時々練習を休むことのあったNo3の岩崎君。そして矢鱈めったら私にあだ名をつけ、練習に出て来いというと「ガッツヤ」と誤魔化していた彼は、私の「遊びの先生」でもあった。彼に連れられて、私の知らない世界を経験していた。ビリヤードをやるようになっのも、彼に教えられたからであった。
その岩崎君に連れられていったのか、皆で何か映画を見に行った時だったのか、とにかく安く胃袋を満たすためによく行ったのが、
めしの「半田屋」。
残念ながら、記憶の店の写真は見つけられませんでした。
一番町通りから一本入った所(だったと思う 国分町?)にあった店に何度か行ったことがある。多分岩崎君と遊びに行ったときが多かったような気がする。
入り口には大きな白い暖簾がかかっていて、昭和なガラスの木製の引き戸だった。中はこれまた昭和を感じさせるテーブルと椅子だった。棚から好きなおかずを取り、味噌汁と好みの量の丼飯を受け取とりテーブルに座ると、白い割烹着をきたオバちゃんがすかさず寄ってきて、あっという間に代金を計算して伝票を置いていった。安くてお腹一杯食べられた。
おかずの置いてあった棚は木製で、床はコンクリートの打ちっぱなし。ガタガタするビニール製の座面のパイプ椅子。その色が緑色だった事を思い出した。どんなおかずを取っていたのがまでは思い出せないけれど、もしかしたら、天井から茶色の筒状の蝿取り紙がぶら下がっていたような・・・
全体的に木造の建物で、店内も薄暗い感じだった。半田屋のホームページを見ると、かつての店の面影は一つもない。写真で見るご飯の量も、あの頃に比べたら少なくなったような気がする。「めし」といつた風情はカケラも残っていないのが、残念でならない。などと書くのは、池波先生の影響かな。
トン汁を食べいてたような感じがするのだけれど、すべからくあの時はもっとワイルドたった。ホームページの写真のような機械で切ったような野菜は、美味しそうではない。もっと「家庭の匂い」がするような料理が並んでいたような印象がある。衛生的なことが、かえって「素朴さ」とか「庶民生活」から遠ざかったような気がする。
まぁ平成の世に、「庶民」は不在か。ガソリンスダンで車が燃料補給するように、自分が何を食べているか味と匂いの分らない若者達には、それでイイのかもしれないが。今の半田屋に、私は魅力を感じない。工場のラインの端で、流れてくる「製品」を口を開けて待っているようなファミレスを嫌うように。私は、まともな『食事』をしたいだけである。
もう一つ、岩崎君関連の味の思い出がある。どんな遊びをしたのか忘れたけれど、お腹がすいたので駅前のビルで彼に蕎麦をおごった事があった。もり蕎麦の大盛を頼んだ。食べ終わると、蕎麦湯が出た。当時の二人は、それが何なのか分らなかった。私が「そういえば・・・」と、「これは蕎麦湯ではないか」、「汁に混ぜて飲むはずだ」と気がついた。それほど、当時は純情だった。
また彼とビリヤードをやった後、何処かの飲み屋でチョット一杯引っ掛けて、ほろ酔い加減で中央道りを歩いていたのが懐かしく思い出されています。
確か高校二年のときにヒットしていたはずである。ラジオで初めて聞いたときには、一体「アィンジィ~」とは何なのか分らなかった。それ以上に、これがローリング・ストーンズの曲だとは思えなかった。
ではまた来週土曜日にお会いしましょう。
BY No8中嶋
その岩崎君に連れられていったのか、皆で何か映画を見に行った時だったのか、とにかく安く胃袋を満たすためによく行ったのが、
めしの「半田屋」。
残念ながら、記憶の店の写真は見つけられませんでした。
一番町通りから一本入った所(だったと思う 国分町?)にあった店に何度か行ったことがある。多分岩崎君と遊びに行ったときが多かったような気がする。
入り口には大きな白い暖簾がかかっていて、昭和なガラスの木製の引き戸だった。中はこれまた昭和を感じさせるテーブルと椅子だった。棚から好きなおかずを取り、味噌汁と好みの量の丼飯を受け取とりテーブルに座ると、白い割烹着をきたオバちゃんがすかさず寄ってきて、あっという間に代金を計算して伝票を置いていった。安くてお腹一杯食べられた。
おかずの置いてあった棚は木製で、床はコンクリートの打ちっぱなし。ガタガタするビニール製の座面のパイプ椅子。その色が緑色だった事を思い出した。どんなおかずを取っていたのがまでは思い出せないけれど、もしかしたら、天井から茶色の筒状の蝿取り紙がぶら下がっていたような・・・
全体的に木造の建物で、店内も薄暗い感じだった。半田屋のホームページを見ると、かつての店の面影は一つもない。写真で見るご飯の量も、あの頃に比べたら少なくなったような気がする。「めし」といつた風情はカケラも残っていないのが、残念でならない。などと書くのは、池波先生の影響かな。
トン汁を食べいてたような感じがするのだけれど、すべからくあの時はもっとワイルドたった。ホームページの写真のような機械で切ったような野菜は、美味しそうではない。もっと「家庭の匂い」がするような料理が並んでいたような印象がある。衛生的なことが、かえって「素朴さ」とか「庶民生活」から遠ざかったような気がする。
まぁ平成の世に、「庶民」は不在か。ガソリンスダンで車が燃料補給するように、自分が何を食べているか味と匂いの分らない若者達には、それでイイのかもしれないが。今の半田屋に、私は魅力を感じない。工場のラインの端で、流れてくる「製品」を口を開けて待っているようなファミレスを嫌うように。私は、まともな『食事』をしたいだけである。
もう一つ、岩崎君関連の味の思い出がある。どんな遊びをしたのか忘れたけれど、お腹がすいたので駅前のビルで彼に蕎麦をおごった事があった。もり蕎麦の大盛を頼んだ。食べ終わると、蕎麦湯が出た。当時の二人は、それが何なのか分らなかった。私が「そういえば・・・」と、「これは蕎麦湯ではないか」、「汁に混ぜて飲むはずだ」と気がついた。それほど、当時は純情だった。
また彼とビリヤードをやった後、何処かの飲み屋でチョット一杯引っ掛けて、ほろ酔い加減で中央道りを歩いていたのが懐かしく思い出されています。
確か高校二年のときにヒットしていたはずである。ラジオで初めて聞いたときには、一体「アィンジィ~」とは何なのか分らなかった。それ以上に、これがローリング・ストーンズの曲だとは思えなかった。
ではまた来週土曜日にお会いしましょう。
BY No8中嶋