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はんなりな日々

関東人による、京都生活の日々を書き綴るページ。

かます

2005-12-12 22:23:11 | 京都~行事
 京都検定試験から一夜が明けました。

 思い返して感じたことがあります。

 それは、昨日の試験問題は、思ったよりマニアックではない、ということです。

 いや、自分の出来が思ったより良かった、というわけではありません。

 見直しはしていませんが、出来が悪いのは間違いありません。

 しかし、事前に試験対策をしていればできた問題のように思えます。

 つまり、準備不足ですね。

 言い訳にしかなりませんが。

 まあ、いずれにしろ、今更言っても仕方がないことです。

 やっぱり、また来年、ということですね。

 まあ、来年もまた同じように準備不足になりそうですが。

 勉強のための勉強というのは、どうも好きじゃないんですよ。

とんち

2005-12-11 23:55:42 | 京都~行事
 第二回の京都検定が行われました。

 今回からは1級の試験も行われるようになりました。

 1級の受験資格は2級を合格したもののみです。

 過去一度しか行われていない試験ですから、受験者は限定されます。

 つまり、前回2級合格した者のみ、1級に挑戦できるわけです。

 一応その資格を持っていたので、1級合格者第一号を目指し、受験しました。

 が、断言しましょう。

 不合格です。

 もはや恐らく、とか、そういう修飾語が必要なレベルじゃありません。

 合格ラインは150点満点の80%、つまり、120点です。

 が、正直、100点行けば良いな、という感じでした。

 主催者に文句を言うのは筋違いですが、ちょっと一言。

 ちょっとマニアックすぎやしませんか?

 いや、これ、本当に80%答えられる人、いるんですかね。

 かなり幅広い知識が必要ですね。

 まあ、1級はそう簡単に取れない、というレベル設定なのかもしれませんが。

 しかし、何かねえ。

 ま、来年頑張りましょう。

パトリオット

2005-11-28 21:29:35 | 京都~行事
 10月の初め頃でしょうか、ピンポイント名所、というのを書きました。

 これは、ある一定期間だけ際立って名所になる場所のことです。

 もちろん、僕の造語ですが。

 そこで紹介したのが、真如堂。

 紅葉の名所として名高い、と紹介しました。

 もちろん、その10月の初めは、紅葉にはまだまだ早い季節でした。

 そして今、それは紅葉の盛りを迎えています。

 本堂の前の見事な一本が、写真のものです。

 他にも、境内には多くのモミジが植えられています。

 境内全体が紅く染まっているといった様相です。

 10月の初めにはほとんど人がいなかったのが、この日は大変な混雑ぶり。

 まあいたし方のないところです。

 23日の休日でしたから。

 当日のここのコーナーで、嵐山が凄い人出だったと書きました。

 その23日、嵯峨野嵐山だけで11万人の人が訪れたそうです。

 今日の新聞に書いてありました。

 そりゃ人多いはずです。

 で、真如堂も同じだったわけですね。

 まあ、嵐山に比べれば可愛いものではありますが。

 しかし、狭い境内に、人が押し寄せるわけです。

 多少風情に欠くところがないでもありません。

 が、ここの紅葉は是非見ておきたいですね。

 先日書いた霊鑑寺のすぐ近くにあります。

 この2ヶ所、紅葉の進み具合も同じくらいです。

 セットで見るのにちょうど良いですね。

 来年、京都の紅葉を見に来ようと思っている方がいれば、是非。

 また、これまたモミジが有名な永観堂もすぐ近くですし。

 ただし、永観堂の人出は半端じゃありません。

 この日、僕も行ってみました。

 が、入らずに帰ってきました。

 何しろ人が多すぎで。

 永観堂、南禅寺の辺りは、嵐山並みの人出でした。

 それでも見るべきものがあるといえば、その通りなんですが。

星雲

2005-11-08 19:50:09 | 京都~行事
 今日、かにかくに祭、というものが行われました。

 いや、仕事のため、行けなかったのですけどね。

 実は、京都へ来て、絶対に見てみたかった祭の一つなのですが。

 かにかくに祭、とは、祇園で行われるお祭です。

 お祭といっても、神輿や露店が出るような祭ではありません。

 祝祭とか、そういった感じですね。

 祇園の芸舞妓が参加する、華やかなお祭です。

 絶対に見てみたかった理由は、芸舞妓が見たいから、ではありません。

 かにかくに祭りは、吉井勇を偲ぶ祭なのです。


   かにかくに祇園はこひし寐るときも枕の下を水のながるる


 吉井勇の短歌です。

 もちろん、かにかくに祭、の名称は、この短歌から取られています。

 この歌碑が、祇園に建てられています。

 祇園白川巽橋の少し西です。

 この歌碑は吉井勇の古希を記念して建てられたものです。

 吉井勇は京都を、そして祇園を愛した歌人でした。

 僕が最も敬愛する作家の一人といっても良いでしょう。

 日本文学と切っても切れない関係である京都。

 東京に都が移った明治以降も、多くの作家を魅了し続けました。

 様々な作家が京都を舞台とした作品を発表しています。

 しかし、京都に移住した作家は、それほど多くないですね。

 そして、京都において、個別に祭が催される作家も、少ないでしょう。

 今年は、この歌碑の建碑50周年だったそうです。

 吉井勇のご子息も参加したようです。

 ご子息といっても、もう八十を超えたお方だそうですが。

エバー

2005-11-03 22:14:16 | 京都~行事
 先日、冷泉家の一般公開について書きました。

 この時期、京都の各所で特別公開が行われていることも。

 京都御所も、またこの時期に特別公開されています。

 これは毎年のことで、春秋に一般公開されます。

 それ以外の時期、普段は予約制での公開になっています。

 気軽に見られるのは、この時期だけってことですね。

 ということで、行ってみました、京都御所へ。

 京都御所というのは、幕末までの皇居です。

 平安京の皇居ですが、もともとの大内裏とは違うものです。

 それは良く知られたことです。

 平安京の大内裏は、建設以来、火災で焼失することがしばしばありました。

 そのたびに再建されたわけですが、その間、臨時の内裏が置かれました。

 それは、たいていの場合、摂関家など、天皇の外戚の邸宅が使用されました。

 それを里内裏と言います。

 そして、現在の京都御所は、もとともその里内裏だったのです。

 大内裏の再建を諦め、里内裏がそのまま御所となってしまったわけです。

 いずれにしろ、京都御所は、京都が京都である一つの象徴といえるでしょう。

 それは、首都が東京に移った今でも変わらないようです。

 その証しに、京都御所一般公開には、多くの人が訪れていました。

 そういえば今日は祝日なのだと気がついたり。

 文化の日ですね。

 文化の日というのは、そもそも日本国憲法の公布記念日です。

 が、終戦までは、明治天皇の誕生日を祝う日でした。

 明治天皇というのは、つまり、京都を去っていった天皇ですね。

 なにか皮肉なめぐり合わせのようなものを感じてみたり。

 いや、いささか強引でしょうか。

連綿

2005-10-31 21:10:42 | 京都~行事
 冷泉家をご存知でしょうか。

 京都に名家は数多くあれど、冷泉家以上の名家は、そうないでしょう。

 冷泉家は、公家の末裔。

 もっと言ってしまえば、藤原摂関家まで遡ることができる家柄です。

 具体的に言えば、冷泉家の祖は冷泉為相<ためすけ>です。

 その為相の父は、藤原為家です。

 その為家の父というのが、藤原定家。

 そう、あの小倉百人一首の選者である、あの藤原定家なのです。

 代々、歌道を家業としてきました。

 冷泉家は、烏丸今出川東入ルにあります。

 京都御苑のすぐ北になりますね。

 京都に現存する唯一の公家屋敷として、重要文化財に指定されています。

 その冷泉家の邸宅が、このたび一般公開されました。

 京都は毎年春秋に、特別公開が行われます。

 普段は見られない寺宝などを、この時期だけ公開したりします。

 公開されるものは、その年によって変わってきます。

 今年の秋の特別公開の一環が、この冷泉家公開なのです。

 それが今日までだったのですが、土曜日に行ってきました。
 
 これは滅多にないことなので、貴重な体験になります。

 中は写真撮影禁止なので、写真は外観だけです。

 公家屋敷といっても、そう大きいものではありません。

 つくりが変わっているわけでもありません。

 しかし、格式と言いうか、歴史の重みなどを感じてしまう建物でした。

 中を詳しく見れば、更にいろいろなことが分かっていくのかもしれません。

 しかし、公開は建物の外側から中を見るだけです。

 冷泉家には時雨亭文庫というものがあります。

 これが非常に貴重と言うか、重要な存在だったりします。

 古文書というか、そういったものがわんさとあるわけです。

 古典、歴史関係の学者からすれば、宝の山です。

 時雨亭といえば、藤原定家が小倉山に営んだ山荘の名前。

 そんなといころにも、定家の影が見えたりします。

 ところで、貴重な体験だということで、冷泉家には多くの人が訪れていました。

 何十メートルもの列を成し、人が並んで入場を待っていました。

 まるで遊園地のアトラクションを待っているような光景です。

 老若男女、その層は幅広く、歴史好きの人間が多いことを思い知らされました。

巡る巡る

2005-10-26 22:01:33 | 京都~行事
 さて、しつこいようですが、時代祭第4弾です。

 前回は、行列について、江戸時代のところまで触れました。

 さて、江戸時代の行列の次は、安土桃山時代です。

 この場合、織豊時代といったほうがいいかもしれません。

 二つの行列があり、一つが豊臣秀吉で、もう一つが織田信長の行列なのです。

 見ものは織田信長のほうでしょうか。

 鎧兜を身に着けた戦国武将が馬に乗って歩いていきます。

 維新志士の列と同様、具体名を持っています。

 例えば柴田勝家、例えば滝川一益です。

 羽柴秀吉、つまり、豊臣秀吉もいます。

 そして、その中に、当然、織田信長がいたりもするわけです。

 が、坂本龍馬同様、これもイメージは考慮されていないようです。

 写真が織田信長なわけです。

 まあ、考えることは人それぞれでしょうが。

 それから、今度は吉野時代になります。

 前に書いたとおり、明治時代、足利尊氏は逆賊扱いでした。

 ですから、ここで登場するのは、楠木正成の軍勢。

 その次は、通常の日本史の概念では鎌倉時代が来ます。

 が、時代祭では、特に鎌倉時代の列は設けられてはいません。

 歴史の舞台が都になかった証拠かも知れません。

 時代は平安時代まで戻ることになります。

 そこからは、あまり具体的な名前を持った人物は出てきません。

 女人列でいくつか登場するくらいです。

 時代祭の行列は、このあたりでやや中だるみ気味になります。

 そのあたりで引き上げていく人すらいます。

 確かに、それほど楽しいというわけではありません。

 江戸時代みたいに、何かしらのパフォーマンスがあったりすれば楽しいはず。

 と、そんなことを思ったりしました。

 しかし、ふと思うことがあります。

 例えば、今から百年後。

 時代祭が続いているとして、です。

 新しく昭和時代の行列を入れよう、などということになったとします。

 普通の洋服で練り歩くとしたら、とても違和感を覚えそうです。

 そうなったりはしないのでしょうか。

 百年後まで生きて確認してみたいものですが、無理でしょうね。

 しかし、せっかく時代祭と銘打つわけですから。

 新しい時代も取り入れていってもらいたいですね。

 さて、長くなりました、時代祭紹介、第四弾の今回で終了です。

 お付き合いいただき、まことにありがとうございます。

 今後ともよろしくお願いします。

彼の物語

2005-10-25 22:02:52 | 京都~行事
 さて、時代祭第三弾。

 まだ続くか、という声を無視して、続けます。

 お付き合い願います。

 さて、前回まで、時代祭の成り立ち等について書いてきました。

 そろそろ当日の行列に触れていきましょう。

 時代祭の行列が、各時代の時代衣装を身にまとっていることは既に書きました。

 その行列が練り歩く順番は、新しい時代から遡っていきます。

 つまり、最初は明治維新の時代、ということになります。

 まず、楽隊に先導され勤王隊の行列。

 官軍の軍隊衣装を着た少年たちが、美しい列を成し、歩いていきます。

 幕末、各街道をこうした軍隊が歩いていたのでしょうか。

 そんなことを思ったりします。

 その後に続くのは、幕末志士の列。

 ここでは具体的な名前を持った人たちが行進していきます。

 例えば桂小五郎、例えば三条実万・実美父子、例えば橋本左内。

 しかし、それぞれの人物の実像、イメージは、あまり考慮されていません。

 ですから坂本龍馬に幻想を抱いている方は、見ないほうがいいかもしれません。

 扮しているのは、普通のオッサンです。

 ただ、そのキャラクターはユニークです。

 他の人はみな、列を成してまっすぐ歩いていくだけです。

 しかし、龍馬はあっちへ行ったり、こっちへ行ったりしてます。

 沿道の観客のほうへ近寄っていくわけです。

 そうして、持っている銃をぶっ放します。

 もちろん、火薬が鳴るだけですが。

 坂本龍馬の自由闊達な正確を表現しているといえるでしょう。

 さて、幕末志士に続いては、江戸城使上洛の列です。

 いってみれば大名行列のようなものですね。

 行列としては、これが一番面白いかもしれません。

 ただ歩いているだけではありません。

 例えば槍持ちなどが、槍を高く投げ、別の人がそれを受け取ったり。

 そういったパフォーマンスを見せてくれます。

 それに続いて、江戸時代の女人列があります。

 女人列は、それぞれの時代列の最後尾についています。

 江戸時代でいえば、メインは和宮でしょうか。

 皇女和宮は、公武合体の象徴として、徳川家茂に嫁いだ人物だ。

 政争の道具にされたとして、悲劇の女性といわれます。

 しかしここでは、あまりそういう演出はされていません。

 あでやかな着物姿を見せています。

 さて、今日も長くなったので、この辺で。

 こりもせず、まだ続かせます。

 では。



来し方行く末

2005-10-24 21:36:38 | 京都~行事
 さて、時代祭その二、です。

 時代祭というのは、様々な時代衣装をまとって行列が練り歩く行事です。

 一見、葵祭と似ています。

 が、葵祭は、あくまで平安王朝という限定された時代の格好になります。

 それが、時代祭では、いくつもの時代に渡っているわけです。

 それこそ、平安建都の時代から、明治維新まで。

 明治維新までで、それ以降にないのは、祭がそのころにできたからです。

 それについては、一昨日の第一弾で書きました。

 また、ある程度偏っているところがあります。

 それは、時代祭誕生の時代の思想などを反映しているせいです。

 例えば、この当時、足利尊氏などは逆賊として扱われていました。

 南北朝の政争で、皇室を軽んじた、あるいは弄んだとされたからです。

 時代祭誕生の時代、明治新政府というのは、天皇親政が根幹にあります。

 ちなみに、この時代の行列は、吉野時代、という表現が用いられています。

 吉野は、南朝の拠点、後醍醐天皇が没した地です。

 また、幕末の偉人行列に登場するのは、全ていわゆる尊皇倒幕派の人たちです。

 桂小五郎、西郷吉之助(隆盛)、坂本龍馬、三条実美等々。

 これもまた、明治初期という時代を、色濃く反映していますね。

 京都で活躍した新選組などは登場しません。

 このころは、やはり逆賊として扱われていたのではないでしょうか。

 明治新政府の中枢にいた薩長土肥出身者にとって、新選組はいわば仇。

 英雄として祀り上げることなど、到底できない時代だったことでしょう。

 時代祭を見る際は、そういったことも知っておくといいでしょうね。

 知らないと、拍子抜けするところがあるかもしれません。

 また、こうした事実から、明治と言う時代の一端を垣間見ることができます。

 それもまた楽しいことだと思います。

 さて、各行列についてはまた明日にでも。

 第三に続きとしましょう。

 決して、ネタがないから時代祭を引っ張っているわけじゃありません。

 ……いや、本当に。

悠久の旅人

2005-10-22 20:56:26 | 京都~行事
 10月22日。

 それは、鞍馬火祭りの日。

 ……まあ、それはそうなんですけどね。

 ここでは、時代祭を取り上げておきましょう。

 何しろ、鞍馬の火祭りまではいけませんね。

 仕事を始める前なら、昼間に時代祭、夜は火祭り、も可能だったでしょう。

 しかし、今はちょっと無理ですね。

 明日の仕事のことを考えると、昼間で精一杯。

 鞍馬の火祭りはまた来年、ということで。

 で、とりあえず今日は時代祭。

 一日で全てを書こうとすると、長くなりすぎそうです。

 ので、今日はとりあえず第一部、ということで。

 時代祭は、110年前に始まったお祭。

 京都の祭としては、比較的新しいもの、といっていいでしょう。

 いわゆる京都三大祭といえば、葵祭、祇園祭、時代祭です。

 この順番は、一年の間の開催順であると同時に、歴史の古い順でもあります。

 葵祭は平安、祇園祭は室町、そして時代祭は明治時代です。

 時代祭は平安神宮のお祭ですが、平安神宮が作られたのが、111年前。

 平安奠都1100年を記念して造営されました。

 それと同時に、時代祭もできたということになります。

 なぜ10月22日に行われるのか。

 それは桓武天皇が平安遷都で京の都に入ったのが10月22日だったからです。

 平安神宮の祭神の一人が、平安遷都をなした桓武天皇です。

 神事そのものは、朝から平安神宮で始まります。

 が、メインの時代行列は、午後からとなります。

 正午、京都御所を出て、平安神宮へと向かいます。

 丸太町通、烏丸通、御池通、河原町通、三条通、神宮道。

 以上が、行列の行程となっています。

 これをどこで見るのか、ちょっと考えました。

 仕事をしていない時なら、走り回るところです。

 まず京都御苑でのスタートを見てから、平安神宮へ、と。

 途中三条大橋を渡るところを見てみたり、と。

 そんなことをしていたかもしれません。

 しかし、今回は一ヶ所、ピンポイントで見ることにしました。

 ちょっと疲れていたので。

 それが、終点の平安神宮です。

 実際は、そこの参道に当たる、神宮道です。

 東山の名物の一つ、大鳥居を足元にて、行列がやってくるのを待ちました。

 そうしてやがて、道中を先導する馬に乗った警察官がやってきました。

 と、ここで今日は一旦終わりにしましょう。

 行列の詳しい内容は、また次回、ということで。