仙台を離れて28年が経過した。
その間、僕は人よりまめに帰仙しているはずだ。
それでも、泉中央から実家に向かう車窓の眺めは、
半年で微妙に変化する。
仙台のダウンタウンには、新たな商業施設や
ビジネスビルディングが増え続け、
小学生の頃、60万だった仙台の人口も、
とっくに100万を超えている。
高校時代、泉中央の周りは田圃だった。
地下鉄の延伸と伴に、突如出現した副都心。
東京のおしゃれな私鉄の駅前にだって負けてはいない。
無理をすれば、ここから母校へは徒歩でも行ける距離だ。
街の発展とは裏腹に、仙台は古き良きものを
いくつか失ってきた。
例えば屋台だ。
かつて、青葉通りには沢山の屋台が存在していた。
衛生面や営業許可の問題など、様々な理由により
衰退してしまったに違いない。
現在はあと何軒残っているのだろうか?
これまで仕事や私事で、
海外の街に出掛ける機会は多かった。
南国の街には、必ずと言っていいほど
路上の屋台文化がある。
食事を3食とも外食や中食に頼る国も珍しくない。
朝の屋台で頬張るお粥。
ランチは惣菜屋台でぶっかけご飯。
夜はちょっと豪華に、海鮮屋台でビールと炭火焼。
屋台の風情と、中華鍋から立ち込める
美味しいエスニック料理の匂いには、
外国から来た旅行者を引きつける大きな魅力があるのだ。
南国の街は、仙台とはあまりに対照的だ。
どことなくゴミゴミして、雑然とした街並み、
大通りを行き交う車や路線バスからの排気ガスの洗礼、
10年以上放置されたままの建設途中の大型ビル、
生活感漂う場末の市場と周りの露店、
雨季の都心の洪水と大渋滞、
そして、線路脇のスラム街・・・。
そんな僕にとって、今の仙台はどうしても
きれい過ぎて、健康優良児の街並みに見えてしまう。
それは泉中央に限らず、仙台駅東口の見事な
再開発ぶりを見ても明らかだ。
しかし、この現実は僕にとって魅力がない、
という訳ではまったくない。
故郷の仙台は、やはり特別な街なのだ。
これからの変貌振りも大いに楽しみだ。
いつの日か、そんな仙台に再び戻りたいと思うのは、
自然な考えではないかと思う。
そんな僕にとって、仙台と南国の都市との
定期直行便の乗り入れ交渉の動向は、
かなり気になる問題だ。
(2組順)
その間、僕は人よりまめに帰仙しているはずだ。
それでも、泉中央から実家に向かう車窓の眺めは、
半年で微妙に変化する。
仙台のダウンタウンには、新たな商業施設や
ビジネスビルディングが増え続け、
小学生の頃、60万だった仙台の人口も、
とっくに100万を超えている。
高校時代、泉中央の周りは田圃だった。
地下鉄の延伸と伴に、突如出現した副都心。
東京のおしゃれな私鉄の駅前にだって負けてはいない。
無理をすれば、ここから母校へは徒歩でも行ける距離だ。
街の発展とは裏腹に、仙台は古き良きものを
いくつか失ってきた。
例えば屋台だ。
かつて、青葉通りには沢山の屋台が存在していた。
衛生面や営業許可の問題など、様々な理由により
衰退してしまったに違いない。
現在はあと何軒残っているのだろうか?
これまで仕事や私事で、
海外の街に出掛ける機会は多かった。
南国の街には、必ずと言っていいほど
路上の屋台文化がある。
食事を3食とも外食や中食に頼る国も珍しくない。
朝の屋台で頬張るお粥。
ランチは惣菜屋台でぶっかけご飯。
夜はちょっと豪華に、海鮮屋台でビールと炭火焼。
屋台の風情と、中華鍋から立ち込める
美味しいエスニック料理の匂いには、
外国から来た旅行者を引きつける大きな魅力があるのだ。
南国の街は、仙台とはあまりに対照的だ。
どことなくゴミゴミして、雑然とした街並み、
大通りを行き交う車や路線バスからの排気ガスの洗礼、
10年以上放置されたままの建設途中の大型ビル、
生活感漂う場末の市場と周りの露店、
雨季の都心の洪水と大渋滞、
そして、線路脇のスラム街・・・。
そんな僕にとって、今の仙台はどうしても
きれい過ぎて、健康優良児の街並みに見えてしまう。
それは泉中央に限らず、仙台駅東口の見事な
再開発ぶりを見ても明らかだ。
しかし、この現実は僕にとって魅力がない、
という訳ではまったくない。
故郷の仙台は、やはり特別な街なのだ。
これからの変貌振りも大いに楽しみだ。
いつの日か、そんな仙台に再び戻りたいと思うのは、
自然な考えではないかと思う。
そんな僕にとって、仙台と南国の都市との
定期直行便の乗り入れ交渉の動向は、
かなり気になる問題だ。
(2組順)