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はんなりな日々

関東人による、京都生活の日々を書き綴るページ。

修行の道

2005-06-27 21:19:45 | 京都~行事
 近頃は暑いので、夜、窓を開けたまま眠ります。

 もちろん、全開ではなく、30cmほど開けておく程度です。

 どちらにしても、防犯上、あまり好ましくないことかもしれません。

 しかし、マンションの五階ですし、さほど問題はないでしょう。

 窓を開け放してい置くと、困ることがあります。

 音です。

 目の前の通りは、バスも通り、他の車の交通量も多い。

 元々、防音がそれほどしっかりとしていない建物なんです。

 ですから、窓閉じていても、前の通りを歩く人の声が聞こえてきたりします。

 五階なのに。

 それが、窓を開けたとなると、もう大変。

 テレビの音が聞こえなくなることもあります。

 クーラーはついているのですが、あまり好きではないので、つけないことにしています。

 さて、そうやって寝る日々なわけですが、今朝、不思議な音に目覚めさせられました。

 音というか、声です。

 低い、静かな声で、ウォーといっているように聞こえます。

 多分、頭が半分寝ているため、はっきりと認識できないのでしょう。

 それは、お坊さんがお経を読む声でした。

 初めは何の声か分からず、ベランダに出てみました。

 すると、お経を読みながら歩いていくお坊さんの姿がありました。

 それは一人ではなく、50mほどの等間隔を開け、何人かが続いて歩いていました。

 そうした光景は、別の場所で、以前も見かけたことがありました。

 きっと京都ではそれほど珍しいことではないのでしょう。

 事実、道行く人も、取り立ててそれに気をとめる人もいませんでした。

 思わずベランダに出てしまうなんて、京都人としてはまだまだ、というところでしょうか。

祇園精舎の鐘の声

2005-06-25 20:38:29 | 京都~行事
 『平家物語』は、誰もが知っている古典の名作。

 冒頭部分は、学生時代に覚えさせられた人も多いと思います。

 今回のタイトルに始まり、続いて「諸行無常の響きあり」となります。

 さて、更にその続きは、分かるでしょうか。

 そう、「沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす」、ですね。

 沙羅双樹の花といえば、お釈迦様が亡くなったのが、その木の下でした。

 『平家物語』は、仏教思想と非常に関わりの深い作品です。

 冒頭の部分は、それを強く示しているものといえましょう。

 その沙羅双樹の寺として有名なのは、妙心寺の塔頭、東林院です。

 とはいうものの、インドでいう沙羅双樹と、日本のそれとは、別種のものです。

 日本でいわゆる沙羅双樹と呼ばれるのは、ナツツバキのことです。

 この東林院にある沙羅双樹も、ナツツバキ。

 そのナツツバキが、今、見ごろとなっています。

 朝に咲き、夕方には散る、命短き可憐なる花。

 そんな儚さのため、『平家物語』で「盛者必衰」の象徴として扱われたのでしょう。

 まあ、しかし、それにしても人が多いこと……。

 沙羅双樹を一目見ようと、入れ替わり立ち替わり、拝観客がやってきます。

 庭の見える部屋には、常に30人以上の人がいる状況でした。

 さて、この東林院は、宿坊、つまり宿泊できるお寺としても知られています。

 実のところ、何度か触れている11年前の京都旅行の際、この東林院に泊まりました。

 何泊かしたうちの、一泊だけでしたが。

 そんなこともあって、懐かしく思いながら、東林院を訪ねました。

 しかし、宿泊用の部屋のある建物のほうへは立ち入りできないようになってました。

 まあ、当たり前と言えば、当たり前ですね。

 そちらのほうにも、枯山水の見事な庭があります。

 しかし、一般の拝観客には公開されていないのは残念です。

 そう考えると、宿泊したのは良い経験だった、とも言えます。

 ここは、宿坊にありがちな、朝のお勤めというのがありません。

 宿坊の中でも、ここを選んだのは、それが大きな理由でした。

 しかし、朝食はお坊さんたちと一緒に食べることになっています。

 これが厄介でした。

 どうしても食べられないものが出てきたからです。

 しかし、お坊さんが目の前にいますから、残すことができません。

 いえ、別にかまわなかったのかもしれないですが、その時は、食べなければ、と思ったのです。

 できる限り舌の上には乗せないように、ほとんど飲み込むようにして、それを食べました。

 そんな思い出も、今では微笑ましく感じられます。

かぐや姫

2005-06-20 21:03:07 | 京都~行事
 鞍馬へ行ってきました。

 鞍馬寺で竹伐り会が行われるというので。

 表玄関は、叡山電鉄の鞍馬です。

 が、今日は一つ前の駅で降りました。

 貴船口です。

 そこから歩いて貴船川沿いを遡っていきます。

 バスも出ていますが、歩くことをお薦めします。

 晴れているときは、気持ちの良いハイキングになるでしょう。

 貴船神社の近くまでくと、今の季節、川床が出ています。

 川床は、鴨川の納涼床に近い概念ですね。

 ただし、こちらは本当に川の上に座敷が出ています。

 疲れている人は、ここでご飯を食べ、駅へ戻ることをお薦めします。

 元気な人、あえて疲れてみたい人は、ここから鞍馬山に登ってみましょう。

 鞍馬寺の西門があります。

 かなりの急勾配なので、覚悟しておきましょう。

 まず奥の院にたどり着きます。

 奥の院ですが、今回の行程では、序の口です。

 そこから、更に山を登っていくと、やがて下り道になります。

 鞍馬寺といえば、源義経が有名ですね。

 この場合牛若丸、あるいは遮那といったほうがいいかもしれませんが。

 その義経、牛若丸関係の史蹟が多いです。

 それらを経て、本堂にたどり着きます。

 竹伐り会は、そこで行われました。

 僧兵の格好(弁慶みたいな奴ですね)の人たちが、竹を伐ります。

 って、それだけ書くと、よく分からないですね。

 10人あまりの僧兵が二組に別れ、竹を伐る速さを競います。

 竹は大蛇に見立てられていると言います。

 昔、鞍馬寺のお坊さんが、法力で大蛇を退治した、という話に由来するそうです。

 その後、その大蛇はこの地を守る水神になったとか。

 蛇や龍は、神話などで、水、川の見立てとされることが多いですね。

 貴船も、水に関わる伝説のある地です。

 ここから流れ出した水が、賀茂川、そして鴨川になって行きます。

 京都の人たちにとっては、水の源の地とされていたのかもしれません。

 そんな荘厳さもある土地です。

 竹伐り会は、豪快な行事で、見ていて楽しかったですね。

 合間にあった、雅楽の舞も、素晴らしかったです。

 思わず見入ってしまいました。

 大変暑く、人も多かったですが、満足度の高い行事でした。

タクロー

2005-06-19 21:34:41 | 京都~行事
 藤森神社へ行ってきました。

 藤森神社は、勝負の神様が祀られています。

 その勝負の中には、競馬が含まれています。

 競馬に詳しい人であれば、藤森特別というレースがあることもご存知でしょう。

 尤も、これは単純に地名を借りただけかもしれません。

 競馬には、競馬場のある場所の周辺の地名を冠したレースが多いですから。

 それはともかく、お参りする人の中にも、競馬好きが多いようです。

 奉納された絵馬などを見ると、他の神社とは違った特色が見られます。

 馬券あたれ、から、自分の好きな馬の勝利を祈願するものがあります。

 中には、直接競馬に携わっている方のものもあります。

 藤森神社は、大変古い神社で、創建は1800年前といいます。

 想像を絶する古さですね。

 その藤森神社は、アジサイの名所で、今まさに見ごろを迎えています。

 今日その藤森神社へ行ったのは、蹴鞠奉納が行われるからです。

 これは、アジサイの咲く期間に行われている、あじさい祭の一環の行事です。

 始まって20年という祭だそうですから、こちらはそれほど伝統があるわけではありません。

 蹴鞠といえば、京都では、正月の下鴨神社の蹴鞠始めが有名です。

 また、白峯神宮は蹴鞠の神様を祀っていることで知られています。

 この藤森神社の蹴鞠奉納は、それほど規模の大きな神事ではないようです。

 蹴鞠を生で見るのは初めてでした。

 非常に優雅な遊びです。

 鞠を地面に落とさないように、8人で蹴り合います。

 サッカーの上手い人たちがやるようなものを想像してはいけません。

 それほど続かないのです。

 無理もありません。

 やっているのは、ほとんどが60代とか、それくらいの年代の人たちです。

 それに、ルールの縛りが厳しいですね。

 右足しか使ってはいけないのです。

 また、サッカーボールのように綺麗に弾むものでもありません。

 少し空気の抜けたバレーボールを想像すれば、近いような気がします。

 鹿の皮で作られているものだそうです。

 表側に出ているのは、バックスキンという話ですが。

 そして何より、衣装が衣装です。

 鞠水干に葛袴というらしいですが、平安貴族そのものです。

 サッカー選手だって、これでサッカーをやれといわれたら、きついでしょう。

 解説で、蹴鞠の保存会の方が、大化の改新の話をしていました。

 蹴鞠をする中大兄皇子の靴が脱げ、それを中臣鎌足が拾ったという話は有名です。

 あまりに劇的な話ですから、どこまで史実かは微妙だと思いますが。

 考えてみれば、こういうシチュエーション、ドラマなどで今でもよく使われますね。

 細かい部分や、道具立てはちがうにしろ、です。

 元々は『古事記』か『日本書紀』に載っている話だと思います。

 あらゆる物語の原型は、この時代には既に作られていたのかもしれません。

 蹴鞠を見に行って、なぜかそんなことを考えさせられたりしました。

 

越えて行こう

2005-06-14 22:18:35 | 京都~行事
 高浜虚子をご存知でしょうか。

 近代俳諧の巨人?

 それはその通りです。

 しかし、それは彼の一面に過ぎません。

 彼にはもう一つ、小説家としての顔があります。

 尤も、現在ではあまり知られてはいませんが。

 比叡山延暦寺をご存知ですか?

 もちろん、ほとんどの方が知っていると思います。

 しかし、これもまた、その一部分しか知らない人が多いことでしょう。

 高浜虚子の小説、『風流懺法』は、比叡山延暦寺、横川の小坊主が主人公の小説。

 おそらく、読んだ人は少なかろうと思いますし、横川を知らない人も多いでしょう。

 横川は、比叡山の中でも、奥まったところにある地域。

 比叡山には、三つの地区=三塔があります。

 一つに東塔、一つに西塔、そして最後の一つが横川。

 おそらく、一般的に最も知られているのは、東塔でしょう。

 根本中堂という、延暦寺の中心建物があります。

 かつてJR東海の「そうだ、京都へ行こう」のCMにも出てきた建物です。

 次に西塔。

 これは東塔のすぐ近くにあります。

 延暦寺を訪れた人の多くは、この二つをセットで見る、というのが基本でしょう。

 しかし、横川に訪れる人は、それほど多くありません。

 なにしろ、他の二つの地域からは、随分と離れているものですから。

 シャトルバスが走っていて、それに乗れば僅か10分ではありますが。

 歩くと、1時間半もかかります。

 しかも山道です。

 けっこう大変です。

 そう、歩いていったんです。

 けっこう大変でした。

 アップダウンもあるし、暑いし、蛇もいるし。

 それでも、なぜか歩いていってしまう。

 意地なんでしょうか。

 ちょっとした修行です。

 横川にも中堂があり、それが中心建物です。

 清水寺の舞台のような造りになっています。

 静謐な空間で、浮世を忘れさせてくれます。

 忘れて良いものかどうか、微妙な話ではありますが。

 高浜虚子の石碑も建っています。

 人があまり行かないところへ行きたいと思ったら、ここへ行ってみてはいかが?

 晴れた日なら、是非歩いて。

 気持ちの良いハイキングになるでしょう。

 ちなみに、帰りは滋賀側へ歩いて山を降りていきました。

 これも2時間くらいかかりました。

 小走りになるような勾配のきつい下り道には、閉口させられました。

 膝にかなり負担がかかって、山を下りきった後、しばらくまともに歩けませんでした。

 こちらは、ハイキングというより、アドベンチャーといった感じでした。

千本

2005-06-04 22:56:16 | 京都~行事
 夜の街。

 格子戸からもれる灯り。

 風情のある光景ですね。

 夜の上七軒へ行って来ました。

 都ライト、というイベントが行われていたからです。

 これは、町家の中の灯りで表の通りを照らす、という趣旨のものです。

 上七軒は、北野天満宮のすぐ横にある、花街。

 京都には、五花街、といって、五つの花街があります。

 つまり、舞妓さんがいる地域ですね。

 五つのうちの四つが、実は鴨川沿いにあります。

 祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町の四つです。

 そう、上七軒は含まれていません。

 唯一、鴨川から離れたところにある花街が、上七軒なのです。

 それだけあって、その存在は少しだけ地味なのですが。

 その分、人の訪れもそれほど多くありません。

 ただ、今日は、プロかアマチュアか分かりませんが、カメラマンが大勢いました。

 お茶屋などの町家を見るのも楽しかったですが、楽しみはそれだけではありません。

 上七軒歌舞練場では、舞妓さんと交流する場がもうけられます。

 素敵な企画ですね。

 しかも、こういうことを言うのもなんですが、一銭もお金がかかりません。

 とても有意義な時間をすごすことが出来ました。

ご利用は…

2005-05-30 20:05:31 | 京都~行事
 基本的に、行き当たりばったりに生きている人なんです。

 ですが、もっと、計画性を持って生きたら良いのに、と、我ながら思ったりします。

 先日、ここでも書いたのですが、大原へ行きました。

 すると、今日の京都新聞の朝刊に、昨日、大原で大原女行列のイベントがあったという。

 ああ、昨日行っておけばよかった、と思ったりするんですね。

 大原女の衣装をまとった女性が列を成して町を歩くイベントです。

 大原女、というのは、着物に襷がけ、脚絆、そして頭に手ぬぐいをかぶった女性。

 といっても、時代によって多少衣装が違うようです。

 そういう格好で、大原から京の街中へ、木工製品や、柴、黒木を売りに来ていたのです。

 これに似たものに、花売りの白川女などがあります。

 ともかく、そういうイベントがあったわけです。

 また、一昨日は、城南宮というところで、流鏑馬が行われました。

 城南宮は、流鏑馬の発祥地といわれています。

 約800年ぶりの復活というのだから、驚きです。

 これも、やはり見に行くことができませんでした。

 もうちょっと、計画的な生活を送っていればな、と思います。

 せっかく京都に住んでいるのですから、いろいろな行事を見たいものです