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::J'A DORE xx::

   福岡在住25歳♀の日常

奇跡

2006-12-21 | 思うこと
 奇跡を祈っていた

戦友であり、夫婦のような存在である相方を亡くし、
会見の席で、カンニングの竹山はそう言ったそうです。


涙を全く見せず、会見に臨んだ彼の奥には、
語ることなどできないほどの痛み、悲しみ。
そう易々と口にするわけにはいかないほどの、
相方との深い絆、愛情が、
ずっしりとした重みを持って、大切に存在していることが、
私にはよく、分かった。

泣くことは、簡単で、分かりやすくて、
浅はかな人間の誰もが期待するもの。
だけど、そんな好奇の目の前なんかで、
決して涙を見せなかった、見せたくなかった。
愛する人の苦しみ、戦った姿を、そして最期を、
晒してものにしてしまいたくなかった。

本当にかけがえのない、大切な大切なものを亡くした人間の姿だった。
私にはそう思えてなりません。



叶わなかった奇跡。
でも、お互いがこの世に生を受け、出会い、そして結ばれた絆。
それ自体がもう既に奇跡だったのかもしれません。


お疲れ様でした。



レコ大

2006-12-13 | 思うこと
レコード大賞が今年で最後になる…かもしれないらしい。
当然っちゃ当然だな。
理由は視聴率が揮わなくなったためらしいが、
そもそもなんで視聴率が落ちたかって、
選考があまりにうさんくさいからでしょw
ここ数年のレコ大はほんとにヒドい。
過去10年を遡って、ちょっと調べてみた。(あたしの独断と偏見に基づく感想付)

1996年アムロ『Don't wanna cry.』  ←満場一致(誰の?)で可決。
1997年アムロ『CAN YOU CELEBRATE?』 ←満場一致で可決。
1998年globe 『wanna Be a Dreammaker』 ←どっひゃー。なんでそーなるの!(古っ
1999年GLAY 『Winter again』  ←本人達が一番微妙そうじゃなかった?
2000年サザン『TSUNAMI』  ←文句なし。
2001年あゆ 『Dearest』  ←まぁ納得。
2002年あゆ 『Voyage』  ←ちょっと微妙だけど、当時のあゆの勢いは凄かったんで、まぁまぁ。
2003年あゆ 『No way to say』  ←これはマズいよ…
2004年ミスチル『Sing』  ←微妙。ココは平井健yearだろ。
2005年倖田來未『Butterfly』  ←意味不明。


見てもらえば分かるとおり、ここ数年のレコ大は、
エイベックスとの癒着がモロバレな状態w
特にglobeと倖田來未はヒドかったと思う。
倖田來未なんて、今でこそトップ10入り常連になってるけど、
『Butterfly』なんてその年のトップ20にも入ってない。
うちの親も、あんときは、「誰これ?」と言ってたし。
むしろ倖田來未はあのあとでブレイクしたんだと思うんだけど…。

みんな、そんなレコ大の胡散臭さを感じ始めて、
歌手もぞくぞく辞退するわ、視聴者も離れるわになっていったでしょう。


更に付け加えるとするなら、
レコ大の趣旨が、時代に、人の変化にそぐわなくなったってことじゃない?
とにかくさまざまな国のさまざまなジャンルの音楽が溢れ返り、
もちろん音楽に限らずあらゆる嗜好品、娯楽が、
何処の誰でも、思うままに入手可能になった今、
『その年最もお茶の間を賑わせた、1年を代表する曲』なんて、
そうそうできっこないと思うのよね。
みんなが一様に同じモノを~って時代は終わったんだと思う。


ま、そんなワケで。
レコ大はこれ以上醜態を晒す前に、
とっととやめちゃったほうがいいと思うわけなのでした。チャンチャン♪

トモダチ

2006-09-19 | 思うこと
今日トモダチとご飯食べました。

高校からのながーいつき合いの彼女と私は、
顔がよく似てるらしい。
姉妹や親戚に間違われることも多々あるし、
高校の頃ある先生から名前を逆に呼ばれて、
「よく似てるから分からない」と言われたりしたことも。
それに、あたしはよく滝川クリステルに似てると言われるのだが、
最近彼女も立て続けに「滝川クリステルに似てるって言われない?」
と、言われたらしい。

うぅむ。。。

とりあえずタレ目なとこは似てるな。うん。
あと、テンションがキャピキャピしてないとこも似てるな。

「似てるんかなぁ?」(自分らではよく分からない)
って言ったら、
「同じ系統の顔で、濃いか薄いかじゃない?」と言われたw
濃いほうがもちろんあたしのようです…w
おまけに、今日は2人して似たようなトップス着てて笑ったw


そんな彼女とは、いろいろ悩みを打ち明けられる仲です。
お互いのあらゆる時代を見てきているし…w

しばらく会ってなくても、会えばお互い“相変わらず”でいられる。
ご無沙汰なのに、身近。
そんなトモダチが彼女以外にも、何人かいます。
いっぱいじゃないけど、でも、だからこそ大切な関係。
大事なトモダチなのです。

オリンピック招致合戦に決着

2006-08-30 | 思うこと
大方の予想通り(?)TOKYOに決定しましたね。はい。

感想を一言で言うと、『ほっとした…』って感じです(;^ω^)
あたしは別にもろ反対派でもなかったんですが。
オリンピックとか大好きだし、福岡であったら嬉しいとも思う。
でも、今回はね、TOKYOで良かったんだよ。

今、福岡にはまだ時期尚早じゃないかなぁ。
リスクの方が高すぎたと思うのです。
もっとしっかり財政基盤を作って、
福岡市としての都市計画がある程度形になってきた上で、
やるべきじゃないかと。

でも、今回の立候補が無駄だったかというと、そうじゃないと思います。
広太郎の顔も全国で流れたでしょうし、
福岡という都市の可能性や、あり方を考えるきっかけになったと思います。
そういう意味で立候補には意味があったと思うし、
でも、今回破れたのは“まだ機は熟してなかった”ということでしょう。
また、次がありますよ。(●゜∀゜)●。_。)ウン


ところで全然話変わるけど、



昨日大丸でこぉぉーーーんなにずらりと飴玉が並べて売ってありました(写真左)
コーラとかすももとか、ブルーベリーとかりんごとか
クリームソーダとかチョコバナナとか…
とにかくいろんな味のレトロな飴玉♪
10グラム20円だったので、買っちゃいました☆
見た目もすごーいカワイイ!!

勉強しながら舐めるのにちょうどいいですw
勉強してるときって何か口に入れたくなんない?w
また買いにいこ~っと♪

ドラえもん

2006-07-28 | 思うこと
こんなニュースを目にした。
なんとドラミの新・声優として、千秋が決定したという。

みなさんご存知のとおり、ドラえもんが新声優陣でリニューアルされて、
早1年以上がたったが、実のところ私は今のドラえもんは、
とても“ドラえもん”と呼べるような代物ではないと思っている。
声優陣が代わって、一度テレビで見たけれど、
それっきりもう、今のドラえもんを見るのはやめた。
毎年見ていた『大晦日だよ!ドラえもん』も、昨年末は見なかった。

好きなアニメはと聞かれたら、真っ先にドラえもんが出てくるし、
父に初めて買ってもらった漫画もドラえもんだった。
それくらいドラえもんが大好きなのに、
今やってるドラえもんは、もう、ドラえもんじゃない。

まず、声が受け付けない。
今の声優陣には申し訳ないけど、
ドラえもんものび太も、スネ夫もジャイアンもしずかちゃんも、
どれも、ニセモノとしか思えない。

さらに、絵までも変わってしまっている。
あのどこか昔懐かしい絵風はどこへやら。
のび太の部屋の様子も変わってしまったし。

極めつけは、ストーリー。
一度見ただけだが、新しいドラえもんは、
ほのぼのした子供らしさとか、無邪気さとか、
そういう世界観が全くといっていいくらい受け継がれていない。

要するに、ドラえもんの良さが全部失われてしまってるんです。

さらに今までのドラえもんの映画シリーズを、
新声優陣で全部撮り直すとか、きわめつけに千秋……。
誤解のないように言うと、千秋は悪くないんです、別に。
千秋が嫌いだから言ってるわけじゃなくて、
昔のドラえもんをすべて消してしまうような、
ドラえもんを汚してしまうような、
ドラえもんという名を借りて、単に話題作りと金儲けをしているような、
そんな製作側のやり方が許せないだけなんです。
とても、ドラえもんのよさを分かって、愛してる人達がやってるとは思えないから。


今の小さい子が、今のドラえもんがスタンダードになってしまうのなら、
ものすごく残念です。
でも、おそらくそうはならないんじゃないかな、なんて思ったりもします。
なぜなら、私たちが子供の頃見て、魅了され、大人になっても大事にしたいと思えるような、
それほどの魅力が今のドラえもんにあるとは思えないから……。



After all, tomorrow is another day.

2006-07-06 | 思うこと
なんだか……
気落ちさせられるニュースばかりが続きます。

先日の中田引退報道。

そして更なる衝撃、北朝鮮によるミサイル発射。
ちょうどあのとき、私はドイツvsイタリアを見ていたので、起きてました。
で、試合中ニュース速報のテロップが。
何かと思えば北朝鮮がミサイルを発射して日本海に着弾したとの一報。
正直寒気がしました。コレ見たとき。

想像してみてください。

もしも。
もしも戦争に発展したとしたら。
私達の生活はなにもかもが一変してしまう。
当たり前だったことが、当たり前ではなくなってしまう。
あなたは軍隊に入れますか?
武装し、命を投げ打って戦えると思いますか?
食料から情報にいたるまでが規制され、
自由のままならない生活に、耐えられるでしょうか。

誰しも一度は、どこかで戦争について学んだことがあると思います。
平和記念館等を訪れたことがある人も少なくないでしょう。
あるいは、映画やドラマや物語の世界で、
戦争について少なからずの知識があるでしょう。
突然、ああいう世界に自分の身が放り出されることを、
想像してみてください。

その恐怖に耐えられるでしょうか。

月並みな言葉ですが、
平和の尊さ、生命のかけがえなさを痛感させられます。


それから昨日。
報道ステーションを見ていたら突如として飛び込んできた、
王監督の緊急会見。
報ステのアナウンサーが『しんたいについての会見…』と言うものだから、
“しんたい=進退”かと思って、
『えっ、辞めるの!?でもなんでこの時期に発表?』
とか思っていたら、そうではなく。
『身体についての会見』だったんですね……。
会見を聞いて、ショックでしばらく沈黙してしまった。
王さんの沈痛な面持ちが、胸をしめつけた。

絶対元気になってまた、福岡ドームへと帰ってきてほしい。
それを願い、祈るばかりだ。


人の運命は本当に分からない。
明日わが身になにが振りかかるのかは、誰にも分からない。

それでも。
映画『風と共に去りぬ』の主人公スカーレット・オハラが
数々の苦境の果てにも、

After all. tomorrow is another day.

と言って立ち上がったように、
明日に希望を持って立ち向かっていける強さを身に付けたいと、
そう思う。

本当に村上氏やホリエモンは革新的だったのか。

2006-06-06 | 思うこと
ホリエモンに引き続いて村上氏が逮捕されました。

村上氏にしても、ホリエモンにしても、
やたら口にするのが、改革だの、日本を変えたいだのというセリフ。
でも、彼らのやったことを見ると、一体彼らが何を変えたかったのか、
私にはよく分かりません。

彼らや、彼らを擁護する人々は、およそ「日本の市場は遅れてる」と言います。
裏を返せば「自分たちが進んでる」という風に聞こえますが、ほんとにそうでしょうか。

私ははっきり言って、経済や市場のことには疎いですが、
今現在、日本で盛んになっている企業買収のやり方というのは、
80年代のアメリカでかなり盛んに行われていました。
しかし、90年代後半に入ると、それも減退していったわけです。

なぜか?

1つは、敵対的買収が過熱していく中で、市場の健全化のために、
多くの人が立件・起訴されたから。
もう1つは、敵対的買収をしても、肝心の従業員がついてこなければ、
ビジネスは失敗するということに多くの経営者が気づいたから。
結局、それらの失敗から学んだ現在のアメリカでは、
友好的な企業合併がほとんどで、『買収』という言葉が嫌がられることさえあるらしい。

うーん……どうですか?

こう考えると、80年代のアメリカって今の日本の状況そのままじゃないですか。
まさにアメリカの後を追うようなことをしている(た)、村上氏やホリエモン。
見方を変えれば、彼らのやっていることだって古いんだよね。
とても革新的なことをやっているとは言い難い。

ここで重要なのは、
彼らほど賢い人が、アメリカのそんな歩みを知らないはずがない。
知っていながら、本当に日本を変えたい、良くしたいと考える者達が、
いずれ廃れていくと分かっているやり方に、手を出すはずがない。
ということ。

そこには、『改革』だなんだとうまいこと言いながら、
今のうち、稼げるうちに、稼げるだけ稼ぐ
という思惑があったとしか、私には思えない。
そうじゃなければ、ただの馬鹿ですよね。
別に稼ぎたかっただけなら稼ぎたかったでいいですよ。
でも、いかにも自分たちは革命家なんだという口ぶりは、いかがなものかと。
おまけに「金儲けして何が悪い」なんて、イイ大人の言うことじゃありませんよね。
ガッカリさせられるセリフでした。


経営者という立場で、本当に『日本を変えたい、良くしたい』と思うのなら、
会社=company、つまり、『人の集まり』なんだという原点に返るべき。

人がついて来ない会社は衰退します。
人の心・魂は、必ずしもお金では買えません。
そのことを、アメリカの失敗は教えてくれているのではないでしょうか。

鶏が先か、卵が先か

2006-05-29 | 思うこと
鶏が先か卵が先か?


いまや慣用表現のようにもなっているこの科学的議論に、
ようやく決着がついたというニュースを先日目にした。

結論から言うと、卵が先、らしい。

まぁ確かに、ダーウィンの進化論を考えてみても、
何かの卵が変異(進化?)を起こして別の生物になるっていうのが筋がとおってるわけで、
それが今回科学的にも証明されたというのは納得できるわけだけど、
こういうのって、なんか、分かっちゃうとオモシロくない。

鶏が先か?卵が先か?なんて堂堂巡りになるような議論を
アツク交わしてるうちがおもしろいわけで。
なんていうか、あーでもないこーでもないと議論しあってるときに、
「どーでもよくない?」とか言われると激しく萎えるのと、同じ感覚。


そのうち、「それは鶏が先か卵が先かっていうのと同じようなもんで~・・」
なんていう言い回しが通じなくなり、
ちょっと勉強のデキル小生意気な小学生なんかに、
「卵が先とよーー、知らんとーー?」
なんてバカにされちゃったりする日が来るんでしょうかね。


なんとか

2006-05-23 | 思うこと
…復活
昼過ぎまでなんにも食べずにいたら、なんとか胸焼け感も治まりました。
夜は数日前作ったアップルパイをようやく食べました。
半分くらいはお客さんに出したりしたみたいで、もう無くなってましたが(;・∀・)


甘さ控えめでなかなかうまい
けど、やっぱ作って日が経ってるから味は落ちてるねぇ
なんでも新鮮なうちが美味しいね。



なんか。
うーん、今のこの気持ちをどう表現したらいいのか、
自分でもわからないんだけれども。
大切なモノを失う悲しみや痛みは、
きっと誰しもが経験していることで、
でも、だからといってその悲しみや痛みが、同じかと言ったら、そうじゃない。
それは、失ったものひとつひとつが、決して同じモノではありえないから。
その人と、失ったモノとの結びつき方、その人にとってのそのモノの存在価値、
それらひとつひとつ取ってみても、同じものなんてこの世には存在しない。

だからお互いに、本当のところでは痛みや苦しみを分からないのは当然で、
時には、簡単に分かるようなことを言われても困ったりもする。

そういうときは、人間ってすごく孤独だと思ったりもするけれど、
でも、いつしかそんな思いも、痛みも、少しずつ少しずつ浄化されてゆくもの。
そしてその手助けをしてくれるのは間違いなく“人”で。

分かり合えるということではなく、分かろうとしてくれること。
思いやったり励ましたりしてくれること。
それで、人は十分に生きていけるのだと思います。
孤独にならずに済むのだと思います。
だから、そんな思いやりの言葉をくれる人々には心から感謝。

大丈夫。
孤独感を行ったり来たりはしていても、孤独になってしまうことはない。
……そんなことを思いながら、当分は行ったり来たりを繰り返していく毎日です。

よく分からない文章でごめんなさい

散り際の美学

2006-04-20 | 思うこと
新庄剛志、34歳。

我らが街、福岡県から日本へ、メジャーへと羽ばたいて行った、
宇宙人とまで言われた男が、2日前、突然の引退表明。

でも、今年どっかで何かのインタビューを聞いたとき、
『なんとなく今年で辞めるんじゃ?』と思ったのは覚えてるけど、
まさか、自らあんな引退宣言の場を用意するとは。

とにかく『人を楽しませ、サプライズする』ということに徹して来た男、SHINJO。
退くそのときまで、徹底してそのポリシーを貫き通すんだろう。

散り際の美学って、いろいろ言われるけど、
散る、まさにそのときまで、貫き通したい何かを持ちつづけることこそが、
散り際の美学なんじゃないかと、新庄を見ていて思った。