江戸三大道場と言えば
鏡新明智流(きょうしんめいちりゅう)
神道無念流(しんとうむねんりゅう)
そして
北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)
その中でも入門者が多かったのが北辰一刀流です。
人気の秘密は開祖である千葉周作が命がけで会得した、合理的な『養成マニュアル』にあったようです。
幕末期に北辰一刀流が流行した理由とは、それは他流派に比べて
わかりやすい
これに尽きるのです。
昇段の基準をわかりやすくして、そのシステムも簡略化したのです。
それ以前の剣法と言えば『一子相伝』とかなんとか
なにやら秘密めいた呪術ような胡散臭さプンプンします。
神秘性とハッタリで弟子を獲得する。
しかし、刃傷沙汰が珍しい太平の世ならいざ知らず、乱闘暗殺が日常茶飯の幕末期。
危ない事この上ない時代に、そんなヤワな剣法じゃ生き残れません。
斬り合いの中で如何に生き延びるか?
斬り合いに勝つには?
そうなると、本気で強くなる方法を具体的にわかりやすく説明してくれる流派に人気が集まります。
また、北辰一刀流は実に実践的で、防具と竹刀による実戦的な試合形式の稽古に重きを置いているのです。
更に、攻撃や防御など腕の角度、足の運びに至るまで懇切丁寧に指導するのです。
それは
開祖・千葉周作が自らの戦いの中で会得したもの
この合理的流派の近代剣法が完成するまでには、千葉周作が命がけでくぐり抜けて来た『修羅場』の経験が活用されているのです。
千葉周作の出生地については諸説あります。
牛馬の獣医だった父に連れられ東北から、江戸近郊上総国松戸に移り住みます。
祖父は相馬藩剣術指南役。
北辰夢想流の開祖でもありました。
しかし、御前試合に敗れ浪人となり流浪の境遇になった。
千葉家の汚名を晴らし、北辰の剣を再興する事を願い孫の周作に望みを託して剣術を教え込みます。
真剣の前に出ても平然としていられる胆力。
超人的な腕力。
少年ながら周作には心身ともに剣客としての資質充分でした。
やがて江戸に出た周作。
中西忠兵衛に師事し一刀流を学びます。
ここでの修行は
毎日欠かさず百試合
と、言うような猛稽古。
祖父から叩き込まれた北辰の剣と一刀流を融合させ、我の目指す剣法の形が見え始めた。
その総仕上げとして修行の旅にでます。
関東各地で他流試合!
と、言えば聞こえは良いけれど...
その実態は
道場破り
負ければ良くて半殺し。
下手をすれば本当に殺される。
たとえ木刀でも骨折、頭を直撃すれば死に至る。
大勢によってたかって襲われて試合とは名ばかりのリンチに合いそうにもなっています。
しかし、逆に相手の顎を砕き、腰骨を叩き割ったとか。
数人を再起不能にしています。
『他流派と試合をする時はなるべく離れて挨拶をしろ。さもなくば頭を下げたところを打たれてしまうぞ。』
これは北辰一刀流マニュアルにある言葉です。
これも千葉周作が命がけで得た心得。
関東でも荒っぽいことこの上ない上州で他流試合を数々こなしてもいます。
彼の強さに憧れて弟子入りする者も現れる。
しかし、これが地元に勢力をもつ馬庭念流から逆恨みを受けます。
『縄張り荒らしだ!』
ま、確かに上州各地で馬庭念流の道場で他流試合をして道場主を次々に半殺しにしていました。
これは確かに縄張り荒らし。
相手は人数を集めて闇討ちしたという話しですが、千葉周作が無傷で江戸に戻っていることを見れば、恐らく返り討ちにしたのでしょう。
彼が上州から無傷で生還した事で評判は高まり、やがて北辰一刀流は江戸随一の人気道場へと発展するのです。
そして現代剣道の源流にすらなるのです。
鏡新明智流(きょうしんめいちりゅう)
神道無念流(しんとうむねんりゅう)
そして
北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)
その中でも入門者が多かったのが北辰一刀流です。
人気の秘密は開祖である千葉周作が命がけで会得した、合理的な『養成マニュアル』にあったようです。
幕末期に北辰一刀流が流行した理由とは、それは他流派に比べて
わかりやすい
これに尽きるのです。
昇段の基準をわかりやすくして、そのシステムも簡略化したのです。
それ以前の剣法と言えば『一子相伝』とかなんとか
なにやら秘密めいた呪術ような胡散臭さプンプンします。
神秘性とハッタリで弟子を獲得する。
しかし、刃傷沙汰が珍しい太平の世ならいざ知らず、乱闘暗殺が日常茶飯の幕末期。
危ない事この上ない時代に、そんなヤワな剣法じゃ生き残れません。
斬り合いの中で如何に生き延びるか?
斬り合いに勝つには?
そうなると、本気で強くなる方法を具体的にわかりやすく説明してくれる流派に人気が集まります。
また、北辰一刀流は実に実践的で、防具と竹刀による実戦的な試合形式の稽古に重きを置いているのです。
更に、攻撃や防御など腕の角度、足の運びに至るまで懇切丁寧に指導するのです。
それは
開祖・千葉周作が自らの戦いの中で会得したもの
この合理的流派の近代剣法が完成するまでには、千葉周作が命がけでくぐり抜けて来た『修羅場』の経験が活用されているのです。
千葉周作の出生地については諸説あります。
牛馬の獣医だった父に連れられ東北から、江戸近郊上総国松戸に移り住みます。
祖父は相馬藩剣術指南役。
北辰夢想流の開祖でもありました。
しかし、御前試合に敗れ浪人となり流浪の境遇になった。
千葉家の汚名を晴らし、北辰の剣を再興する事を願い孫の周作に望みを託して剣術を教え込みます。
真剣の前に出ても平然としていられる胆力。
超人的な腕力。
少年ながら周作には心身ともに剣客としての資質充分でした。
やがて江戸に出た周作。
中西忠兵衛に師事し一刀流を学びます。
ここでの修行は
毎日欠かさず百試合
と、言うような猛稽古。
祖父から叩き込まれた北辰の剣と一刀流を融合させ、我の目指す剣法の形が見え始めた。
その総仕上げとして修行の旅にでます。
関東各地で他流試合!
と、言えば聞こえは良いけれど...
その実態は
道場破り
負ければ良くて半殺し。
下手をすれば本当に殺される。
たとえ木刀でも骨折、頭を直撃すれば死に至る。
大勢によってたかって襲われて試合とは名ばかりのリンチに合いそうにもなっています。
しかし、逆に相手の顎を砕き、腰骨を叩き割ったとか。
数人を再起不能にしています。
『他流派と試合をする時はなるべく離れて挨拶をしろ。さもなくば頭を下げたところを打たれてしまうぞ。』
これは北辰一刀流マニュアルにある言葉です。
これも千葉周作が命がけで得た心得。
関東でも荒っぽいことこの上ない上州で他流試合を数々こなしてもいます。
彼の強さに憧れて弟子入りする者も現れる。
しかし、これが地元に勢力をもつ馬庭念流から逆恨みを受けます。
『縄張り荒らしだ!』
ま、確かに上州各地で馬庭念流の道場で他流試合をして道場主を次々に半殺しにしていました。
これは確かに縄張り荒らし。
相手は人数を集めて闇討ちしたという話しですが、千葉周作が無傷で江戸に戻っていることを見れば、恐らく返り討ちにしたのでしょう。
彼が上州から無傷で生還した事で評判は高まり、やがて北辰一刀流は江戸随一の人気道場へと発展するのです。
そして現代剣道の源流にすらなるのです。
まあ一応、武田惣角の伝記風に書かれているけど、フィクションの部分も多い。
武田惣角は大東流の開祖で、武田惣角→植芝盛平→塩田剛三と、技は引き継がれたわけ。
流石に武田惣角の動画は無いけど、植芝盛平と塩田剛三の動画はYouTubeで見れます。
合気道とか合気柔術は、だいたいが会津藩の御留め武術から出ているわけ。
どっかに鬼の冠の文庫本があったはずなんだけど。
見つかったら送るね。