歌舞伎俳優の市川亀治郎さんの文章にはじめてであったのは日経新聞のコラム「プロムナード」だ。いつか取り上げようと思っているうちに連載が終わってしまった。入れ替わりといってもいいタイミングで今度は朝日新聞のコラム「彩・美・風」にさっそうと登場された。この文才が世に認められないわけがない。
亀治郎さんの文章の魅力は清清しいまでの率直さ、若さあふれる真摯な態度にときおりキラリと光る批評眼がすてきだ。昨日の『なぜ、もっと視ないのか?』では十代の頃に重ねた展覧会めぐりの体験が語られている。「人と人の間を巧みにすり抜け、手際よく最前列に進み出て、心ゆくまで鑑賞する。これは子供の特権である。」とあるからまだ特権を行使できる年頃だったのだろう。その年でずいぶんとしぶい趣味をおもちだったことにまず感心する。
人波でごったがえす展覧会場で亀治郎少年は「せっかく間近にある作品をなぜこの人たちはもっと視(み)ないのだろう?」といぶかる。大人たちは作品をみるより解説を読んでいる時間のほうが長いとの指摘は耳に痛い。作品を前にして声高に語る人たちもいる。よくある展覧会風景だ。
先日大学生の息子が国立新美術館で開催中の「オルセー美術館展2010」に行ってきた。入場1時間待ちだったうえ会場内もかなり混雑していたという。音声ガイドの貸出場所の人だかりもすごかった。なにより、おばさんたちがうるさかったという感想をきかされたばかりだ。展覧会は中高年女性にとってはテーマパークみたいなもの、六本木という場所柄もあっていやがうえにも盛り上がってしまうそのはしゃぎようがわかるだけにわがことのように気恥ずかしい。
亀治郎さんは「知識という眼鏡」の意義を認めつつ「その一方で、安易に眼鏡に頼りすぎると、裸眼で物を見る努力を怠るようになる。そしていつしか眼鏡なしでは何も見られなくなってしまう。」と語る。なかなか厳しい指摘だ。作品と裸の目で向き合う「静かなる格闘」を語る亀治郎さんに惚れました。
(亀治郎さんの「彩・美・風」は朝日マリオン・コムでも読めますのでよろしかったらどうぞ。)