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はんなりな日々

関東人による、京都生活の日々を書き綴るページ。

暮らしの中で

2005-10-18 20:43:15 | 京都~行事
 やはり、仕事をしていると、疲れますね。

 大して何もしていないのですがね。

 精神的に疲れる部分は大きいですね。

 まだ二日目なんですけど。

 働いてしまうと、はんなりな日々、とはいかないようです。

 というか、はんなりという言葉、使い方間違ってますけどね。

 京都以外の人は、はんなり、という言葉の正確な意味を知っているでしょうか。

 なんとなく京都っぽい言葉、という認識はあるとお思いますが。

 実は、上品で晴れやかな様、を指すのが、はんなり、という言葉です。

 ですから、上の使い方は、適切ではありません。

 もっといえば、このブログのタイトルも、あんまり適切ではありません。

 まあ、今更言っても仕方がないわけですが。

和解

2005-10-12 18:43:36 | 京都~行事
 先日、比叡山の大法要について書きましたね。

 ひと月かけて行われるのだと。

 当然、今も行われているわけです。

 今朝の新聞によれば、機能は真言宗による法要が行われたそうです。

 真言宗といえば、弘法大師・空海の開いた宗派です。

 天台宗と並んで平安二大仏教といっても良いでしょう。

 最澄、空海は、ともに当時の中国、唐に渡り、仏教を学んで帰朝した方です。

 宗派を開いたのも同じ時期で、いわば似たような経歴の二人です。

 シンパシーを感じる部分はあったのでしょう。

 初め、二人は交流を持ちました。

 お互い切磋琢磨しよう、という思いだったのでしょう。

 ですが、あるとき、二人の関係を悪化させる事件がおきました。

 事件の発端は、最澄の弟子が、空海の元に派遣されたことにあります。

 ちょっと空海さんのところへ行って学んでおいで、という感じですね。

 さて、しばらく後、そのお弟子さんは、最澄のところに戻ることになります。

 いいえ、そうなるはずだった、というのが正しいですね。

 お弟子さんは、今後も空海の元で学びたい、と言い出したのです。

 最澄は、空海が弟子を奪った、お怒りになられたわけです。

 そうして、両者、両宗派は袂を分かつことになったわけです。

 その後両者が和解したのか、したのならいつなのか、ということは知りません。

 ですがこの度、真言宗による延暦寺での法要が行われることになったのです。

 最澄、空海が袂を分かって以来のことだそうです。

 感傷的に見れば、1200年越しの仲直り、といった感じでしょうか。

 いや、実際にはどこかで両宗派は和解しているのかもしれませんがね。

 しかし、何か、やはり歴史の悠久さを感じてしまうのですね。

 歴史とは、本当に面白いものだと、そう思います。

年輪

2005-10-02 23:49:01 | 京都~行事
 京都比叡山は、京都の鬼門にある山です。

 多くの人が知っている通り、山頂には延暦寺が建てられています。

 この比叡山延暦寺で、昨日から大規模な行事が営まれています。

 それは、天台宗開宗1200年記念法要です。

 天台宗は、伝教大師・最澄の開いた宗派。

 弘法大師・空海の真言宗とともに、平安二大宗派といって良いでしょう。

 この法要は、前述の通り、かなりの規模で、一ヶ月に渡って行われるようです。

 というのも、ここに関わってくるのが、天台宗のみではないからです。

 浄土宗、浄土真宗、臨済宗等の宗派も、参加するのです。

 その数26にも及ぶ宗派と教団だということです。

 どうしてそうなるのか、その理由は簡単です。

 それらの宗派の開祖が、大体の場合、延暦寺での修行経験があるからです。

 いわゆる鎌倉新仏教と言われる宗派は、ほぼ全てそうです。

 法然、親鸞、栄西、道元、日蓮……。

 彼らは全て、比叡山の地から飛び立っていた人たちなのです。

 いかに当時の延暦寺の勢いがすごかったのかを物語っているといえます。

 それにしても、1200年ですか。

 親鸞の750回忌といい、歴史を感じさせますね。

 これが京都というヤツでしょうか。

円熟

2005-09-18 21:52:50 | 京都~行事
  名月や池をめぐりて夜もすがら

 松尾芭蕉の名句ですね。

 今日は仲秋の名月。

 嵯峨野にある大覚寺へいってきました。

 そこは観月の名所といわれています。

 大覚寺は嵯峨御所とも呼ばれる大寺院。

 元は嵯峨天皇の離宮だったものを、お寺に改めたのです。

 また、南北朝時代、南朝と深い関わりを持っていました。

 南朝を大覚寺統とも呼ぶのは、そういう由縁からです。

 その大覚寺で、観月の夕べ、という行事が行われました。

 これは、大覚寺の大沢池で月を見る行事です。

 鷁首船を池に浮かべ、それに乗って名月を見る。

 なんとも風流ですね。

 ですが、乗船券は、着いたときには完売していました。

 ということで、大沢池の周りを歩きながら、月を眺めました。

 まさに、松尾芭蕉の句の趣ですね。

 池の周りに人々が座り、月を眺めています。

 花見と同じような感じですね。

 月見団子にかじりついたり、月見酒を飲んだり。

 カップルもかなり多かったですね。

 誰もいないと思って、池の畔に下りていったら、そこにカップルが。

 なんてこともあったり。

 それぞれが月見を楽しんでいるようでした。

 運が良いことに、今年はきれいに月が見られました。

 まん丸の月が空に、そして、池に写るその姿は波に揺れる。

 何か現実と幻想の狭間を歩いているような、そんな気分になります。

 また、大沢池の東の外れから、大覚寺の境内の外が望めます。

 そこには田んぼが広がっていて、それを山が抱え込むように囲んでいます。

 その上に出ている満月。

 鄙の月夜という光景は、何か心に沁みます。

 ただ、右手の奥遠くには、京都の市街地の明かりが見えます。

 これもまた京都の一つの現実ということでしょうか。

 帰りがけ、嵐山まで行って、渡月橋を渡りました。

 名月を眺めながら、渡る渡月橋。

 所の名さえ美しい京都の真骨頂という感じですね。


800年

2005-09-04 18:16:23 | 京都~行事
 騎射、それは、騎乗して射る、ということ。

 そんまんまですね。

 馬を駆けらせ、その上から弓矢を射る行事といえば?

 というクイズが出たなら、あなたはきっとこう答えることでしょう。

 流鏑馬、と。

 もちろん、正解です。

 ですが、それとは別に、笠懸、というものがあります。

 今日、上賀茂神社で、笠懸、というのが行われました。

 さて、その笠懸、では流鏑馬とどう違うのか、ということになります。

 はっきりいえば、ほとんど違いがない、ということになります。

 笠懸だと知らずに見ていれば、人はそれを流鏑馬だと思うでしょう。

 もちろん、厳密には違いはあります。

 まず、もともと笠懸とは、その名の通り、的に笠などを使っていたといいます。

 流鏑馬は、方形の板を支柱に挟んだものを的とするのは、良く知られています。

 笠懸の場合、笠を紐で吊るす、といった形で、的にしていたようです。

 つまり、風が吹けば揺れもするわけです。

 より実戦的になるともいえますね。

 ですが、現代では、流鏑馬と同様の的が使われているようです。

 ただし、それでも違いはあります。

 流鏑馬といえば、騎乗者とほぼ水平の位置に的があります。

 しかし、笠懸の場合、それに加えて、低い位置の的があります。

 流鏑馬と同様の的を、往路で、それを大笠懸といいます。

 そして、低い的を復路で、これを小笠懸といいます。

 流鏑馬では、通常、射手が弓を持つ手の方向のみに的があります。

 しかし、小笠懸では、逆の位置にも的があります。

 この射法を、妻手筋違といいます。

 ちなみに、通常の流鏑馬の射法は、弓手横、といいます。

 また、妻手筋違の逆、弓を持つ手側の斜め前方を打つのは、弓手筋違です。

 上賀茂神社での笠懸では、この三つの射法が披露されました。

 大笠懸では、三つの的があります。

 これはほぼ普通の流鏑馬と同じですね。

 五月に、下鴨神社の流鏑馬を見に行きました。

 そのときと比べると、馬場の長さが違いますね。

 下鴨神社のほうが長かったように思います。

 的の数は同じで、つまり、その間隔が詰まっているということになります。

 その分、当然、準備の時間が短くなるわけです。

 実際、下鴨神社の流鏑馬では、三つ全ての的を当てる皆中が何人か出ました。

 しかし、この上賀茂神社の笠懸では、皆中は一人だけでした。

 それだけ難しいということでしょう。

 皆中が出たときには、それはそれは、大きな拍手が起こりました。

 余談ですが、皆中は「カイチュウ」と読みます。

 東京の確か大久保の辺りに、皆中神社というのがあります。

 そこはギャンブルなどの神様として有名です。

 皆中る<あたる>ということで、縁起が良いわけです。

 さて、それはともかく、笠懸ですね。

 大笠懸を終えた射手は、そのまま復路で小笠懸に入ります。

 やはり、これは難しいらしく、当てられる人は多くありません。

 さて、この往復を全ての射手が終えると、的が変わります。

 今度は、皿を二枚合わせたようなものになります。

 間にできた空洞に、五色の紙ふぶきが入っています。

 それを紐で吊るして、的にするので、本来の笠懸に近い形になります。

 風が吹き、揺れることもありました。

 それに、大笠懸の的に比べれば、小さくなります。

 難度もあがるというわけですね。

 実際、三つ当てる人は一人もいませんでした。

 二つ当てられた人も、ほとんどいないほどです。

 しかし、この的に当たると、紙ふぶきが舞って、とても綺麗です。

 さて、この笠懸神事、上賀茂神社で行われるのは久しぶりのことだといいます。

 その久しぶりというのが、実に800年ぶりというから、驚きですね。

 800年って、8世紀ですよ、当たり前ですけど。

 これが歴史かと思ったりしました。

 今後は毎年行っていきたい、という話です。

 是非続けていって欲しいですね。

 豪快で、とにかく見ていて気持ちの良い行事ですから。

慣習

2005-08-21 20:39:00 | 京都~行事
 昨日、今日と、京都市内では地蔵盆という行事が行われたようです。

 ようです、というのは、実際自分の目で見たわけではないので。

 地蔵盆という風習に、ちょっとなじみがありませんでした。

 しかし、京都では一般的な風習であるようです。

 というか、かなり大々的な風習であるようです。

 町内会単位で行われ、個々の行事は小さな行事です。

 しかし、市内中心部のどの町内会でも、それが行われるといいます。

 そこでやることは、町内会によって違うようです。

 子供たちにお菓子を配ったりしたりもするようですね。

 また上賀茂では、灯籠流しをするところもあるようです。

 今朝の新聞を見て知りました。

 上賀茂神社の近くに、社家町があります。

 そこは、国の重要伝統建造物群保存地区にも指定されています。

 家々の前を掘割があり、そこを灯籠が流れるわけです。

 う~ん、見たかったですね。

 しかし、こうした行事も、年々進む少子化傾向に悩まされているようです。

 地蔵盆の名の通り、地蔵菩薩に関わりがあります。

 24日が、地蔵菩薩の縁日で、それにちなんでいるわけです。

 本来は、22~24日に行われてきたものらしいです。

 今は、社会習慣に合わせ、それに近い土、日に行われているようです。

 地蔵菩薩信仰は、市内に広く、そして強く根付いているようです。

 地蔵菩薩を祀る祠が、市内には5000もあるとかいう話もあります。

 そういえば、近所の公園にもありました。

 本当に生活に根付いた信仰なのですね。

親不孝者盆に帰らず

2005-08-16 18:33:42 | 京都~行事
 8月16日というえば、そう、京都は五山送り火の日です。

 一般には、大文字焼きと呼ばれることもあります。

 しかし、良く知られている通り、焼かれるのは大文字だけではありません。

 五山の名の通り、五つの文字が焼かれます。

 いや、その表現も正しくはありませんね。

 まず、五つといっても、そのうちの一つは二文字で一つなのです。

 洛北、松ヶ崎の辺りに「妙法」の二文字が浮かび上がります。

 また、五つの文字といいましたが、中には文字ではないものもあります。

 西賀茂には舟形、そして嵯峨野には鳥居形が浮かび上がります。

 これに、一般的に知られる大文字と、金閣じ背後の左大文字。

 以上で、五山です。

 この五山をどこで見るか、というのは、一つのポイントでしょう。

 高い建物が立ち並ぶ現代、全てを見渡すのはなかなか難しいのです。

 もちろん、ビルの上にでる、という手もありますが、それでも難しいでしょう。

 どこよりも高くなければ、なかなか見ることができない。

 一望できるビューポイントとして、京都駅ビルがあります。

 いや、確かめてはいないですが、見られるという話を聞きました。

 魅力を感じはしましたが、今回はやめておきました。

 何しろ、京都駅ビルだと、個々の送り火から距離があります。

 見えるにしても、やや迫力に欠けると思ったのです。

 逆に心にじんと来るものはあるかもしれません。

 が、どうもカップルが多いような気がして、やめておきました。

 で、どこへ行こうかと考えたわけです。

 思ったのは、まず最も有名な大文字を近くで見たい、ということです。

 いくつかのビューポイントがあると思います。

 京都大学のすぐ東にある、吉田山もその一つでしょう。

 吉田山は、大文字と向かい合うようにしてある山(岡)です。

 前に言ったとき、ちょうど正面に大文字を臨むポイントがありました。

 ちょっとした広場で、恐らくそのためにあると思われるような場所です。

 本来なら木々が生い茂っていそうなところに、すっぽり空間があるのです。

 まるで写真のフレームに収められるように、その真ん中に大文字があります。

 そこで見るのも一つの手だとは思いました。

 が、ここで見ると、恐らく他の送り火を見ることができないでしょう。

 そこで、まずは大文字を賀茂大橋の辺りでで見ることに決めました。

 そこから高野川沿いを遡れば、「妙法」の「法」が見えるはず。

 そして、そこからまた少し西に移動すれば、「妙」も見られそうです。

 更に西へ行ってみれば、舟形も見られるかもしれません。

 運がよければ、左大文字くらいまで見られるかもしれません。

 鳥居形は、距離を考えると、難しいでしょうが。

 とりあえずそう言う計算をして、出かけてみることにしました。

 まずは四条大橋まで出て、そこから鴨川沿いを北上します。

 鴨川の河原には、いつもに増して人が多かったですね。

 三条~四条辺りの河原からは、大文字焼きは見られません。

 ですから、その辺りから北へ向って歩く人が多いわけです。

 御池大橋を越えた辺りから、右前方に大文字山が見え始めます。

 その辺りの納涼床からは、のんびりと大文字を眺められるかもしれません。

 大文字山には、ちらちらと灯りが見えました。

 火をつけるために山へ登っている人たちの持つ灯りなのでしょう。

 丸太町橋の辺りからは、河原に座って大文字を待つ人が多く見られました。

 この辺りまで来ると、大文字山が随分と大きく見えます。

 辺りからは虫の音も聞こえてきます。

 少し秋の気配が漂っていました。

 賀茂大橋の手前までいったところで、ひとまず止まることにしました。

 なかなか良さそうなビューポイントだったのです。

 そこで点火を待つことにしました。

 同じように座り込んで待つ人が、周りには大勢います。

 しかし、思ったほどの混雑ではありません。

 そして午後8時、じんわりと暗闇に「大」の字が浮かび上がり始めます。

 最初、「大」の字の中心部から燃え始め、外側へ広がっていきます。

 字が完全な姿になるまで、そう時間はかかりません。

 あっという間といっても良いくらいでした。

 さて、本当なら、そこでゆっくり眺めていたいところ。

 ですが、今日はちょっとしたチャレンジ。

 いくつ見られるか、という挑戦をしてみることにしました。

 まず河原を北上し、賀茂大橋を越えます。

 鴨川と高野川の合流地点で、飛び石を越えていきます。

 この飛び石の上から大文字を見てみたい、という願望もあったのです。

 いってみると、そこからは完全な姿を見ることはできないんですね。

 どこへ行っても、ちょっとどこかが欠けているのです。

 さて、それはともかくとして、高野川の川沿いを北上します。

 目指すは「法」の字です。

 それはやがて見えてきました。

 完全な姿を見られるのは、御蔭橋の上までいったところでした。

 といっても、まだちょっと遠くて、やや小さく見えました。

 もう少し北上すれば、大きく見えるのですが。

 とりあえず、そこはそれとして、次を目指すことにしました。

 次は「妙」です。

 川沿いの道からそれて、西へと入っていきます。

 それからすぐに北上。

 やがてそれは見えてくるのですが、完全な姿ではありません。

 建物などに隠れてしまっているのです。

 というのも、「妙」の字は、とても低い位置で燃やしているのです。

 ですから、近くまで行けば、ど迫力で見られるはずなのです。

 北大路通に出て、松ヶ崎通に入る手前で、ふと気付きました。

 正面に左大文字が見えているのです。

 ああ、ここからも見られるのか、と、ちょっと感動しました。

 ただ、やや斜めから見る位置なのでいびつな「大」の字に見えます。

 さて、松ヶ崎どおりを北上し、北泉通に出て左折。

 またすぐに右折すると、正面に「妙」の字がいよいよ完全な姿を現しました。

 が、少し字が薄い。

 あれ、っと思っていると、「妙」の字は、ふっと消えてしまいました。

 電気ではないので、ぱっと消えるという感じではありません。

 それはまさに、ふっと消える、という感じです。

 霞か霧の中に消え入るような、そんな感じです。

 その瞬間を見られたのは、とてもよかったですね。

 しかも、妙の字は間近でしたから。

 何か幽玄な雰囲気でした。

 と、のんびりしているわけにも行きません。

 さあ、次だ、と、西へと向います。

 北大路橋まで行けば、舟形が見えるはずです。

 が、時間的にはかなり微妙なタイミング。

 半ば駆けるように、橋へと向いました。

 が、哀しいことに、舟形は既に終わってしまっていました。

 がっかりしながら北大路通を歩き出すと、正面に左大文字が見えました。

 左大文字は、点火時間が最も遅いのです。

 その左大文字も、火勢は弱まっているようでした。

 烏丸通まで出て、そこをとぼとぼと歩いて南下し、かえって来ました。

 今回のことで得た教訓は、一つ。

 やっぱり一ヶ所でじっくり見るほうが良いかな、ということでした。

 慌しいのも、何だかなあ、という感じですね。

 いや、今回は挑戦ということで。

 何でもやってみないとわからないですから。

 とりあえず、来年も京都にいるなら、今度は鳥居形を見たいですね。

ICE&FIRE

2005-08-06 20:47:23 | 京都~行事
 夕方、伏見稲荷大社へ行ってきました。

 伏見稲荷大社については、今更説明するまでもないでしょう。

 全国にある稲荷神社の総元締です。

 そういえば、全国にある末社の数は、稲荷神社が日本一だとか。

 もちろん、小さな祠の類も含めた数でしょうが、その数5万ともいいます。

 いや、すごいですね。

 今日、しかも夕方という時間を選んで行ったのには、理由があります。

 この伏見稲荷大社の門前で、「夕涼み」なるイベントが行われるというのです。

 その内容というのが、氷柱の中に蝋燭を灯すというものでした。

 これは是非見てみよう、と、行ってみたわけです。

 城南宮の「お涼み」をイメージして行ってみました。

 ところが、ちょっとばかりイメージと違っていました。

 まず、その規模が違います。

 何しろ、基本的には神社は無関係なのですね。

 ですから、夏祭りという趣も、あまりありません。

 もちろん、露店なども出ていません。

 門前の土産物屋組合みたいなものが主催しているようですね。

 一週間ほど前から、通りに多くの風鈴を飾り付けているのです。

 その一環として、この日の夕涼みなわけです。

 ところが、イベントとして、広く認知されていないようです。

 訪れる人もそれほど多くなかったですね。

 僕が行った時間が六時ごろと、少し早かったせいかもしれませんが。

 何しろ、始まって今年が二年目だそうですから、仕方がないところでしょうか。

 ノウハウも確立されていないのでしょうね。

 氷柱の中に蝋燭を灯すのも、写真の通りです。

 写真ですからわかりにくいと言うのはあります。

 しかし、実際に見ても、少し首を傾げたくなるような感じもあります。

 これから年を経るにつれ、イベントとして成熟していくかもしれません。

 その時にもう一度見てみたい、そんなふうに思いました。

 ところで、伏見稲荷大社と言えば、鳥居のトンネルです。

 夕方にここを訪れるのは初めてでした。

 夕間暮れの鳥居のトンネルは、なかなか幻想的でした。

 まるで冥界へと続くトンネルのようでした。

 晴れた日、明るい陽射しの中を歩くのも、気持ちが良いものです。

 が、薄暗い中を歩くのも、なかなかに趣があるものですね。

 観光だと、なかなか行く機会がないとは思いますが。

 時間があれば、訪れてみるのも良いかもしれません。

 さすがに山の奥までは入っていく気にはなれませんでしたが。

蘇民将来

2005-07-31 19:14:25 | 京都~行事
 蘇民将来をご存知でしょうか。

 蘇民将来は、説話中の人物です。

 中国人っぽい名前ですが、日本の説話中の人物です。

 その人物に関する伝承があります。

 簡単に説明しましょう。

 ある日、蘇民将来の家を、旅の人が訪れ、宿を求めます。

 蘇民将来には裕福な弟がいるのですが、弟はこれを拒みます。

 裕福ではない蘇民将来は、快くその旅の人を泊めてあげます。

 さて、その旅の人が、実は神様だった、というのは、ありがちな展開ですね。

 その神様が、後に疫病が起きたとき、蘇民将来の一家を守る約束をします。

 その蘇民将来が、八坂神社内にある疫神社に祀られています。

 蘇民将来と八坂神社の関係とは、大きな関係があります。

 八坂神社の祭神は、素戔嗚尊(スサノヲノミコト)です。

 蘇民将来に宿を求めたという神様が、実は素戔嗚尊なのです。

 疫神社というのは、もちろん、説話に由来した名前でしょう。

 ところで、素戔嗚尊は、蘇民将来に疫病のお守りを渡しています。

 それが、茅の輪です。

 さて、実のところ、話の本題はここからです。

 今日、疫神社では、夏越祭が行われました。

 夏越祭は、茅輪くぐりともいわれます。

 写真を見て分かると通り、大きな茅で作った輪をくぐるわけです。

 この行事は、八坂神社特有のもの、ではありません。

 夏越祭として、茅輪くぐりを行う神社は、少なくありません。

 疫神社では、雅楽の生演奏があります。

 神社の脇、屋根もないところで、あの格好です。

 扇子で扇ぎながらやってました。

 そりゃ暑いでしょうね。

 お参りして、そこでお神酒をもらえます。

 巫女さんにお酌してもらえるので、何か嬉しいですね。

 また、茅の葉を配っています。

 それを貰って、輪を作るわけです。

 後は、「蘇民将来之子孫」のお札を頂けば、完璧。

 もちろん、上記の説話に基づいたお札です。

 蘇民将来の子孫であれば、疫病から守りますよ、という意味です。

 茅輪にお札をつけ、玄関に飾ると、疫病が家に入ってこないというわけです。

 健康に夏を越すための神事、すなわち、夏越祭です。

 そして、これをもって、ひと月をかけて行われた祇園祭が終わりとなります。

 長い祭が終わりを告げ、そして、八月へと入っていくわけです。

 ますます暑くなりそうな、そんな京都の夏です。

ぎゅう

2005-07-28 21:05:51 | 京都~行事
 糺ノ森の木の間を、微かな風と、西日とが流れていました。

 夕刻、午後五時過ぎ、下鴨神社を取り囲む、糺ノ森を歩いていきました。

 今日、土用の丑の日に、下鴨神社では、御手洗祭が行われました。

 正確にいえば、今日から31日までの4日間、祭は行われます。

 しかし、基本的には、土用の丑の日がメインとなっている祭です。

 さて、それではこの御手洗祭とは、どんな祭なのか。

 簡単にいってしまえば、御手洗池に足を浸ける、というもの。

 御手洗池というのは、下鴨神社の御神泉です。

 余談ですが、世に名高い「みたらし団子」の名前の由来になった池です。

 三月三日には、この池で、流し雛が行われます。

 御神泉ですから、当然、普段は足を浸けることなどできません。

 この祭の期間だけ、許されることなのです。

 池に足を浸して、蝋燭を献じると、健康でいられる、ということです。

 意図としては、先日行った、かぼちゃ供養とおなじようなものですね。

 さて、この御手洗祭を訪れて、ふと思い出したことがあります。

 それは、『新勅撰集』に収められた、藤原家経の和歌です。

     風そよぐ楢の小川の夕暮れは
          みそぎぞ夏のしるしなりける

 この和歌、実際は上賀茂神社で詠まれたものです。

 「楢の小川」は、上賀茂神社を流れる川なのです。

 しかし、この「楢の小川」を「御手洗池」に変えてみましょう。

 それはまさに、僕が見ていた風景そのものになります。

 ぼんやりとその光景を眺めながら、そんなことを考えていました。

 暑い夏ではありますが、涼を感じさせてくれる行事ですね。

 京都の夏は大変暑いことで有名です。

 先日の城南宮のお涼みといい、京都人もいろいろ考えているようです。

 いかにこの暑い夏を無事に乗り切ろうか、と。