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モネの邸宅を訪ねて

2011年02月18日 11時13分18秒 | Weblog

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2011年2月18日 No1444 モネの邸宅を訪ねて

私が初めてモネの邸宅を訪ねたのが1992年4月末のことだった。あれから18年たった去年の5月に三度、モネの邸宅を訪れた時も不思議に思ったことは、この家は家なのかなあ?と、素朴な疑問を持っていました。 何故ならば?

家としては横に広く、西洋人としては小狭せまな部屋が多すぎる。そして家としての奥行きがない。なんぼ家族10人を養っているとは言え、不思議な家だな?と思っていた。が、今回、渋谷の文化村に行ってモネとジヴェルニーの画家たちのカタログを買ってみて初めて謎が解けた。

クロードモネはアルジャントウイユに妻のカミーユと長男の3人で暮らし、170点くらいの作品を制作していました。 皆さんもご存知だと思いますが、若い絵描きは生活が苦しく、生き残る為にはパトロン(またはスポンサー)のバックアップなければなかなか生き残っていけません。

御多分に洩れず、モネもエルネスト・オシュデというパトロンが居りましたが破産してフランス国外に逃亡しました。が、パトロンの願いで妻のアリス・オシュデと6人の子供達と共同生活に入ったそうです。

この邸宅はリンゴ圧縮所つまり工場だったのです。それで私の謎は解けました。部屋がいっぱいあることです。 この玄関は昔工場の玄関、それがモネ家の玄関になり、今ではモネ美術庭園の入り口になり、休日ともなれば多くの人がモネの庭園を多くの人が訪れます。

仲に入ると2000坪はあろう大きな庭園に赤色・黄色・紫の花が咲き乱れています。モネの発想かどうかは知りませんが、壁はピンクに窓枠は緑に塗り替えてみると外観はロマンチックと素晴らしいですが、室内に入るとちょっとイマイチの感はぬぐえません。 アトリエにしてもちょっと小さく100号以上の大作を創作するのは難しく、ピンクの家の両側に大きな倉庫みたいなアトリエがあり、今はお土産売り場に化けています。

その後、この樹の左側にセーヌ河の支流エプト川に面した5000坪はあろう土地を買い、ひょうたん池を作り、日本風太鼓橋を掛け

柳を植え、日本風水辺の庭園を作り蓮の花を咲かせ、睡蓮の池と銘うってこの池がモネの作品であります。そして、シリーズ物の睡蓮を多く世に出しました。

ー1897年作ー睡蓮ークロードモネ。 73cm×100cm

藤の花が咲き乱れる太鼓橋の上の私です。 当時58歳でした。

あれから19年。今年は無理だが、来年のゴールデンウイークには再度訪れてみたいと思います。

 

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