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はんなりな日々

関東人による、京都生活の日々を書き綴るページ。

南瓜

2005-07-25 19:02:07 | 京都~行事
 近頃は京都ブームだと言います。

 自分が京都にいることも、その一部なのかもしれません。

 京都に憧れもを持ったのは、十年以上前のことではありますが。

 さて、そのブームは、「京~」という言葉にも、象徴されると言います。

 京料理、京町家、京言葉、京扇子、京舞…等々。

 と、まあ、様々なものがあります。

 その中に、京野菜というのもあり、近頃では全国的にも有名だとか。

 加茂茄子、壬生菜、九条ネギ、聖護院蕪、万願寺とうがらし……等々。

 京都の地名+野菜の名、という命名が多いようです。

 その中の一つが、鹿ケ谷かぼちゃです。

 鹿ケ谷、というのは、地名で、知っておられる方も、多いことでしょう。

 日本史、古典に詳しければ、一発で出てくるのが、鹿ケ谷事件。

 時は平安末期、そう、まさしく今年の大河「義経」の時代。

 天下にその名を轟かし、権勢を振るっていたのは、かの平清盛。

 その清盛政権の転覆を図ったのが、西光、藤原成親や、俊寛らのグループ。

 その拠点となったのが、鹿ケ谷にある俊寛の山荘であった。

 陰謀は早々に清盛の耳に入り、一派は捕らえられ、斬罪や流罪に処された。

 俊寛の鬼界島流しの件は『平家物語』の中でも、有名な悲劇。

 謡曲の題材にもなっています。

 さて、その鹿ケ谷は、有名な名所でいえば、哲学の道や、銀閣寺の近く。

 哲学の道のほぼ中央辺りの東側、その一帯が鹿ケ谷、と呼ばれた場所。

 今日、その辺りへ行ってみた。

 もっと具体的にいうと、安楽寺という寺を訪れたのだ。

 濁点を取ると、安楽死で、縁起が良いのか、悪いのか。

 それはともかく、安楽寺では、今日、かぼちゃ供養という行事がありました。

 もちろん、それが目的だったわけです。

 かぼちゃ供養、というのは、かぼちゃを食べて、元気を出そう、ということ。

 いや、簡単にいってしまうと、ですけどね。

 参拝者に、かぼちゃの煮つけが振舞われます。

 もちろん、そのかぼちゃというのは、鹿ケ谷かぼちゃです。

 昔、ここの坊さんが、ある夢を見ました。

 夢の中で、土用にかぼちゃを食べると中風に効く、というお告げがありました。

 中風というのは、今は脳内出血後の麻痺を意味します。

 が、古くは風邪の一種を言ったようですね。

 恐らくここでいう中風は、後者でしょう。

 で、その坊さんが、仏前に供えて供養し、それを食した、というわけです。

 それがきっかけで、始まったのが、かぼちゃ供養、というわけです。

 さて、その鹿ケ谷かぼちゃですが、一般のかぼちゃとは、少々形が異なります。

 写真をご覧になれば分かると思いますが、ひょうたん型をしています。

 味はというと、通常のかぼちゃとほぼ同じですね。

 お寺に入っていったときから、煮物の良い匂いがしていました。

 この安楽寺、普段は非公開のお寺です。

 春秋の一時期だけ、特別公開されます。

 その他では、このかぼちゃ供養の日だけです。

 さて、かぼちゃの給仕は小さな子供たちがしていました。

 檀家さんの子供か、単に近所の子供なのかは分かりません。

 が、どこへ持っていって良いか分からなくなったりして、何か微笑ましい。

 何かほのぼのとした気分になりました。

おかえりなさい

2005-07-24 23:53:26 | 京都~行事
 お祭の楽しみ方にも、いろいろあることでしょう。

 もちろん、誰と一緒に見るか、というのもポイントでしょう。

 後は、どこで、どのように楽しむか、というのも、また一つのポイントでしょう。

 今日、祇園祭の還幸祭が行われました。

 還幸祭に関しては、何度か触れましたね。

 神幸祭と対になっている行事です。

 四条寺町にある御旅所に出張していた神様が、八坂神社に戻る行事です。

 神幸祭と同じように、移動の際には、氏子町を通ることになっています。

 ただし、通る場所が、神幸祭とは違います。

 神幸祭が御旅所より東側を通るのに対して、還幸祭では、御旅所の西側を通ります。

 その西側の区域には、うちの近所も含まれています。

 すぐ目の前の道は通りませんが、ベランダから見えるこさ点を通過します。

 その経路を知ったときに、思ったのは、家でそれを見る、ということでした。

 御旅所からの出発を見るのもいいでしょう。

 八坂神社への到着を見るのもいいでしょう。

 が、家からそれを見るというのも、また良いのではないか、と思いました。

 同じ景色を見られる人は、他にいないわけですから。

 といっても、通過するのはほんの数秒でしょう。

 その数秒を見てみたいと思ったのです。

 しかし、何時にそこを通るのかは、わからない状態。

 それでも、待ってみようと思いました。

 きうっと掛け声が聞こえてくるはずだろうと思ったからです。

 案の定、7時過ぎに、掛け声が聞こえてきました。

 ベランダへ出てみると、法被の集団が見られました。

 それに続いて、現れる神輿。

 ほんの十秒ほどの出来事。

 それでも、充分満足できました。

 そんな些細なことも京都生活の一部、といっては大袈裟なんでしょうか。

干物

2005-07-22 21:21:43 | 京都~行事
 八坂神社の御旅所には、今、三基の神輿が安置されています。

 先日も書いたとおり、神幸祭で、ここへやってきました。

 24日の還幸祭まで、ここにいます。

 その間に、無言参り、というのが行われます。

 祇園祭の正式な行事、というわけではありません。

 御旅所に神輿がある期間、祇園の舞妓・芸妓さんが、御旅所にお参りするのです。

 七日間、毎日です。

 ただお参りするわけではありません。

 四条大橋の上と御旅所の間を、誰とも何もしゃべらずに、お参りするのです。

 途中で知り合いに会おうとも、話をしてはいけないのです。

 そうして、無言参りを済ませると、願い事が成就するとか。

 で、まあ、本当は舞妓さんがお参りしている姿などを見たいわけです。

 が、いつお参りしているんでしょう。

 昼間では、ダメですかね。

 昼間のうちに何回か見に行っているのですが、遭遇したことがありません。

 夜には行かなければいけませんかね。

 ところで、話は変わりますが、昨日、最高気温が35.7度と書きました。

 あれ、間違いでした。

 今朝の新聞によれば、昨日の京都市内の最高気温は36.3度だったそうです。

 ……いや、本当に体温並ですね。

 血が沸騰しそうです。

 基本的には気が長い性質ですから、そんなことはないでしょうが。

 いや、気が短くたって、そんなことはあるはずがないんですが。

イン・ザ・ロック?

2005-07-20 21:11:49 | 京都~行事
 写真、なんだか分かるでしょうか。

 玉串、というのは、お分かりになると思います。

 が、ただの玉串ではありません。

 玉串は氷の中に閉じ込められているのです。

 いや、こんな暑い夏に持って来いの企画ですね。

 この玉串入り氷柱が置かれているのは、城南宮。

 その名も「お涼み」と呼ばれる行事が、今日、行われたのです。

 といっても、祭のいわれなどは、良く分かりません。

 簡単にいってしまえば、夏祭りですかね。

 夜にはお涼み神楽、というのが奉納されるらしいです。

 らしい、というのは、実際に見なかったからです。

 というか、お祭のスケジュールに関して、何の知識がありませんでした。

 どんなことが、どの時間に行われているかも、分からなかったのです。

 ですので、午後3時という中途半端な時間に行ってしまいました。

 知っていたのは、この氷柱があるということだけ。

 とりあえずこれを見て、触ってみたかったのです。

 これに触ると、夏負けをしないそうです。

 一人暮らしを始めて迎えた、最初の夏ですから。

 夏負け、夏バテには気をつけたいところ、ということで、触ってきました。

 いや、気持ち良い。

 ずっと触っていると、さすがに手が痛くなります。

 で、手を離してみますが、また手をつけてみたくなります。

 何しろ暑いんです。

 梅雨明け待ってました、とばかりに、太陽が猛威を振るっているものですから。

 家に持ち帰りたいですね。

 ベランダにでも置いておけば、きっと涼しいことでしょう。

 地味なお祭に見えて、地元には根付いた祭なのでしょう。

 人が次から次に来て、氷を触っていきます。

 また、参道には多くの露店も出ています。

 いかにも夏祭り、という雰囲気ですね。

 祇園祭のような派手なお祭ではないですが、こういうのもいいものですね。 

蓮の寺

2005-07-19 20:25:16 | 京都~行事
 法金剛院というお寺へ行きました。

 蓮の花で有名なお寺です。

 蓮の花に限らず、様々な花が咲くお寺として知られています。

 京都の西部、双ヶ丘の麓に、それはあります。

 京都の中では、それほど有名なお寺ではないと思います。

 どのガイドブックにも載っているかどうか、自信はありません。

 しかし、重要文化財の仏像も多くあるお寺です。

 うちから歩いていったのですが、大体一時間半弱です。

 それ自体は、大したことはないのですが、たどり着いてがっくりきました。

 入口に立て掛けられた看板を見たからです。

 そこには、蓮の花の開花状況が悪いということが書かれていました。

 せっかく来たのに……。

 また別の日に改めて、とも思いましたが、せっかく来たのだから、という思いが勝ちました。

 入ってみると、確かに、蓮は葉ばかりが目立ちました。

 それでも、いくつか開いた花もありました。

 蓮の花は、やはり綺麗ですね。

 大輪のその花は、目を引きます。

 それでいて、じっくり見ると、繊細な形。

 実に均整の取れた姿をしています。

 これほどの大きさで、これほどバランスのいい花は、他にはないのではないでしょうか。

 といっても、花のことはあまり詳しくないのですが。

 菊の大輪も美しいですが、バランスの点では、蓮に劣ると思います。

 アジサイの咲き残り、キキョウ、オニユリの花も咲き、美しい庭を演出しています。

 この前を通りかかったことは、何度かありました。

 が、中に入るのは初めてのことです。

 なかなか良い庭だと思います。

 近くには妙心寺、龍安寺などもあります。

 何かの花の季節には、立ち寄ってみて損はないでしょうね。

くすぶり

2005-07-18 21:05:10 | 京都~行事
 昼ごろには、山鉾のほとんどが解体され、いつもの通りに戻っていました。

 わずかに、大きな鉾の土台の一部が、宴の痕跡として留められているばかりでした。

 宵々山34万人、宵山52万人、山鉾巡行24万人。

 3日間で、実にのべ110万人を動員したことになります。

 いやいや、驚くべき数字です。

 一日平均で、37万人近くということです。

 僕が前に住んでいた都市は、人口が約22万人。

 1.5倍以上ということになります。

 すっかり祭は終わった、見たいな雰囲気になってますが、実際には終わっていません。

 まだ還幸祭等、いくつかの行事が残されています。

 ただ、一般的には、やはり、山鉾巡行をもって祇園祭とすることが多いですね。

 のべ110万人の人たちの心に、祇園祭は、何を与えたのでしょうか。

 祭の享楽、それとも一生の思い出、あるいは、伝統文化への憧憬でしょうか。

 もちろん、良いものとは限らないでしょうが。

 宵山の日、鴨川の川べりをふらついたりしてました。

 そこで、禊川に足を浸からせて休んでいたとき、隣の大学生らしい女性が話していました。

「祇園祭くると、同窓会みたいになんのよ」

 地元の人たちにとっては、そう言うものかもしれません。

 おそらく地元の人だけで、僕の前に住んでいた都市の人口くらいの人出があったことでしょう。

 あちこちで同級生を見かける、なんてことがあるかもしれません。

 あるいは、

「祇園祭へ来ると、いろいろ思い出してしまうわ」

 と話をしながら、女友達と歩く浴衣姿の女性もいました。

「念願だったけど、ようやく来られたわ」

 そんなことを言う、年配の女性もおられました。

 それぞれの胸に、今年の祇園祭は、どのように刻み込まれたのでしょうか。

 僕の胸には……。

 いや、まだ、祇園祭は終わっていませんでした。

 祇園祭も、京都の夏も、まだまだ続きます。

神の旅

2005-07-18 00:19:11 | 京都~行事
 さて、山鉾巡行の興奮冷めやらぬ中、神幸祭でした。

 そりゃ、興奮も冷めませんよ、その日のうちなわけですから。

 神幸祭というのは、神輿渡御のことです。

 思い切り簡単に説明すれば、神様がちょっとお出かけする、ということですね。

 お出かけに利用するのが、神輿、ということです。

 そのために、先日の宵宮祭で、神様を神輿に移したわけですね。

 では、どこへ出かけるのかというと、これが、四条寺町にある八坂神社の御旅所です。

 御旅所というのは、これまた思い切り簡単に説明すれば、神様のお宿です。

 でもって、そこへ向うまでに、氏子町を回る、というのが、渡御の目的というわけです。

 祇園祭の場合、神様が御旅所へいるのは一週間。

 一週間後には、今度は御旅所から八坂神社に戻ることになるわけですが、これが還幸祭です。

 さて、その神幸祭ですが、前儀式等が、一応午後4時から開始となっています。

 しかし、神輿が出るのは、午後6時になります。

 大きな見所は2ヶ所で、要するに、出発と到着です。

 出発の八坂神社では、テレビでお馴染みの祇園石段下にて、神輿の立ち上げ式が行われます、

 神輿は3つあるのですが、3つが同時に担がれた状態を見られるのは、この場所だけです。

 ですから、とても混雑します。

 特等席は、八坂神社の石段で、やや高みから眺めることができます。

 ですが、特に有料観覧席、というわけでもなく、早い者勝ちです。

 なものですから、6時開始は知っていましたが、4時前にいきました。

 2時間以上も待つことになるわけですが、しかたがありません。

 まあ、本を読んだりしていると、さほど苦でもありませんでした。

 6時になり、いよいよ神輿の登場です。

 1基、また1基と神輿が登場。

 子供神輿1基を加え、4基の神輿が石段前に大集合は、ウルトラマン兄弟もびっくりです。

 とにかく豪快。

 子供神輿を除いた3基の神輿は、それぞれ担ぎ手のグループが違います。

 ですから、まるでうちが一番威勢が良い、なんて主張しあっているかのように、元気です。

 立ち上げ式が終わると、出発となります。

 それぞれは、異なるコースを経て、御旅所へ向うことになります。

 この先を、どう追っかけるか、は、一つのポイントでしょうか。

 わりと広範囲に広がっているので、全てを追いかけるのは不可能です。

 どうしたものかと考えた結果、ポイントで攻めることにしました。

 つまり、どこで見たいか、ということ。

 そこで出てきた考えが、まずは祇園の花見小路。

 それから、三条大橋。

 そして、寺町通。

 その三ヶ所を経て、最後は御旅所へ向うことに決めました。

 花見小路は、お茶屋の立ち並ぶ、古い町並み。

 三条大橋は、もちろん橋の上。

 寺町通は、アーケード。

 それぞれ、特徴のある場所を選んで、そこを見てみようと、そう思ったわけです。

 夜間撮影のシャッタースピードや、レンズの望遠等、写真撮影に関しては問題がありました。

 が、見る分には、充分満足です。

 違う特徴を持った町を見たことで、この祭が土地に根付いていることを実感しました。

 さて、最後の御旅所です。

 ここは、最後の見せ場。

 順番に戻ってきた3基の神輿が、それぞれ威勢良く担いで見せるのです。

 まあ、多少長いんですが。

 何だかんだで、そこだけで2時間かかりましたから。

 まあ、個々の見せ場と言えば、見せ場ですからね。

 担ぎ手さんたちも、自然力が入り、盛り上がるのでしょう。

 それにしても、夜闇の中の神輿というのは、神秘的でよいですね。

 本当に、山鉾巡行とは正反対の、豪快一筋の神事でした。

 さて、山鉾巡行、神幸祭と済むと、祇園祭も山を越えました。

 3分の2は終わってしまったと言ってもいいかもしれません。

 最後まで、この祭を追いかけ、堪能したいと思います。

山鉾巡行

2005-07-17 13:32:31 | 京都~行事
 いよいよ山鉾巡行です。

 山鉾巡行をどう楽しむか、ある程度考えた上で、行ってみました。

 まず、何といっても、見所の一つは、長刀鉾のお稚児さんによる、注連縄切り。

 四条麩屋町の交差点に張られた注連縄を、お稚児さんが長刀で切る。

 この場面は、祇園祭の始まりの合図にして、最大の見所の一つ。

 ニュースのダイジェストでも、必ずといっていいほど扱われる場面でしょう。

 長刀を取って、注連縄を切る、というのにも、一つ一つ作法があるようです。

 が、お子さんには難しくて覚え切れなかったのか、初めから覚えさせられなかったのか。

 お稚児さんは、自らはほとんど動かず、ほとんど二人羽織の状態でした。

 ともかくも、注連縄が切られた瞬間、見物客からは大きな拍手が起こりました。

 しばらくはそこで巡行をながめていましたが、七つほどが過ぎたとき、動くことにしました。

 巡行とは反対に流れていき、四条堺町の交差点のところまで行きました。

 そこでは、くじ改めが行われています。

 くじ改め、というのは、巡行の順番を決めたくじを確認する儀式。

 確認するのは京都市長で、大紋烏帽子姿をしています。

 大仰な動作で、それを行うので、見ていて楽しいです。

 くじの入った箱は紐で縛られているのですが、その紐を扇子を使って解きます。

 これを見て前夜のことを思い出しました。

 前夜、とある山の前で、これと同じ動作をやっている人たちがいたのです。

 そのときには何をしているのか分からなかったのですが、これの練習だったわけです。

 さて、そこでまたしばらく巡行をながめた後、また巡行の流れに逆らって歩いていきました。

 烏丸四条にたどり着いたとき、ちょうど最後の山、南観音山を見ることができました。

 さて、32基の山鉾を、一通り全て見たわけで、一応の目的は達したことになります。

 が、もう少しだけ山鉾巡行を見ておきたいところです。

 見たいのは、新町通の巡行。

 山鉾巡行は、四条、河原町、御池という通りを経て、新町通へ至ります。

 最初の三つの通りが、片側2車線以上ある大通りなのに対し、新町通は一方通行の小さな通り。

 そこを大きな鉾が通る様は、想像するだけでも壮観で、見ておきたかったのです。

 行ってみると、同じことを考えている人は多く、人が溢れていました。

 大通りと違って、道沿いの風景も、一つの楽しみです。

 近代的なビルに囲まれた大通りと違い、いわゆる町家と呼ばれる建物が残っています。

 そこを走り抜けていく、山鉾。

 実際見て、やはりそれは壮観であると思いました。

 鉾をずっと身近に見ることができますしね。

 鉾の車輪がすぐ目の前を通り過ぎていく豪快さに、感動します。

 木造の古い家の二階から、外国人が眺めていたりして、何かエキゾチックです。

 存分に楽しんだつもりですが、しかし、これでも何か見たりないところがありました。

 と、こんなことを書いている間にも、巡行を終えた山が、うちの前を通っていきます。

 いや、素晴らしき京都ライフですね。

 しかし、まだまだ。

 今日はこれから神幸祭。

 祇園祭の、もう一つのメインイベント。

朝日を待ちながら

2005-07-17 07:14:24 | 京都~行事
 朝、山鉾町をざっと歩いて回ってみました。

 車の通りも少なく、静かな朝の風景が、そこに広がっていました。

 昨夜の騒ぎが嘘のような、静けさです。

 何しろ、昨夜は、52万人の人出だったとかで。

 その名残は、朝の町にも見られました。

 露店は姿を消していましたが、氷塊が捨ててあったり。

 見物客が飲み食いしたその残滓が、町のあらゆるところで見られました。

 祭の後のような雰囲気ですが、しかし、本番はこれからなのです。

 小さな山では、最後の作業に追われているところも多いようでした。

 四条通の大きな鉾たちは、ただ、その出番が来るのを、のんびりと待っているようでした。

宵の絵

2005-07-16 19:00:57 | 京都~行事
 微かに宵の空気が漂ってきました。

 前の通りの車の音は消え、代わりに人のざわめく声が聞こえてきます。

 遠くからは、祇園囃子の音。

 いよいよ、宵山、明日は山鉾巡行。

 そんな空気が、窓から流れ込んできます。

 熱気のヴォルテージが上げていっていくのを、この肌で感じられます。

 毎年、同じことが繰り返されてきたのでしょう。

 そしてこれからも同じことが繰り返されるのでしょう。

 それでも、僕にとっては、初めての祇園祭、初めての宵山。

 来年も、同じように体験できるかは、分かりません。

 そんな状況で、どっぷり浸かることのできる幸せを、実感していたりもします。

 部屋を決めるときには意識していませんでしたが、このロケーションは正解でした。

 メインストリート、四条通からは、やや離れています。

 その距離は、適度にざわめきの鬱陶しさを濾過してくれます。

 それでいて、山鉾町も近く、祇園祭を身近に感じられます。

 一年のうちの、ほんの数日。

 しかし、その数日には、京都が京都であるということの、ある一面を体現しています。

 その一面を、存分に謳歌しています。

 その僥倖を胸に抱きつつ、これから宵山へ出かけてこようと思います。