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はんなりな日々

関東人による、京都生活の日々を書き綴るページ。

暗闇の静謐

2005-07-15 22:01:54 | 京都~行事
 祇園祭には、つまるところ、二つの流れがあるといえるでしょう。

 まあ、簡単に言ってしまえば、ですが。

 一つは、山鉾巡行の流れ。

 もう一つは、神幸祭、還幸祭の流れ。

 前者には、くじ取りや、お位貰い、宵山などが該当するでしょう。

 そして後者には、神輿洗が該当します。

 今夜、八坂神社で行われた宵宮祭は、後者の流れに属するお祭です。

 宵宮祭を簡単に説明するなら、神輿に神様を宿らせる神事、ということになるでしょう。

 つまり、普段は本殿にいらっしゃる神様を、神輿に移動させるわけです。

 この神事の最大の特徴は、暗闇の中で行われる、ということでしょう。

 本殿内での前儀式が終わると、境内の明かりが、一斉に消されます。

 境内に出ている露店の明かりも、もちろん消されます。

 神様に明かりを当てない、というのが基本的な概念だと思います。

 ですから、当然、写真撮影も禁止です。

 明かりが消えた瞬間、暗いな、と思ったのは一瞬のことでした。

 慣れてみると、意外なくらい明るい。

 八坂神社は繁華街に近く、街灯りが夜空に反射しているせいでしょう。

 また、今日は晴れた夜空で、半月が空に輝き続けていたこともあるかもしれません。

 神職の方達が、本殿を出て、神輿のある舞殿へと歩いていきます。

 想像できると思いますが、神職の方たちは、皆白い衣装を着ています。

 ですから、その姿は暗闇にぼんやりと浮かび上がって見えます。

 先頭の神職は、何か唸りながら、玉串を祓いで歩いていきます。

 何か不思議な神事です。

 あるいみ、とても神事らしい神事ともいえます。

 魅せる、という要素は、ほとんどないといっていいでしょう。

 さて、神移しを終えた神職は、舞殿から本殿へと戻ります。

 戻ったところで、再び境内の明かりが一斉につけられます。

 どういうわけか、明かりがついた瞬間、見物客の間で拍手が巻き起こりました。

 神事が無事終わったことに対する拍手なのか、明かりがついたことへの拍手なのか。

 後者のような感じもあったので、何か違和感がありました。

 こうして、神輿への神移しが終わり、神輿は17日の神幸祭を待つばかりです。

 山鉾も、神輿も、ほぼ準備は整いました。

 祇園祭は、いよいよ佳境を迎えようとしています。

音と風と熱

2005-07-14 22:45:08 | 京都~行事
 熱気が京都を包み込んでいます。

 夏らしい気候、そして祇園祭。

 今夜は、宵々々山の日。

 明日の夜は、宵々山、明後日の夜は宵山。

 では、昨晩は宵々々々山だったかというと、そう言うわけではありません。

 山鉾が全て出揃い、駒形提灯に灯の入るのは今夜からです。

 夕方の7時、ふと、外が静かになった気がしました。

 通常、うちの部屋からは、前の道路を通る車の音が、ひっきりなしに聞こえてくるのです。

 それがぴたりと止んだ。

 そう、祇園祭の宵々々山のために、車両通行止めになったのです。

 いよいよお祭だ、という気持ちが高まります。

 さて、7時半近くに家を出て、山鉾回りをすることにしました。

 とりあえず、今夜の目標は、32基、全てを見て回ること。

 結果、これは達成できました。

 が、10時近くまでかかりました。

 2時間半といったところでしょう。

 効率良く回ろうと思っていたのですが、なかなか思うとおりに行かなかったですね。

 歩行者も一方通行の通りがある、ということを計算に入れていなかったもので。

 途中からは、駆け足とまでは行きませんが、早歩きになりましたし。

 それでも、とにかく人が多くて、歩くのも困難な状態。

 木曜の夜でこれですから、明日の金曜、そして宵山の土曜を想像すると、恐ろしいですね。

 土曜日になると、地元の人間よりも、観光客のほうが多くなるような気がします。

 そう考えると、この日のうちに回ったのは、正解だったかな、とも思います。

 大きな鉾の周辺は、とにかく人が多いですね。

 四条通より南のほうには、人の少ないエリアもあります。

 そういうところのほうが、何か趣があったりもします。

 粽やお札売りも、地元のお子さんたちがやっていて、何か微笑ましかったりします。

 そう言うところのほうが、素の祭の姿を見られるような、そんな気がします。

 保昌山、太子山辺りは、そんなところでした。

 それにしても、四条通、烏丸通に人が溢れている光景は壮観です。

 町を挙げてのお祭、という雰囲気を感じます。

 この通りが歩行者天国にされると、車に乗っている人は大変だろうな。

 そんなことを心配したりもしました。

 一通り見て回って、家に帰って、ほっと一息つきました。

 十時前で、まだ前の通りに車は戻ってきていません。

 そして、遠く、おそらく岩戸山辺りのほうから、祇園囃子も聞こえてきます。

 いやいや、これぞ京都、ですね。

神の領域

2005-07-13 23:18:05 | 京都~行事
 今日は、祇園祭の、長刀鉾稚児社参が行われました。

 長刀鉾のお稚児さんが、八坂神社にお参りするのです。

 1日にも、お千度でおまいりしましたが、今回はお位貰いのための社参です。

 この日より、お稚児さんは「五位少将十万石」の格式となります。

 多分、僕よりも、はるかに高い格式なんでしょう。

 まあ、比べる意味はありませんが。

 そして、これより、神様のお使いとなり、山鉾巡行の当日まで、身を慎むことになります。

 まず、地面に触れてはいけません。

 移動はどうするのかといえば、強力の肩に担がれます。

 あるいは、馬の上に乗ります。

 実は、長刀鉾町から八坂神社に来るのも、馬に乗ってでした。

 しかし、油断していて、それを見逃しました。

 八坂神社へは、お稚児さんたちのほうが先についていたのです。

 いや、悔しいですね。

 また、この日から女性と体の接触することが許されない、という話も聞いたことがあります。

 もちろん、母親と言えでも、です。

 すこし記憶に自信はありませんが。

 十にも満たない子供にとって、少し厳しい環境ですね。

 そうしたことを乗り越えてこその、お稚児さんの価値ともいえるでしょう。

 なんといっても、山鉾本体は別として、17日の山鉾巡行では、最も目立つ存在。

 なかなか大変なものですね。

 

うねる熱

2005-07-12 22:08:31 | 京都~行事
 山鉾も、大きなものはほぼ完成しました。

 今日は、曳初め、というものが行われました。

 そのままの意味、初めて曳くということです。

 要するに、鉾の試し曳きですね。

 午前中には、10日から建て始めた五つの鉾がほぼ完成しました。

 曳初めが行われたのは、午後のことです。

 凾谷鉾、鶏鉾、月鉾、菊水鉾、長刀鉾の五つが、この順番で曳初めを行います。

 午後2時、凾谷鉾のところへ行くと、ほぼ準備が整ってました。

 鉾から綱が伸び、その綱に曳き手が群がっています。

 しかし、見たところ、どうも一般人のようです。

 もしや、と思って、近づいて様子を見ていると、やはり、そのようでした。

 ので、昨日のように、その中に混ざることにしました。

 鉾の上では、祇園囃子が奏でられています。

 もう、ほとんど本番と同じ状況。

 といっても、本番の状況が、よくわからないのですが。

 だから、本番と違うのか、本番と同じなのか、判断がつかなかったりします。

 どちらにしろ、テレビなどで見たことのある鉾巡行のときの状況と、ほとんど同じでした。

 掛け声があって、一斉に綱を引き始めると、大きな鉾が、意外なくらい簡単に動き出します。

 ちょっとした感動ですね。

 さて、それに続いて、鶏鉾ですが、鶏鉾の曳き手は飛び入り参加ではないようです。

 そういう人もいくらかは混じっているようでしたが、ほとんどは浴衣姿の池坊短大の生徒。

 鶏鉾は、池坊短大の前にあるのです。

 他の、月鉾や、菊水鉾、長刀鉾では、一般の人が曳き手になってました。

 が、参加は遠慮しました。

 参加したい人は、他にもたくさんいるでしょうから。

 長刀鉾では、お稚児さんも乗っていて、それこそ本番さながらです。

 いよいよ山鉾巡行も近いのだな、と、実感させられました。

 それにしても、本番の山鉾巡行では、一般人が鉾を曳くことはできないでしょう。

 そういう意味では、この曳き初めは、良い経験かもしれません。

 幼稚園児の集団が、いくつかの鉾の曳き初めに混じっていました。

 社会見学として、とても良い経験であると思います。

 祇園祭を目的に京都に来るにしても、こういう日を狙うのも、一つの手かもしれません。

 地元の人しか、なかなか経験できないことを、経験できることでしょう。

天を衝く

2005-07-11 18:48:10 | 京都~行事
 さて、昨日から始まった山鉾建て。

 今日からまたいくつかの山鉾が建て始め、計八つになりましょうか。

 長刀鉾、凾谷鉾、鶏鉾、月鉾、菊水鉾、放下鉾、船鉾、岩戸山。

 鉾では、綾傘、四条傘の両傘鉾を除いて全てが建て始められてます。

 昨日から組み立て始められた鉾では、朝、まずそれが横倒しにされました。

 そこで、何をするかと言うと、中心に立つ柱、真木<シンギ>を取り付けるのです。

 鉾の屋根の上から高く伸びている、アレです。

 そうして、取り付けたところで、起き上がらせる、という作業です。

 横にした状態で、真木を取り付けるのですが、その際、飾りつけもしてしまいます。

 天辺の飾り(鉾頭)や、途中にある榊など。

 榊には紙を結び付けます。

 紙といっても、ただの紙ではありません。

 神主さんが持っている、玉串の先についている、稲光型の紙がありますね。

 あれをつけるのです。

 朝、ちょうど凾谷鉾の組み立てを見ているとき、それをやっていました。

 どうやら通りすがりの人も参加しているようだったので、図々しくも紛れ込んでみました。

 で、榊に紙を結びつけました。

 何かご利益がありますかね。

 ないですかね。

 あればいいな、と思いながら、結びつけた。

 やがて鉾が起き上がらせられると、榊はビルの3~4階のところに位置します。

 自分のつけたものがそこにあるというのは、ちょっと嬉しいですね。

 僅かながら、祇園祭に携わった気がしてしまいます。

 起き上がらせる手段は、二つあります。

 一つは、クレーンを使う方法。

 凾谷鉾はこれでした。

 月鉾や菊水鉾は、手動の巻き上げ機で、ロープを引っ張って、持ち上げていました。

 いずれにせよ、5階建てのビルほどもある鉾が起き上がっていく様は、壮観です。

 起き上がった際には、自然と拍手が起りました。

 凾谷鉾を起き上がらせた頃は、雨も降っていたというのに、大変な数のギャラリーです。

 もちろん、自分もその中の一人なわけですが。

 サラリーマンも、思わず立ち止まっていました。

 さて、夕方ごろには、屋根も取り付けられ、いよいよ鉾としての形が明確になっていきます。

 その頃は晴れ間も覗いており、夕映えの中に佇む鉾の姿は、美しいの一言。

 完成すれば、その間も一入になることでしょう。

 もちろん、晴れていなければいけないのですが。

 本番まで後1週間。

 祇園祭はますます熱気を帯びてきました。

祭発熱

2005-07-10 23:18:17 | 京都~行事
 今日、7月10日は、祇園祭の鉾建て、山建ての始まりの日です。

 といっても、今日から建て始めるのは、ごく一部。

 要するに、大きくて時間のかかるものが、今日から建て始められるわけです。

 朝から見て回ったりしましたが、まだ土台の木組みができた程度でした。

 さて、それとは別に、今日は祇園祭のお迎え提灯、神輿洗も行われました。

 このうちのお迎え提灯は、神輿洗の露払い的行事です。

 鷺の扮装(かぶりもの?)や、武者、小町小戸の格好をした子供たちが町を練り歩きます。

 その合間を、提灯が歩いてきます。

 さて、続いては神輿洗です。

 大抵の人は、祇園祭といえば、山鉾巡行を思い浮かべることでしょう。

 あるいは、それしか知らない、という人もいるかもしれません。

 しかし、山鉾巡行は、神事的には、おまけの要素が強いような気がします。

 より神事としての重要度からいくと、神幸祭、還幸祭のほうが高いかもしれません。

 その神幸祭、還幸祭に使用する神輿を洗い清めるのが、神輿洗です。

 午後六時、八坂神社の倉庫に収められている3基の神輿が、外に出されます。

 うちの1基を洗い清めることになります。

 残り2基は、八坂神社の舞殿に安置されます。

 洗い清めた1基も、後からそこに安置されることになります。

 さて、神輿洗が行われるのは四条大橋の上になっています。

 当然、そこまで神輿を担いでいくことになります。

 まずはそこまで行く道を、清めなければいけません。

 どのように清めるのかというと、大松明を担いで、その道を練り歩くのです。

 これは豪快です。

 何しろ、4~5メートルはあろうかという、大松明です。

 当然、本当に火がついていて、それが京都の中心、四条通を進んでいくのです。

 さて、大松明が四条大橋までいって八坂神社へ戻ってくると、いよいよ神輿洗。

「ホイトー、ホイトー」(おそらくそう言っていると思うのですが……)

 という掛け声で、神輿を担いでいきます。

 京都のお祭というと、優雅なものを思い浮かべる人も多いことでしょう。

 しかし、この神輿洗は、優雅さとは無縁で、威勢の良い神事です。

 祇園石段下から、四条大橋まで、四条通を神輿を担いでいきます。

 途中から小雨が降り続く天気ですが、けっこうな人出でした。

 何しろ、それが目的だったわけではなくても、目に付きます。

 祇園のど真ん中ですから、観光客も多いわけです。

 偶然神輿に行き当たった観光客は、

「ラッキーだねえ」

 と、顔を見合わせたりしていました。

 さて、四条大橋の上までいくと、いよいよ神輿のお祓いなのですが……。

 実は、よく見えませんでした。

 何しろ、神輿担ぎの人たちが大勢いて、神輿を取り囲んでいます。

 その上、報道陣がいます。

 更に、位置取りが悪かったのです。

 神輿洗が行われているのとは反対側の歩道にいたのです。

 辛うじて人だかりの上にあがった水飛沫が見て取れただけでした。

 そうしてお清めがすむと、八坂神社へ戻っていくことになります。

 さて、本番の神幸祭、還幸祭は、これ以上の豪快な祭りになるようです。

 何しろ、3基とも、神輿が道へ出るのですから。

 楽しみのような、怖いような。

祭の色

2005-07-04 19:34:01 | 京都~行事
 祇園祭の準備が、着々と進んでいます。

 町は祭りムードが高まっていて、歩いているだけでも分かります。

 祇園祭のメインストリートともいえる四条通には、堤燈が出ています。

 四条通沿いにある山鉾町の、その山鉾の名前が書かれた堤燈です。

 また、烏丸通と河原町通との間のアーケードでは、祇園囃子のテープが流れています。

 というか、うちの近所のスーパーでも、祇園囃子のテープが流れています。

 町中を上げてのお祭なのだと、実感させられます。

 ところで、祇園祭の期間、京都の人はキュウリを食べないと言います。

 なぜ食べないのか。

 それは、キュウリの輪切りの切り口が、八坂神社の神紋に似ているからです。

 八坂神社のお祭である祇園祭の期間は、恐れ多いので、それを口にするのを避けるのです。

 しかし、件のスーパーでは、普通にキュウリが売っています。

 食べろと言わんばかりに安売りをしていたりもします。

 まあ、実際にキュウリ断ちを実行するのは、熱心な氏子さんだけなのでしょう。

 そういえば、今のところ、まだ4日とはいえ、七月に入ってからキュウリを食べていません。

 さて、今後どうしましょう。

 サラダなどでキュウリを使うことも多いのですが……。

 ここは一つ、京都の古きしきたりに従ってみるとしましょうか。

動くお堂

2005-07-03 18:54:39 | 京都~行事
 さて、昨日、祇園祭のくじ取り式が行われました。

 くじ取り式は、文字通り、くじを引く式です。

 何のくじかというと、山鉾巡行の順番です。

 くじ取らずといって、毎年順番が決まっている山鉾もあります。

 なぜそんなことをするのかというと、かつて競争が激しくなったことがあったからだそうです。

 つまり、われこそが一番に、というかんじですね。

 過激な争いごとを避けるために、くじで順番を決めることになったのです。

 くじ取り式が行われたのは、京都市役所です。

 しかし、かつては六角堂というお寺で行われていました。

 六角堂は、烏丸六角の交差点を東に入ったところにあります。

 平安遷都以前からあるお堂ですから、住民の信仰も厚かったのでしょう。

 六角堂に関しては、こんな伝説があります。

 前述の通り、六角堂は平安遷都以前からあります。

 さて、後から平安京を作るとなったとき、困ったことがありました。

 平安京は、ご存知の通り、綺麗な碁盤の目の町区割り。

 その町区割りを作るうえで、六角堂が通りの上にあたってしまうのです。

 そこで、六角堂を動かさなければ、となったとき、驚いたことがおきました。

 なんと、お堂が自ら北に動いた、というのです。

 もちろん、伝説に過ぎないのでしょう。

 ただ、現在のお堂の少し南側に、昔の建物の礎石が残っています。

 自ら動いたのは伝説かもしれないですが、人為的に動かしたことはあったのかもしれません。

 ちなみに、この石、へそ石、と呼ばれています。

 京都の市街地の中心がそこだ、というのです。

 どういう範囲の中心なのかは、良く分からないのですが。

今日も雨の降り続く

2005-07-02 18:56:21 | 京都~行事
 雨が続いています。

 勝手なもので、雨が続けば続いたで、気持ちが鬱屈してくるものです。

 雨が降らない間は、雨雨降れ降れ状態だったというのに。

 昨日も書きましたが、祇園祭が始まりました。

 各山鉾町でも、準備に余念がないところでしょう。

 さて、その山鉾町について書いてみましょう。

 その名の通り、山鉾を管理する町のことです。

 山鉾とは、7月17日に街中を曳かれていく、あの山車のことです。

 ただし、山鉾、という名称のものがあるわけではありません。

 厳密に言えば、それは、山と鉾との2種類あり、あわせて山鉾、ということになります。

 山が23、鉾が9で、計32基の山鉾があります。

 ただし、その中には、名前だけが残っている休山鉾があったりします。

 では、山と鉾との違いは何か、というと、実は知らなかったりします。

 ただ、鉾のほうが大きいということらしいです。

 最大の鉾は、なんと12tもあるというのだから、驚きです。

 また、山の形にはヴァリエーションがあったりもします。

 鉾のほうは、大きさや細部に違いはあるものの、どれもほぼ似た外観になっています。

 もしイメージとして浮かぶものがあるなら、おそらくそれは鉾でしょう。

 ただし、山の中には鉾と同じような形態のものもありますが。

 この山鉾町は、ある地域に密集して存在します。

 その地域というのは、通りでいえば、東は東洞院通から西は堀川通までの間。

 そして、北は姉小路通から、南は松原通までです。

 この地域内に、32町が存在します。

 さて、幸いにも、我が家はその地域内にあります。

 直接お祭に関わることはないでしょうが、雰囲気は存分に楽しめることでしょう。

 実際、町を歩けば、あちこちに山鉾の名の書かれた提灯などが出ていますから。

 いやはや、楽しみです。

祭の始まり

2005-07-01 19:32:20 | 京都~行事
 思い出したように雨が降り続いています。

 これぞ梅雨、という天候ですね。

 そして7月になりました。

 京都、7月といえば、そう、祇園祭です。

 祇園祭は、7月をまるまる使って行われるお祭。

 祇園祭=テレビなどでよく見る山鉾巡行、と思っている人もいるでしょう。

 しかし、山鉾巡行は、祇園祭の一イベントに過ぎません。

 とはいえ、一番大掛かりであり、メインイベントと言ってもいいでしょう。

 さて、ひと月まるまる使うと書きましたが、具体的にはどんなことをするのか。

 できる限りここで書いていきたいところですね。

 まずは、7月1日です。

 この日は、吉符入り、といわれます。

 各山鉾町で、集会所が開かれたりします。

 山鉾町については、別の機会に書くとしましょう。

 ともかく、神事入りの日ということですね。

 集会所では、祭りの打ち合わせや、祭神に成功祈願をしたりするようです。

 さて、その山鉾町の中でも、一つだけ特別なところがあります。

 長刀鉾町です。

 長刀鉾は、数ある山と鉾の中でも、特別な存在。

 山鉾巡行では、毎年先頭を行くことが決まっています。

 祇園祭では、鉾の上に立ったお稚児さんが、道に渡された注連縄を切る場面は、有名ですね。

 あのお稚児さんが立っているのが、長刀鉾です。

 お稚児さんは、毎年、市内の小学生から選ばれます。

 補佐役のお禿<かむろ>2名も、同時に選ばれます。

 さて、この日は、そのお稚児さんたちが、八坂神社にお参りをする日です。

 言うまでもありませんが、祇園祭は八坂神社のお祭です。

 お稚児さんたちは長刀鉾町の方たちと八坂神社に詣でて、神事の無事を祈願します。

 御千度、と言います。

 本殿の中で、お払いを受けた後、外へ出てお参りをします。

 一度お参りをして、本殿の周りを回ります。

 で、元のところへ戻ってきて、またお参り。

 本殿の周りを都合3周し、お参りは4度、と言うことになります。

 これが祇園祭の始まりともいえます。

 報道陣の数も、けっこう多かったですね。

 というか、一般の人は少ないですね。

 まあ、地味なイベントですから。