茶屋後神明社の横の道です、「延宝5年(1677)茶屋後新田開発に当たり、延宝7年(1679)築提成功に際し三十番神を氏神として祀る」との神明社です。
左手の堤防が「福田川」になりその先西が「蟹江町」となる処です。
茶屋後神明社の横の道です、「延宝5年(1677)茶屋後新田開発に当たり、延宝7年(1679)築提成功に際し三十番神を氏神として祀る」との神明社です。
左手の堤防が「福田川」になりその先西が「蟹江町」となる処です。
新茶屋の街も名古屋市西端に来て、福田川畔の「福田川河口排水機場」を見た処です。
ここで、福田川 日光川 善太川 宝川 等が合流し藤前干潟から伊勢湾に注ぎます。
名古屋市も一番西のあたり、「新茶屋5」にきました。延宝年間(1673~1681)「茶屋長意ー茶屋四郎次郎の三男」により開墾された処だとおもいます、市内とは思われない青々とした水田が一面に広がります。