エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

永遠の命のために捨てること

2024-10-01 | メッセージ
マタイ19:26-30 
 
永遠の命を求めてイエスに近寄ってきた人は、真面目そうでした。でも、持ち物を売り払い、貧しい人々に与えよ、とイエスに言われると、悩みつつも立ち去らざるを得ませんでした。これを受けて、イエスは弟子たちに言います。金持ちが「神」の国に入ることは、如何に困難なことであるか。弟子たちはそう受け止め、困惑の色を隠せません。
 
それでは、誰も救われないのではないか。イエスは、「それは人にはできないが、神には何でもできる」と説きました。これを聞いたペトロは、何かを覚ったかのようです。持ち物を売り払うことが神の国に入る条件だと言われたのだ、と思ったのです。そうだ、自分たち弟子は皆、「私たちは何もかも捨てて、あなたに従って参りました」と言えるのです。
 
イエスは、先の金持ちであろう人に、財を貧しい人々に与えよ、と言ったとき、それで終わり、とは言っていませんでした。そうやって天に宝を積んだ後、「それから、私に従いなさい」と言ったのです。もし財を手放したとしても、イエスに従うのでなかったら、永遠の命を得ることはできない、ということが結論されるかのようです。
 
ペトロは、ちょっと喜んだのではないでしょうか。「では、私たちは何をいただけるのでしょうか」と問うたとき、「永遠の命」と答えてほしかったのでしょう。この願いは、ある意味で叶えられました、と言えるように思います。すでに「新しい世界」になるときを想定しています。「人の子が栄光の座に着く」ときのことがリアルであるからです。
 
イエスに従ってきた、ということが条件です。ゲッセマネの祈りの後、イエスを捨てて逃げた弟子たちも、「従ってきた」部類に入るのかどうか、考える余地があります。マタイなので、イスラエルの十二部族を裁く、という言い方もありました。但し、弟子はこの12人には限りません。私たちも、そこに巻き込まれる必要があるのは確かでしょう。
 
人や財を捨てたならば、「その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」ことになります。ペトロは明るい顔になったのではないでしょうか。「しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」という謎の結びが付け加えられます。これは、読者へ、あなたへ、私へ向けたメッセージである、そう私は信じざるを得ません。




その時、ペトロがイエスに言った。
「このとおり、私たちは何もかも捨てて、
あなたに従って参りました。
では、私たちは何をいただけるのでしょうか。」(マタイ19:27)

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