ヨーロッパ旅行記1972

学生時代に行った初めての海外旅行の思い出を書きます。
題名の通り1972年のヨーロッパです。

誕生会

2005-05-31 23:04:09 | アムステルダム2日目


苦労して吹き込みを終えたあと、下のレストランに降りていく。
同じテーブルの人に私たちのだしものを教えてあげるとみんな笑っていた。
ここには水がでていたので、久しぶりにまともな水を飲む。
いよいよケーキを切るときがきた。
この日の司会者は塚田君だ。
しかしあろうことか、ひとりひとり呼ばれた名前の中には私の名前はなかった。
これはあきらかに神田さんのミスだ。
私の代わりに藤本君という人がはいっていた。
なんということだ。
そのときは何も言わなかったんだけど、後から考えると神田さんに何かおごらせればよかった。
しかも名前を呼ばれなかったのにもかかわらず、私たちは劇をやった。
音響が悪かったので何をやっているのかみんなはわからなかっただろうが、まあ座を盛り上げる効果はあっただろう。
最後にカレッジソングを歌った。
こんなにホテルで騒いでもいいのかなあ。
お誕生会が終わり(誰のお誕生会だったのか)中村君とか加藤君と飲み始めた。
お誕生会で見かけない人がいると思ったら、加藤君のフィアンセだったらしい。
JALのスチュワーデスで2人は昼間、ホテルオークラでラーメンを食べたとか聞いた。

婚約者とかつれていた人がいたけど、私達はなにか同じグループとは思えないほど
かけ離れた行動をしていたなあ。
こんな劇なんか平気でやるのは私達だけだったのは書かなくってもわかるか。


エレベーター

2005-05-30 19:27:36 | アムステルダム2日目


ロビーでテープレコーダを持っている人のうわさを聞き、彼の部屋におしかけ借りる。
テープレコーダを持ってくるなんてなんて気が利いてるんだ。

ここのホテルは番号によって、使うエレベーターが違う。
しかもエレベータは乗った所の側面から降りるようになっている。
要するに出入り口が2箇所、エレベータの中に存在するのだ。
しかもそれぞれ40センチほどの段差がある。
おすボタンを気をつけないと自分の部屋にはいけない。
さらにエレベータ内の二方向には壁がない。
つまり動いている時は二方向の壁は常に動いているのだ。
そして止まると壁にそなえつけてあるドアを自分でおして外にでる。

部屋に戻りすぐにテープに声を吹き込みはじめた。

ヨーロッパのホテルには今もこういうエレベーターがあるのだろうか。
壁がつねに動いているというのはやはり危ないといえばあぶない。
でもそれがヨーロッパだと思えば納得してしまうところもある。
しかし旅行中になんやらとんでもないことをしている。
こういう馬鹿なことをしているのはグループでたぶん私達だけだっただろう。


夕食

2005-05-29 09:10:55 | アムステルダム2日目

この後、ゴッホの絵を見にいくが、市立美術館と前衛的な絵ばかりの美術館とを間違えてしまった。券を買ってからゴッホの絵はどこですかと聞いたら、ここではありませんと言われ、その場で払いもどした。
もう美術館は閉館の時間だったので、ゴッホの絵はあきらめる。外にでて雨の町を歩き出す。
おまわりさんに
「このあたりに安いレストランはありませんか?」
と尋ねたら
「そこの二番目の角を曲がり、・・・」
と教えてくれたのでそのとおりに行くが、何もない住宅地にはいってしまった。
しばらく探した後に少し値のはりそうなレストランにはいった。
私たちはまたもやジーパンだった。
ここで夕食をとりながら、この日の誕生パーティーの出し物を考える。
Fumiがいろいろ構想を練り、それをやることにした。
食事中、ずっとメモをとり、すごく笑いながらしゃべっていたので、レストランの人たちもこちらを見て笑っていた。
ここのレストランで飼われているらしい黒猫も他の客のところにはいっていたが、私たちのところには来なかった。
だいたいのところが決まってホテルに戻る。

Fumiはこういう構想をたてるのがものすごく得意だった。
一時はタレント志望だったこともある。
おそらくその路線でいけば売れ出せたと思う。

しかしおまわりさんにまで安いレストランの場所を聞いている。
かなり迷惑かも。


国立美術館

2005-05-27 07:50:12 | アムステルダム2日目

この通りを過ぎ、国立美術館へ行く。ここはネスカフェのコマーシャルにでてきたところだ。
外部は工事中だったが見学できた。
Fumiのボストンバッグは受付で預けなければならなかった。
中にはいると同じグループの人たちに会い、レンブラントの夜警はどこにあるか聞いた。
すると彼らは
「僕たちも探しているから、悪いけどあの人に聞いてくれない?」
と守衛さんを指して頼んできた。
しかたないので守衛さんに聞く。
「Night Watchを見たいんですけど。」
Night Watchが夜警の英語名かどうかはわからないが、通じてくれた。
夜警は教科書に載っていた写真よりもいくらか明るい色だった。
とても大きな部屋に飾られていた。
疲れてもいたのでいすに腰かけしばらくその絵を見ていた。
すると近くの外国人が
「この絵の説明を英語でしてください」
と守衛さんに言った。守衛さんは英語で絵の説明をしていた。
つまりここの守衛さんはガイドもかねており、英語もできるという存在だったのだ。

今だったら旅行してもこのように名所旧跡を歩きまわるかどうかわからない。
しかしこの旅行では美術館も多く訪ねたし、教会などにも行った。
こういう旅行を若い時にしておいて本当によかったと思う。


露天市

2005-05-25 06:21:28 | アムステルダム2日目


教えられたとおりに露天市に行く。
雨はますますひどくなっていたが、傘をさす人は依然と少ない。
大きな通りの裏側に市はあった。
100円ぐらいで運動靴を売っているお店。(これは特別幅が狭かったので買えなかった)
花やさん。レースやさん。下着やさん。肉屋さん。魚屋さん。チーズやさん。
あらゆるお店が軒を並べている。並んでいるテントの裏には商店が続く。
500メートル以上続いているだろうか。
買い物客は主婦が多い。
夕方の買い物をここでしているのだろうか。
お菓子屋さんで真っ黒なキャンディーがいっぱいあった。
若い女の人にあれは何かと聞くと私の知らない単語を言ったので、I seeといって買ってしまった。
ここではグラム単位で注文して買うのである。
二種類のキャンディーを250グラムづつ買った。
これを家にかえって食べたらなんともいえず変な味がした。

今だったら地球の歩き方にこういう市もかかれているかもしれないが、
当時はそういうガイドブックもなく、この市を見つけられたのはラッキーだった
としかいいようがない。
地元の人が使う市だったので、買い物に来ている人の様子もおもしろかった。


はね橋

2005-05-23 18:21:03 | アムステルダム2日目

ボストンバッグにその木靴をいれている時、その家からおじさんがでてきて、その木靴はいくらだったかと聞かれたので、Fumiは値段を言った。
するとそれはとても高いと言って、この先に安い市場があるからそこに行きなさいと、わざわざ私たちを家の中にいれて地図を書いてくれた。
家の中は四畳半ぐらいだったが、船乗りの帽子がかかっていたので、この人は運河の道案内なのかなと思った。
お礼をいってまずはね橋の方へ行く。
ここの前で自転車が来るまで待ち、自転車が橋の上を走る写真を撮った。
はね橋は木造で歩くとカペル橋と同じようにみしみし音がする。
東京にみしみし音のする橋はあったかな?
ここの運河で母親と2人の子供がボートに乗っていた。
のんびりしていていい風景だった。

アムステルダムの町は運河がはりめぐらされているので、
運河の案内人のおじさんやはね橋など運河に関係のある風景が多かった。
しかし自転車が通るまで待っていたのだなあとなにかおかしくなった。
若かったのかなあ。


蚤の市

2005-05-22 05:04:09 | アムステルダム2日目

この家で会った子にこのすぐ裏に蚤の市があると聞いていってみる。
衣料品やおもちゃ、レコードまである。
家具類には素敵なものがあったが、衣料品はそれほどいいと思うものはなかった。
この市はさほど大きくなく、一通り見るとすぐにでてきた。ポツポツ雨が降り出す。
しかし誰も傘をさしている人はいない。
マヘレのはね橋からアンネの家に行く予定だったが、またまた途中会った子にアンネの家は工事中で中にはいれないと聞き、予定を変更する。
雨がなかなかやまないのでFumiは運河のほとりの小さな家のところでとうとう木靴をぬいでしまった。

旅行のおもしろいところはその場で情報をキャッチして
そこへ行くということだ。事前に調べることができないことでも
現地に行くとわかることも多い。
特に今と違ってPCがなかった時代なので、情報量も少なく
いつもいきあたりばったりの旅行をしていた。
それが楽しくて記憶に残っていることも多いのだろう。


レンブラントの家

2005-05-21 06:59:00 | アムステルダム2日目
レンブラントの家でサイン帳を見たら、日本人の名前ばかりずらっと並んでいた。
外国人には日本人はよほどレンブラントびいきと見えたことだろう。
私たちももちろんサインしたが。
私がレンブラントの絵の中で知っているのは社会の教科書に載っている「夜警」だけだ。
しかし「夜警」は国立美術館にありこの家にはない。
そのかわりスケッチがたくさん飾られていた。
家は3階建てになっていて、階段が急だ。
階段が急なのはオランダの家の特徴のひとつだと「アンネの日記」に書かれていた。
スケッチの中には風車が描かれたものが多かった。
そういえばアームスメールに行く時も風車はなかった。
いったいオランダのどこに風車があるんだろう。
売店で風車のスケッチの絵葉書を買った時、素敵な茶色の封筒にいれてくれた。


オランダの風車はつい最近ベルギーのTから写真を送ってもらった。
キンデルダイクにあります。
行かなかったけどせっかく写真があるので、今日はこの写真を投稿します。



路上で

2005-05-19 05:47:53 | アムステルダム2日目

レンブラントの家はどこかと小さな男の子に英語で話しかけた。
一人の子がちゃんと英語で教えてくれた。
オランダでは小学校のから英語を習うと聞いてたが、こんな小さな子が片言の会話でもできるからうらやましい。
レンブラントの家の前は工事されていて、私たちは工事をしている人にヒューヒューといわれた。
なぜならFumiは赤い木靴をはき、肩からは大きな黒いボストンバッグをしょっていたからだ。
しかし私たちもまけずに手を振ってしまった。

またひどい文章だなあ。
私もおかしいかもしれないけど、Fumiはおかしすぎる。
現在、友達のお嬢さんがオランダで小学校に行っているが
彼女はすでに日本語よりも英語が楽になっているらしい。
このようにきちんと会話ができる英語が子供の時から使えればいいなあと思う。

木靴

2005-05-18 07:01:57 | アムステルダム2日目

 
帰りはバスの便がよく12時にはアムステルダムの中央駅に戻ってこられた。
駅前近くでハンバーガーを食べる。ここのウェートレスもミニスカートだった。
ダム広場に行く途中、Fumiは赤い木靴を買った。
そして彼女はそれをはいて歩きだした。
木靴ははいて歩くとカラカラと音がする。
誰にでも聞こえる音だ。
周りの人たちはおかしな日本人を立ち止まり、振りかえって見て笑った。
ダム広場はヒッピーのたまり場と聞いていたが、寒いせいかあまり人がいなかった。
レンブラントの家に向かう。
ダム広場から向かう途中には狭い道だがお店がかなり並んでいる。
その中の一軒でかばんやで、Fumiは黒いボストンバッグを買った。
買い物がすごすぎてもうスーツケースの中にははいらなくなったのだ。
だいたいFumiは始めからスーツケースはパンパンだったし、分厚いドイツ語の本とかはと時計2つとかやたらに買っていたのでよくここまで荷物を運んできたと思う。




Fumiが木靴で街中を歩いてくれたのはよく覚えている。
最後には足が痛いといって脱いでくれたが、
それまで注目の的だった。
あのはと時計どうしたんだろうな。