ペトロは、この方である、と断じます。「ある」の強調がありますので、ここには非常に力が入っています。「この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(使徒4:11-12)というのです。引用は七十人訳の詩篇からです。マルコやルカにもこの個所からの引用があります。ここは教会にとって重要な引用すべき個所であったと思われます。旧約聖書に預言されていたことの実現がイエスであるという論拠は、どうしても必要でした。これがなければただのインチキになりかねません。神の言葉であるとユダヤ人に完全に信じられていたその聖書の中にあるからこそ、イエスの十字架に意味がありました。ただの美談でもないし、同情すべき物語というわけでもありません。このイエスの名のみが救いを与える、というのがペトロの、ルカの、そしてこのキリスト教会のメッセージでした。この名によってでなけれぱ救われない、としています。ややもったいぶった表現ですが、ペトロの緊張した口調が伝えられるようにも見えます。天の下に、というのもなかなか大胆な表現ですが、とにかくペトロが断言した形で、短いですけれども、その主張は閉じられます。