- 長篠城址の紅葉(12月3日)
県民の森尾根縦走の帰りに国道151号で、長篠地区を通ると左方向に真っ赤に色づいたもみじが目に入りました。
これは!!長篠城址付近だ!!
こんなに真っ赤になったのは初めて、もちろん見に行くことに。
本丸跡地入り口に史跡保存館があります。中には籠城した奥平家の血染めの陣太鼓などが展示されています。
今回は、長篠の戦いの詳しい内容は省略させて頂きます。
興味のある方は、ここと設楽原歴史資料館など訪れて下さいね。
実際の戦いのあった場所などには、石碑、看板があります。
特に両軍の有力武将の戦死地は、ほとんど石碑があります。
なお戦地の石碑は、明治時代にこの地方にあった信玄病院の牧野文齋名医が昔に文献をもとに保存活動されて建てられたものです。
なお私も設楽原の戦い時の武田勝頼本陣のあった信玄平で生まれました。両軍の戦死者を祀る信玄塚のすぐ東側です。ただしここへ祖先がこして来たのは江戸末期のようです。
本丸を守る堀切と土塁、その上に真っ赤にモミジが光っている。
長篠城は、守備兵500名ほどの小さな城でしたが、この堀切と200~300丁ほどの鉄砲で最後まで落城しなかったようです。
この復元図のとおり、二つの大きな川(断崖)に囲まれていて、また弾正郭との間も急峻な崖があります。
3方を少ない兵で守り、主戦力は二の丸方向を守ったのでしょうか?
土塁の上に上がりました。
皇族の方も訪れています。
土塁の上から本丸広場を見ています。
長篠城址の南隅をJR飯田線が通っています。
モミジと飯田線を撮影したかったですが、しばらくしても列車の通過はありませんでした。
遠くの山は、船着山です。その手前の橋は新東名高速道路の豊川に架かる橋、左が静岡県方面、右が岡崎方面
奇襲部隊の武将の地域の名も書かれています。
東三河から西三河、遠州と家康の勢力支配地域です。
本丸広場、5月のお祭り時にはここで火縄銃の演武が見られます。
数度見ましたが、目の前の轟音が迫力ありました。
この地方では、長篠設楽原の戦いの英雄、鳥居強右衛門、その磔死した場所の案内看板
対岸にあります。当時は木々も刈り払われて良く見えたのでしょう。
夕日に染まって綺麗
登山の帰りに、紅葉の鮮烈な赤に誘われて長篠城址に寄りました。
今が最高ですよ。