ヨーロッパ旅行記1972

学生時代に行った初めての海外旅行の思い出を書きます。
題名の通り1972年のヨーロッパです。

花市場場内

2005-05-16 05:20:07 | アムステルダム2日目

フラワーマーケットの近くには空港があるようだ。飛行機が盛んに離着陸している。
そういえばここでせりをされた花は航空便でロンドンやパリに送られると本に書いてあった。
ここのマーケットのあまりの大きさに入り口がどこかわからなかった。
花をいっぱい持っている人の後について中にはいる。
中は車がいっぱい走っている。
日本の野菜などの市場と雰囲気は似ている。

せりの様子を見たかったので、場所を聞くと丁寧に教えてくれた。
しかしその通りに行くと外にでてしまい、たくさんの観光バスを発見した。
この人たちはみんないったいどこにいるのだろうか。
また中にはいりまたせりの場所を聞く。
するとここですよと大きな部屋を教えてくれた。
そこは階段教室のような部屋であり、マイクを使ってせりの様子を聞いているのだ。
その部屋の中でせりは二箇所でおこなわれているようだった。
案内人が前に座って横から自動的にでてくる花の説明をしているようだ。
この近代的な設備に驚いていたら、どうぞ部屋にはいりなさいと外からきたおじさんに言われた。そこで一番後ろの高いところから私たちもイヤホーンでせりの様子を聞く。
しかしどうやってでてくる花を買い、自分のものだと判断していくのかさっぱりわからなかった。後ろの出口からおくの方へ行ってみると、そこに上から市場の様子がわかる見学者用の通路があり、日本人を含めたくさんの人がいた。

まるで違う入り口からはいったことにより、見学者通路以外のところも見れた
ことになってしまった。ラッキーだったかもしれない。
しかし今になって思うのだが、なぜ風車を見にいかなかったんだろうか?
ローカルバスが通ってなかったのだろうか?
ちょっと不思議だ。

アームスメール

2005-05-15 12:27:21 | アムステルダム2日目

アームスメールに着く。
フラワーマーケットに行きたいといったら、今度はあのバスに乗りなさいといわれた。
乗り換えたバスには母親に連れられた赤ちゃんがたくさん乗っていた。
保育園が近くにあるのだろうか。ア
ムステルダムの市内から40分ほどしてフラワーマーケットのバスストップまでたどり着く。
ここですよ、とおろされた所は何もなく野原のずっと向こうに森がかすんで見えている。
反対の方に一つだけとてつもない大きな建物があったので、それがフラワーマーケットなのだろうと思う。道路に沿って線路が一本走っているが、列車ははたしてここを走るのだろうか。
ここで見える家はフラワーマーケットと線路の横にあった小さなかわいい小屋だけだ。


市外から少し離れただけでこれだけ郊外になってしまうヨーロッパの街づくりというのは
基本的に日本と違うのだなあと感じだ。
本当に何もないところがあるのだという思った。
不安でもあったし、見事な緑に感動もした。

アームスメールの花市場

2005-05-14 08:28:59 | アムステルダム2日目


6時半にモーニングコールがなる。
「グッドモーニング、サンキュー」
と電話を切り、また30分ほどねた。
この日は午前中に花位置を見学し午後は待ちの中を見て廻りたいという強行スケジュールをたてている。眠い目をこすりながら下に降りた。

インフォメーションの人にアームスメールまでの行き方を聞き、出発したのは8時半。
通りにでると自転車の列だ。バスストップに行ったが30分以上バスは来ない。
市内見学に変更しようかと思ったときにやっとバスがきた。
ここの町には黒人の子もいるが、白人の子と一緒に歩く。
パリやロンドンにもかなり黒人はいたのだが、アメリカのような差別は感じられなかった。
バスにはアールスメールと書かれてあり、すぐにこのバスで大丈夫だとわかった。
町をでて広々とした田舎を走り出す。
ヨーロッパの町はどこでもそうだが、町の外はすぐ広々とした田舎で家は数えるしかない。
途中小さな町をいくつか通った。このような小さな町の家はものすごくかわいい。
どこも二階建てで茶色の壁に白い窓わくだ。
そして窓には必ず花が飾られており、庭は芝生になっている。
そういう家がバス道路になっているメインストリートの両側に並んでいる。
小学校をみかけたが、これもまた二階建てでかわいかった。
庭では子供たちが色とりどりの洋服を着て遊んでいた


オランダの印象はものすごく明るい街という感じだった。
フランクフルトは夜しか歩かなかったので、それは当然だとは思う。
この時、正解だったのは郊外にでたということだった。
本当に気持ちがよくって、環境に恵まれているのだと感じることができた。


オランダ語の本

2005-05-12 06:49:16 | アムステルダム

帰りぶらぶら町を歩いていると、一軒だけあいていた店があったので寄ってみる。
本屋でかなり大きい。私たちは絵本を見た。
ディズニーの本がたくさんあったが、その中でオランダ語のピーターパンを買った。
この町はどこに行っても英語が通じる。

ホテルにかえるとAさんがいて、ひとりで寂しいから一緒にいたいと言ってきた。
まだ食事もしていないという。
私たちは下のレストランに一緒に行ってまた食事をした。
ここには日本人のボーイさんがいた。
それから一緒に私たちの部屋に戻り結局私たちの部屋に1時ごろまでいた。
私たちはこれまでおもしろいこの連続だったが、
同じグループにはパスポートやお財布をなくした人もいることをはじめて知った。
ここまではとてもラッキーだったのかもしれないと思った。


このピーターパンの本は今でも持っている。
唯一のオランダ語の本だ。
私達はほとんどこの旅行中、2人で行動していたので、他の人の
名前もあまり知らなかった。
両親も学校のツアーだからださせたのだろうが、これでもバックパックの
旅行の延長線上にいたような気がする。
しかしこの旅行をしたおかげで、アメリカでもイギリスでも
中国でも韓国でもひとりで歩けたような気がする。
今思うにすべてが貴重な経験だった。


レストラン

2005-05-08 22:15:51 | アムステルダム

食事をしに繁華街にでかける。アムステルダムは本当に運河の町だ。
道を覚えるのも何番目の運河の次の道を曲がりと覚えていく。
途中、学生らしい人にこのあたりに安いレストランはありますかと聞くと、
そこの何番目の道を曲がりと説明してくれたが、最後にカモンと言ってつれていってくれた。
この時、プレイかディナーかと聞かれてちょっと驚く。
この人は大学で法律を勉強しているといっていた。
明日の食事は駅の近くのインフォメーションで聞くといいでしょうと言ってくれた。
少しいくとあそこの看板がでているところですからと言って彼は去っていった。
この人はちょっとかっこよかった。

教えられた小さくてこじんまりしたレストランにはいると、超ミニスカートの人が赤と白のチェックのテーブルクロスのかかったテーブルのあいまをぬって給仕していた。
なんと嬉しいことに英語のメニューだった。
オープンサンドのセットになっているものと、パインジュースを頼みコーラも飲んだ。

しばらくして親子連れの人たちがはいってきたが、犬を連れており、犬にもいすを与えていた。
その犬は口をテーブルにのせていたが、ずっとおとなしくしていた。
お店の人も彼らとにこにこと話していて、犬がいることが当然のような感じだった。


本当にこの当時から誰にでもなんでも聞いていたのだなあと思ってしまった。
でもこのように親切にいろいろと教えてもらって旅の思い出が一層大切になる。
しかし、若かったなあ。
パインジュースにコーラ。
今こんな組み合わせを今したら、次の日は起きられない!

アムステルダム到着

2005-05-07 05:43:14 | アムステルダム

バスに乗ったがいつオランダにはいったのかわからない。
国境を過ぎたのも気づかなかった。

アムステルダムに着く。
これまでの町とはまったく違い、あらゆる家がレゴで作ったようだ。
白い窓枠に茶色の家。とこもかしこもその造りなので、町全体がミニチュアのようだ。

7時ごろにホテルに到着。
バスを降りる時に神田さんが
「明日、誕生会をやります」
と言った。やったね。
お勘定の半分は神田さんが迷子になった子を迎えにタクシーを使ったといって会社にださせると言った。みんなにこのことは内緒ですからと協力を求めたが、そういうことならいくらでも協力してしまう。

部屋にはいりドアの近くに違うドアがあり、ここは何だろうとがちゃがちゃやっていたら隣の部屋からなんと青柳さんがでてきた。



この旅行中のホテルはそんなにいいホテルではなかった。
しかし今、文を読むとコネクトルームがあるホテルだったのだなあとわかる。
アムステルダムのまちは都会で明るい感じがした。

ケルン駅

2005-05-05 10:46:55 | アムステルダム

外に出る。エレベータが屋根もなく直接外にでている。
おもしろくて何回も乗った。
ここのしたに化粧室があったのではいった。
お金を払うとかぎをあけてくれる。
有料なのにそれほどきれいでなかった。
出発の予定の時間になったので集合場所に戻るが誰もいない。
遅れてしまったかと思ったがレストランが混んでいるので、出発の時間をずらしたと聞く。
新しい出発時刻を聞き、大聖堂の裏を見にいく。
ケルン駅があった。
上野駅を貨物駅にしたような感じだった。
大きな市の駅とは思えないような光景だった。
列車の発車ベルがジリジリ鳴り汽車がでていく。
どこへ行くのかわからないがとてもすいていた。

ヨーロッパの列車の駅はイギリスに2回目に行った時はよく使ったが
この時はほとんど使わなかった。
そのためかこのケルン駅はよく覚えている。
当時は外からみると本当に寂しい駅だった。
旅行をしているという感じがした。


ケルン

2005-05-04 11:29:21 | アムステルダム

次に目が覚めたのはケルンだった。
ここで食事をとるように言われる。
私たちはスナックでポテトフライを立ち食いした。
これはタルタルソースがついており、ほかほかでかなりおいしかった。
近くのお店をぶらぶらと見てまわる。
ここでライン下りの画帳を買った。
ケルンの大聖堂は工事中だ。
ミラノのドウオモもそうだったが、古い建造物が多いので、直すところも多いのだろう。
建物の外の彫刻をよく見たら、入り口のところに首のとれている像もあった。
ヨーロッパで最初に訪れたサンピエトロ寺院のステンドグラスはものすごく感激したが、
教会にはいると必ずステンドグラスで、ここではもう感激はない。
赤と白の袈裟を着た牧師さん(神父さんー宗派がわかりません)が中で献金をしていた。


ケルンはこの昼休みの休憩だけだったのによく覚えている。
フレンチフライは今ではどこにでもあるけど、当時はこのように
タルタルソースをつけて食べるものはまだ日本にはなかった。
これがおいしかったからよく覚えているのかな。

ライン川くだり

2005-05-01 09:55:47 | アムステルダム

「ここからラインくだりをします」

もうライン下りはいいから寝かせてくれといいたい。

「ここはドイツ。ライン川。おおらか流れにゆれて大きな船が小さな船が今日も行きかう。
船から船へ、人から人へ交わす挨拶はすてきな香りネスカフェ」

お城が見える。ライン川のほとりの崖の上には敵から領地を守るという理由で
たくさんの城がたっている。舟に乗船するとすぐにハンカチをかりてドイツの旗の下に飾った。
船が出るとき、エディーに一生懸命に手を振った。彼も手を振っていた。
この船は日本人だけだった。途中のローレライの岩がどれかもわからなかった。
ネスカフェのコマーシャルを見ると素敵だが、実際はそんなでもないなと思った。

船が着きバスに乗り込む。また寝た。


この当時のコマーシャルまで文の中にはいっていた。
船にのっているときはローレライの岩がどれかわからなかったが、
かえってきて現像した写真にはちゃんとそれがうつっていた。
ハンカチの旗をかかげたのはFumiだった。
眠たいわりにはいろいろなことをしている!