ヨーロッパ旅行記1972

学生時代に行った初めての海外旅行の思い出を書きます。
題名の通り1972年のヨーロッパです。

ロンドン塔

2005-11-20 09:12:56 | ロンドン2日目

タワーヒルで地下鉄を降りると目の前に大きなお城が見える。
これがロンドン塔だ。
大きな石を積み上げて造られており小さな頃から考えていたお城そのものだ。
入り口に行く途中、小さなサルがいたので見ていたら、写真はいかがですかと言われた。
もちろん断った。

入場券を買い中にはいると、赤と黒のだんだら模様のユニフォームを着た兵隊さんが切符を調べた。
中庭のところがものすごい人だ。
見に行くと兵隊の交代が行われていた。
兵隊は制服の上から薄紫色のコートを着ていた。
交代式のバッグにタワーブリッジがうっすらと見えるところにこれだけの兵隊が並ぶとああイギリスだなと思う。
社会科見学の小学生もいっぱいいた。


今思うとこれだけの観光をしておいてよかった。
韓国にいったときもそうだが、なかなか観光ということをしなくなってしまっている。
きっと今ロンドンにいってもこれだけあちこちを見てはまわらないような気がする。
若い時の旅行というのは大切なんだなあとつくづく思う。





ロンドンの地下鉄

2005-11-16 20:52:35 | ロンドン2日目

かなり疲労が蓄積している。
朝食のときに上原さん、青柳さんに会ったが、みんな相当疲れているということだった。

この日はまず銀行で両替する。
はじめてトラベラーズチェックを使った。
この銀行の係りの女の人はガムを噛みながら応対してくれた。
その後、サークルラインに乗り、タワーヒルへ。
ロンドンの地下鉄は東京と同じように距離によって値段が決まる。
5p.(5ペンス=約35円)から、10p,15pと続く。

ホテルの近くのベイカーストリート駅は3線がはいりこんでいる大きな駅だ。
そのなかの一つサークルラインは山手線のようにぐるっと一周できる路線だ。
地下鉄はチューブという。
少し形が丸みをおびている。


なんせはじめての大旅行だったので、疲れがでていた。
何度読み返してもゆっくりしている時がない。
しかも全部、地下鉄とバスで移動しているし。
これがやはり今の原点かな。


アラブへ行く人

2005-11-15 20:30:15 | ロンドン1日目

ピアノはアメリカの曲になった。
近くのテーブルの人が歌っているので私たちも歌いだした。
その人がカモンと呼ぶので、Fumiは行った。
すると一緒に踊りだした。
戻ってきてFumiがいうには彼女たちはアメリカ人だという。
さすがに陽気だ。
注文した料理はでてくるまで不明だったが、ワンタンの皮にひき肉をつめたようなものだった。
12時ごろの閉店の時間までそこにいた。
出るときに馬車のような形をしたキャッシャーで支払いをした。
すっかりこの店が気に入った。
アラブに行く人はもう少し話そうといっていたが、時間が遅かったので別れる。


今思ってもなんでこのアラブに行く人の話をもっと聞かなかったかなあと思う。
ただ、ひさしぶりにここの文を読んでそういう人に会ったのかなっていうぐらいであまり覚えていないのだが。
とにかく、こういう人の話を聞くべきだった。
きっとおもしろい話が満載だっただろうと思う。
後から振り返るとこの旅行では本当にいろいろな人とであった。
その出会いのひとつひとつが大切だったというのが今になってわかる。

フラナガンで

2005-11-14 12:19:11 | ロンドン1日目

部屋に荷物をおくとすぐに食事にでかけた。
インフォメーションで聞いたホテルの並びのフラナガンに行く。
入り口は待合室のようだが、その置くにレストランが続いている。
中にはいるとピアノの音が鳴り響き、みんなでわいわい言いながら食事をしている。
レストランは赤を基調としてつくられており、その中を黒と赤のユニフォームを着たウェーターやウェイトレスが仕事をしている。
もらったメニューは大きな木でできており、椅子の上において何を頼むのか決めた。まずワインはロゼ。
ウェーターの英語はとてもはやい。
とりあえずセットになっていそうなものを選ぶ。

隣の席にはカルカッタ(これは杉山君の愛称だ)ともうすぐアラブに行くという人がきた。
カルカッタはパリでは3回もモンマルトルに行ってフランス人形を買おうかどうか迷ったそうだ。
結局人形を買ったということでこんど見せてもらうことにする。
彼は生粋の文学青年で英文科だったらエリオットを読むべきだといわれた。

なんとこの杉山君は次の学年で比較文学論で同じクラスになった。
試験のとき、なんやらいっぱい書いていたが私には見せてくれなかったなあ。
結局私はエリオットはまったく縁がなかった。
エリオットどころか英文学に縁がなかったかもしれない。。。



ロンドン到着

2005-11-13 06:54:33 | ロンドン1日目


イギリスの港の横から再び汽車にのる。
この汽車はコンパートメントではなかった。
イギリスは夏時間になっているかもしれないからといわれたが、プラットフォームの時計は私たちの時計と同じ時刻だった。
着いたときはもう夕方だった。
汽車に乗るとすぐにトランプがはじまったので一緒にやる。
車掌さんがテーブルを持ってきてくれたがあまりきれいではなかった。
外は真っ暗になりやがてロンドンに着く。

プラットフォームに下りたとたん中村君に女の人がとびついた。
みんなびっくりしたが、なんとその人はロンドン留学中の彼のお姉さんだった。

ここビクトリア駅からバスに乗りホテルに着いたのは8時だった。
ホテルはシャーロックホームズホテル。
ベイカーストリートにある。廊下に敷き詰めてあるじゅうたんが赤と黒でいかにもイギリスらしい。


イギリスの駅がどこだったかは忘れた。
しかし旅行の最後の町に着いたのだなあと思った。
このころになるとかなり疲れていた。。




ドーバー海峡

2005-11-12 06:07:17 | ロンドン1日目

 カレーの港につく。
ここは紅運べの小説の中にでてくる港だ。
税関をほとんど素通りして、ここから船に乗る。
私たちがのった時は席はいっぱいで、しかたがないので甲板にでた。
外はとても寒く、ものすごい霧だ。
汽笛がなり船は動き出す。
だんだんフランスが霧の中に消えていく。
どうやって知り合ったのかFumiはフランス人の女の子と友達になっていた。
彼女は英語を勉強しているということでFumiが名詞を渡したら、日本にかえってからしばらくすると手紙が届いた。

この人が今でも手紙のやりとりをしているAnnieだ。
この出会いだけでその後一度も会ったことはない。
彼女は現在、総合学校の校長先生をしている。
まだ若い時の彼女の姿ははっきりと覚えている。
この時は赤いコートを着ていた。
その後30年も文通が続くとはこの時、まったく考えられなかった。





汽車

2005-11-08 06:23:01 | ロンドン1日目

駅に着く。
「ここで一時間ほど汽車の発車を待ちます」といわれ、売店を見る。
エルがあったので買う。
この雑誌は宣伝が多い。
あとフランスパンの中にハムがはさんであるサンドイッチも買う。
(これがお昼ご飯になる)
ケルンで見たときもそうだったが、ここの駅も薄暗い。
汽車は外観はきれいではなかったが、中はあこがれのコンパートメントだった。
4人座席がひとつの部屋になっており、ドアがついている。私たちが座っていると、神田さんが同じ部屋にはいってきた。
私たちの顔を見るなり「たいへんなところにきてしまったな」と言った。


汽車は発車のベルもなく動きだした。
みんなで食事をしながら話していると、ひとりの男の子がマージャンパイを持ってきているという。
腕がなったが、それはトランクにいれてしまってだせなかった。
パリをでるとはじめは森のようなところが続き、みんなはここはブローニュの森だといってた。(本当はちがうけど)
いつの間にか私は寝ていた。
目を覚ますと塚田君が前に座っていた。
出張してきたという。
私たちの持っていたクッキーを食べていた。

このころマージャンがはやっていた。
Fumiも私もよくマージャンをした。
しかし何もこんなところでと今になって思う。
要するに今の息子と同じ状態だったということがよくわかる。
フランスもパリを抜けるとすぐに郊外になった。



パリ出発ロンドンへ

2005-11-04 08:06:55 | ロンドン1日目

モーニングコールが鳴る前に目が覚めた。といっても9時ごろ。
この日はめずらしく出発が遅かった。
昨日の夜、パリ最後の食事をしているときにFumiがコップをわった。
2人だあわせて10フランおいてくる。
下に行くと私たちは早いほうで、駅に行くまでだが、バスの中では久しぶりにいい席に座った。
神田さんに「モーニングコールなりましたか」と尋ねると、「ホテルのヤツが忘れたみたい」という。
そのためか全員がそろったところで一人バスにいなくて、その人の友達があわてて、「あいつまだ寝てるんだ」と呼びにいった。
しかしなんとか出発。
この日のお昼ご飯を買っておかなければならないことをその日の朝、知ったのだけど日曜日のためどうしようもなかった。



お昼を調達するのにホテル周辺をさまよったことを覚えている。
日本と違い日曜日はどこもかしこも休みになることをまた知った。
それはスイスでも同じだった。
今でもそうなんだろうと思う。
ヨーロッパの伝統の重さか。