大高城址の北側の街並みを歩きました。
細い路地が入り組む城下町らしい名残を感じる処です、醸造所が3軒ほどありました、その1軒「萬乗醸造」の一画です。
大高城址の北側の街並みを歩きました。
細い路地が入り組む城下町らしい名残を感じる処です、醸造所が3軒ほどありました、その1軒「萬乗醸造」の一画です。
永禄3年(1560年)桶狭間の戦いの時「松平元康ー後の家康」が今川方で守っていた「大高城址」を大高小学校門前より垣間見たところです。
城址には小さな社があるだけでしたが、四方を見渡せる所です。
前回、丸根城址から大高城があった方面を望みましたが、反対に「大高城址」から凡そ1キロ東の「丸根城址」を眺めた処です。
真中に見える黄色の丘がそのはずです。
鷲津砦の直ぐ南に「丸根砦跡」に上った、桶狭間の戦いの時(永禄3年5月19日)佐久間盛重を将として立てこもったが、「松平元康の軍」に全滅させられたといわれている。
その松平元康軍の居城であった「大高城址」を見た処で、絵の右手に見える丘である。
JR東海道線「大高駅」で降り東に歩いて直ぐ、50メートルほどの高さ、坂を上り「鷲津砦跡」を目指す途中振り返り「濃尾平野」を望んだ処です、
遠く「養老山脈」まで見通せます。
「鷲津砦」は「織田方」によって永禄2年に築かれ、永禄3年(1560年)5月19日桶狭間の戦いの緒戦に、飯尾定宗らが立てこもり、今川の重臣「朝比奈泰能」の軍勢により全滅したという処です。ブランコがあり小さな公園と奥に樹々が生い茂る丘陵地となっています。