泉高校一期生有志のブログです。

昭和48年(1973年)男女共学の新設校として開校しました。
本年(2023年)創立50周年を迎えました。

仙台の街は健康優良児

2010年05月30日 | Weblog
仙台を離れて28年が経過した。

その間、僕は人よりまめに帰仙しているはずだ。

それでも、泉中央から実家に向かう車窓の眺めは、

半年で微妙に変化する。

仙台のダウンタウンには、新たな商業施設や

ビジネスビルディングが増え続け、

小学生の頃、60万だった仙台の人口も、

とっくに100万を超えている。



高校時代、泉中央の周りは田圃だった。

地下鉄の延伸と伴に、突如出現した副都心。

東京のおしゃれな私鉄の駅前にだって負けてはいない。

無理をすれば、ここから母校へは徒歩でも行ける距離だ。



街の発展とは裏腹に、仙台は古き良きものを

いくつか失ってきた。

例えば屋台だ。

かつて、青葉通りには沢山の屋台が存在していた。

衛生面や営業許可の問題など、様々な理由により

衰退してしまったに違いない。

現在はあと何軒残っているのだろうか?



これまで仕事や私事で、

海外の街に出掛ける機会は多かった。

南国の街には、必ずと言っていいほど

路上の屋台文化がある。

食事を3食とも外食や中食に頼る国も珍しくない。

朝の屋台で頬張るお粥。

ランチは惣菜屋台でぶっかけご飯。

夜はちょっと豪華に、海鮮屋台でビールと炭火焼。

屋台の風情と、中華鍋から立ち込める

美味しいエスニック料理の匂いには、

外国から来た旅行者を引きつける大きな魅力があるのだ。



南国の街は、仙台とはあまりに対照的だ。

どことなくゴミゴミして、雑然とした街並み、

大通りを行き交う車や路線バスからの排気ガスの洗礼、

10年以上放置されたままの建設途中の大型ビル、

生活感漂う場末の市場と周りの露店、

雨季の都心の洪水と大渋滞、

そして、線路脇のスラム街・・・。



そんな僕にとって、今の仙台はどうしても

きれい過ぎて、健康優良児の街並みに見えてしまう。

それは泉中央に限らず、仙台駅東口の見事な

再開発ぶりを見ても明らかだ。

しかし、この現実は僕にとって魅力がない、

という訳ではまったくない。

故郷の仙台は、やはり特別な街なのだ。

これからの変貌振りも大いに楽しみだ。



いつの日か、そんな仙台に再び戻りたいと思うのは、

自然な考えではないかと思う。

そんな僕にとって、仙台と南国の都市との

定期直行便の乗り入れ交渉の動向は、

かなり気になる問題だ。

(2組順)

伊藤君、おめでとう

2010年05月29日 | Weblog
最初の頃の記述を読むと、中々上昇しないアクセス数に、俊明君が苦慮している様子がうかがわれました。昨日のアクセスにより、 1,416,600もあるブログ中で8,860位にランクされたようです。

俊明君がこのブログを始めた当初の想いに、私の書き込みが合致しているかどうか自分では判断つきかねているのだけれど、ここを訪れる人たちと、同じ学び舎で過ごした三年間を懐かしむ一助にはなれているのかな。私がそうであるように、小さな切っ掛けさえあれば、当時の記憶が蘇るのだから。そんな日は、焼酎の味も格別なんだし・・・

泉高校一回生
ブログの開設から 1204 日
5月28日のアクセス数
閲覧数:480PV 訪問者数:140IP
順位: 8,860位 / 1,416,600ブログ中 (前日比 ⇗)

【泉高校一回生】のアクセス・ランキング
アクセスとランキングの状況を表示します。ランキングは上位10000件まで表示されます。

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2010.05.28(金) 480 PV 140 IP 8860 位 / 1416600ブログ
2010.05.27(木) 251 PV 85 IP - 位 / 1416161ブログ
2010.05.26(水) 314 PV 101 IP - 位 / 1415683ブログ
2010.05.25(火) 367 PV 111 IP - 位 / 1415225ブログ
2010.05.24(月) 184 PV 85 IP - 位 / 1414761ブログ
2010.05.23(日) 303 PV 115 IP - 位 / 1414192ブログ
2010.05.22(土) 339 PV 93 IP - 位 / 1413703ブログ

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2010.05.16 ~ 2010.05.22 2578 PV 690 IP - 位 / 1413703ブログ
2010.05.09 ~ 2010.05.15 2992 PV 688 IP - 位 / 1410225ブログ
2010.05.02 ~ 2010.05.08 2932 PV 701 IP - 位 / 1406838ブログ

多分数字が半角文字なので表示が見ずらいかもしれませんが・・・


初期に投稿されていた方々は、最近投稿されていないようで寂しい限りです。
名画「シェーン」の少年の叫び声
『COME BACK』




BY No8中嶋

記憶の倉庫から 追試

2010年05月29日 | Weblog
追試を一度だけ受けた事がある。追試が行われたのが階段教室だったから、多分音楽室かと思われる。従って二年か三年の時だと思われる。

どの科目で追試を受ける事になったのか思い出せないが、一度英語(リーダー)の試験で予想外の所から出題されて、出来が悪かったことがあった。多分この時の事だと思われる。

二科目の人は二時間で、一科目の人が一時間だったようなような。あるいは授業と同じように、一時間ではなく45分(or50分)だったかもしれない。

どうせ直ぐ解答が終わって暇なので、追試の全科目の問題と解答用紙を手元に置いておいた。サッサと自分の分を解答し終わり、残りの全科目に取り掛かった。絶対間違いない解答だけを、記入していった。

一科目の受験者の時間が終わった時、隣の席の同じクラスの誰かに解答用紙を「適当に写せ」と渡した。それが誰だったか・・・ 記憶が埃を被っていて、ボンヤリしてその顔がはっきりしない。




あの日から沢山の水が橋の下を流れていった。時に激流となり、様々なものを押し流していった。それなのに未だ自分が何をしたいのかよく分からない。もうロウソクの残りが少ないのに。

Yes I still running
Only to be with you

ではまた来週土曜日に会いましょう。

BY No8中嶋

宴 -うたげ-

2010年05月28日 | Weblog
今日名大病院での第一回目の胸部照射に行ってきた。途中買い物をして帰宅すると、No13芳明君からの宅急便のビジネス・レターが届いていた。

ワクワクして開封すると、公式試合の結果の新聞の切抜きの写真や、試合のときの写真などが添えられていた。その中には、三年の時の卒業を前にして、ラグビー部の一同が小石川君の家でやった宴会のときの写真が入っていた。

小石川君の家は、仙山線に乗った宮城野にあったお寺だった。彼の家にたどり着くまで真っ暗で、お地蔵さんのあった竹林のところで誰かが隠れていて、後続の我々を脅かしたりしていた。そんな事をするのは、岩崎君や本木君だったかもしれない。

誰彼となく言い出した、最後の別れの宴だった。こういう時になると、不思議と一致団結するのがラグビー部の面々だった。ただこのことは皆に知られていて、「いいなぁ」と言われたり、英語の菅井先生と廊下ですれ違った時になどには、「飲みすぎるなよ」とチクリと一言注意されたりしていた。

授業が終わってから、駅前の映画館の下で待ち合わせたはずです。私が写真に写っている「ダルマ」ことサントリー・ウイスキーを酒屋さんに買いに行った。

まぁ公開して怒るようなメンバーでもないと思うので、スキャンして添付してみました。ちなみに、黒いふちのメガネをかけているのが私です。芳明君がデジカメで写真を撮影し、私がスキャンして縮小したので、チョット見づらくなっていますが、メンバーなら誰が誰だか分かるはずだから・・・






No13の芳明君有難う御座いました。

伝家の宝刀、空シザース。

味方の我々FWもブレイクしてから、小田君にホローしたらいいのか、芳明君の後を追えばいいのか、いつも迷っていましたヨ。

それから芳明君と小石川君を執拗にラクビー部に勧誘していたのは、私でした。

追記)
この一連の写真で、小田君の股間を写したのが私でした。さすがにそれは写真屋さんがプリントしてくれなかったはずです。ネガにはチャンと写っていたのに。

追・追記)
お礼のメールを芳明君に送ったら、孝雄君と二人して「貴君」という表現が不評なようなので、若干記述を修正しました。

ご報告

2010年05月25日 | Weblog
先週末皆さんに手紙を書いたはかりなので、再度報告の手紙を書くのが面倒なので、この場を借りて・・・・

今日名大病院に行ってきました。先週撮ったCT画像です。



向かって左側(画像は左右反転しているので実際は右側)の腫瘍が大きくなっていて、心配したように「胸壁浸潤」をしていました。だからあるべきはずの肋骨が一本写っていません。そのせいで胸の痛みが強くなっていたようです。

痛みを軽減させるためと、治療の為に放射線治療を10回やる事にしました。それと、弱いタイプの麻薬オキシコンチンを飲み始める事にしました。

この手の痛みは中々厄介なんだけれど、骨による痛みには、わりと放射線が有効なので期待しています。




BY No8中嶋

泉陽会館

2010年05月25日 | Weblog
mixiの後輩に聞いた話では、あの池で小学生の事故があり埋められたようです。その跡地に建てられたのが、

泉陽会館(鉄筋コンクリート 2階建 合宿所)






BY No8中嶋

典古池のおもいで

2010年05月23日 | Weblog
サッカー部だった今野健男君は卒業後あるいは上京後も年賀状のやりとりをして仙台やら東京やらで飲んだことのある数少ない同窓生だが、一度も同じクラスになったことはない。部活も一緒ではない。昨日その今野君と10年ぶりくらいに仙台で飲んだ。角杯を飲み、日高見を飲みおもい出話に耽った。どちらかというと僕はおもい出話より今後のことに興味があるというかベクトルがそうなっている。それでもやはりあの「典古池」の話になって、しんみりした。(3/4高橋)

先生の思い出 担任編

2010年05月22日 | Weblog
「一週間のこぶさたでした」と懐かしい玉置宏さんのご挨拶を引用して・・・・と。

ここで分かったように、どうやら私は一年六組だったらしい。そういえば階段を登った直ぐの教室だったことが思い出された。トイレが階段の向こう側だった。相変わらず、二年のとぎ何組だった思い出せないでいます。門脇君とか、白根沢君とかと同じ組だったはずなんだけれど。ご記憶の方がいらしたら、ご教示願います。

一年と二年の時の担任は、数学の加藤先生だった。目に特徴があって、チョット小太りで、いつもズボンを引き上げながら、黒板に証明を書いておられた。「証明が終わったので、これを使って問題を解くことができる」こんな風に授業を進められていた。

その科目がよく分かるかどうかは、先生との相性があるみたいである。私の脳味噌のクロック数と、加藤先生の授業の進行スピードが同期するので、私にとって分かりやすかった。

三年三組の時の担任は、英語の石川先生であった。「うぅ~ん、もったいないけれど、最近の研究成果」と言って、英語の苦手たった私にはよく分からな薀蓄を時折語られていた。小柄な菅井先生と同じように、「英語大好き」の情熱を感じさせる授業だった。

また卒業前の最後の試験のとき、問題作成者だった石川先生が巡回してきた時、とっくに解答が終わっていた私が退屈していると、チラリと解答用紙を覗いて、「感想文でも書け」と御下命があったので、論旨は「卒業前に、こんなに簡単な問題でいいのか?」というような生意気な内容を、解答用紙の裏に書いた。それを読まれた先生は、目が笑いつつも「君の言うことも、もっともである」みたいなお言葉を、ホームルームの時に賜った。

ではまた来週土曜日に会いましょう。
BY No8中嶋