二つに見えて、世界はひとつ

イメージ画像を織りまぜた哲学や宗教の要約をやっています。

マリアのお告げ11番

2024-10-15 20:39:00 | キリスト教神秘主義
 11番 ひとつの目

 わたしが神を見ている目は、神がわたしを見ている、その同じ目です。

 わたしの目と神の目、それはひとつの目であり、ひとつのまなざしであり、ひとつの認識であり、そしてひとつの愛なのです。  
         教え 12番

 二つではなくただ一つだけなのです。わたしもあなたもいったん永遠なる光に包まれるとそれは一なるものとなります。この「二にして 一なるもの」は、万物を超え、しかしなお神の下に、永遠の周辺と境を接して立つ、ひとつの燃えさかる精神なのです。

 このものは、神を直接に見ることがないために、二なるものです。その精神の認識とその精神の有、いいかえれば、その精神の認識とその精神の像とはけっして一になることはありません。ただ、神が完全に像によることなく精神的に見られたときのみ、人は神を見るのであり、そのとき「一」はそのまま「二」であり、「二」はそのまま「一」なのです。光と精神、この「二」なるものは永遠なる光につつまれて、「一」なのです。

 このことは、言葉でとらえることのできる一切を超えています。 この奇跡をよく聞きなさい。何と驚くべきことでしょう。外に立つと同時に内に立ち、つかむと同時につかまれ、見ると同時に見られたもの自身であり、包むと同時に包まれるとは。

 こここそが究極の場であり、そこで精神はあこがれの永遠とひとつになり、安らぎにつつまれてとどまるのです。
        教え 86番

マリアのお告げ10番

2024-10-10 20:39:00 | キリスト教神秘主義
10番 神への捧げ物

 自分自身を完全に忘れた人、自分のものを、どのようなものにも、大きいものであれ、小さいものであれ、何であれ、まったく求めない人、自分の下、 自分の上、自分のかたわら、自分の内のいかなるものも見ない人•••

 財、名誉、安楽、快楽、益、内面的瞑想、聖性、 報い、天国などに執着しないで、これらのすべて脱却し、自分自身のすべてを脱却した人たちがいます。

 神はこのような人たちから栄光を受け、このような人たちが神に本当の意味で神に栄光を与え、神のものを神に捧げているのです。

         教え 6番

マリアのお告げ9番

2024-10-09 19:14:00 | キリスト教神秘主義
 9番 知恵

 イエスはご自身を魂のうちに、無限の知恵をもってあらわします。そして、知恵そのものであることばと、そこに含まれる一切のものを「一」として認識するのです。

 もしその知恵が魂と一致しているなら、魂の中からあらゆる疑い、迷い、闇は、全く取除かれ、そして魂は、純粋な、明るい、神ご自身であられる光の中に移されているのです。

 それは預言者が述べている通りです。すなわち、「主よ、あなたの光の内に光が知られる。」(詩篇35・10)と。

 その時、神が神を通して魂の中で知られます。そして魂は、その知恵を通して、自分自身も、すべてのものをも知ります。
 
 そして自分自身を知ることによって、知恵を知り、その知恵を通して、父の栄光と、その中にある豊かな産む力と、いかなる区別も持っておられない神の根源的な本性と、完全な単一性を知るようになるのです。

       教え 1番

マリアのお告げ8番

2024-10-09 19:02:00 | キリスト教神秘主義
8番 内なる自己

 わたしの身体は、わたしの魂がわたしの身体の内にあるより、わたしの魂の内にあるほうが多い。わたしの身体と魂は、それ自身の内にいるより、神の内にいるほうが多いのです。

 魂はその存在を神から直接に受け取ります。それゆえ、神は、魂が自分に対するよりも、魂により近く存在します。それゆえ、神は魂の根底において、その全神性を備えて存在するのです。

 魂はふたつの目をもっています。内なる目と外なる目です。魂の内なる目とは存在の内を見て、その存在を直接神から受け取る目です。

 魂の外なる目とはすべての被造物に向けられるもので、それらを映像としてとらえ、魂の力で知覚するような目です。

 神がわたしを見るとき、そのことによって、わたしに存在を与えられます。わたしが神を見るとき、そのことによってわたしは自分の存在を受け取るのです。魂には理性的な認識する存在があります。それゆえに、神がいるところそこに魂はあり、魂のあるところ、そこに神もいるのです。

 どうか、私たちが内なる自分を見つけることができますように…。

      教え 10番


 

マリアのお告げ7番

2024-10-07 20:16:00 | キリスト教神秘主義
 7番 a)静寂

 天の父はひとつのことばを語り、これを永遠に語ります。そしてこのことばで神の全本性と全被造物を表現します。

 このことばは魂の内に隠されます。そしてそれを聞く奥底に場所が作られなければ知ることも聞くこともできません。前もって聞くことはできません。

 むしろ一切の声とすべての音は消え去り、純粋な静寂、沈黙が、そこにはなければなりません。

 そして、ことばを口に出し、述べなければなりません。魂のうちにあるすべてのものを語り、ほめたたえなければなりません。けれども、誰にもその声を聞かせてはなりません。

 静けさと安らぎのなかで、神は魂の内に語りかけ、神ご自身を完全に魂の内へと語るのです。
       教え 19番

 b)ことばは命です

 ことばはいのちです。ことばは内からでて内により動かなければなりません。外から内に入るのではなく内から外へ出なければなりません。

 それは本来魂のもっとも内奥に住んでいます。そこにいるならすべてのものがあなたに現在し内的に生き最善、最高の状態にあるのです。

 なぜ、これにあなたは気がつかないのでしょうか。

 あなたはそこの「自分」のうちにいないからなのです。 
      教え 4番