須藤甚一郎ウィークリーニュース!

目黒区議会議員・ジャーナリスト須藤甚一郎のウィークリーニュースです。

349号 のりピー事件で麻生・自民支持率回復&山城新伍さん老人ホームで死去!

2009-08-14 | 記 事
★麻生、自民の支持率回復は、のりピー事件のお陰だ!

衆院選の公示まであと4日。投票日までは16日になった。
「麻生太郎、自民党の支持率が回復してきたのは、どうしてなんだ?」って、ぼくは何度も質問された。 ぼくは「のりピー(酒井法子)の覚せい剤事件のお陰だよ」って答えると相手は「えッ!?」って一瞬絶句する。

ぼくはこう説明する。
「覚せい剤事件で、のりピーの夫の逮捕。のりピーの失踪、出頭、逮捕の事件が起きる前は、テレビのワイドショー、報道番組は総選挙モード一色だった。
そして内容は、民主党圧勝、自民党惨敗っていう取り上げ方だった。

ところが、のりピー事件以後は、選挙報道よりも、のりピー報道に何倍も時間をさいた。出頭した晩、ビートたけしなどが出演しているTBSの報道生番組は、1時間半すべてをのりピー事件を放送した。その結果、視聴率はなんと30%余り。
この数字は、ことし放送されたすべての番組のうちでトップの視聴率だった。

★テレビは「のりピー事件」一色で、麻生・自民は助かった!

だもんだから、テレビ各局は、のりピー報道に異常に力を入れだした。その分、麻生太郎、自民党の駄目ぶりが放送される時間が減ったのが、支持率回復につながっているわけだよ。支持率のアップダウンは、テレビがどう報道するかに一番影響をうけるのは、ご存知の通りだよ」

まあ、のりピー事件が支持率回復のすべての原因ではないが。麻生太郎も自民党も「神さま、仏さま、のりピーさま!」って、ありがたくで仕方がないんじゃないのか。そんなら、留置場のりピーに極上鰻重の差し入れでもしてやれって!

★山城新伍さんが老人ホームで亡くなった!

テレビ、スポーツ新聞で報道しているように、俳優の山城新伍さん(70)が亡くなった。彼は目黒区柿の木坂に住んでいた。が、奥さんの女優・花園ひろみと離婚し、その後、数年前から糖尿病を患い、芸能界の仕事をやめ、特別養護老人ホームで暮らしていた。

ぼくは、新伍さんとは30年以上も前に、ラジオのニッポン放送の「青空ワイド」という番組を数年間、一緒にやったのをキッカケで、ひところ親しくしていた。といっても、あちらは役者、こっちは週刊誌記者、テレビリポーターだったから、そりゃ2人の間には垣根があったけどね。

それよりも、新伍さんもぼくも、ベタベタ付き合うのが趣味じゃなかったから、親しくてもあっさりしていた。けれど、お互いにいい所もそうじゃない所もよく知っていたよ。新伍さんは、ぼくより1歳年上の昭和13年生まれ。でも元気な頃は、ぼくなんかよりずっと若く見えたものだ。

★老残の姿を見せたくないので面会拒否!

新伍さんは、人生万事おしゃれだったから、老人ホームに入居してからは、芸能界の仲間とも会いたがらなかった。とくに親しい人には、老残の姿を見せたくなかったのだろう。その気持ちはよくわかるね。
こうして亡くなってみると、いろんなことを思い出す。

あれは5年ほど前だった。日本テレビの特番で一緒になったとき、新伍さんの歩き方はヨタヨタし、ジーパンの尻の部分がたるんでいて、臀部(でんぶ)の肉がそげ落ちているのがわかり、哀れだった。
けれど、口だけは達者で本番中に一所懸命しゃべっていた。しかし、売りものの毒舌なんかどこへやら、ただ無駄にべらべらしゃべるだけで、ああ、山城新伍老いたり、って可哀想だったよ。

読売新聞は、新伍さんの死をつぎのように記事にした。
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「仁義なき戦い」の俳優・山城新伍さん死去
 
テレビ時代劇「白馬童子」や、バラエティー番組での軽妙な司会で知られた俳優の山城新伍(やましろしんご)(本名・渡辺安治(わたなべやすじ))さんが12日午後3時16分、嚥下(えんか)障害による肺炎のため、東京都内の老人ホームで亡くなった。70歳だった。
 
京都府生まれ。高校卒業後、東映のニューフェースとして入社。1958年、映画「台風息子」でデビュー後、60年の「白馬童子」に主演して子供たちの人気を得る。
その後、東映の時代劇映画に数多く出演。会社がヤクザ映画路線に転じると、「不良番長」シリーズや「仁義なき戦い」シリーズで、八方破れでコミカルな演技を見せた。

川谷拓三さんとコンビを組んだ即席めんのCMなどで軽妙な印象を残したほか、「独占!男の時間」「新伍のお待ちどうさま」などのバラエティー番組に出演し、歯切れのいい司会ぶりで幅広い人気を集めた。映画監督業にも進出し、「ミスターどん兵衛」「本日またまた休診なり」「やくざ道入門」などを撮った。
(2009年8月14日07時40分 読売新聞)
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★妻・花園ひろみと2回離婚した!

新聞記事には、離婚のことが書かれていない。奥さんだった女優の花園ひろみは、新伍さんとは東映のニューフェイス仲間。昭和60年(1985年)に1回目の離婚をした。原因は、新伍さんの浮気現場が写真週刊誌に撮られたからだ。でも、離婚後も部屋は違うが、同じマンションに住み、数年後に復縁して改めて入籍。

ところが、その後、再び離婚した。離婚を言い出したのは、妻のひろみさんからだったという。
2度目の離婚の頃、新伍さんが監督した映画に、ぼくはゲスト出演を頼まれた。六本木のベルファーレでロケをしたとき、撮影開始時間になっても監督の新伍さんが現れない。さあ、大変!

★「性生活は充実、食生活はイマイチ」のジョークを! 

根っからの活動屋を自認していた新伍さんだから、撮影時間に遅れるなんてことは、あるはずはない。事故にでもあったのか?って、騒いでいたとき、新伍監督が缶ビールを飲みながら、赤ら顔して「ごめん、ごめん!」って現れた。
そう、あの頃から、バラエティー番組の仕事も減り、少しずつ人生の軌道からはずれていったんじゃないのか。

2度目の離婚のあと、テレビのワイドショー特番の休憩時間のとき、ぼくは新伍さんに「独身生活だと、食生活が大変でしょう?」って聞くと、「性生活は充実しているけれど、食生活がイマイチだよ」ってジョークにみんなで大笑いしたものだ。
元気な頃の新伍さんのシャイな笑顔が浮かんでくる。
(8月14日11:20更新)

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