個別的自衛権は、憲法で容認されるとされてきた。
けれど、例えば米国が他国から、またはそれに準ずる勢力から攻撃を受けたとき、攻撃を受けていない日本も参加して、戦闘行為を行う集団的自衛権は正当防衛とはいえず、憲法第9条の規定により従前から違憲とされてきたのは周知の通りである。
日本国憲法第96条は、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。 2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」と定めている。
憲法改正には上記のごとく正式な手続きがある。ところが、安倍内閣による7月1日の閣議決定は、集団的自衛権の行使容認に関しては、憲法改正と同等の効果のある憲法第9条の解釈を単に変更する「解釈改憲」といわれる手法を採用し、憲法改正の手続きを避けて通った。憲法施行後、違憲とされてきた集団的自衛権の行使を容認するのであれば、当然、憲法第96条の手続を踏んで憲法を改正して行なうべきものである。安倍内閣が、あえて憲法第96条の手続を避け、閣議決定で集団的自衛権の行使を容認することにしたのは、いうまでもなく違憲というべきである。
内閣が閣議決定により、憲法の解釈を変更するという行為が違憲であるとする指摘は、すでに多くの憲法学者からでている。安倍内閣が、集団的自衛権行使のために行う、自衛隊法改正はじめ関連する新法の制定などのすべてが違憲になり、国会で議決ができない事態になる。
閣議決定は、それ自体としては何ら具体的な権限を生むものではない。したがって集団的自衛権を行使するためには、関連する法令の法整備が必要になる。安倍内閣は、来年の統一地方選挙後を目途に行おうとしている。安倍総理はじつに卑怯なやり方をしようと目論んでいる。統一地方選挙前に集団的自衛権に関連する法整備を行えば、統一地方選挙で惨敗すると危惧しているためだといわれている。地方選挙で負けるのは、民意が集団的自衛権の行使を容認することに反対していることの証拠である。安倍内閣は、民意を無視してまで、違憲な集団的自衛権の行使を容認したのである。
憲法第96条の憲法改正の手続きを踏まずに「解釈改憲」はしたものの、集団的自衛権の行使はできない事態になるのである。

(2)麻生副総理「ナチス憲法の手口を学べ」発言と安倍総理の9条解釈改憲
 平成25年8月、麻生太郎副総理が、講演でつぎの趣旨の発言をして物議をかもし、日本国内のみならずドイツなど外国でも大いに注目された。発言の一部を引用する。
「ヒトラーはいかにも軍事力で(政権)を取ったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは選挙で選ばれたんだから。・・そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーがでてきた。・・憲法は、ある日気がついたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気がつかないで変わった。あの手口を学んだらどうかね。つまり、ヒトラーはワイマール憲法のもとでナチスを第1党に導き、政権を取ったら事実上ワイマール憲法を廃止して完全な独裁体制にした、といっているのだ」
 麻生副総理の発言当時、単なる事実誤認や錯誤による問題発言と報道したメディアが少なくなかった。発言の影響は大きく、その後、麻生副総理は発言を取消した。しかし、安倍総理が主導した憲法第9条の解釈改憲のやり方は、麻生副総理が例示したナチス憲法の変更の手口、つまり「憲法は、ある日気がついたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気がつかないで変わった。」を下敷きにしたのではなかったか。
安倍総理は、憲法第9条の改正ではなく、容易にできて、しかも、国民がある日気がついたら憲法の内容が変わっていたという、麻生副総理の演説を彷彿させるやり方で第9条の解釈改憲を行った疑惑がある。
麻生発言のあった昨年(平成25年)8月には、安倍政権は集団的自衛権の行使を容認する閣議決定の準備を積極的に進めようとしている最中であった。安倍総理と麻生副総理が、ナチス憲法のやり方を学び、集団的自衛権の行使容認ができる閣議決定について話し合い、その内容をつい講演で発言したしまった、と推認することも可能なのである。

3「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」は安倍総理及び全閣僚は、憲法99条(憲法尊重擁護の義務)違反である。
 憲法第99条(憲法尊重擁護の義務)は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と定めている。
いうまでもなく、この規定は広く、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員に、憲法の尊重擁護義務を課して、憲法の最高法規性を確保しようとしたものである、と解されるのが通説である。また、憲法を「尊重」し「擁護」するとは、憲法を遵守し、憲法違反に反対し、正当な憲法の実施を確保することと解されている。
 しかし、閣議の構成員である安倍総理及び全閣僚は、憲法第9条の解釈として憲法施行から現在まで、集団的自衛権は違憲であると解釈されてきたのを破棄し、集団的自衛権は適法であると解釈の変更を行ったのである。その結果、憲法改正の手続きをあえて回避し、憲法第9条の条文の変更は行われなかったが、内容において第9条の改憲同様の効果がある集団的自衛権の行使容認を閣議で決定したのである。このやり方は、閣議の構成員である安倍総理及び全閣僚が全員一致して、憲法第99条の規定を破り、憲法を尊重し擁護する義務を放棄し憲法違反の行為を平然と行ったというべきである。憲法違反の閣議で決定された集団的自衛権容認は、当然違憲であるのは、自明なことである。
 憲法第99条では、天皇も憲法尊重擁護の義務を負わされている。天皇は、平成25年12月23日の80歳の誕生日の記者会見で、つぎのメッセージを発表した。
 「戦後、連合軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、さまざまな改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また。当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」
 安倍総理は、憲法第99条の憲法尊重擁護の義務を守らなかったけれど、天皇は上記のメッセージの引用を一読すれば、日本国憲法を高く評価し、憲法尊重擁護の義務を守っているのがよくわかる。元東京大学法学部教授でオーラルヒストリーによる近代政治史が専門の御厨貴・東京大学名誉教授は、近著「集団的自衛権の何が問題か 解釈改憲批判」(奥平康弘・山口二郎編、岩波書店)の対談の中で「現在の天皇は、メッセージはすべて自分で書かれていますから」と語っている。

 
4「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」は憲法の三権分立の原則を破り違憲である
安倍内閣は、憲法の規定通りに憲法を遵守し擁護すれば、憲法第9条を改正しなければできない集団的自衛権の行使容認を決めた「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」が、憲法の三権分立の原則にいかに違反し、違憲であるかを述べる。
(1)「法律の執行は行政の本質」だが、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定は法律ではない
憲法は、国会が立法権の主体(第41条)、裁判所が司法権の主体(第76条)、内閣は行政権の主体(第65条)と定め、三権分立の基本原理を明らかにする。第65条(行政権)では「行政権は、内閣に属する。」と定める。
そして、第73条では、内閣の職務についてつぎのように規定する。
「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
1 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
2 外交関係を処理すること。
3 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
4 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
5 予算を作成して国会に提出すること。
6 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し,
政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
7 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。」と定めている。
第73条で、内閣の行う一般事務の外に、「左の事務を行ふ。」として列挙されている1~7の事務の内容を一瞥すれば、「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」を可能とする事務内容は存在しない。
ちなみに、伊藤正巳著「憲法入門」第4版、有斐閣は222頁。法律の執行と国務の総理(73条1号)で「近代的行政は、法律にもとづき、法律に適合して行なわれるから、法律の執行は行政の本質といってよい。憲法が「誠実に」といっているのは、内閣が国会の意思に従属することを示している」とある。
「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」は、伊藤氏のいう「法律の執行が行政の本質」とは逆である。安倍総理が主導して、憲法の内閣の職務規定にないこと、つまり「法律を誠実に執行し」ではなく、法律ではない集団的自衛権の行使容認を安倍内閣が決めたのは、違憲行為であるというべきである。安倍内閣は、先に集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、辻褄合わせのため、その後に国会で関連法案の整備をしようというやり方である。しかし、このような欺瞞的なやり方は憲法の規定はなく、三権分立の原則を破り違憲というべきである。
伊藤氏は共著「注釈憲法 第3版」有斐閣で、憲法第41条(国会の地位・立法権)「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」について、「国会が唯一の立法機関だということは、右の意味で立法がすべて国会中心に行われ(国会中心立法の原則)、また、国会の議決だけで成立する(国会単独立法の原則)ことを意味する。」としている。さらに、国会の最高機関性とは、主権者である国民によって直接選挙される国会が国政運営の中心におかれるべきことを要請する政治的要請である」と述べている。つまり、行政権の主体である内閣が、国権の最高機関であり、唯一の立法機関である国会を差し置いて、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定のようなやり方は憲法にあってはならないというわけである。
(2)国の政策を決定する権限は、行政権に含められてはならない
内閣は、内閣法に基づいて、職権を行うのであるから、内閣法はどう規定しているのか、確認しておく。第1条では、職権をつぎのように定める。
「第1条 内閣は、国民主権の理念にのっとり、日本国憲法第73条 その他日本国憲法に定める職権を行う。(下線は原告が付した。以下同じ)
2 内閣は、行政権の行使について、全国民を代表する議員からなる国会に対し連帯して責任を負う。」
また第4条では、「内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。
2 閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する。この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる。
3  各大臣は、案件の如何を問わず、内閣総理大臣に提出して、閣議を求めることができる。」と定めている。
 内閣法第1条で憲法第73条1~7において、「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」の範疇に相当する事務に関しての規定が存在しないことはすでに述べた通りである。
 4条2においては、内閣総理大臣が主宰する閣議で、「内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる。」と定めている。条文の文理上明らかなのは、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができると定めているのみである。集団的自衛権に関して憲法9条の改正と同等の効果のある憲法解釈の変更のごとく、極度に重要な案件を閣議で総理大臣が発議し、かつ決定することができるとは条文で明示されてないのである。
内閣は、行政府であって、立法府ではないのだから、憲法改正と同等の効果があるといっていい憲法解釈の変更を総理大臣が閣議で発議し、決定できないのは当然であろう。
野中俊彦、中村睦男、高橋和之、高見勝利共著「憲法Ⅰ、Ⅱ」有斐閣、第15章内閣(執筆者・高橋和之東京大学教授)は、152頁及び186頁において、行政権の限界についての的確に述べられており、抜粋して引用する。
 「現代国家においては、行政権の担い手は政治の中心に位置する。国政における行政の重要性が、近代に比較し、飛躍的に増大したからである。近代においては、経済社会の自律的・調和的発展が信仰され、国家の役割は、必要最小限の秩序維持に限定されるべきだとされた。「安い政府」「夜警国家」「消極国家」の思想である。しかし、経済社会の自律的・調和的発展は、神話に過ぎないことがやがて明らかになった。(略)「神の見えざる手」に代わり、国家の手に委ねられたのである。国家機関の中で、かかる役割を実効的に果たしうるのは、行政権の担い手をおいてない。(略)かくして、「行政国家」(国政において行政権の役割が優越的な国家)は、現代の先進国に普遍的現象であり、日本もその例外ではない。」(152頁)
 「第一に、国の政治の基本政策の決定は、国民を直接代表する国会によってなされるべきであり、行政権は、かかる政策決定を含むものとして理解されてはならない。たしかに、行政国家現象の中で行政権が政治の中心となり、国の基本政策を構想し、国民、国会に提案する役割は、行政権の担い手に委ねられるようになっている。しかし、それを国の政策として決定する権限は、行政権に含めてはならない。
 行政は、政策を構想・提案し、決定された政策を実施する作用として、より正確にいえば、政策を決定するのではない採用として理解されるべきである。」(186頁)と述べている。安倍内閣が行った「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」の決定過程のごとく、国の基本の政策決定が国民を直接代表する国会のよってなされず、行政権である閣議で行ったのは、取りも直さず違憲であると高橋和之教授は判断している。

証拠方法
1 甲第1号証 「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」(全文)、朝日新聞、2014年(平成26年)7月2日発行。

 注:平成26年8月8日、東京地方裁判所民事第12部に「訴訟の一部取下げ書」を提出し、被告は総理大臣 安倍晋三ひとりに絞った。他の被告18名の取下げをした。内閣法第4条で、「 内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。 2 閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する。」と定めており、内閣総理大臣である安倍晋三が、憲法違反である「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」の最高責任者であるからだ。被告を総理大臣・安倍ひとりに絞ったのは、閣議を主導し違憲の閣議決定をした責任を徹底追及するためである。

 


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