体力的・気力的に一番きつかったこと
学位審査にはいるためには、1)授業の単位取得、2)国際会議での発表(少なくとも採択がきまっている)、3)論文誌掲載 が必要でした。
この1)〜3)の勝負所がD3の3月〜9月に一気にきてしまって、当時のスケジュールを見ると今でも目眩がします。博士課程にいて最も大変とされているのが論文誌への掲載。査読付きでないといけません。国際会議も同様で、酷い内容だと一発でRejectを食らいます。私のいた大学院では、授業の単位の一つに「副テーマ」というのがあってこれも担当教官に提出し合格しないといけません。あと3月の音響学会で発表した内容で、ちょっとした賞をいただいてしまったため、9月の研究発表会のエントリーも余儀なくされました。
物事、調子よく進んでいるときは少々の困難はなんとかなるものです。
すべてを、 I MUST DO otherwise.... と考えるのではなく、 I WILL DO, then ! と考えれば少々のミス・想定外なことは前向きに乗り切れました。
私の場合、メンタルな意味で苦しんだ記憶はないのですが、研究の最終アウトプットをどういう形で示すのかは悩みました。D2になるころ、「C++ソフトウェアで実現可能、PCで実行可能な水準の精密周波数解析方法」という枠で進めることを決心しましたが、当時採用していた計算式には近似が含まれており、ここがみっともないと指摘され、ぐぬぬ・・・ 約半年後、近似を用いない計算式が判明しジャーナル掲載へ一歩近づきました。しかし、この時点では、現在のSynchro PRIMO法のヒントとなる「ある数式」には気づいていなかったのです。