2014年10月からTBS系の「金曜ドラマ」枠で湊かなえ原作の「Nのために」と言うドラマが放映されていた事がある。
主演は榮倉奈々で、第83回ザテレビジョンドラマアカデミー賞最優秀作品賞ほか部門賞を受賞するなど高評価を受けたドラマだった事もあり、今でも私の記憶に残っている印象深いドラマの一つとなっている。
ストーリーの詳細は省くが、「Nのために」はあるセレブ夫妻殺人事件を巡る純愛ミステリー。
主人公の榮倉奈々演じる“杉下希美”を始め、希美に関わる重要登場人物の名前にはどちらかにイニシャル“N”が付く。
まるで何かに操られるように、引き寄せられたかのように、知り合ってしまったN達。
6人のNが、それぞれ想いをよせるNのために献身し、嘘をつき、歯車を狂わせていく。
そうして、大切な人の為にお互いを大切に思っていたからこそ悲劇が生まれ、切ないラストへと繋がっていく物語となっている。
タイトルが「Nのために」と付けられているのは、その所以である。
写真は、6人のNを演じた俳優達↓
前置きが長くなってしまったが、私の今の生活はまさに“Kのために”だなぁと、先日気が付いた(^^;
ドラマの様なサスペンスも推理も一切ないが、私の今の生活の大部分を占めている息子と両方の母の名前のイニシャルが“K”なのである。
ドラマ同様、原動力の根底に流れているのは3人の“K”への”愛情“である。
人は自分の為には中々出来ない事でも、大切な人の為なら多少の困難さえも乗り越えて頑張れるものだとつくづく感じている。
今、私がこの世で生きていられるのは、主人や友人達の存在は勿論だけど、それよりも何よりも3人の“K”への使命感に他ならない。
息子に対しては親としての責任もあるが、母達に対しては、これまでの御恩に対してだけじゃなく、何も親孝行出来ない内にこの世を去ってしまった両方の父達への御恩返しの想いも込められている。
向いていないと思っていた結婚をはじめ、子供を授かり母親となった事は、私がこの世で少しでも長く生き、修行を積む為のある種の「枷(かせ)= “人の行動を束縛するもの”」だったのかもしれない。
そうでなければ、きっと若い頃から生きる意味を見いだせずに「いつ死んでもいいなぁ」とか「早くこの世を去りたい」と言う退廃的な思いが根底に流れている私は、生きる事をある日突然放棄しまっていたとしても全然不思議ではないとさえ思っている。
そして今でも、「長生きはしたくない」と思っている事は変わらない。
だけど、その思いを打ち消して、彼らの為に元気で頑張らないといけないと、思い直させてくれているのが3人の“K”の存在なのだ。
“人は何の為に生まれ、何故生きるのか“と言う漠然とした疑問に、江原啓之氏の著書に書かれてあった一文が答えを与えてくれた事がある。
“人は何故何度も輪廻転生を重ねてこの世に生れ出て来るかと言うのは、感動と経験を繰り返す事で魂を磨き、神様に近づく為”なんだそうだ。
”感動“と”経験“は、あらゆる感情(楽しい事は勿論、悲しみや苦しみも含めた全ての思い)を伴う体験から生まれ、それら全てが人間を成長させる糧となる、即ちその人の魂を磨き、魂のステップアップ&ランクアップに繋がると言う事らしいのだ。
「あぁ、なる程な」と、江原氏の言葉は妙に私の中で腑に落ち、納得する事が出来た。
昔から”生きる“事は修行、或いは苦行であるとさえ思っている私。
今生の自分に与えられた課題は、「人との関わり」である事も、薄々気づいてもいる。
独りでいた方が楽だし、人と極力関わりを持たずに生きる方が私にとっては断然“快適”である。
だけれども、今までの人生を振り返ってみても中々そうは問屋が卸さないのが悲しいかな現実なのだ、、(/_;)/
面倒な他人との関わりの中で何かを学び、習得してからでないとこの世を去る事も許されないだろうし、課題を修了する事も出来ない仕組みになっているのだろう。
なので、今は私に与えられている”ミッション“とも言うべき、愛しい3人の”K“の為に後悔しない様、出来る限りの事をして行こうと思っている。
3人の「Kのために」生きている私は、今後も暫くは「Kのために」頑張って”生きて行く“しかないのだ。