泉高校一期生有志のブログです。

昭和48年(1973年)男女共学の新設校として開校しました。
本年(2023年)創立50周年を迎えました。

I’m home No8 中嶋

2010年06月29日 | Weblog
ご心配をかけましたが、今日午前中、無事退院してきました。予定外の長期(四週間)となりましたが、おかげで10回の放射線治療を終えることが出来たので、通院しなくて済む事になりました。

期待した除痛効果は、なかったようです。ただ少し痛む場所は変わりましたが。医療用麻薬のオキシコンチンで、ある程度痛みをコントロール出来るようになっています。

何と地上の暑いことたらないです。体感では、まるでサウナに入っているようです。当分は体力回復に努めないとならないけれど・・・ もとに戻るのは何時の事やら。



ほんでもって、退院祝いの定番の刺身を缶チュウハイで流し込んだあとに、携帯カメラで撮ったセルフ・ポートレイトです。

記憶の倉庫から ジュウベイさん

2010年06月26日 | Weblog


在学中、このニックネームで貴女を呼んだことがなかったはずですが、倉庫の中の幾つかの記憶の断片に貴女が登場してきました。データベース的に、これらの記憶の断片を横刺しにしてみました。

まず教室での記憶。前に書いたように、我々ラクビー部は練習が終わると下駄箱の前の水呑場で汚れを落とし、半分裸で教室に戻っていました。貴女は薄暗くなった教室に誰かとよくいました。着替える我々の為に、スゥ~と教室を空けてくれていましたネ。

卒業して初めての(?)同窓会に参加したことがありました。それは学校で開催されたものでした。また私が参加した、唯一の同窓会でした。私が誰か(多分ラクビー部の誰か)と帰るとき、あの下駄箱の入り口から、貴女が「もう帰るの」と呼びかけてくれ、手を振ってお別れしたの思い出しました。

もう一つが、文理予備校に通っていた時の記憶です。暗くなった帰り道、多分東北電力の前のバス停に行く途中で、貴女に「今晩は」と声をかけられました。確か歩道橋に登ろうとして時だったような記憶があります。今なら「お茶でもどうですか」とお誘いするのですが、あの頃はそんな余裕がなかったのかもしれません。

追記)
もう一つ思い出したので・・・
岩崎君と遊びに出かけたとき、一番町の裏通り、国分町の方だったかな(?)の狭い階段を降りたところにあった音楽喫茶から出てきたときに、お友達といたジュウベイさんにバッタリとであったことを思い出しました。お互いが思わぬ出会いに、ビックリした顔をしていましたネ。

薄暗く狭い店に、大きなオーディオセットが鎮座ましまし、かかっているレコードのジャケットが置かれていて、注文もメニューを指差しするだけで、話しをしてはいけない店でした。隣には、眼をつぶって陶酔して指揮をしている青年がいたりしました。

確かあの頃、コーヒー一杯が180円ではなかったかな。ブラジルがコーヒーの不作で、150円から180円に値上げした頃ではなかったかな。いや180円から、210円になったんだったかな。


先だっての貴女のコメントで、今はあの長かった黒髪をバッサリと切られてショートへアーとのことですが、いつの日にか再会して、こんな思い出話しをしてみたいですネ。

バレー部だった貴女にとって、思い出が沢山あるだろう体育館の写真とともに・・・



貴女には分かってる。
僕達は歩き過ぎようとしてる、
でももう手遅れだってことが。
貴女の魂はこの手から滑ってどこかへ行ってしまう。
でも君が言うのが聞こえるよ。
「過ぎてしまった事に怒らないで」

そこのアナタにとつて、ジュウベイさんの思い出は何ですか?

ではまた来週土曜日に会いましょう。
BY No8中嶋

音楽という名の記憶術

2010年06月22日 | Weblog
 僕は高校時代、ポップスやロックを相当聴き込んでいた。
今で言う70'sだ。特にプログレとハード・ロックに傾倒して
いた。好きなバンドがいくつもあり、いつも新譜が出るのを
心待ちにしていた。
 高校2年か、3年の時かは定かでないが、昼休みの校内
放送でレア・アースの「ゲット・レディ」が、毎日のように流
れる時期があった。放送部の誰かが好きな曲だったのだ
ろうか?僕は弁当を頬張りながら何の気なしに聴いていた。
レア・アースは70年代前半に活躍したデトロイト出身の白
人5人組ソウル系ロックバンドだ。僕はそれまでこのバンド
のことを知らなかった。この曲は70年に全米4位の大ヒット
を記録し、当時、日本のディスコでも流行っていたという。
もともとは、テンプテーションズの60年代初期のヒット曲で
ある。しかし僕はこれ以降、この曲をラジオのオンエアーで
数回聴いたに過ぎない。先日、ふとレア・アースのこの曲
が入ったCDを借りて来て聴いてみた。

「君みたいにボクをその気にさせるコに遭ったことがない
 (君は最高)
 ボクの夢を現実にできるのは誰かと言えば、
 もちろん君って答えるさ
 (君はイカス)
 だからフィー・フィ・フォ・ファン
 気をつけろよ、ほらボクは行くからな」
 (訳:HideS)

 何てことのない歌詞だった。しかし、将監 10丁目の昼休
みの教室に、見事にタイムスリップしてしまったのだ。楽し
かった部活動のことや試験勉強の悩みなど、当時の心情
までもが甦る感覚だ。高校時代に限ったことではないが、
洋楽を聴き始めた中学時代、大学時代そして社会人と、そ
れぞれの時代で僕は大切な記憶を、無意識に洋楽の曲に
刷り込んで来たようだ。
 音楽という名の無意識の記憶術。似た経験は誰にでもあ
るに違いない。これから出くわす将来の思い出場面に意図
的にやってみようとも考える。今、僕のiPodは、こうした時
代への時空旅行の入口になっている。
(2組順)

記憶の倉庫から 安部君

2010年06月19日 | Weblog

アルバム編集委員長をしてくれた野球部の安部君の思い出話し。

一年の時に、どんな話の流れだったか忘れてしまったけれど、「コウモリを取りに行こう」ということになった。安部君の家の近くの山に廃坑があり、そこにコウモリがいるというのである。

いつも登校時に降りるバス停から、泉ケ岳に向かってかなり先まで行くと安部君の家にたどり着いた。まだ女性の車掌さんが乗っていた時分の話である。おそらく今は、宅地造成されてしまっただろうが、あの時の道路沿いは自然豊かであった。

彼の家が、大きな農家でビックリした。他のメンバーより早めに着いた。何人かで訪ねたのだけれど、一人の顔しか思い出せない。それは二年の時に中退したI君である。入学して皆と話すようになると、「今度凄い映画がくる」と興奮していたのがI君だった。その映画こそが、あの奇声で世界を席巻したブルース・リーの「燃えよドラゴン」だった。もちろん何人かで誘いあって見に行った。

メンバーがそろうと、問題の廃坑に出掛けた。皆用意の懐中電灯を点けて、いよいよ冒険の始まりである。別れ道になると、葉っぱなどを目印に置いてドンドン先に進んでいった。二匹ほど捕まえたのではなかったかと思う。それをI君が自分のショルダーバックに入れてつれて帰っていった。

コウモリは、空を飛ぶために極限まで肉体を切り詰めているので、首の辺りを持つと簡単に死んでしまうから、両手でそっと包むようにして持たなければならなかった。

今でも強烈な体験として鮮明に記憶にあるのが、その冒険の途中、少し広い所に差し掛かったとき、誰言うともなく「懐中電灯を消してみようか」ということになった。それが生涯初の「漆黒の闇」であった。隣にいる友人の姿もわからず、自分が立っているのすら認識できないような、まったく光のない暗闇だった。

その冒険から戻ると、お姉さんがラーメンを振舞ってくれた。これが大変美味しかったのも、よく憶えている。その後は私が用意していったトランプなどで遊んでから帰宅となった。

早めに着いた私と話していた安部君が、「いつもこれでバットスイングの練習をしているんだ」といって見せてくれだのが、鉞(まさかり)だった。それは大変重いものだった。野球のバットが1キロぐらいだったはずだけれど、それよりずっと重そうな鉞だった。

確か卒業して予備校に通っていた時、たまたま安部君とバスで乗り合わせた事があった。「どうしている」と尋ねると、「泉市役所で働いていて、自動車学校に通うところだ」と言葉を交わしたのが、安部君と話した最後だった。




Don’t go changing
to try and please me
You never let me down

I just want someone that I can talk to
I want you  just the way you are

あの時のままの自分だと思っているから・・・

ではまた来週土曜日に会いましょう。
BY No8中嶋

記憶の倉庫から 地学 小出先生

2010年06月14日 | Weblog
前回の菅間前のバス停の話しのNAOKOさんのコメントにあった「地学の教材になったクロスラミナ」にちなんで、地学の小出先生にまつわる思い出話しを少々。クロスラミナは崖の上辺にあった親指大の茶色い化石で、確か貝の化石ではなかったかと思う。

小出先生の授業は独特のスタイルで、生徒に教科書の中身を分担させ説明させるスタイルであった。私は大陸移動の部分を選択した。小学生の時に読んだ本を参考にして、アメリカ大陸とヨーロッパ・アフリカ大陸の海岸線が似ているだとか、離れた所で同じ化石が見つかっているとかの話しをした。そのような図を描いたもの用意して、自分の回をこなした。中鉢さんに何か質問されたけれど答えられなかったので、先生に話しをふった様な記憶がある。

また小出先生にまつわる逸話の二つほど。

奥さんが女子高で教えていた時の教え子だとか、登校時の宮城交通バスで「うるさい、静かにしろ」と一喝したとかがあったはずである。


BY No8中嶋

記憶の倉庫から 片腕の店主

2010年06月12日 | Weblog

↑母校のホームページより

ネットの地図で確認しても、泉高校の南側の通っていたバス停の名前が思い出せない。国道35号線らしいのが分ったくらいである。地図を見ると、当時とあまりに風景が違うので・・・

当時は西側が田圃で、東側が林だったような記憶がある。その田圃に苗が植えられると、鳥除けの小さなストーブの火で爆音を発するのが置かれていた。運悪く近くにいると、耳がツ~ンとするくらいの凄い音だった。

そのバス停から少し西に行った所に、小さな雑貨屋さんがあった。ボンヤリした記憶では、日用品や野菜などが売られていたような気がする。

練習帰りに、一年中その店でアイスを買っていた。店主は元トラック運転手で、事故により片腕をなくしたオッちゃんだった。小野寺君と菅原君(マディガン)の二人は、このオッチャンに気に入られていたのか、冬場顔を出すと、暖かい団子などご馳走になっていた。

オッちゃんによれば、野球部なんかの練習の音が聞こえると言っていた。

一度朝、そのバス停で千円札を拾った事があった。その金で、帰りに皆にアイスをご馳走した。バスの時間間際だったけれど、岩崎君が練習では見せないような猛ダッシュで、みんなの分を買いに行ったのが思い出される。一緒に帰っていた、バトミントン部の皆もいたような気がするんだけれど・・・どうかなぁぁぁ?

あちこち探してみたら、以下の地図があった。

この地図によれば、不明だった地名は、どうやら「菅間前」といことらしい。



Have you ever seen the rain?
by CCR

Someone told me long ago there's a calm before the storm,
I know; it's been comin' for some time.
When it's over, so they say, it'll rain a sunny day,
I know; shinin' down like water.

ずっと昔に誰かに聞いた、嵐の前の静けさがあることを
それがいつか来ることを知っている
雨が上がったら時、みんな言う、晴れた日に雨が降るだろうと
雨粒のように太陽光線が降り注ぐと知っている

I want to know, have you ever seen the rain?
I want to know, have you ever seen the rain
Comin' down on a sunny day?

君が雨を降るのを見たか知りたい
君が雨を降るのを見たか知りたいんだ
晴れわたった日に降るのを

Yesterday, and days before, sun is cold and rain is hard,
I know; been that way for all my time.
'til forever, on it goes through the circle, fast and slow,
I know; it can't stop, I wonder.

昨日そして一昨日、太陽は冷たく、雨は激しい
知っている、私の人生いつもそうだった
永遠に、円を回り続けている、早くゆっくりと
それが停まらないことを知っているけど、本当にそうなのかな

Creedence Clearwater Revival
信念をもって「清らかな水」を甦らせようではありませんか
あの日に降っていた雨のような


ではまた来週土曜日に会いましょう。
BY No8中嶋


ハンドオフ

2010年06月11日 | Weblog
ご心配をおかけしましたが、死神君のタックルをハンドオフで跳ね飛ばして、これを書いています。

入院日の顛末は、何人かの方にはアナログメールでお知らせしましたが、その他の方々へで興味のある方は、以下の私のブログの「隻手音声 日記」の6月11日の記事
「入院日のドタバタ」
を参照していただければ幸いです。

では明日の予約投稿をお楽しみに・・・

bY No8中嶋

調子にのって第三弾!

2010年06月08日 | Weblog
許可をいただいたので・・・???大丈夫かな???

私は誰でしょう?

ここでいつも同級生数人が酔っぱらっているらしい。

そう言えばしばらく前、下をむいてゴミ箱に顔を突っ込み、なんかしゃべってる人が居た。
確かウェーーって。


本当にいいのか!!!すこし怖い。
ダメならすぐに削除して!


記憶の倉庫から チェリオ

2010年06月05日 | Weblog
アレコレ切れ切れに思い出しているのけれど、その中の一つに下駄箱の奥に、チェリオの自販機があったことを思い出した。検索してみると、現在も稼動中らしい、珍しい瓶の自販機の写真があったので拝借してきた。こんな色をしていたのかまでは、記憶が蘇ってこないけれど・・・



記憶の彼方の瓶も、こんな風に波打っていたような印象がある。


そういえばmixiで知り合った、小田君の後輩のsaさんと話した時にも、チェリオの話題が出たような気がする。

かすんだ記憶では、一年の時はなかったのではないかとおもうのですが・・・いかがなもんでしょう?

それから法政大学に合格して、石川先生の所へ挨拶に行ったとき、この自販の横に、名前とともに大学合格を知らせる紙が張ってあって、少し面映かった。

これを書きながら聞いている名古屋のZIP-FMで、カーペンターズの曲が流れている。



「いい子」でいることを、もうやめよう。
気ままに、天真爛漫にあろう。
我々も子供に回帰し始める歳になってきたのだから。
その鎧を脱ぎ去ろう。

白根沢君、元気にしていますか?

ではまた来週土曜日に会いましょう。
BY No8中嶋