PRIMO信号処理研究所 / Synchro PRIMO Lab.

周波数測定、位相差測定に関する新しい数理。
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大学院時代の思い出3

2019-05-21 00:38:05 | 博士課程

 大学院修了まで、実は3年半かかってしまいした。この「半」はなぜこうなったか。。。

 D3になる直前の3月末にマイコプラズマ肺炎にかかってしまい、4月・5月が半潰れの状態。経験者にはわかると思いますが、とにかく体がだるいのです。修了のため授業1科目を履修をしていたのですが、予備審査の条件として落とせない科目。うちの大学院では授業はクォータ制になっていて3ヶ月で勝負が決まります。GWあけの中間試験は病気真っ最中ゆえわずかに合格点に足らず。最終的には病み上がりの状態で、気力・体力を振り絞った6月上旬の期末試験なのでした。結果は後半戦での頑張りがきいて合格。

 このタイミングで国際会議の採録通知がきました。試験直後6月中旬にCamera Ready稿を提出。ジャーナルを書くための実験もほぼ終わっておりあとは論文の形にまとめるだけ・・・ところがジャーナルなんて初めてなので書き方がピント来ない。ジャーナルの締め切りは7月12日だったと記憶しています。

 副テーマもなんとかOKになり、「骨子提出」という段階にはいったろころ、教務からNGの知らせ。なんと単位の履修要件を一部ミスしていたのです。仕方ないので夏休みに集中講義というのがありそこで2科目を一気に履修。8月はほとんどつぶれてしまいましたが、ジャーナルへの投稿も終わっており、国際会議(EUSIPCO 2013 モロッコ・マラケシュ)も後は行くだけ。9月を楽しみにしていましたが、猛暑の2科目受講と渡航準備はきつかったです。

 結局、6月上旬に期末試験、中旬にCamera Ready稿投稿、下旬が副テーマ仕上げ、7月上旬でジャーナル投稿、その1週間後に札幌で研究会、8月から集中講義、9月に国際会議、帰国して中旬に豊橋で音響学会、10月にはジャーナルが条件付き採録・回答を作成。やめときゃいいのに、12月の研究会にエントリー、やめときゃいいのに、予備審査でへろへろになっているのは明らかなのに、3月の音響学会にエントリー。。。 記憶が飛んでいるのですが、どうせなら限界までやってやれと思っていたのかもしれません。

 ここまでのミスで、修了は「+3ヶ月」が確定しています。あと3ヶ月は、予備審査で野球で言うなら「派手な一発」を審査委員から食らい、論文の修正に+3ヶ月を要したこと。この派手な一発とは、本ブログで書いた「フーリエ変換の不確定性」で当時、勉強が不十分で学位論文の記述もあまあま、ということをさらに自覚出来ていなかったという痛恨のミス・・・しかしこの3ヶ月の猶予のおかげで他のあまい箇所の加筆もでき最終的には満足のいく形になったと思っています。

 学位論文を書いてからもう5年以上過ぎましたが、しばらくは「見るのも嫌だった」自分の論文、最近になりやっと客観視できるようになりました。自分でいうのも何ですが、序論はなかなかのもので、本当に自分が書いたのか?という印象。 

 今でも思い出すのは、12月末に学位論文の「白紙のテンプレート」を見たときの絶望感(目次を書いたあと、この分量は無理・・・とマジで思った)。予備審査は2月末or3月上旬。執筆に与えられた時間は約60日。とにかく頭をクリーンにしたく、宿泊客がほとんどゼロの冬の「白峰温泉」に3日間こもったのは懐かしい思い出です。

 苦しかったD3の後半で、「やけくそ」で発表した2件の研究会での発表(執筆開始直前の12月と予備審査直後の翌3月)、これが現在のSynchro PRIMO を決定づけたものでした。2つのリサージュ外積を割り算するアイディアは9月のマラケシュで着想したのでした。たぶんD3(すでに51歳)の1年は今までの人生でもっとも密度の濃かった一年だと思います。

 うちの大学院は別名「トラの穴」とも呼ばれていることを、どこからか聞きました。たしかにいくつかの勝負を勝たないと出られない、そんな感じです。本ブログではあえて大学院名は書きませんが、私のジャーナルをみればすぐに分かるかと思います。

 


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