フィンランド建築・デザイン雑記帳

ラジオ、 NHK第一と第二、2台のラジオでステレオ 放送 ! 「立体音楽堂」の思い出。



建築やデザインの話題ではないが、今回は 「昔の思い出・備忘録」。
「立体音楽堂」の思い出。

写真: こんな風にラジオを2台並べてステレオを楽しんだという様子を再現してみた。
昔のラジオが1台しかないので、2枚の写真を合成して、それらしく再現。
左のラジオでNHK第1放送(590kc)、右のラジオでNHK第2放送(690kc)を同時に受信して、今まで経験したことの無い臨場感あふれる「ステレオ音響」を体感した !


1960年代、僕が小学生の頃、よく覚えている光景がある。
日曜日になると、父がラジオを2台並べて、その前であぐらをかいて、音楽に聴きいっている姿。

今となっては、あまり取り上げられることもなく、忘れられているが 「昔はこんな方法で音楽をステレオで聴いたのだよ !」 と話しても、多くの人は知らない。
若い人たちなら、なおさらで、この事を書いておきたいと前々から思っていた。

NHK 第1を左チャンネル、NHK第2を右チャンネルとして、音楽をステレオで楽しもうという「立体音楽堂」というラジオ番組があった。
1954年から1965年まで12年間も続いた人気番組だったので、60歳以上の人達は知っている人もいるだろう。
NHKの番組「立体音楽堂」は、日本の人々が初めてステレオの音に接した画期的な番組であった。

小学生だった僕は、音楽をじっくりと聴くことは無かったが、ステレオのデモ用に放送された「蒸気機関車の音」には感動した。
左のラジオから遠くの小さな汽笛の音が聞こえる。 汽笛は蒸気や車輪の音と共に徐々に大きくなる。
音は最大となり、今度は右のラジオに移る。
蒸気機関車の大きな音は徐々に小さくなり、最後には小さな汽笛と共に、右側のスピーカーの中に消えてしまう。
目をつぶって聞いていると、まるで、蒸気機関車が目の前を通過したかのごとくで、これは衝撃的だった。

立体音響(ステレオ)は、戦前から研究が始まり、実験放送から実用化までには、様々な技術的な苦労があったという。
僕は、ラジオを2台用意して、異なった放送局の番組を同時に受信し、ステレオ(立体)放送を実現しようというアナログ的なアイデアに、微笑ましさを感じてしまうし、何としてもステレオ放送をという技術者魂を感じる。


資料を参考にして「ステレオ放送」の事を少し書いてみる。
日本で「モノラル音声2波」を使った「ステレオ放送」が始まったのは1952年で、NHK 第1を左チャンネル、NHK第2を右チャンネルとしたものだった。
まるで、戦時中の言葉のようだが、ステレオの事を「立体」、ステレオ放送を「立体放送」と呼んでいたそうだ。

1954年11月、日本初のステレオによるレギュラー番組「立体音楽堂」がスタートする。
日本で、ステレオ・レコードが発売されたのは1958年8月。 
日本ビクターから初めて販売されたが「ステレオ・セット」は庶民には高価ですぐには普及しなかった。

「立体音楽堂」は好評を博して、番組は12年も続き、1台のラジオにチューナーを2台備えた、この番組用のラジオも発売されたとの事。
1964年ごろから高音質のFMステレオ放送が登場。
「立体音楽堂」は役目を終えたかのように、1965年4月で放送を終了した。

この番組によってはじめて「ステレオ」の音を体験した音楽ファンは多く、「ステレオ」が一般に浸透するきっかけてなったそうだ。

先日、中央図書館に行って、1960年代の「新聞縮刷版」を閲覧し、ラジオ番組欄で目的の「立体音楽堂」を見つけた。
当時、小学生でそれほどの思い出があるわけではないが、しばし懐かしい感情にひたった。



1960年(昭和35年)1月24日(日曜日)、読売新聞朝刊のラジオ番組
NHK第1と第2は、同一番組「立体音楽堂」になっている。





1960年(昭和35年)1月17日(日曜日)、読売新聞朝刊のラジオ番組
NHK第1と第2は、同一番組「立体音楽堂」になっている。
ペギー葉山や立川澄人などの懐かしい名前もみえる。



【写真・撮影】管理人
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